南海インベーダーズ




南国的絶対防衛線



 小一時間掛けて、二人はほのかに硫黄の匂いが立ち込める山を越えた。
 斜面を登り切った紀乃の目に、集落が見えた。ゾゾが先立って歩いている道はそこに繋がっていて、古びた家が 何軒か立ち並んでいた。いずれも安っぽい木造で、色褪せ方は年月を感じさせた。民家らしき家屋に挟まれる形で 田畑が広がり、作物がのびのびと日差しを浴びていた。ゾゾの言う廃校は村の奥にあり、遠浅の海岸が見下ろせる 高台に建っていた。高台から続いている斜面の先端には年代物の灯台が誇らしげに建っていて、その向こうには タンカーらしき巨大な船舶が停泊していた。いや、座礁しているのかもしれない。廃校よりも更に上の高台には、これも また年代物のレンガ造りの給水塔がそびえていて、その奥にはマンションのベランダや公共施設の屋上で見慣れた パラボラアンテナが付いた鉄塔までもが建っていた。

「ねえ、ゾゾ。あれってもしかして、アンテナ?」

 疑問に思った紀乃は、斜面を下りつつあるゾゾに問い掛けた。ゾゾは立ち止まり、振り返る。

「そうですよ」

「あれって、この島に最初からあったの? それとも、ゾゾが造ったの?」

「造ったんですよ。アンテナさえあれば、大抵の電波を受信出来る装置を持っていますから」

「もしかして、あのタンカーから取ってきたの? ていうか、あのタンカーってなんでこの島にあるの?」

 紀乃はやや背伸びをし、灯台の先に見えるタンカーを見ようとした。

「電波受信再生機は、この星の機械を改造したものです。お察しの通り、あのタンカーの物資を拝借いたしました。 そして、あのタンカーは数週間前に私達が奪ってきたものです。小松さんには燃料は不可欠ですので」

「そんなことして、政府から怒られない?」

「その日本政府の領海を侵犯していた船ですので、航路の途中で消失しても特に問題はありませんよ」

「の、乗組員の人達は?」

「食べてしまいました」

 ゾゾがにたりと口を広げると、紀乃は顔を強張らせて後退りかけた。ゾゾはまた口を閉じ、前を向いた。

「と、言えば、紀乃さんは満足ですか? 実のところは、生存可能な物資を持たせた状態で救難ボートにお乗せして 放流したのですけどね。運が良ければ、あの方々は生き延びておられるでしょうが」

 そんなつもりじゃ、と言おうとしたが、紀乃は口を噤んだ。ゾゾの冗談なのか、それとも本気なのかが掴みかねた からだ。出会ってから二時間少々では性格が解るわけもないが、下手なことを言って怒らせたらそれこそ命取りだ。 このまま大人しくゾゾに付いていけばまともな食事に有り付ける、はずなのだから。
 小石や葉が散らばる細い道は、硬く踏み締められていた。ゾゾが日々歩いているからなのだろうが、それ以外の 足跡も道の両脇に連なっていた。伸び放題の雑草が潰れていて、水気のある青臭い匂いが零れている。一見すれば キャタピラのようだが、大きな四角い足跡が連続して出来たものだ。きっと、人型多脚重機の足跡だろう。ゾゾを 追って緩やかだが長い斜面を下り、平地に辿り着くと、多少は歩きやすくなった。威勢良く生えた雑草だらけの山道 を歩いてきたせいだろう、紀乃の足には細かな切り傷が付いていた。ジャージに着替えるべきだった、と後悔したが 遅すぎた。平地の畑には瑞々しく皮が張り詰めた夏野菜が鈴生りで、潮風に混じる土の匂いが柔らかい。

「ゾーゾーゾゾゾゾゼゼゼェーッ!」

 唐突に畑の中から甲高い奇声が上がり、紀乃は驚きすぎて心臓が痛んだ。が、ゾゾは平静だった。

「わあー、わーあ、うーわっうワウワウワウウウー!」

 畑の中から転がり出るように現れたのは、色褪せたTシャツとジーンズ姿の日焼けした若い女性だった。

「ね、ねゾゾ、ねねゾゾ、それがあの船の子ノコノコ? 開けた食べた何した何したしたシタシタシタシタ?」

「ええ。彼女は斎子紀乃さんと仰る生体兵器でして、政府が我々に差し向けた刺客です。誤解のないように 申し上げておきますが、私は紀乃さんを案内しただけですので、触れておりませんよ」

