南海インベーダーズ




超古代的生命爆発



「結論から言いますと、遺伝子操作に失敗したのです」

 食卓に着いたゾゾは、ハリセンボンの味噌汁を啜りながら白状した。体を洗い流しても、まだ少し磯臭かった。

「カンブリア爆発を再現しようとしたのは確かです。ですが、その方法を誤ってしまったのです。古代生物の遺伝子と いうものは、進化を重ねた生物に比べて単純であり、種族としての歴史も浅いので蓄積された情報も少ないので、 扱いやすい部類に入るんです。ですので、私の母星で使用されている汎用型生体改造体は基本的に古代生物の 再現なのですよ。なので、ハルキゲニアを化石から再生させた時には、それはもう嬉しかったのです。ああ、これで 私も前線に参加出来るんじゃないかしら、と」

 ナマスウリの甘酢和えを食べ、ゾゾは続けた。

「ですが、久しく生体改造を行っていなかったものでして、切り貼りする遺伝子の位置を間違えてしまったのですよ。 本当であれば、私が再生させたハルキゲニアは海底を闊歩して本土に上陸し、じわりじわりと人類を侵略する手筈 だったのですが、一夜にして何万匹にも増殖するとは思わなかったのです。それはまあ、繁殖力と世代交代の時期を 早めるために成長因子をいじくりましたけどね。数百個の卵が全て孵化して、孵化した成体がまた数百個の卵を 産んで、のサイクルがたった一晩で何百回と行われるなんて予想もしていなかったんですよ」

「産んだ卵が全部孵化しちまったら、そりゃこうなるよな。生産調整は大事だ」

 早々に食べ終えた忌部は、熱いドクダミ茶を傾けていた。咀嚼して嚥下すると食べたものが体液に馴染むらしく、 食道を通って胃に入ってしばらくすると内容物も透き通って見えなくなっていた。

「でも、成長が早いってことは老化も早いってことじゃない?」

 紀乃がパパイヤの漬け物を囓ると、ゾゾはぱたりと尻尾を落とした。

「それがですねぇ。以前、ミーコさんがガニガニさんを巨大化させた際に採取したテロメア細胞を延長させる技術を 使ってみたくなってしまいまして、うっかりやってしまったのです。だから、あのハルキゲニアの寿命は本来の数十倍で、 世代交代し続ける限りは滅びません。この島には天敵もおりませんし。かといって、天敵を作るためだけに同時期に 生息していた肉食の甲殻類、アノマロカリスを再生させてしまうのはよろしくありません。ハブ退治にマングースを 連れ込んだら、アマミノクロウサギやヤンバルクイナを殺されてしまったように、もっとひどいことになりかねません からね。だから、皆さんにはご助力を願いたいのですが」

「本を正せばハルキゲニアなんて再生させたゾゾが一番悪いんじゃない」

 紀乃が冷たく突っぱねると、ゾゾは両手で顔を覆った。

「それを言わないで下さいよぉ」

「だが、何をどうする。殺すにしても、数が多すぎる」

 這い蹲るような形で、小松が開け放った窓から居間兼食堂を覗き込んだ。

「多すぎるすぎるギルギルギルギルゥー!」

 小松の分の朝食が入っていた食器をがちゃがちゃ言わせながら、ミーコが窓から飛び込んできた。

「そこなんですよねぇ」

 ゾゾは自分の茶碗にもう一膳白飯を盛り付けると、残った味噌汁を掛けて掻き込んだ。

「殺すっていうのも気分良くないけど、古代生物が現代の地球で生き残れるとも思えないしね」

 紀乃は焼き魚の骨を空の茶碗に入れてお湯を掛け、薄い塩味が付いた湯を啜った。

「だったら、追い払うのが良いんじゃないのか」

 忌部が提案するが、ゾゾは難色を示した。

「そう仰るのは簡単ですが、追い払った先での生態系が壊れてしまいかねません。ここはやはり、処分する他は」

「でも、相手は気持ち悪いけど同じ生き物でしょ? 殺すってのは安直すぎない?」

 紀乃がやや身を乗り出すと、ゾゾは瞼を少し下げた。

「それはそうなのですが、何事にも取捨選択は大事なのですよ。この宇宙には数多の生き物が生きておりますが、 皆が皆、均等に生きていられるわけではないのですから。人間を苗床にして増殖するウィルスもれっきとした生き物 ですし、病原菌を媒介する害虫も、媒介されている病原菌も、その辺を漂っている雑菌も、大きさは違えども生命体 なのです。ですが、彼らは皆、消毒され、処理され、淡々と殺されています。ですから、その辺を踏まえて考えますと、 紀乃さんの仰っていることはダブルスタンダードなのですよ」

