南海インベーダーズ




突発的鉄屑流星群



 破壊行為は、迷惑を掛けない場所でするに限る。
 肩どころか全身で荒く呼吸しながら、紀乃は額から垂れ落ちてくる汗をハンドタオルで拭った。背後に控えている ガニガニは鋏脚で目を覆っていたが、そろりと目を出した。その怯えように紀乃は少し心が痛んだが、訓練のため には仕方ないことだと開き直った。紀乃の数メートル前には風化して今にも崩れ落ちそうな家屋があり、板張りの 壁は石の雨を浴びせられたかのように細かな傷が付いていた。

「えーと、次はなんだっけ」

 紀乃は思い出せるだけ嫌なことを思い出しながら、海岸で拾い集めた小石を手にした。

「学校、部活、通学、家のこと……」

 ごく普通の日常生活だからこそ、嫌なことは尽きない。家族や友人の前では言いたくても言えないこともあったし、 明るく振る舞っているからこそ溜め込んできた。それをここぞとばかりに吐き出すついでにエネルギーに変換して、 不安定な超能力の底上げに、と思っていたのだが、世の中そうも上手くいかない。
 手の中で小石を弄びながら、紀乃はむくれた。先日、火山の蒸気で温泉卵を作るために小松に手伝ってもらって 山登りをして見つけた東側の集落は、ガニガニと一緒に探検し尽くしてしまった。廃屋に残っていた古めかしい家財 道具は、最初に見た時は面白かったがすぐに飽きてしまった。木造平屋建ての家屋は風化しているか草木に浸食 されているかのどちらかで、遊ぼうにも危なくて遊べない。伸び放題の雑草に埋め尽くされている田畑は、ガニガニが 歩き回ったおかげで均されてきたが、地面が緩くて走り回れない。そこで紀乃が見つけた遊びは、超能力の訓練を 兼ねたストレス発散だった。だが、その成果もあまり芳しくなかった。

「すっごい嫌なことばっかり思い出してんのにっ!」

 紀乃は振りかぶって小石を投げたが、腕力で飛んだだけだった。

「どうして超能力が出ないかなーもうー!」

 集落全体を揺らがす紀乃の罵声に、ガニガニは精一杯巨体を丸めた。

「私の人生台無しにしたくせに、役に立たないってぇのかあーっ!」

 二個目の小石を掴んだ紀乃は叫びながら投げたが、やはり腕力で飛んだだけで、壁を貫通せずに跳ね返った。 超能力が出さえすれば、小石はもっと速く飛んで壁どころか建物自体を貫くはずなのだが、上手くいかない。苛々した 紀乃は小石の山を蹴り飛ばすと、ガニガニが頭を抱えて縮こまった。

「あ、ああ。別にガニガニに怒っているわけじゃなくて、自分に対して苛々してるだけだから」

 紀乃は取り繕うが、ガニガニは複眼を覆っている鋏脚をますます縮めた。すっかり怖がられてしまった。

「そんなつもりじゃなかったんだけど……」

 紀乃は気まずくなり、散らばった小石と傷だらけの廃屋を見やった。元の暮らしに戻りたい、という具体的な目標 が出来たから張り切っただけだ。そのためにも中途半端な超能力を自在に使えるようにしなければ、と思って毎日 訓練に勤しんでいるが、この様だ。前に進むどころか同じところで足踏みしているだけで、本当は自分には超能力 なんてないんじゃないかとすら思ってしまう。ゾゾの助力を受けるのは癪だし、ミーコと小松は論外だ。だから、一人で どうにかしようと頑張ってみているのだが。

「でも、矛盾も感じるんだよね」

 紀乃はガニガニを撫でて慰めてから、その足に寄り掛かった。

「私が超能力を鍛えると、それだけ人間離れするってことになるわけで、元の暮らしに戻れる可能性が遠のいていく んだよねぇ。でも、せっかく超能力があるのに持て余すのは勿体ないし、何かあった時に自分の身ぐらいは守れなきゃ 情けない。だけど、やりすぎると、私は正真正銘の生体兵器になっちゃうわけでー……」