「へーへへぇええええええ」

 女性は紀乃の回りをぐるぐる回って頭からつま先まで観察していたが、七十五度ほど首を捻った。

「わあっ!?」

 女性の顔が斜めになったことにまたも驚いた紀乃が飛び退くと、女性はぐりんと首を戻した。

「後ね、後ねネネネネネ、こういうこともね出来るの出来るのルノルノルノ」

 紀乃の驚きように喜んだのか、女性はにこにこしながら泥まみれの指で自分の舌を掴んだ。

「お止しなさい、ミーコさん。あまり一度に見せてしまうと、せっかくの新入りさんが入水自殺してしまいますよ」

 ゾゾは女性の手首を押さえると、女性、ミーコは渋々舌を離した。

「うん、そうだねそうだねダネダネダネ、それは困る退屈つまんないツマンナインナインナインナイ」

「御紹介します、紀乃さん。こちらは」

 ゾゾが彼女を示すと、ミーコはびょんと跳ねるように背筋を伸ばして胸を張った。

「元々は前は本当は宮本都子っていったのミヤモトミヤコ、でもねだけどねミヤモトミヤコはミーコが食べちゃった、 だから今じゃミーコがミーコでミーコなの。で、あなたはサイコ・キノ? 解ったワカッタカッタカッタカッタ!」

 日焼けと海水で脱色した髪の奥で、ミーコは焦点がずれがちな目を瞬かせた。ミーコの顔立ちは美人で、 日焼けしていても遜色がないどころか目鼻立ちの掘りの深さが際立っている。筋肉が均等に付いた手足は 逞しくも色っぽく、安っぽいデザインのTシャツの胸元を押し上げる乳房も大きく、膝が擦り切れて薄くなっている ジーンズの尻もまろやかな曲線を描いている。けれど、表情が落ち着かないので台無しだった。

「ああ、えっと、斎子紀乃です。んと……乙型生体兵器一号、です」

 紀乃がスポーツバッグから出した書類を見て自分の識別名称を確認すると、ミーコはぐいっと口を歪めた。

「ミーコはミーコでミヤモトミヤコ。だから紀乃はキノで紀乃なのナノナノ」

 ミーコはそう言ってから立ち上がり、一際甲高い声で叫んだ。

「ほらほらホララララララ、おいでででコマツ! 紀乃が来た来たキタキタキタ!」

 ミーコがでたらめに手を振ると、ずん、と地響きが起き、畑と隣接する古びた家屋が揺れた。紀乃がミーコとゾゾ の視線の先を辿ると、奇妙な形の影が見えた。巨大な昆虫が足を折り曲げているかのような形で、影の端から覗く 鮮やかな黄色の物体がちかりちかりと瞬いた。鈍い駆動音とエンジンの唸りが聞こえていたが、十数秒の間の後、 影の主がぎしぎしと太い足を使って前進し、前のめりにしていた上半身を起き上がらせた。それは東京でも工事現場 で見慣れた人型多脚重機だったが、腹部の操縦席は空っぽだった。その代わりに、操作盤にクーラーボックスの ような箱が繋げてあり、シートベルトで椅子に縛り付けられていた。多目的工作腕を装備している人型多脚重機は、 油圧式シリンダーで上下する六本足をクモのように動かして三人に近付いてくると、ざらついた声を発した。

「お帰り、ゾゾ」

 人型多脚重機、小松建造は、首と一体化している半球状の頭部を回してメインカメラを紀乃に据えた。

「俺は小松だ」

「斎子紀乃です。これから」

 よろしくお願いします、と言い終える前に、小松は身を反転させて元いた場所まで戻っていってしまった。 その後ろをミーコが追い掛け、小松コマツってば小松コマツ、と喚き散らしていた。取り残された紀乃がなんとなく ゾゾと顔を見合わせると、ゾゾは段ボール箱を抱え直して歩き出した。

