高速道路に入ったマッハチェイサーは、順調に走っていた。 程良く暖機出来たエンジンとボディが馴染んできたので、元愛車、現サポートメカが理解出来るようになってきた。 ハンドルを握ってペダルを踏んで運転するよりはかなりやりやすく、路上教習では難しかったことも簡単に出来た。 だが、問題もあった。運転席に誰も座っていないので、高速道路に入る際には芽依子が苦労して通行券を抜いた。 ETCを装備出来ていれば良かったのだろうが、新古車を選んで買うような大学生にはそんな余裕はない。高速道路 に入った後も、行き交う車から妙な目で見られた。デザインもさることながら、運転手の不在が原因だ。 けれど、マッハチェイサーも芽依子も普通とは言い難い日常を過ごしているので、十五分もすると慣れてしまった。 運転にも状況にも慣れて余裕が出てきたマッハチェイサーは、助手席に座る芽依子と取り留めのない話をした。 主な視点はヘッドライトだが、車内はバックミラー越しに見えているので、正面と腹の中を同時に見ている状態だ。 それもまたとてつもなく異様なのだが、前と後ろに目が付いている感覚も慣れてしまえば問題はなかった。ヒーロー 体質故に適応能力が高い自分に感心しながらも、マッハチェイサーは芽依子の様子も気になっていた。礼儀正しく シートに収まっている芽依子は、声を掛ければきちんと反応するが言葉が途切れるとぼんやりする。遠くを見ている うちに瞼が下がっては、その度に目を瞬かせる。単調な振動と適度な空調が彼女の眠気を誘っているようだ。 「眠いんなら、寝てもいいぞ」 マッハチェイサーが芽依子を気遣うと、芽依子ははっとした。 「ああ、いえ、そのようなことはありません。大丈夫です」 「ジャールのごたごたもまだ全部は片付いていないし、大神家も色々と忙しいんだろ? 無理するなよ」 「ですけど……」 芽依子はシートベルトを直してから、誰もいない運転席に目線を投げた。 「こうして先輩が運転していらっしゃるのに、私だけ一人で眠ってしまうのは申し訳ありません」 「気にするなよ。サービスエリアに着いたら起こしてやるよ」 「ですけど、先輩の前で無防備な姿を晒してしまうわけにはまいりません」 「もっと無防備なのを見せたじゃないか。ハイキングの時に」 「あうわっ!」 途端に芽依子は赤面し、シートを揺らすほど激しく身動いだ。 「あっ、あれは、怪人体でいたことを忘れてしまった上に、その、色々と嬉しすぎて緊張が緩んでしまったからで」 「解ってる解ってる。それに、もうそんなに浅い仲でもないだろ?」 「……はい」 それでは失礼いたします、と芽依子は断ってから、助手席のリクライニングを倒し、首を横にして両足も横たえた。 スポーツカーなのでシートの全長は長めだが幅が狭いので、寝づらそうだったが、芽依子は手足を縮めて収めた。 本当に眠かったらしく、芽依子は横になってから五分と立たずに寝息を立て、緊張していた表情も緩まった。マッハ チェイサーも家事がまるで出来ない母親と全てが今一つな妹に代わって家事をしている身だが、片手間でも大変な ものだ。セイントセイバーの一件の後、家族と共に大神家の邸宅を訪問したが、あの立派な洋館を一人で掃除する のは大事だ。半分が怪人であるため、常人よりも体力や腕力がある芽依子であろうともメイドの仕事は重労働だ。 それでも、芽依子は疲れたとは言わず、疲れた顔すらも見せない。それは、大神家の忠臣であるレピデュルスから 鍛え上げられたからだ。メイドとしてはそれで良いのだろうが、恋人としては心配になる。 不意に、聞き慣れない甲高い電子音がマッハチェイサーの内部で響き、車内を捉えていた視界が切り替わった。 高性能なレーダーを用いたスキャン映像だった。なんでこんな機能が、と戸惑う間に情報が脳に流れ込んできた。 「トップ88、アンダー70、ウェスト63、ヒップ89……」 と、きっちり最後まで読み上げてから、マッハチェイサーはようやく気付いた。 「スリーサイズなんて調べてどうするんだ」 しかも、予想以上に素晴らしい数字である。