 紀乃は仰け反り、ガニガニの外骨格に後頭部をぶつけた。

「私は悪役にはなりきれないよ。でも、このままやられっぱなしってのも悔しいんだよね」

 ミーコが次々に巨大生物を作って本土に送り込んでいるのを見ると心が痛む。ゾゾが良からぬことを企てている 気配を感じるとぞっとする。小松が造っては壊している奇妙な機械の山を見ると薄ら寒くなる。だが、紀乃は彼らの 側に付いた。一時の感情で下した決断ではないし、覚悟も決めたつもりだ。だから、力がなければ。

「強くならなきゃ」

 ガニガニの足から背を外した紀乃は、小石をまた拾おうとしたが、ガニガニに一度振り返った。複眼を隠していた 鋏脚を外したガニガニは、垂らしていたヒゲをぴんと立てた。その奥で触角を細かく動かし、言葉を出すかのように かちかちと顎を小刻みに鳴らしていた。その様子に、紀乃はふと表情を緩めた。

「でも、今日はこの辺にしておいて一緒に遊ぼうか、ガニガニ」

 かちん、と一際高い音を発したガニガニは両の鋏脚を振り上げた。その喜びように、寂しがらせちゃったんだな、と 察した紀乃はガニガニの頭を下げさせ、飛び出した目と触角の間に体を入れた。青黒い外骨格を撫でてやりながら、 どうやって強くなるべきか、どんなふうに強くなるべきかを考え込んだ。強くなるにしても、方向性を間違えては何の 意味もない。すると、ガニガニが上体を持ち上げたので紀乃は足が浮き上がった。
 
「うわっ」

 滑り落ちかけた紀乃がガニガニの頭を掴むと、ガニガニはそのまま体を起こして歩き出した。

「ちょっとぼんやりしちゃってて、ごめんね」

 がちん。否定、或いは負の感情を示す音。少し怒らせてしまったらしい。

「ごめんってばー、ガニガニ」

 紀乃は落とされないようにするために甲羅まで這い上がるが、ガニガニの歩調は緩まなかった。寂しがらせた上に 遊ぶと言ったのに何もしなかったのでは怒らせて当然なので、紀乃は言い訳も出来なかった。ただでさえ自分の 情けなさに打ちのめされているのに、ガニガニにまで嫌われたら立ち直れない。
 急にガニガニが立ち止まったので、甲羅に乗っていた紀乃はつんのめった。何事かと顔を上げると、ガニガニの 正面に小さな社があった。かつては赤かったであろう鳥居が苔とツタで緑色に染まり、古ぼけた社は敷地と草むらの 境目がなくなっていた。ガニガニは鋏脚を高く振り上げ、鳥居を叩きのめして真っ二つにへし折った。続いて社に 振り下ろして容易く粉砕し、木屑まみれの鋏脚を掲げたガニガニは勝ち誇っているかのようだった。

「え、何?」

 紀乃がきょとんとしていると、ガニガニは真ん中から折れた鳥居をべちべちと殴り付けた。

「もしかして、自分が強いから強くならなくていいって言いたいの?」

 紀乃が尋ねると、ガニガニはかちかちかちと素早く顎を打ち合わせた。

「ありがとう、ガニガニ」

 その気持ちが嬉しくて紀乃は気持ちを緩め、仕切り直すために立ち上がった。

「そんじゃあ、今日は思いっ切り暴れちゃおうか! 行けぇ、機動甲殻類ガニガニー!」

 紀乃は手始めに手近な民家を指すと、ガニガニは紀乃の指した方向に突っ込んだ。全長八メートルもの巨大ヤシガニの 体当たりを受けた民家は簡単に壁が壊れ、屋根が崩れた。かつての住人達の営みの名残があったような気がしたが、 どうせ誰も住んでいないので紀乃もガニガニも構わなかった。壁を潰し、床を割り、屋根を吹き飛ばすと、なんだか 気分も晴れてきたので調子付いた紀乃は、また別の民家を指した。すると、ガニガニは迷わず突っ込んで景気良く 破壊し、鋏脚を上下させて勝ち誇った。やっていることはちょっと規模の大きいイタズラレベルだが、一気に自分が 悪役らしくなれた気がして、紀乃は更にそれっぽくするために高笑いしてみた。
 面白いようにストレスが消えた。




