純情戦士ミラキュルン




第七話 驚異のスピード! 音速戦士マッハマン!



 野々宮速人は音速戦士マッハマンである。
 だが、ヒーロー稼業を引退した今では能力を解放することはなく、日常生活で加速能力を使う程度だ。 大学と自宅を往復するために不可欠な乗り換え電車の発車時間が微妙なので、乗り遅れないために使いがちだ。 それもこれも、敵対する悪の組織がないからである。大半の悪の組織は、特定のヒーローを相手に戦っている。 悪の組織の絶対数はいつの世もヒーローの絶対数に比例しているので、引退した輩が割り込む余地などない。 妹、美花が変身した姿である純情戦士ミラキュルンと敵対している悪の秘密結社ジャールもそんなものだった。 ジャールの実力も怪人の数もタカが知れているので手は出さないし、出したところで歯応えがなくてつまらない。
 だから、当分は変身しないつもりだった。だが、姿見に映っている速人の姿は音速戦士マッハマンだった。 Mを横に伸ばした形状の赤いゴーグル。青と銀のバトルスーツ。背部のブースターと繋がった流線型の胸部装甲。 破壊力抜群の超高速パンチを繰り出す強化装備、ブーストアームも右腕に装備した臨戦態勢になっていた。

「……俺って奴は」

 速人、もとい、マッハマンは、姿見に映る自分を見て嘆いた。

「なんで変身しちまうんだよ!」

 原因は解っている。近頃の美花の異変だ。

「そんなショボい理由で変身したって、体力の無駄遣いだろうが! そもそも誰と戦おうってんだよ!」

 マッハマンは頭を抱えていたが、変身を解除して元の姿に戻った。

「とりあえず、落ち着こう。俺」

 速人は自室から出てキッチンに入り、冷蔵庫を開けて冷えた麦茶をコップに注いで飲み干した。

「まずは状況の整理だ。ついでに情報の整理だ」

 速人は独り言を漏らしながら、二杯目の麦茶を入れたコップを持って広いリビングに入った。

「事の発端は土曜日の夜からだ。美花はあれだけ落ち込んでいたくせに、一発で復活しやがった」

 革張りのソファーに身を沈めた速人は、麦茶を傾けた。

「確か、その前はジャールに行くとか言っていたよな。決闘の前に話しておきたいことがあるから、とか。 だが、何を話したんだ? というより、さすがにまだ敵の本拠地に乗り込む段階じゃないよな。戦いを始めてから、 まだ二ヶ月も経っていないしな。いくら美花でも、潰すのは早すぎる」

 土曜日の朝早く、落ち込みに落ち込みすぎてメルトダウンを起こしそうな状態の美花はマンションを後にした。 どれほどジャールの怪人が弱くても、そんな状態ではやられてしまうのでは、と速人は内心で冷や冷やしていた。 だが、怪人との決闘を終えて帰ってきた美花は、朝とは打って変わって何かが吹っ切れたように元気になっていた。 速人の作った夕食も綺麗に平らげて早々に風呂に入って部屋に籠もったが、夜遅くまで起きていたようだった。 しかし、その割には日曜日の朝も至って元気で、友達と遊んでくるからと言い残して早々に外出してしまった。
 あからさますぎて、勘繰る以前の問題だった。美花の身に何かが起きている。恐らくは恋愛絡みだ。 今まで、美花の友達と言えば天童七瀬一人しかいなかったし、彼女と遊ぶ時は必ず七瀬と一緒だと言っていた。 けれど、昨日に限って友達としか言わなかった。美花は交友関係が狭いので、クラスメイトの一人なのだろう。 だが、その友達が女子であるとは限らない。そして、美花の感情の変異と照らし合わせて考えてみると。