服を着ていても減り張りのある体形だと思っていたが、ここまでとは。 トップとアンダーの差がこの数字だったらカップはDだ、と余計なことまで考えて、マッハチェイサーは自己嫌悪した。 芽依子が目を覚ましてしまわないかが気になり、センサーを切り替えてみたが、芽依子のバイタルは変わらない。 思いの外深く眠っているらしく、脳波の活性は低い。そこまで解ってしまう自分が、嬉しいようで物凄く嫌だった。 サポートメカに融合合体して身体機能を向上させることは、悪の組織との戦いの中では有利かもしれない。だが、 紛れもない人間である野々宮速人が、血も涙もない機械になってしまったかのようで物悲しくなる。 「……ん」 芽依子は寝返りを打った拍子に、声の混じった吐息を漏らした。すると、視界の隅にRECの文字が現れた。 「おいいいいっ!?」 自分で自分の行動に突っ込んでしまってから、マッハチェイサーは大慌てで記憶系統の調整を始めた。そのまま 芽依子の寝顔と寝姿が超高解像度で録画され、マッハチェイサーの記憶回路に強烈に焼き付けられた。俺はそこ まで変態じゃない、変態になってたまるか、と録画を止めようとするが意に反して録画は止まらない。それどころか、 男として気になる部分ばかりがズームアップされ、スカートの中まで見えてしまいそうになる。誰か俺を止めてくれ、 と思う傍ら、俺もその程度の男なんだな、とも思ってしまい、マッハチェイサーは複雑だった。 芽依子が好きだ。美人でスタイルも良く、メイドとして完璧だが、人と怪人の狭間に立つ自分に苦悩していた。その 苦悩の果てに神聖騎士セイントセイバーと化し、同胞に牙を剥いただけでなくマッハマンにも戦いを挑んだ。それら も含めて、芽依子が好きだ。だから、知りたいと思うのは当然だし、これからももっと仲を深めていきたい。けれど、 これは明らかに違うだろう。芽依子を知るにしても、スリーサイズを計測したり寝顔を撮影してしまうのは真っ当では ない。だが、それを否定しきれない気持ちもある。愛する女性に対して情欲を抱くのは、恋人としては至極当然 だからだ。マッハチェイサーは悶々としていたが、サービスエリアが近付いたので速度を緩めた。 芽依子を休めると共に、自分自身も休めなければ。 サービスエリアに到着し、目を覚ました芽依子は車外に出ていった。 一台のスポーツカーでしかないマッハチェイサーは駐車場のスペースに駐車していたが、落ち着けなかった。車と 融合しているため、喉の渇きも空腹も疲労もその他の欲求も感じていなかったが据わりが悪くてどうしようもない。 駐車場にずらりと並ぶ乗用車やワゴン車やトレーラーなどはただの道具で、あくまでも人間が操る機械だ。そんな中に 混じっていると、場違いな気分に苛まれてしまう。彼らにとってはマッハチェイサーの方が異物なのだから。人間の 中に放り込まれた怪人のような心境を味わいながら、マッハチェイサーは芽依子が戻ってくるのを待った。 休日だけあって、サービスエリアには人が多い。家族連れや長距離トラックの運転手、カップルなど様々だった。 本当なら、速人もその景色の中に含まれていたはずなのに。マッハチェイサーのままでは、サービスエリアの施設 に入れない。芽依子の傍に座れない。一緒に店も回れない。それがたまらなく悔しいが、融合合体を解除する術を 未だに見つけ出せなかったので、現状維持しかなかった。 「あー、くそー……」 マッハチェイサーが意味もなくワイパーを揺らしていると、聴覚センサーが聞き覚えのある声を拾った。 「だから、ゆーちゃんのセンスがマジ古すぎんだって。なんだよ自動車ショー歌って、しかもカセットテープって」 「てか、名曲は今でも名曲だぞ? カセットテープの味わいを舐めんなよ、武藤」 「つうか、地球の科学を超越した異星文明に生み出されたナノマシン兵器のくせして、今時カセットテープかよ?」 「ハイテクにハイテクを極めると、逆にローテクが素晴らしくなるんだっての。理解しろよ」 「どうせなら、そのカセットテープを改造してロボにしちゃえよロボに。