「さあ、行きましょうか。お二人はいつもあんな感じなので、あまりお気になさらずに」

 無反応な小松を追い掛けるミーコはひたすらやかましく、なぜあの声が道中聞こえてこなかったのか不思議な くらいだった。ミーコが撒き散らす言葉はテンションが高いようでいて抑揚がなく、甲高いのに平べったいという、 捉えどころの難しい声色で、明らかに人間らしくない。外見は沖縄辺りでサーフショップを経営している男の恋人、といった 雰囲気なので、その落差が彼女の異様さを引き立てていた。だから尚更、気にするなと言われても気になってしまう。 紀乃は何度も後ろを振り返りつつ、ゾゾに案内されて廃校に向かった。
 元々は集落があったであろう平地から五分ほど昇った先に、廃校があった。家屋と同じく木造で、どう見積もっても 昭和生まれだ。小さいながらも二階建てで、渡り廊下で体育館に繋がっている。昇降口前にぽつんと立っている石柱には 尋常小学校、中等学校、と刻まれていた。昇降口の右脇には二宮金次郎像が建っていたらしい台座があったが、当の 二宮金次郎像はおらず、足跡だけが残っていた。風化しかけた板張りの壁にはツタが這い、少し近付いただけでカビっぽい 匂いが感じ取れた。ゾゾは立て付けの悪い引き戸を揺らして昇降口を開き、紀乃を招いた。

「さあ、どうぞ。土足で結構ですよ」

「御邪魔します」

 紀乃は薄暗い昇降口に入り、そっと中を見回した。校舎と同じ年月を過ごしてきた下駄箱の上には太い梁があり、 埃が分厚く積もっている。ゾゾは玄関マットと雑巾で足の裏を丁寧に拭ってから、ひんやりとした空気が溜まった廊下に 上がった。紀乃も靴底の泥を落としてから、ゾゾの後を追った。一歩進むたびに廊下が軋み、くすんだ窓ガラスからは 若干勢いを削がれた日差しが落ちていた。ゾゾの尻尾が引き摺られると廊下に溜まった砂埃が拭われ、ゾゾの通った 部分には大きな足跡と一本の太い線が延びていた。

「どうぞ、こちらに」

 ゾゾは衛生室の前で立ち止まり、引き戸を開けて中を示した。

「いらっしゃると解っていたのなら、掃除をしておいたのですが、何分急な話でしたので」

「衛生室、って」

 紀乃は中を覗き、理解した。空っぽの薬品棚と木製のベッドと机がある、古風な保健室だった。ひび割れた鏡の 下には水盤もあり、カーテンは外されていてカーテンレールも錆び付いているが使えそうだ。広さも申し分ない。

「風呂場はこの廊下を真っ直ぐ行って右に曲がった先の外に、御不浄は左に曲がった場所にあります。その洗面台の 水は通っていますし、給水塔から真水を通していますが、長らく出していなかったので錆び混じりの赤い水が出るでしょうが どうか驚かれぬように。御夕飯は六時頃に出来上がりますので、それまではごゆっくり」

 では、とゾゾが一礼して衛生室を出ると、紀乃は頭を下げた。

「ここまで案内してもらって、どうもありがとうございました」

「いえいえ」

 ゾゾは尻尾をゆったりと振り、ガラスの填った引き戸を閉めた。紀乃は下げていた頭を上げ、ゾゾの影が見えなくなって から、その場にへたり込んだ。歩き通しで疲れたんだ、と飲みかけの水を飲もうとスポーツバッグを開けようと したが、手に上手く力が入らずファスナーがなかなか滑らなかった。汗で滑る手をスカートで拭ってキーチェーンごと ファスナーを強引に引っ張るが、今度はファスナーが曲がって途中で止まってしまった。それでも構わないとペット ボトルを掴み出した紀乃は、喉を鳴らして水を飲んだ。かなり生温かったが、たっぷりと胃に詰め込んだはずの水が 全部汗になって流れ出ていたので甘みすら感じるほど美味しかった。
 空っぽのペットボトルを床に転がすと、砂埃と擦れてかりかりと鳴った。紀乃は深呼吸してから腰を上げ、スカートの 尻と足に付いた砂埃を払ってからベッドに座った。気温と疲労で血圧が上がったせいか脳は重たく膨れ上がり、 その重みで首が折れて体もぐしゃりと潰されるのではないかと不安になった。埃っぽくてカビ臭いベッドに横たわる のは少し嫌だったが、全身の倦怠感には勝てず、紀乃はベッドに寝転がった。

