南海インベーダーズ




苦闘透明男



『結論から言うと、状況はマジ最悪っすね』

 無線機を通じて聞こえる年下の上官の声は、引きつっていた。

『ミサイル攻撃もされていないのに人工衛星を落とされるなんて前代未聞ってか、前人未踏っすよ、マジ前人未踏。 で、そんなことが出来るのは、現時点では乙型一号しか有り得ないわけっすよ。ゾゾ・ゼゼは宇宙空間での活動が 可能かどうかは立証されていないし、それ以前に超能力を使った試しはないっすからね。で、その、人工衛星なんす けどね、また都合の悪いことに、JAXAが去年打ち上げたばっかりの最新型の光学衛星なんすよ。本部に中継する 前の機密情報とかどえらい技術がてんこ盛りで、他国に持って行かれたら一大事なんすよ、マジ一大事ー』

 事態が深刻すぎて突き抜けてしまったのか、山吹の語り口はいつも以上にへらへらしていた。

『んで、更に都合の悪いことに忌部島は変異体隔離特区で治外法権、海賊行為を行われても他国に文句の一つも 言えない場所なんすよ。日本国内の法律が通用しないから。んで、光学衛星の回収班を送ろうにも、日本領海付近 をうろついている他国の軍艦の方が近いし足も速いと来てるんすよ。だから、忌部さんには上から緊急命令が』

「大体解った。その光学衛星を壊せ、というんだろ?」

『そうっすそうっす、そうなんすよー。こういう時のための現場調査官っすからね!』

「だが、俺の手元にはろくな武器もなければ道具もないんだが」

『やだなぁ忌部さん、その辺をなんとかしてこそプロっすよ、プロフェッショナル! んじゃ交信終了!』

 かなり強引に話を終え、山吹は通信を切ってしまった。忌部はしばらく呆然としていたが、完全に沈黙した無線機の 電源を切ってトランクに戻した。昨日の夜、夜空が湾曲したかのように流星が降ってきたのは妙だとは思ったが、 まさかそんなことになっていたとは。紀乃が超能力の練習をしていたのは現場に居合わせていたので知っているし、 急激に脳を酷使した彼女を手助けし、忠告もした。だが、一切合切無視されてしまったらしい。

「俺の立場ってものを考えてくれよ……」

 忌部は自分の目でも見えづらい透明の髪を掻きむしり、顔を歪めた。廃屋の汚れた窓から差し込む日差しが作る 淡すぎる影が項垂れ、深いため息が漏れた。腐った畳を剥がして捨て、板張りの床に敷いた布の上に座る忌部は、 相変わらず全裸である。以前に身を隠していた洞窟は台風の土砂崩れで埋まってしまったので、仕方なく西側の 集落の廃屋に移動してきた。何ヶ月も前に、ここの床下に予備の無線機を入れたトランクを隠しておいたからだ。 自然放電したらしくバッテリーの残量は減っていたが、故障していなくて本当に良かった。おかげで変異体管理局に 連絡を取れたが、厄介な仕事を任されてしまった。
 忌部は、元より戦闘員ではない。ただ、全身がクラゲのように透明であるというだけで、紀乃や甲型生体兵器達の ような特殊能力はない。変異体管理局局員になった際にはそれなりの実地訓練を受けたが、本職の工作員に敵う 実力ではない。出来ることと言えば、目視しづらい姿を利用した隠密行動と調査だけだ。

「人工衛星を破壊するにしても、ある程度構造を把握しておかなきゃならんだろうが」

 だが、手元に資料のデータを送ってくれるほど、山吹も管理局本部も親切ではない。精密機械が壊れそうなことを すればいい、とでも言うのだろうか。だとすれば、衛星軌道上から海に墜落させられた時点で壊れていると認定して もいいはずだ。その上で忌部に破壊工作を言い付けるのは念には念を入れて、ということなのだろう。

「公務員ってのも、そう楽なもんでもないよなぁ」

 何はともあれ、行動しなければ始まらない。忌部は腰を上げて肌に付いた埃を払い、引き戸を開けて外に出た。 短い梅雨が開けて台風の季節に入っても忌部島周辺の天気は上々で、今日もまた太陽が強烈なエネルギーを降り 注いでいる。おかげで忌部の希薄な影がほんの少し濃くなったが、それでも目視しづらいことには変わりない。
 土地が狭いわりに豊作な田畑に挟まれた道を通って廃校に向かうと、彼らの話し声が聞こえてきた。紀乃、小松、 ゾゾ、ミーコ、ガニガニの外骨格の摩擦音。これだけの数が集まっていては、透明人間と言えどもすぐに見つけられて しまう。臆した忌部は回り道をして足音を立てないように気を配りながら、廃校に繋がる緩やかな坂道から離れた 草むらに身を伏せた。素肌に擦れる夏草は硬く、蒸発しかけた朝露の潤いがむず痒い。