「というか、紀乃はハルキゲニアを散々嫌がっていたじゃないか。意味が解らん」

 小松ががしゃりとメインカメラのシャッターを開閉させると、ミーコがげらげらと笑った。

「解らないナイナイナナナナーイ!」

「う」

 言われてみればそうなのだが。紀乃は自分の半端さに気付かされ、急に恥ずかしくなって座り直した。その間も、 窓の外ではハルキゲニアの大群がごそごそと動き回っていた。時折、壁を這い上がって窓から中に入ってこようと するものがいるので、小松が荒っぽく追い払ったり、ミーコが叩き潰したりしていた。のんびりと朝食を取っている間 にもハルキゲニアは増殖しているらしく、ガニガニの巣を取り囲むピンクの輪が厚くなっている。体長三センチほどの ハルキゲニアと言えども、密集すれば末恐ろしい。今更ながら不安に駆られ、紀乃は腰を浮かせた。

「そうだ、ガニガニ! 早く助けてあげないと!」

「えらく警戒されているようだが。もしかすると、ガニガニをアノマロカリスか何かと勘違いしているのか?」

 まさかな、と忌部が半笑いになると、ゾゾが急に立ち上がった。

「それですっ! そうです、その手がありました!」

「ガニガニに不味くてキモいハルキゲニアを食べさせる気? だったら絶対に許さない!」

 紀乃がゾゾを睨むと、ゾゾは降参するように両手を上げた。

「違いますよ、違いますってばぁ。ガニガニさんを警戒しているハルキゲニアの本能を利用して、全滅させる手段を 今し方思い付いたんですよ。ハルキゲニアを一匹残らず彼に食べさせてしまえば、無闇に殺したことにはなりませんし、 むしろ栄養となるので我々に還元されます。ですが、そのためにはガニガニさんを利用することに……」

「彼って……あれのことか?」

 小松が首を捻るように頭部を一回転させると、忌部は額を押さえたらしく皮膚と皮膚が接する音がした。

「この期に及んでまだ変なのがいるのか、ここには? 勘弁してくれよ」

「今に解ります、ええ解りますとも」

 ゾゾは自分の分の朝食を食べ終えると、食器を重ねて洗い場に運んでいった。紀乃は忌部がいるであろう位置に 目を向けると、忌部は、報告書を書きたくないなぁ、とぼやいた。ミーコは大して興味がないのか、小松の操縦席の 上によじ登って両足をぶらぶらと揺すっている。小松は、まさかな、いや違うかな、と呟いていたが、六本足でまたも 大量のハルキゲニアを踏み潰しながらどこかに行ってしまった。紀乃は香ばしい骨湯を飲み干すと、ゾゾの作戦に 懸念を抱いた。ガニガニを利用されるのは嫌だが、このままではガニガニが可哀想だ。どこの誰にハルキゲニアを 食べさせるのかは知らないが、ただ殺すよりは穏便かもしれない。ドクダミ茶を呷ってから、紀乃は腹を決めた。
 それもこれも、風呂に入るためだ。




 擂り鉢状の地形の底では、ガニガニが巨躯を縮めていた。
 小松の工作場である穴からは乱雑に積み重なっていた資材や機械類が撤去されていて、手近な野原に積み上げ られていた。その代わりに収まっているのがガニガニで、ハルキゲニアが怖いのか、がちがちと顎を鳴らしている。 その青黒い甲羅の上に仁王立ちしている紀乃は、穴の周囲でかさこそかさこそと動き回る無数の足音を感じ取って しまい、生理的な嫌悪感で鳥肌が立ちっぱなしだった。サイコキネシスを使うためには精神の皮膚感覚とも言うべき 感覚を拡大し、周囲の物体の質量や重量を掴み取る必要があり、ガニガニと自分の体を浮かせておくために感覚は 開きっ放しになっていた。だから、おのずと数万匹のハルキゲニアの動きが神経や皮膚を舐めているかのような 違和感が訪れ、嫌な汗がだらだらと流れ落ちていた。