「……彼氏?」

 年頃なのだから、いてもおかしくはない。

「い、いやいやいや、けど、でもなあ!」

 速人はソファーから身を起こし、リビングテーブルにコップを置いた。

「ていうか、なんでそんなことでキョドるんだよ! どうでもいいだろ、そんなこと!」

 いや、何一つよくない。口ではそう言ったものの、本心は逆だった。

「俺はシスコンじゃねぇ……」

 だが、その気はあるかもしれないとは常々感じていた。気弱で臆病で頼りない妹が可愛くてどうしようもない。 可愛いと言っても、性愛に繋がるようなものではなく、どちらかというと愛玩動物に対する執着心に似たものだ。 守ってやりたい、とか、独占したい、とかではなく、手元に置いて撫で回してやりたいという方向性だ。だが、可愛がりたいと 思う一方で小突き回していじめたくなってしまうという、我ながら面倒臭い兄弟愛だ。

「あー、もう……」

 速人は二杯目の麦茶を流し込んだが、落ち着くどころかますます焦ってしまった。

「俺は何がしたいんだよ」

 出来ることなら、美花の恋の相手を退けたい。恋路を阻みたい。妹は色恋沙汰に手を出すのは幼すぎる。 だが、見守ってやるのが兄としての仕事だとも思わないでもない。しかし、放っておいては危険なのでは。 速人はたっぷりと時間を掛けて悩んでいたが、壁掛け時計を見上げると講義に遅刻しない時間を当に過ぎていた。 いつも通りにマンションを出ていれば、毎日乗っている快速急行に間に合っていた。けれど、いつまでも同じことを 考え込んでいたせいで時間の流れを失念したらしく、時計の針は無情に進んでいた。速人の通う大学はこの街からは 遠く、快速急行を使っても三十分以上掛かるので乗り逃したのは手痛い。今から電車に乗っても、間に合うはずがない。 速人は少々迷ったが、腹を括って右腕を突き上げた。

「変身!」

 速人の右手の甲から迸った青い光が全身を包み、弾けると、青と銀のバトルスーツが再び装着された。

「音速戦士マッハマン、疾風を切り裂き、ただいま見参!」

 真っ直ぐに伸ばした両手を掲げて足を上げ、最後に拳を握ったが、誰も見ていないので特に意味はない。 速人、もとい、マッハマンは条件反射でポーズを付ける自分に恥じ入りながら、通学用のショルダーバッグを取った。
 生まれながらのヒーローである両親に幼少期から叩き込まれたせいで、忘れようにも忘れられないからだ。 三輪車に乗るよりも先に変身を教え込まれ、自転車の補助輪を外すよりも先に必殺技の練習をさせられた。 しかし、ヒーローの英才教育を徹底されすぎたせいで、速人はヒーロー体質がコンプレックスになってしまった。 空を飛んだり光線を打ったり車を投げたりしない普通の両親に憧れ、部活動に出るクラスメイトに羨望を抱いた。
 ヒーロー体質故に身体能力が非常に高い速人は、大抵のスポーツは練習する必要もなくこなせてしまう。 子供の頃はそれが普通のことだと思っていたが、大きくなるにつれてそれが当たり前ではないことを思い知った。 速人以外の子供達は何度も何度も同じことを練習して、跳び箱や鉄棒や水泳などを出来るようになっていった。 彼らの達成感に満ち溢れた顔や、彼らを上手く指導出来たことに喜ぶ教師の顔を見ると、自分が空しくなった。 鉄棒にしても跳び箱にしても水泳にしても、同じことが出来るようになるまで練習した方が楽しいに決まっている。 だが、速人はその過程が一つもいらない。傍目から見れば楽かもしれないが、出来れば出来るだけ妬まれる。 それは、皆が努力や苦労をしたからだ。そして、いつの頃からか、速人はなんでも出来る自分に罪悪感を抱いた。 だから、小中高と運動部に入らずに文化部に入り、成績も中の上程度で押さえ、世間に馴染むように努力した。 おかげでごく普通の友人も出来たがヒーロー体質から逃れることは出来ず、高校時代には戦いに駆り出された。
 マッハマンは強い。デビュー以来負け知らずのパワーイーグルとピジョンレディに鍛えられたのだから当然だ。 戦うのは嫌いだが、ヒーローの役割を全うしなければならず、嫌々ながら悪の組織と戦って早急に壊滅させた。 その戦いを終えた後はごく普通の男子高校生に戻り、マッハマンとしての自分を封印して生きていくことにした。
 けれど、今もこうして安易に力に頼ってしまう。マンションを出て超高速で飛行しながら、マッハマンは悔いた。 この分では、美花に近付いてくる男をはね除けるために拳を振るうかもしれない。それだけはしてはいけない。
 引退した身でも、ヒーローはヒーローなのだから。