 散々破壊行為を行って遊び終えた紀乃とガニガニは、西側の集落に戻った。
 鳥居と社を壊したおかげか、小さな発見もあった。瓦礫の下で光るものがあったので掘り返してみると、割れた銅鏡と 一緒に赤い勾玉が落ちていた。素材は珊瑚か瑪瑙かは解らなかったが、艶々して綺麗だった。紐を通せそうな穴 も開いていたので、せっかくだからとその勾玉を拾ってきた。どうせ他の誰も住んでいないのだから、咎められる こともないだろうし、バチも当たるまい。私物の中に丁度良い紐があったかなぁ、と考えながら、紀乃はガニガニの 背に揺られて帰ってきた。丁度、畑ではゾゾがたわわに実った野菜を収穫していた。

「ただいまー」

 紀乃が声を掛けると、カゴを抱えたゾゾは振り向いた。

「お帰りなさい、紀乃さん、ガニガニさん」

「ガニガニ、下ろして」

 紀乃がこんこんと甲羅を叩くと、ガニガニは這い蹲った。紀乃は鋏脚を伝って地面に降り、ゾゾに駆け寄った。

「ゾゾ、いいもの見つけちゃった」

「おやおや、それはなんですか?」

 ゾゾはキュウリとトマトが詰まったカゴを脇に抱えて紀乃に向くと、紀乃は赤い勾玉をポケットから出した。

「ほら、これ! あっちの集落であば、じゃなくて、ガニガニと遊んでたら見つけたの」

「御社に近付いたのですか?」

 ゾゾはやや瞼を細め、首をぐいと伸ばしてきた。紀乃はまずいことをしたのかと直感し、誤魔化した。

「あー、うん。ちょっとね。で、中に入ったら、あったから……。まずかった?」

「いえ。まずいということはありませんが、それをどうするおつもりで?」

「綺麗だから、紐でも通してペンダントにでもしようかと思って」

「そうですか」

 ゾゾは少し考えるように瞼を閉じていたが、廃校に向いた。

「でしたら、お気を付けて下さいね」

「何に?」

 紀乃はゾゾの背に問うたが、答えは返ってこなかった。首を傾げながらガニガニを見上げるが、ガニガニから答え が返ってくるはずもなく、ゾゾの態度に違和感を感じずにはいられなかった。しかし、これといって思い当たる こともなかったので、勾玉をポケットに戻した紀乃は廃校に続く坂道を昇ろうとすると、あの声が飛んできた。

「ミーコがミーコのミヤモトミヤコー!」

「うわぁっ!?」

 直後、紀乃の背中にミーコが覆い被さって正面から転んでしまった。紀乃が辟易しながら顔を上げると、得意満面の ミーコは大きめの乳房が上下するほど勢い良く胸を張った。

「乾いたイタイタイタ! 治ったッタッタッタ! 元に戻った戻る元通りドオリドオリドオリリリリ!」

「うそーん」

 紀乃は本当に信じられず、古臭いリアクションを返した。水気を吸って膨張していた顔も、青紫に変色していた肌 も、腐敗ガスと汚物で膨らんでいた腹部も、今にも腐り落ちそうだった目玉も、何もかもが以前のミーコに戻っていた。 それどころか、健康そのものだ。日に焼けた肌の張りも、ざんばらに切った髪の色艶も、快活な表情も、水死体 だったとは思いがたい。というより、あの水死体から、ミーコに良く似た別の人間に寄生虫を移し替えたのでは。

「ちょっとごめんね」

 紀乃はミーコを押し退けて上体を起こすと、彼女のTシャツを捲り上げた。女の目から見ても形の良い張りのある 乳房と引き締まった腹部に掛けて、一直線の切り傷とジグザグのいい加減な縫い目が出来ていた。糸に触ってみると、 これもまた信じられないことにワイヤーだった。となればやはり、ゾゾが海から拾ってきて、小松が開腹して天日 干しして塩抜きした、あのミーコに間違いない。