ゆーちゃんならマジ出来るっしょ?」 「それは出来るかもしんねーけど、俺の胸じゃイジェクト出来ねーし」 マッハチェイサーが駐車しているスペースにやってきたのは、悪の秘密結社ジャールに所属する怪人達だった。 金属製の軟質のボディに単眼を埋めたナノマシン怪人、ユナイタスと、人型ムカデのムカデ怪人、ムカデッドだ。どう やら二人もドライブの途中らしく、サービスエリアの売店で買った品物が入ったレジ袋をぶら下げている。ユナイタス とムカデッドの乗ってきた車はマッハチェイサーの隣に駐めてあったセダンで、レンタカーのようだった。 「どうするゆーちゃん、このまま高速使って行っちゃう? 芦ノ湖にさ」 ムカデッドが高速道路の進行方向を指すと、ユナイタスはイグニッションキーで車のロックを外した。 「それでもいいけど、下の道を行くのも良くねぇ? 時間ならアホほどあるわけだし」 「あー、それ言えてる。つか、俺のドライブって基本的に目的なんてねぇしな」 ムカデッドはけらけらと笑いながら助手席のドアを開き、長い腕を伸ばして後部座席にレジ袋を置いた。 「俺もだけど、いい加減にゆーちゃんは彼女作れよ。いつまでもこんなんじゃ、ホモ疑惑掛かるんでねーの?」 「勘弁してくれよ。俺、虫に興味ねーし」 「俺も液体金属になんか興味ねーっつの」 互いに軽口を叩き合った二人は、自車に乗り込もうとしたが、ユナイタスがマッハチェイサーに単眼を向けた。 「ところでよ、武藤」 「んだよ、ゆーちゃん」 ムカデッドもマッハチェイサーに複眼を向け、太い触角を立てた。 「うん。気になるよなぁ、この車」 「外観は限りなくランボルギーニっぽいけど、なんつーか、方向性を間違った痛車? どこもかしこもガキ臭い改造 だし、ごってごてだし、走り屋にしちゃ趣味悪いよな。なあ?」 「うんうん。テイルウィングのブースターとか、配色とか、ボンネットのMとか、なんかミニ四駆っぽくね?」 「ていうか、コロコロのカラーページに載ってそうだよな、こういうラジコン。タミヤ辺りの特集でさ」 「あー、あるある! 超ある! 俺はボンボン派だけどな!」 ムカデッドが無数の足が付いた長い両腕を叩き合わせて笑うと、ユナイタスは運転席から身を乗り出した。 「だろ? だろ? ダサ過ぎていっそノスタルジックだよな!」 「……悪かったな」 居たたまれなくなったマッハチェイサーは、どるん、と四気筒の排気筒を低く鳴らした。 「え?」 「あ?」 車内で顔を見合わせた二人は、同じ動作でマッハチェイサーを見上げた。 「俺だって好きでこの状態になったわけじゃない。俺もそう思う。だけどな」 マッハチェイサーはヘッドライトを眩しく点滅させ、苛立ちを現した。 「せめて、もうちょっと褒めてくれないか? じゃないと、俺もやってられないんだよ。ちなみに俺はガンガン派だ」 「ゆーちゃん、ゆーちゃん、痛車の中の人が誰か解るか?」 ムカデッドがユナイタスを揺さぶると、ユナイタスは記憶回路から検索した音声ファイルを照合させ、絶句した。 「……あ」 ユナイタスは十秒ほど硬直していたが、運転席からにゅるりと飛び出した。 「すんませんっしたぁ!」 「だから誰なんだよ、ゆーちゃん!」 ムカデッドがユナイタスを掴むと、ユナイタスはマッハチェイサーを指した。 「マッハマンだよ音速戦士マッハマン! てかマッハマンさんな、さん! ほら、ミラキュルンちゃんの兄貴、じゃなくて えっと、そうだ、御兄様! 御兄様だよ御兄様!」 「あぁー!」 ムカデッドもようやく納得したのか、大きく頷いてから、ユナイタスによって車外に引き摺り出された。 「いやホントすんませんっした、マッハマンさん! ええと、その、ダサ、ダサくないっすマジでマジで!」 平謝りするユナイタスに、ムカデッドが同調した。 「そうっすそうっす! なんてーか、こう、小学生男子ならマジスッゲーカッケーマジヤベーって言ってくれるっす!」 「もういい、傷口を広げないでくれ。それと、その間抜けな呼び方はなんとか出来ないのか? マンさんって……」 マッハチェイサーが弱々しく返すと、ユナイタスが言い直した。 