 講義を終えた速人は、歩いて帰ることにした。
 いつも降りる駅の二つ前の駅で降り、普段は車窓を過ぎていくだけの景色の中を悠長な足取りで歩いた。 遅刻を逃れるためとはいえ、マッハマンの加速能力を最大限に使った超高速飛行で市街地を飛んでしまった。 大学には遅刻せずに到着出来たが、高度が低かったために気流が乱れたらしく、変な風が町中で暴れていた。 幸い、人的被害は起きなかったが傍迷惑には違いない。己の愚行を速人は後悔しながら、大人しく講義を受けた。 自己中心的に生きるのは良くない、と改めて自戒した速人は、見慣れない町並みを眺めながら足を進めていた。
 そういえば、この駅は美花の通う市立高校の最寄り駅だ。駅前には、毎週決闘に使われている広場がある。 悪の秘密結社ジャールの本社も近いだろうが、顔を出すわけにはいかない。マッハマンの戦いではないからだ。 戦っているのはあくまでも美花でありミラキュルンだ、横から割り込んでしまってはミラキュルンの立場がない。
 普段はあまり降りない駅前なので物珍しく思いながら歩いていると、雑踏の中で浮いた服装が目に付いた。 思わず目を見張ったが、どう見てもメイドだ。しかし、駅付近にメイドカフェはなくオープンしたとも聞いていない。 ならば、一体何なのだろう。速人が戸惑っていると、当のメイド本人が速人に気付いて驚いたように目を丸めた。 彼女は紺色のエプロンドレスの裾を持ち上げて小走りに駆け寄ってくると、西洋式に両膝を曲げる礼をした。

「お久しぶりにございます、野々宮先輩」

「……あ?」

 メイドの後輩なんていただろうか。速人が記憶を辿っていると、メイドは名乗った。

「市立高校一年中退、文芸部に所属しておりました女子生徒であり、現職使用人の内藤芽依子にございます」

「ああ、内藤か!」

 そうだ、そういえば顔が同じだ。速人が手を打つと、正統派ブリティッシュメイド、芽依子は頭を下げた。

「思い出して頂けたようで何よりでございます」

「悪い悪い、すぐに思い出せなかったんだ」

 速人が謝ると、芽依子は表情を変えずに返した。

「無理もございません。私が高校生活を謳歌したのはほんの六ヶ月でございますし、文芸部の先輩で あらせられる野々宮先輩と共にした時間は僅かでございます。その上、高校生であった私は絵に描いたような 地味な生徒でございまして、印象に残る方がどうかしているのでございます」

