南海インベーダーズ




突発的鉄屑流星群



 降るような星空だった。
 無数の恒星が放つ細かな光が、藍色の夜空に散らばっていた。潮騒も心なしか静まり、圧倒的な宇宙の迫力を 思い知らされる。紀乃は光を消した懐中電灯を握り、息を飲んだ。廃校の窓から見上げるだけでは感じきれない、 無音の重みと広大な世界の実感に背筋が逆立った。じっと見ていると吸い込まれてしまいそうな畏怖さえも起きて、 紀乃は後退りかけた。紀乃の傍に立つゾゾも頭を反らして夜空を仰ぎ、見入っているようだった。
 地球は、天の川銀河の端に位置しているのだという。天の川と言われている星の帯は、銀河を側面から見た ものだそうだ。理科の授業で教えられただけではそんな実感は湧かなかったが、藍色の闇を溶かしてしまいそうな 星々の輝きを見ていると肌で理解してしまう。宇宙の広さに比例して、自分の矮小さも痛感した。

「ねえ、ゾゾの生まれた星ってどこにあるの?」

 紀乃は痛くなった首を引き、暗がりに馴染む肌色のゾゾに向いた。

「この星系からでは見えませんよ、紀乃さん。何億光年も離れておりますし、別の銀河にあるのですから」

 ゾゾも頭を下げ、単眼を紀乃に向けた。

「それに、見えたとしてもどうするのです? まさか、行くわけでもないでしょうに」

「そりゃあね。宇宙は面白そうだけど、怖いから。でも、他の星がどんな場所なのかはちょっと興味があるかな」

 紀乃は手近な流木を見つけ、腰掛けた。

「黄金色の硫黄の大地に赤茶けた酸の海が広がり、虹色のプラズマが空を彩る、それはそれは美しい星ですとも」

 ゾゾは紀乃の隣に腰を下ろすと、尻尾をだらりと垂らして砂に付けた。

「そして、私はその星から派遣された科学者なのですよ。目的までは申し上げられませんがね」

「それはマジっぽいかも」

「信じて頂けて嬉しいです、紀乃さん」

 表情が読み取れそうなほど、ゾゾの声色は弾んでいた。本人の言葉を信じるならば、ゾゾは人類の叡智など超越 した科学力を持った種族であり技術者なのだ。そんな輩が、なぜ自分なんかに執着するのだろうか。頭が良いなら 尚更で、計算尽くで紀乃に近付いたのでは。もしかしたら、普段の妙な言動も紀乃を油断させるために演技している のでは。などと考え出してしまうと、ゾゾに対して少しだけ開きそうになっていた紀乃の心が引っ込んだ。怪しすぎる から、一巡りして怪しくないと言うことはない。何に付けても怪しいから、何をやっても怪しいのだ。

「超能力の具合はどうですか、紀乃さん?」

 ゾゾに問われ、紀乃は額を押さえた。

「イマイチ。物を動かせるようにはなったけど、まだ加減が出来なくて」

「紀乃さんは、その力を何にお使いになるつもりですか?」

「自由になるために」

「人間的な感覚では、現状は自由極まる状況ではありませんか」

「そりゃそうかもしれないけど、実際は島流しじゃん。だから、この島から逃げ出して元の暮らしに戻るの」

「どこへ行こうと同じだと思いますけどね。この星は広いようでいて狭いですから」

「身も蓋もないこと言わないでよ」

 紀乃がむっとすると、ゾゾは紀乃に単眼の顔を近付けてきた。

「力を持ったというだけで、自由を勝ち得る手段になるわけではありませんよ?」

「でも、力がなきゃどうにもならないよ。だから、ミーコさんは生き物を巨大化させて本土を襲うんでしょ?」

 紀乃が負けじと腰を浮かせると、ゾゾは切れ上がった口元を歪めて牙を覗かせた。

「では、紀乃さんはミーコさんのように人を襲いたいのですか? 都市を壊したいのですか?」

「違う、そんなんじゃない! 兵器なんかじゃなくて人間だってことを思い知らせてやりたいの!」

「誰に、ですか?」

 ゾゾの顔が更に近付き、酸素の濃い吐息が紀乃の鼻先を掠めた。紀乃は言い返そうとしたが、詰まった。

「誰に、なんだろう……」

 変異体管理局に仕返しをしたいのだろうか。それとも、紀乃を敵視しているであろう人間達に超能力の恐ろしさを 味わわせたいのだろうか。人間扱いしなくなった世間を揺さぶって、人間としての立場を奪い返したいのだろうか。 だが、そのどれもが暴力だ。力に物を言わせて暴れては、もっと事態は悪化する。今度こそ紀乃は殺されるだろう。 けれど、事態を打開する手段がないのだから、実力行使に出なければ。だが、そうすると家族や友人達も。