「んじゃ、マッハさんで!」 「どうでもいいから、俺に関わらないでくれ」 「あ、で、でも、なんで今日はマッハさんはこんな場所にいらしたんすか? やっぱドライブっすか? お一人で?」 ムカデッドは話題を変えようとしたが、ユナイタスはサービスエリアから戻ってきた芽依子に気付いた。 「あれ、芽依子ちゃん。うわミニスカじゃん、マジ足長ぇー。ってことは、マッハさんは」 「いちいち説明する気もないが、解ったんならとっとと失せろ怪人共! 蒸発させるぞ!」 マッハチェイサーが威圧的にエンジンを唸らせると、二人は飛び退いて頭を下げた。 「ホントすんませんっしたぁー!」 ほれ行くぞカナデちゃん、とユナイタスはムカデッドの首根っこを掴んで助手席に投げ込むと、そのドアを閉めた。 ユナイタスも運転席に乗り込んでドアを閉め、すぐにイグニッションキーを回したが、慌てすぎたせいでエンストした。 そうこうしているうちに芽依子はマッハチェイサーの元に戻ったが、当然ながらムカデッドとユナイタスに気付いた。 二人は当たり障りのない挨拶をすると、今度こそエンジンを掛け、急加速してマッハチェイサーの隣から発進した。 芽依子は二人の乗るセダンが車道に出るまでを見送ってから、マッハチェイサーのドアを開けて助手席に乗った。 ハンドバッグを後部座席に置き、売店で買ってきたペットボトルをドリンクホルダーに入れ、芽依子は言った。 「ダサくありませんよ」 「え、ああ……」 聞こえていたのか、とマッハチェイサーは少し驚いたが、コウモリ怪人である芽依子ではなんら不思議ではない。 人間体でも超音波をも聞き取れる聴力を備えているのだから、離れた場所の会話を聞き取ることは容易いだろう。 だが、どう見ても気を遣われている。マッハチェイサーは車体の不格好さが気になったが、変化させられなかった。 散々罵倒されて、ヒーローの力の要である精神力が弱っているからだ。そうでなければ一瞬で変えられたものを。 「言っておきますが、本心ですからね」 芽依子はスカートを直してから、シートベルトを伸ばした。 「私は、先輩ならどんな姿でも構わないんです。人間でも、ヒーローでも、車でも、ロボットでも」 「守備範囲が広いんだな」 「先輩が、私にそう仰ったのではありませんか」 芽依子は照れ混じりに微笑んでから、誰もいない運転席に向いた。 「一つだけ残念なことがあるとすれば、せっかく作ってきたお弁当を食べて頂けないことでしょうか」 「そうだな」 マッハチェイサーは芽依子の言葉で気分を戻し、エンジンを暖めた。 「あの、先輩」 「なんだ?」 マッハチェイサーが答えると、芽依子はギアやサイドブレーキを越えて運転席に身を乗り出した。 「今、先輩の意識はどちらにありますか?」 「全部だよ」 「では、触覚も?」 「ああ。だから、その……全部解る」 マッハチェイサーが芽依子の体の柔らかさの感触を思い出して照れると、芽依子は頬を染めた。 「では、これも解りますか?」 芽依子は顔を下げると、車体に見合ったスポーツタイプのハンドルに唇をそっと触れさせた。生身とは感覚が少々 違っていたが、カバー越しのような感触のせいで普通にキスされるよりも意識してしまい、エンジンの回転数が一層 上がった。鼓動が高ぶる代わりにエンジンが震え、タイヤが空回りする。芽依子を抱き締めてやれる腕がないのが 惜しい。せめて、人型のロボットに変形出来たら良かった。長い間の後、芽依子は名残惜しげにハンドルから唇を 離した。メイク落としシートでハンドルに付いたグロスを拭い取った芽依子は、自分の行為に恥じ入り、目を伏せた。 その様がいやに悩ましく、マッハチェイサーはまたもエンジンの回転数を上がってしまい、妙なギアが噛み合った。 TRANSFORM・OK。そんな文字がマッハチェイサーの視界の隅に現れ、点滅すると、内部構造が変形し始めた。 だが、今、その機能を使ってしまえば芽依子を車外に放り出してしまいかねないので、本来の目的を遂行した。 車は車なのだから。 09 11/18 |