「気持ち悪い……」

 だが、ここで踏ん張らなければゾゾの作戦は果たせない。成功するかどうか解らないが、これが成功しなかったら 明日からの生活がやりづらくなる。風呂に入る時も、食事の時も、海に泳ぎに行く時も、部屋で寛ぐ時も、ガニガニと 散歩に行く時も、ハルキゲニアに脅かされる日々など真っ平だ。だから、ハルキゲニアのガニガニに対する警戒心を 利用して穴の傍まで連れ出してきたのだ。

「やあやあ、ハルキゲニア諸君」

 ガニガニが威嚇と挑発を込めて鋏脚を振り上げると、穴の外側で待機している小松がアフレコした。

「我が名はガニガニ。アノマロカリスの末裔であり進化系たる種族、ヤシガニの突然変異体なるぞ」

 ガニガニは鋏脚の片方を突き出し、ハルキゲニアの群れをぐるりと示した。

「五億年の時を超えて再会したのも何かの運命、この場で雌雄を決しようではないか」

 すると、ハルキゲニアの一匹がチューブ状の口を振ったので、小松はそれもアフレコした。

「なにぃ、それは聞き捨てならん。だが、我らは昔のままではない、時代の変化に適応するために進化したのだ」

「ふははははは、それはどうかな。バージェス動物群で栄華を誇っていたのはアノマロカリスだぞ、たかが有爪生物如きが 甲殻類に勝てると思っているのか」

「ええい、黙らんか。五億年が過ぎた今でも、甲殻類が栄えた試しはないではないか」

「うっ、それを言われると」

 小松の変なアフレコに合わせてガニガニが身を引きかけたので、紀乃は小松を見上げた。

「何してんの、小松さん。てか、遊んでる場合?」

「絵面があまりにも馬鹿馬鹿しいから、緊迫感を出そうかと思ったんだが」

「モロ逆効果なんだけど」

「面白いと思ったんだがなぁ……」

 六本足を前後させて穴の縁に近付いた小松は、解体した漁船から回収した錨を高く振り上げた。ぶうんと唸りを 立てて斜面に叩き込まれた尖った金属塊は、均等な震動を発生させた。脆い砂で出来ていた斜面は途端に崩壊し、 砂の勢いに巻き込まれたハルキゲニアの大群が雪崩れ落ちてきた。紀乃は素早くガニガニを浮上させる一方、 斜面の崩壊を促すために局地的な重圧を叩き込んだ。ずうん、と斜面がもう一度揺れ、穴の底にハルキゲニアと 珊瑚礁の砂が降り積もっていく。アリ地獄と化した砂の中でひっくり返っているハルキゲニアは、上下の解りづらい体 の上下を正し、宙に浮かぶガニガニを攻め立てるべく、流砂の続く斜面に細い足先を引っ掛けた。だが、その足は 砂を深く噛む前に抜け、紀乃のサイコキネシスとは違った力を受けて底に吸い込まれていった。

「ふおっ!?」

 ハルキゲニアの行方を目で追っていた紀乃は、驚いて目を剥いた。珊瑚礁の砂混じりのハルキゲニアが大量に 堆積した穴の中心が抉れたかと思うと、真っ黒な穴が口を開いて砂ごとハルキゲニアを吸い込んでしまった。最初の 一波が終わると、次の一波、その次の一波、と、さながらブラックホールのような光景だった。ガニガニも呆気に 取られてしまったのか、鋏脚をだらりと垂らしている。そうこうしているうちに、穴を取り囲んでいたハルキゲニアの数が 目に見えて減少し始めた。紀乃は黒い穴に向けて感覚を伸ばしてみようかと思ったが、うっかり自分まで引き摺り 込まれたら大変なので自重した。そして、穴を囲んでいたハルキゲニアの最後の一匹が落ち、穴の底に消えた。