「人工衛星ってもうちょっと大きいと思っていたけど、そうでもないんだね」

 紀乃は光学衛星を眺め回し、感心した。一.五メートルかける一メートル程度の大きさで、金色の金属フィルム、 サーマルブランケットに覆われている。左右の太陽電池パネルは落下の際に壊れ、無惨に砕けていた。

「それはそうですよ、紀乃さん。ロケットが大気圏外に運び出せる物質の重量は制限されていますし、対地兵器では ないのですから。しかし、これは興味深いですねぇ……」

 ゾゾは光学衛星のレンズを覗き込み、サーマルブランケットを剥ぎ取った。

「じゃ、ISSとかを作るのってすごーく大変なんだねぇ。地上で組み立てて飛ばす、ってわけにもいかないし」

 紀乃が今更ながら感心すると、小松は割れたソーラーパネルを両手で抓んだ。

「だから、役に立つ機械を作るべきなんだ」

「で、これをどうしましょうねぇ。まさか、三枚に下ろして今晩の夕食にというわけにもいきませんし」

 ゾゾが冗談めかすと、ミーコはにこにこしながらソーラーパネルを担いで走り回った。

「晩ご飯ゴハンゴハンハンハンハーン!」

「俺が使う。次は俺の番だと言ったはずだ」

 六本足を動かして進んだ小松は、ミーコの頭の上からソーラーパネルを奪い取った。

「ヤダヤダダダダダダー!」

 遊び道具を奪われたミーコは不愉快そうに喚き、小松からソーラーパネルを取り返そうとするが、小松はソーラー パネルを高く掲げてミーコから遠ざけた。

「でも、何に使うの?」

 サイコキネシスで自分の体を軽く浮かばせた紀乃は、光学衛星を真上から見下ろした。

「決まっている。機械を作る」

 小松はぎゃあぎゃあ喚くミーコを一発叩いて黙らせてから、光学衛星を軽々と担ぎ上げた。

「それってどんなの? やっぱりロボット?」

 紀乃がちょっと好奇心を抱くと、小松は少し考えてから答えた。

「機械と言うには機械的ではないが、機械的な動作をする機械ではある」

 答えと言うには曖昧な言葉を残し、小松は六本足を前後させて歩き出した。紀乃はするりと降下して着地すると、 不可解そうに眉根を寄せていた。ゾゾは彼の言いたいことが解らないでもないらしく、頷いている。ミーコはオモチャを 奪われたのが余程面白くないらしく、いつになく敵意に満ちた目で小松の背を睨んでいた。さてどうするか、と忌部が 行動に出かねていると、紀乃は自分だけでなくガニガニまでもを軽々と空中に浮かばせた。

「面白そうだから小松さんとこに行ってみる! ガニガニもおいで!」

 一日少々で超能力に慣れた紀乃がガニガニに手を差し伸べると、ガニガニの巨体はふわりと宙に浮き上がった。 すると、ミーコがいきなり飛び上がり、ガニガニの甲羅に着地して胸を張った。

「ミーコでミーコのミヤモトミヤコ!」

「んじゃ、ミーコさんも一緒ってことで。いいよね、ゾゾ?」

 局地的な無重力状態の中心に浮かぶ紀乃は、一人だけ地上に立つゾゾに尋ねると、ゾゾは快諾した。

「ええ、よろしいですとも。お昼が出来上がる頃には帰ってきて下さいね」

「はーい」

 紀乃はゾゾに手を振ると、更に超能力を解放したらしく、紀乃の周囲に緩やかな風が舞った。ひっくり返りかけて いたガニガニは上下が正され、ミーコは滑り落ち掛けたが踏ん張り、紀乃は不安定な空間の軸を定めるかのように 自分の位置を据えた。そして、紀乃は全員を容易に飛ばして小松を追い始めたが、その拍子になぜか忌部の体が 引っ張られた。意志に反して上体が起き上がり、何事かと雑草を掴みかけたが指の間から擦り抜け、そのまま忌部 までもが紀乃に引き摺られて空中を飛んでいった。中途半端な前傾姿勢で浮遊した忌部は、廃校に戻り掛けたゾゾと 目が合った。感付かれたか、と一瞬身動いだがそれを確かめる余裕もなく、連れ去られてしまった。
 尾行は成功している、と言えるのかもしれないが。