「あなたは、誰も傷付けたくないのでしょう。それでよろしいのですよ、紀乃さん」

 ゾゾは恐ろしく慎重な手付きで、紀乃の髪を撫で付けた。

「人類を信じられなくても良いのです。私達を信じられなくても良いのです。その気持ちが一番大事なのです」

「そんなの、綺麗事だよ」

 ゾゾの手の優しさに感じ入りそうになりながら、紀乃は汗ばんだ手でジャージの裾を握り締めた。大抵の人間は、 誰かを蔑ろにしなければ自分の価値を上げられない。学校の中でもそうだった。クラスでも、部活でも、貶められる 子がいて、底辺を作っているから基準が生まれていた。今だってそうだ。紀乃は世間から弾き出されたから、世間 には普通の人間の基準が出来上がっている。元いた立場に戻るためには、政府の思惑通りにゾゾらを倒して力を 見せつけるのが最も有効であり確実だ。だが、それもまた出来ない。信頼出来ないが嫌いではないからだ。

「ええ、綺麗事ですとも。ですが、綺麗だからこそ大事なのではありませんか」

 ゾゾは紀乃の頭から手を外し、顎をさすった。

「超能力中枢を走る脳波が安定していませんね。ニューロンと神経系統の配置に不備はありませんが、こんな状態 では出力が安定しないわけです。少し手直しして差し上げましょうか」

「……遠慮しとく」

 紀乃が腰を引くと、ゾゾは間を詰めてきた。

「では、私が能力の補助をいたしましょう。私の脳と紀乃さんの脳波を連動させて処理能力を上げて差し上げれば、 紀乃さんの超能力は底上げ出来ますし、制御力も格段に向上しますし、慣らしにもなりますよ?」

 補助だけなら、との考えが紀乃の胸中に過ぎったが、自力ではないのは不本意だ。ゾゾの助けがどんなものかは 解らないが、変なことをされては困る。だが、立場も超能力も中途半端なままでいるのは嫌だ。綺麗事ばかり考えて 身動き出来ないでいるよりも、迷いなんか簡単に吹き飛ぶぐらいの勢いが欲しかった。そう、星を動かすほどの。

「そうだ! ゾゾ、星って降らせられるかな!」

 急に立ち上がった紀乃は、夜空を指した。

「いきなりなんですか」

 ゾゾはちょっと驚いたが、紀乃に倣って立ち上がり、夜空を仰いだ。

「星を降らせる、とは仰いますが、惑星そのものを動かすほどの出力を出すのは私の補助でも無理でしょう。相応の 出力を備えた増幅器がありませんと。ですが、流星と呼ばれるものでしたら、なんとかなるかもしれませんね。地球の 衛星軌道上には無数のスペースデブリが浮遊していますので、それを引き付けて大気圏に突入させ、大気摩擦で 燃え尽きさせてしまえば星は降りますよ」

「じゃ、出来るんだね! だったらやろう!」

「出来ないことはないでしょうし、人的被害をもたらしませんが、私達の利益にはなりませんよ? むしろ、人類側の 紀乃さんに対する危機的意識が跳ね上がってしまいます。ともすれば、この島に奇襲を仕掛けられる可能性も」

「いいの。後戻りなんて、とっくに出来なくなってるもん。だから、開き直らせてよ」

 紀乃が手を伸ばすと、ゾゾは了承した。

「承知しました」

 星空は広く、遠い。昼間に波を断ち切った時のように感覚に掴んでから操っていては、感覚に掴むだけで神経が 疲れ果ててしまいそうだ。だから、今度は当てずっぽうで掴むしかない。範囲も広ければ対象物も目視出来ないが、 ゾゾがいれば大丈夫だという訳の解らない確信があった。一度深呼吸してから、紀乃が集中して感覚を高ぶらせて いると、ゾゾが紀乃の手を取った。すると、途端に感覚の領域が拡大し、一気に地上から空まで突き抜けていった。 海の冷たさと感じると同時に空気の厚みと宇宙の強張りが接し、皮膚がひりひりする。本当にこれは自分がしている ことなのかと疑問を抱きつつ、紀乃は張り詰めた宇宙と柔らかな大気圏の狭間で巡る、無数の物体を捉えた。