「そこまで言わなくてもいいと思うが」

「事実でございますので、語弊が無きよう正しく述べるべきだと思うのでございます」

「ついでに言えば、その口調、なんとかならないのか?」

「私めは一介の使用人にございます故、使用人としての立場を弁えているのでございます」

「にしたって、やりすぎじゃないのか?」

「この格好をしているからには、それらしさが最も大事だと心得ているのでございます」

「疲れないか?」

「使用人として御仕えしてから早三年、遺伝子レベルで染み付いてしまったのでございます」

「なら、仕方ないか」

「仕方のうございます」

 曲げていた膝を伸ばした芽依子は、スカートを離して買い物バッグを持ち直した。

「それで、俺に何か用事でもあったのか?」

 速人が芽依子に尋ねると、芽依子は瞬きした。

「特にはございません。ですが、野々宮先輩をお見かけしたのは久方ぶりでございましたので、懐かしさと その他諸々の感情に駆られたのでございます」

「そうか」

「そうなのでございます」

 自分で言ったようにそれらしい返事をする芽依子に、速人は笑いかけた。高校時代の印象とはまるで違う。 自身が言う通り、芽依子は地味な生徒だった。制服は少しも着崩さず、スカート丈も変えず、髪も染めていなかった。 顔立ちは決して地味ではなくむしろ美人に入る部類だったのだが、何分表情が出ないので解りづらかったのだ。 文芸部の狭い部室の薄暗い場所を好んでいて、意見を求められなければ口を開くこともない、影のような少女だ。 そのまま影のようにひっそりと高校生活を送るのだろうと思っていたが、夏休みが開けた数日後に突然中退した。 成績は悪くなく素行にも問題はなかったので、家庭の事情だったのだろうと噂したのはほんの数時間程度だった。 何日か過ぎた頃には速人も内藤芽依子のことなどすっかり忘れてしまい、普段通りの高校生活を送っていった。
 そんな芽依子がメイドになっていたとは。速人は今更ながら驚いたが、それを言うのは少し悪い気がした。 きっと、何かしらの事情があったのだろう。知りたいような気もしたが、再会したばかりでそれを聞くのは失礼だ。 夕食の準備もあるので頃合いを見て別れよう、と速人が切り出すべき言葉を考えていると芽依子が口を開いた。

「使用人の分際で差し出がましい申し出ですが、野々宮先輩にお尋ねしとうございます」

「何をだ?」

「いかなる行動を取れば、殿方を参らせることが出来るのでございましょうか」

「誰を?」

「私めが御仕えしている御屋敷の若旦那様にございます」

「でも、なんでまた?」

「私めは使用人の身でありながら、若旦那様に心を寄せてしまったのでございます」

「あぁ、そうなんだ」

「私の周囲にいらっしゃる殿方は、若旦那様よりも遙かに年上か、何の役にも立たないくせに粋がっている 頭空っぽなクソガキしかおりません。ですので、意見を仰げるような相手がいらっしゃらないのでございます」

「だから、俺に?」

「そうでございます」

「でも、俺は……」

 彼女いたことないし、と速人は言いかけたが、それを口に出す前に芽依子が畳み掛けてきた。

「野々宮先輩。よろしければ、御指導頂きたく願います」

「や、だから、何を?」

「公衆の面前で申せるような内容ではございません」

「だったら言わないでくれ」

「ですが、野々宮先輩以外に頼れる殿方はいらっしゃらないのでございます」

 微動だにしない芽依子に、速人は辟易した。だが、このまま芽依子を放り出してしまうのはまずいかもしれない。 その若旦那とやらが、芽依子に襲われるかもしれない。実直を絵に描いたような女性なので、行動も実直だろう。 となれば、色々な経緯をすっ飛ばして上に跨るかもしれない。エロ漫画のようだ、と考えて速人は自己嫌悪した。

「解った」

 時間が掛からなければいいが、と思いながら、速人は了解した。

「でも、ここじゃまずいだろう。別の場所に行こう」

「野々宮先輩にお任せいたします」

「密談って言ったら、あれだろ、防音が完璧な密室に行くべきだな。さしずめカラオケボックスか」

「歌ってもよろしゅうございますか」

「カラオケボックスだからな。ていうか、内藤は時間は大丈夫なのか? それを先に聞いておかなきゃな」

「御心配なさらずともよろしゅうございます。家事は全て終えて、夕食の下拵えも終えた上で外出しておりますので、 旦那様方の夕食の御時間に間に合うように帰ればよろしゅうございます。ちなみに午後七時三十分にございますので、 逆算して六時四十五分に間に合うように帰ればよろしいかと」

「俺もそのぐらいに帰るつもりだから、丁度良い。とにかく行こう」

「野々宮先輩の貴重な御時間を割いて頂き、誠に嬉しゅうございます」

 速人が歩き出すと、芽依子は一礼してから続いた。メイド服の足捌きは良いのか、遅れることはない。 生憎、速人はこの駅の近場にあるカラオケボックスを知らないので、芽依子に教えてもらいながら歩いていった。 その間、二人は取り留めのない話をした。主立った話題は料理で、メイドらしく芽依子は料理が上手いようだった。 思いがけず話が通じるので、速人は他の友人達では付いていけない話題を振ってみたがそれ以上を返してきた。 ほんの少し前までは面倒だと思っていた後輩に急に親近感を持った速人は、いつしか気を緩めて会話していた。
 高校時代はそうでもなかったが、今なら良い友人になれそうだ。





 


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