「泣くな、泣くな、泣くな、泣くな、泣くな」

 紀乃は涙が滲んだ目を押さえ、背を丸めた。

「もう泣くな、もう泣くな、もう……」

 泣いたところで、何も始まらない。泣けば泣くほど寂しくなるし、悲しくなる。汗まみれで泥臭い体を抱き締めた手は ぬるつき、下着もセーラー服もべったりと肌に貼り付き、髪もひどく汚れている。風呂に入りたい、だけど、ちょっと 休みたい。紀乃は湿った泥を指先まで詰め込まれたような感覚に陥り、かさつく厚紙のような布団に顔を埋めて瞼を 閉じた。目が覚めれば、何もかもが夢だったなら。だが、そんなことは有り得ない、と汗の塩気でひりついた肌が 教えてくる。紀乃はほんの一週間前までの現実だった生活を思い出して少し泣いたが、睡魔に引き摺り込まれた。
 久し振りに、気持ち良く眠り込めた。




 目が覚めたのは、夜も更けた頃だった。
 瞼の隙間から眩しさを感じた紀乃は、涙でくっついてしまった睫毛を擦って剥がしてから瞼を上げると、枕元には 折り畳まれたメモが置かれていた。ぼさぼさの髪の毛を撫で付けながら起き上がり、しょぼつく目を擦ってからメモを 開くと、几帳面な文字が並んでいた。紀乃さんの分の夕食は取り分けておきましたので、いつでも食堂にいらして下さい。 お風呂も沸いていますので、よろしければどうぞ。ゾゾ・ゼゼ。

「今、何時だっけ」

 紀乃は電球に白い傘を被せた電灯の下で辺りを見回すと、ベッドの後ろから奇声が上がった。

「八時だよ八時なの八時チジチジチジチジ!」

「うえっ!?」 

 心の底から無防備だった紀乃は息が止まるほど驚いて後退ったが、その際に無意識に超能力が発動して ベッドの後ろに潜り込んでいたミーコに命中した。といっても、威力はデコピン程度だったらしく、目に見えない力で 額を弾かれたミーコは頭を仰け反らせすぎて後頭部を壁に激突した。が、あまり痛くないらしく、へらへらしていた。

「そうソレソレソレ、それが紀乃ちゃんの紀乃ちゃん能力ノウリョクリョクリョクリョク!」

 ミーコはだらしなく笑いながら、紀乃に擦り寄ってきた。

「ええと、あの、なんでここにいるの!」

 ベッドから飛び降りて緊急回避した紀乃に、ミーコはぐりんと首を大きく捻った。

「紀乃ちゃん紀乃ちゃんいないからいないナイナイナイナイ、だからミーコは来たの来たからキテキテキテ」

「ああ……それは……」

 起こしに来た、ということなのだろうが、だとしてもなぜ背後に。紀乃はミーコが不可解すぎたが、理解出来る わけもないと思い直し、先に風呂に入るためにスポーツバッグに向いた。すると、スポーツバッグがへこんでいて、 中身が抜けていた。どこに行ったのだろうと室内を見渡していると、ミーコが窓の外を指した。

「小松がコマツでミーコはミヤモトミヤコだけどミーコで、小松はコマツでコマツコマツ!」

「はい?」

 訳が解らないなりに意図を察した紀乃が窓を開けると、これから行くべき風呂場の手前に巨体の人型多脚重機が 座り込んでいた。メーカー名と企業名が印されている黄色と黒の外装に、一際目立つ白いモノが引っ掛かっていた。 よくよく目を凝らしてみると、薄べったい三角形が連なった長いモノ、カラフルな三角形の布、背中に校名が入ったジャージの 上下、部活で使っていたスポーツブランドのバスタオル。それらは紀乃のなけなしの着替え一式で、小松の背部装甲に 引っ掛けられていた。さながら、天女の羽衣のようである。

「ミーコはミーコでミヤモトミヤコ! ミーコはミーコで紀乃は紀乃はお風呂オフロね!」

 得意げなミーコに対し、服や下着を引っ掛けられている小松は固まっていた。ぎちぎちと関節を軋ませるものの、 振り払おうとはしない。というより、緊張しすぎて動くに動けなくなっているようだった。彼の真っ赤なハザードランプは 忙しなく点滅していて、半球状の頭部もぐわんぐわんと回転していた。見るからに動揺している。慌てふためいた紀乃が 窓から飛び降り、よろけながらも小松に駆け寄ると、小松はぎぎいと身を引いた。彼の体格よりも一回りは小さい 風呂場の煙突から湯気が立ち上り、かまどでは薪が弱く燃えていて、小松の足元には薪が散らばっていた。