「終わった、の、かな?」

 紀乃が辺りを見渡すと、小松がぐるりと頭部を一回転させた。

「全滅はしちゃいないだろうが、まあ、なんとかなったんじゃないのか?」

「で、小松さん、この穴のことって知っていたの?」

 紀乃が穴の底を指すと、小松は紀乃にメインカメラを据えた。

「まあな。たまに資材がなくなるし、崩れ落ちた砂が底にほとんど積もらないんだ。何かあるとは思っていた」

「でもさ、危なくない? 小松さんまで食べられちゃうかもしれないじゃん」

「その辺は平気だ。奴は金気が嫌いらしくて、木材やカーボン材は喰うが、エンジンや鉄骨には手を出さないんだ。 だから、俺は平気だ。だが、お前らは平気じゃない。今後は気を付けろ」

 さあて後片付けだ、と呟きながら、小松は穴の外に引っ張り出してきた資材の山を穴の底へと放り込んでいった。 すると、小松の言った通り、漁船をばらして作った鉄骨が突っ込まれる寸前に黒い穴は閉じてしまった。その瞬間、 半分ほど体を吸い込まれていたハルキゲニアが真っ二つになって砂の上に転がり、内臓と体液を飛び散らせた。

「ガニガニ、あれ、どう思う?」

 紀乃が穴の底を指すと、ガニガニは鋏脚で目元を押さえて首を横に振った。怖いのだろう。

「この島って、何なんだろう」

 この穴が口だとすれば、砂の中にアリ地獄のような生態系を持つ巨大生物が住み着いていたりするのだろうか。 だとしたら、一体どんな生き物なのだろう。ミーコが寄生虫で巨大化させたのか、ゾゾが生体改造して作ったのか、 或いは超自然的な産物なのか。紀乃はちょっとだけ興味が湧いて砂の底を掘り返してみたくなったが、ガニガニが 帰りたそうに触角とヒゲを揺らしたので、そちらを優先することにした。
 今日はまだ、ガニガニに餌もあげていなかったのだから。




 風呂に入るまでには、一苦労する。
 まず最初に、沸かし湯にするための地下水を手押し式の井戸で汲み出し、湯船に並々と入れる。硫黄が強すぎる ので飲料水としては使えないが、体を温めるには充分だ。次に割った薪をかまどに入れ、火を起こすのだが、加減を 間違えると煮えたぎってしまうので、差し水をして冷まさなければならなくなる。全自動湯沸かし器のボタンを押す だけで風呂は沸くものではないと思い知らされた時はうんざりしてしまったが、慣れてくると楽しい仕事だ。かまどで 火を起こす時に汗を掻いても、温かな風呂で洗い流してしまえばいいのだから。

「おっふろー、おっふろー」

 脱衣所で汗ばんだ服を脱ぎ捨てた紀乃は、タオルを手に湯船に向かった。

「あ」

 すると、湯船の水面で、赤く煮えたハルキゲニアが何匹も浮いていた。

「なんたる悲劇……」

 湯船に水を張る時に洗い場も丹念に調べたのだが、洗い場の床に敷いてあるスノコの下に隠れていたのだろう。 だから、紀乃が一生懸命沸かした風呂で程良く煮えていた。正直泣きたくなったが、沸かし直すのは面倒だし、汗と 砂と灰で頭からつま先までべたべただ。一刻も早く洗い流したい。こうなったら開き直るっきゃない、と紀乃は煮えた ハルキゲニアをサイコキネシスで風呂場の外に放り出してから、湯に足を浸した。が、ゾゾが作る潮汁のような匂いが 立ち上ってきた。ハルキゲニアのダシがすっかり出ていたらしく、磯臭くて風呂と言うよりも料理に近かった。

「もういい、泳ぎに行くっ!」

 紀乃はバスタオルを掴んで体に巻き付けると、服や下着を一塊にして浮かべて風呂場から飛び出した。せっかく 沸かしたお風呂が、ハルキゲニアで台無しになってしまった。魚介ダシのラーメンみたいな匂いだったなぁ、と頭の 片隅で思ってしまった自分に嫌気が差したが、買ったばかりの水着に着替えて海を目指した。だが、海辺には穴に 喰わせ切れなかったハルキゲニアが闊歩しており、砂浜にもびっしりと打ち上げられ、波間にも無数に漂っていた。 風呂だけでなく海でも体を流せなかった紀乃は、この世の理不尽さを大いに嘆いた。
 それから数日間、紀乃は徹底的にゾゾを無視したのは言うまでもない。





 


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