「これがスペースデブリ?」

 手応えを得た紀乃が呟くと、ゾゾの手に力が込められた。

「ええ、そうです。それをどうなさるかは、紀乃さんの匙加減一つなのです」

 これを掴み、地上に向かわせるだけだ。僅かな躊躇いの後、紀乃はゾゾと握り合わせた手とは反対の手を握り、 目に見えない糸を引くかのように下げた。肌に伝わる大気と宇宙の感覚がぐにゃりと湾曲し、レンズ状に抉れると、 忌部島の上空に数百個の金属片が引き寄せられて落下した。大気摩擦によって赤く燃え尽きた金属片は局地的な 流星群を発生させ、夜空を白く輝かせた。

「出来た……」

 後は、重力に任せるだけだ。紀乃が唖然としながら手を緩めると、ゾゾは紀乃の手を離して拍手した。

「実に素晴らしいです、紀乃さん。どうか、そのお力の矛先を見誤らぬよう」

「うん、解っている」

 紀乃は答えたが、声に力が入らなかった。こんなことが出来る者が、ただの人間でいられるわけがない。姿形は 人間でも、頭の中身は化け物だ。生体兵器にされるだけの理由がある。数百個のスペースデブリが全て燃え尽き、 束の間の天体ショーが終わると、紀乃はインベーダーに相応しい覚悟と自信がごく自然に胸中に広がった。
 自分を守るために、世界と戦うのだ。




 翌朝。海辺に、妙な物体が落ちていた。
 それを拾ってきたのは、朝の暖気を兼ねた散歩をしていた小松だった。海水とオイルにまみれた円筒形の機械は 校庭に転がされ、見覚えのある日の丸が側面に付いていたが無惨に焼け焦げていた。青く煌めく長方形のパネルが 四枚付いていて、細かくひび割れている。どこからどう見ても人工衛星だった。どうやら、昨夜、紀乃が超能力を使って 流星群を作った際にスペースデブリと一緒に引き寄せられて落下したようだった。

「日本ので良かったねー。これで他の国のだったら、まず国際問題だもん」

 紀乃が物珍しげに人工衛星を眺め回すと、ゾゾは腕を組んだ。

「全くですね。見たところ、偵察衛星のようですが、これで私達を見張る目の一つが潰れたといっていいでしょう」

「潰れた潰れたレタレタレタ!」

 ミーコは訳が解っているのか解っていないのか、いつものようにはしゃいでいた。

「使えそうな部品が多い。今度は俺の番だ、構わないよな」

 人工衛星をいじくり回していた小松がゾゾに向くと、ゾゾは快諾した。

「ええ、もちろん。小松さんが何を企てようが、私は一向に構いません。面白いことになりそうですからね」

「面白い面白いロイロイロイロイローイ!」

 ミーコはびょんびょんと飛び跳ねたが、寄生虫の数が減っているのか口から零れ出さなかった。

「楽しみだねー、ガニガニ」

 にこにこした紀乃が同意を求めると、ガニガニは盛大に鋏脚を鳴らした。

「珍しいな。お前が面白がるとは」

 小松は紀乃にメインカメラを向けると、意外そうにシャッターを開閉させた。

「だって、人工衛星を落としたのは私だもん。その先がどうなるか、ちょっと気になるじゃない?」

 紀乃は擦り寄ってきたガニガニを撫でてやりながら、小松に笑みを返した。ミーコはきょとんとし、小松は感心した ような声を漏らし、ゾゾは満足げに頷いていた。ちょっと誇らしくなった紀乃は、意味もなく胸を張った。これで万事が 順調に進むとは思いがたいが、少なくともどっちつかずだった心中は定まった。これからはインベーダーとして人類に 背き、信念を貫くのだ。比較的被害の少ない手段で変異体管理局を叩きのめし、最終的には元の生活に戻して もらう。道程は険しいだろうが、紀乃には味方がいないわけではない。
 だから、これからも頑張れる。





 


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