「違う、誤解だ、俺はミーコにお前を起こせと」

「起こした起きたオキタオキタ! 着替えキガエガエガエ!」

 衛生室の窓から上体を乗り出したミーコがはしゃぐと、小松はハザードランプの光を強めた。そのせいで、風呂場と 紀乃の周囲が真っ赤に染まった。小松は頭部をぐるりと回して紀乃に視線を向けたが、半分ほど逸らした。

「俺は風呂を沸かした。そしたら、あの寄生虫女が俺にお前の服を」

「じゃ、それを私に渡してくれればいいじゃない。小松さんが」

 紀乃が手を出すと、小松は多目的工作腕を丸めた。

「それは……」

 ぎゅいぎゅいぎゅいん、とモーターを唸らせて回転する頭部を止めもせず、小松は口籠もった。ハザードランプだけ ではなく盗難防止用アラームまで鳴り出したが、小松自身は黙り込んでしまった。このままでは風呂に入るどころか、 汗まみれの薄汚い服装から着替えられない。年頃の娘としては死んだ方がマシだと思うような事態になりかねないので、 紀乃は一大決心をして小松に登ろうと踏み出したところで、明かりの付いた教室の引き戸が開いた。

「揃いも揃って、何をなさっているのですか」

「ゾゾ!」

 助かったと言わんばかりに小松が頭部の回転を止めると、ミーコが飛び跳ね、その拍子に窓から転げ落ちた。

「ゾゾー、ゾーゾー、ゾゾ・ゼゼゾゾゼゼ!」

 ミーコは頭から草むらに突っ込んだが、何事もなかったかのように起き上がった。

「全く、困ったものですね」

 ゾゾは首を横に振りつつ、教室から出てきた。食堂兼居間に改造されているらしく、引き戸も後から付けられた もののようで板張りの壁とは色味が違っていた。ゾゾは巨体に見合わぬエプロンを付けていて、その様が似合うようで 似合っておらず、紀乃は昼間に感じた笑いのむず痒さが蘇った。ミーコがきゃあきゃあと子供染みた笑い声を上げると、 小松がハザードランプと盗難防止用アラームを止め、頭部のメインカメラをゾゾに向けた。

「何度見ても、変」

「そうですか? この防護服は機能的なのですが」

 ゾゾがエプロンの裾を抓むと、ますますミーコが笑った。小松も堪えきれないらしく、笑い声は上げないまでも ぎしぎしと身震いしたので背部装甲に引っ掛けられていた紀乃の服が一枚残らず舞い落ちた。紀乃はそれを拾い 集めると、二人に釣られて笑い出した。教室の窓から零れる逆光の中に立つゾゾは二人を諌めることもなく、 赤い単眼に紀乃を捉えると厚い瞼を僅かに細めた。

「紀乃さん、もう泣かなくてよろしいのですか?」

「随分泣いたから、飽きちゃったのかも」

 紀乃は服に付いた汚れを払ってから抱えると、ゾゾと向き直った。 

「私、あなた達をどうこう出来るような力はないし、出来れば戦いたくないなって思う。でも、やっぱり、私は 人間だし、政府の人達の考えもまるで解らないわけじゃないから、答えを出すのはもう少し先でもいいかな?」

「ええ、もちろん」

 ゾゾは単眼を糸のように細めてから、四本指の手で風呂場を示した。

「さあ、どうぞお風呂に。その間に御夕飯の支度を調えておきますので」

「はーい」

 紀乃は自分でも意外なほど明るく答え、風呂場に向かった。ミーコが小松に引っ掛けていた服の中にはタオルも 混じっていたので、取りに戻る必要はない。風呂上がりの夕食を楽しみにしつつ、紀乃は湯気と熱気が漏れている 風呂場の小屋に駆けていった。紀乃が風呂場に入ろうとしたことに気付いた小松が慌てて逃げ出したらしく、どっがん ごっがんと激しい足音が響いた。紀乃は小松の過剰な反応もまた不可解ではあったが、覗かれるよりは余程マシだ。 汚れきった服を脱いで熱い湯船に浸かり、全身の疲れも汚れも落とした紀乃は、風呂場の開け放たれた窓から見える 恐ろしいほど澄んだ星空に見入った。
 正義の味方になんてなれやしない。けれど、ミュータントになってしまったからには、二度と人間らしい 生活は送れないだろう。だったら、この島で生きてみるのもいいかもしれない。
 長い、長い、夏休みの始まりだ。





 


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