 擂り鉢状の土地の底には、漁船の残骸が堆積していた。
 小松の工作場は、粗大ゴミ捨て場と紙一重だ。忌部島近海を運悪く通り掛かった漁船を捕縛し、積み荷を奪って 乗組員を追放しながら掻き集めた漁船の数々は、艤装を剥がされて丸裸にされている。風雨に曝された骨組みは 赤茶けた錆が浮き、かつて乗組員達と寝食を共にしていた漁の道具は乱雑に放り投げられ、大事に扱われている のはエンジンぐらいだ。職を失った哀れな乗組員達は、忌部が変異体管理局に連絡し、伊号に操縦させた高速艇に 搭乗させて本土に帰してやった。その後はどうなったかは知らないが、きっと元気にやっているだろう。
 出来の悪いオブジェのように積み重なっている骨組みの傍に身を潜め、忌部は様子を窺った。いきなり大人数で 工作場に押しかけられたのが嬉しくないらしく、小松は黙り込んで光学衛星を分解していた。紀乃はいつものように ガニガニの上に乗り、光学衛星の部品が一つ外れるたびに感嘆していた。ミーコは今度こそ奪われないようにと、 割れたソーラーパネルの上に胡座を掻いて小松を睨んでいる。小松は時折メインカメラで一人と二匹を見やるが、 追い返すのも億劫なのか手を止めなかった。
 壊すにしても、どうやって壊したものか。小松の足元を掬ってひっくり返せば、光学衛星は間違いなく圧砕するが、 忌部にはそんな腕力はなく、手榴弾もなければ都合の良い道具もない。いや、道具ならある。斎子紀乃だ。制御が 成功するようになったとはいえ、紀乃の超能力は発展途上だ。驚いたり苛立った拍子に力が暴発してしまうクセも、 治っていない可能性が高い。気は進まないが、背に腹は代えられない。忌部は足音を殺して歩み出し、ガニガニの 背後に近付いた。忌部は小松のレーザーカッターが撒き散らすヒューズ音に紛れるようにそっと足を進め、青黒い 外骨格に覆われた背面に手を掛けた。大の男の体重を受け、ガニガニの外骨格は軽く軋んだが、ガニガニ本人の 触角もヒゲも大人しいものだった。あまりにも外骨格が硬いせいで、触覚が鈍っているのかもしれない。丸い腹部を 守っている甲羅によじ登ると、無防備な紀乃の背があった。爽やかな青いセーラーがたなびき、その下からは赤い スカーフが見え隠れしている。身を乗り出しているのでプリーツスカートは持ち上がり、裾から健康的に日に焼けた 太股が覗いていた。子供だとばかり思っていたが、間近で目にすると意外と体付きは大人びている。

「だけどさ、ミーコさん」

 紀乃はガニガニの甲羅に寝そべってスカートの裾が下がったので、忌部は安堵した。痴漢にならずに済んだ。

「シャコ貝もガもだけど、どうしてあの子達は東京だけを襲うの? 大阪とかじゃダメなの?」

「ダメダメダメダメダーメー」

 ミーコはソーラーパネルにしがみつきながら、首を横に振った。

「凄く悪い悪いルイルイルイルイ。そいつがいるいるルルルルル」

「事態を打開するには、諸悪の根源を潰すのが一番だ」

 光学衛星には欠かせない大口径のレンズを取り外した小松は、じっくりと眺め回した。

「俺達は無作為に攻撃しているわけじゃない。俺にもこいつにも、ちゃんとした理由がある」

「じゃ、ゾゾにも?」

「だろうな。だが、そこまで突っ込んだ話はしないし、したくもない」

 小松は紀乃を一瞥してから、精密レンズを基盤やケーブルの山の上に置いた。

「手を貸せ、紀乃」

「え? 私も?」

 紀乃がきょとんとすると、小松は複雑な集積回路がハンダ付けされた基盤を見つめた。

「そうだ。お前が俺達の側に付いているのなら、それ相応に働いてもらうのが筋だ」

「別に構わないけど。小松さんが嫌じゃないなら」

 紀乃は両腕で頬杖を付き、両足を振った。ガニガニはかちかちと顎を弱く鳴らし、肯定を示している。忌部は小松の 目線が光学衛星に集中している隙を狙い、ガニガニの甲羅を這い上がった。引き締まった太股と程良い丸みがある 尻を覆う紀乃のスカートを掴まんと、忌部が手を伸ばしかけた時、いきなりミーコが奇声を上げた。