「ヤンヤンヤーン」

 ミーコは男物のTシャツを下ろしてジーンズの裾に押し込み、頬を膨らませた。

「今更恥ずかしがることでもないだろうに。何度も一緒にお風呂に入ってんだからさぁ」

 紀乃は立ち上がり、セーラー服に付いた砂や泥を払った。

「紀乃紀乃ノノノ、エッチヘンタイヘンタイタイタイタイ!」

 ミーコは体の前を隠して身を捩ったので、紀乃は頬を引きつらせた。

「本体が寄生虫だって解っていると、どうリアクションすればいいやら……」

「お返し返しエシエシエシー!」

 にたにた笑いに戻ったミーコは紀乃に飛び掛かり、セーラー服とスカートを一度に捲り上げた。

「ひぇああああああっ!?」

 紀乃は反射的に胸の前を押さえたが、防ぎきれずに背中と太股と尻が丸出しになった。暑さとは違った意味で熱が 頭に昇ると、何かが頭の中で噛み合う感触がした。それが何なのかを掴みきる前に、突然足元から突風が発生 した。あ、スカートが全部アウトだ、と紀乃は羞恥心の一方で冷静に捉えていると、突風が鞭のようにしなってミーコが 吹っ飛ばされた。訳の解らない悲鳴を上げながら坂道を転げ落ちていくミーコを見、紀乃は目を丸めた。

「あれ」

 手応えがあったはずだが、両腕はセーラー服を押さえている。ガニガニを見上げると、彼は触角を立てている。

「ガニガニ、じゃないよね」

 紀乃が呟くと、ガニガニはがちんと否定の音を出した。

「じゃあ、私?」

 半信半疑で、紀乃は自分の両手を見下ろした。だが、超能力だとしても、今の今までまともに扱えもしなかったでは ないか。それが急に使えるようになるなんて、どう考えてもおかしい。だったら、なんでもいいから動かしてみよう。 紀乃は足元にあった石を見つめると、触れてもいないのに浮き上がって手元まで近付いてきた。

「……えぇ」

 泥の付いた石を両手に収めた紀乃は、急に怖くなった。あんなに超能力を使いたいと思っていたのに、いざ使える ようになると畏怖してしまう。慌てて石を放り投げた紀乃は、ガニガニを急かして廃校に駆け戻った。ゾゾが昼食の 支度を手伝って下さいと呼んできたが、答えずに衛生室に飛び込んだ。引き戸を乱暴に閉めてスニーカーを 脱ぎ捨てると、ベッドに昇って頭を押さえた。暑さとは異なる熱が脳に広がる感触と、思った通りに物体を動かせた 爽快感と、それを塗り潰すほどの戦慄に負けそうだった。どくどくと心臓が暴れ、呼吸が上手く出来ない。

「動け」

 紀乃が念じると、その通りに戸棚のガラス戸が開いた。カーテンがめくれ上がった。電球に笠を被せた電灯が風も ないのに揺れ、ぎいぎいと付け根が軋んだ。傘に積もっていた埃が舞い降りると、床に小さな影を落とした。

「私、やっぱりそうなんだ」

 嬉しいようでいて、物凄く辛い。紀乃は汗まみれの体をベッドに横たえると、カーテンが波打ち、生温く湿った風を 送ってきた。この力があれば戦える、きっと元の暮らしに戻れるはずだ、と思う一方で生体兵器として扱われた理由を 確信せざるを得なかった。もしかしたら、ゾゾ達とも対等に戦えるかもしれない。けれど、それだけは出来ないし、 してはならない。ガニガニを大事に思うくせにゾゾ達を蔑ろにするのは、紀乃が変異体管理局から受けた仕打ちと 同じだからだ。紀乃はぐっとセーラー服の袖を握り締めてから、汗と共に滲んだ涙の端を拭って身を起こした。
 ゾゾの手伝いをしなければ。





 


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