「きゃひはははははははははははっ!」

 ミーコは跳ねるように身を起こし、あれほど思い入れていたソーラーパネルを踏み割った。

「ミーコがミーコのミヤモトミヤコッ!」

 ばしゃあんっ、とソーラーパネルの破片を散らしながら跳躍したミーコは、紀乃に狙いを定めていた。

「……え?」

 紀乃が目を丸めると、ミーコはガニガニが揺れるほど力一杯甲羅に着地した。よりによって、忌部の真上に。背骨を 折りかねない衝撃と内臓が出そうなほどの重みに忌部は呻きかけたが、歯を食い縛って堪えた。ミーコの面差し からは普段のへらへらした笑みは消えていて、尖った敵意が漲っていた。

「ミーコがミーコで」

 忌部の後頭部を踏み締めてから歩み出したミーコは、紀乃の肩を掴んできた。

「ミヤモトミヤコ」

「え、あ、何?」

 爪を立てられた痛みに戸惑った紀乃は、小松とミーコを交互に見た。だが、それすらもミーコの癪に障ったらしく、 紀乃は甲羅に押し倒された。その拍子に忌部は強かに蹴られ、甲羅からずり落ちて砂にまみれて転がった。

「小松は小松はコマツでコマツのコマツを」

 背景の空が鮮やかすぎるせいなのか、暗さが深まった黒い瞳が紀乃を貫いていた。紀乃は畏怖を感じるよりも先に、 ミーコに明確な意志が残っていたことに驚いてしまった。寄生虫に脳を食い尽くされて人間としての記憶も自我も 消え、本能だけだとばかり思っていた。だから、喉笛に食い込む親指の硬さに気付くのが遅れた。女性らしからぬ 握力で喉を潰され、息が詰まる。超能力を使おうにも脳に回った酸素が足りないのか、砂粒すら浮かばなかった。 外の明るさが陰りかけたが、異変を感じ取ったガニガニが甲羅を揺すってミーコを振り落とした。

「ぎゃうおっ」

 またも忌部の真上に落ちてきたミーコが砂にまみれて転げると、ガニガニは鋏脚を掲げて威嚇した。

「おい、大丈夫か」

 小松は少し心配そうに、紀乃を覗き込んできた。紀乃は舌を出して激しく喘いで、涙目になりながらも、ミーコから 突き刺さる視線の鋭さに気付いていた。何度も深呼吸して酸素を脳に回してから、紀乃は涙を拭いて取り繕った。

「……大丈夫」

「全く、面倒臭ぇな」

 小松は舌打ちするようかのようにメインカメラのシャッターを荒っぽく開閉させ、右腕のマニュピレーターでミーコを 転がした。すると、ミーコの眼差しから猛烈な敵意が失せ、意志の力も失せた。砂まみれであることを一切気にせずに 起き上がったミーコは小松を見上げ、にたあっと弛緩した笑みを浮かべた。

「ミーコはミーコでミヤモトミヤコ!」

「……大丈夫、大丈夫だけどっ」

 紀乃は痣の残る喉を押さえて咳き込んでいたが、平手打ちをするように手を振り翳した。

「何をするかぁっ!」

 白い砂が薄く削がれて浮かび上がり、空気が硬くしなった。途端にミーコが吹っ飛び、小松の手元から遠のいた。 逃げる間もなく、忌部はまたもミーコの直撃を受けて砂溜まりに突っ込んでしまった。あまりの衝撃に今度こそ悲鳴を 上げるかと思ったが、砂がみっちりと口と鼻に詰まって声も出せなくなった。咳き込んでしまえばこれまでの苦労が 台無しなので、砂の味を噛み締めながら砂溜まりから這い出した。彼らから見えない位置に隠れてから、忌部は 音を立てないように砂を吐き出し、口の中からも掻き出した。こんなことでは、光学衛星を破壊するどころではない。 小松がいい加減に分解しているので物理的にも破壊されているのでは、とも思わないでもなかったが、主要部分が 壊されていなければどれほど分解しても意味はない。まだまだ俺の仕事は終わりそうにない、と内心で嘆いた忌部は とにかく一旦この場から離れようと立ち上がった。と、その時、紀乃を痛め付けられて怒り心頭のガニガニが振り回した 鉄骨がミーコを薙ぎ払い、そしてミーコが再び忌部の元に吹っ飛んできた。
 今日はとことんツイてない。





 


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