南海インベーダーズ




侵略者的脱出劇



 ひどいものだった。
 台所の洗い場には焦げた鍋と釜が重なり、食卓に並ぶ料理は生焼けか黒焦げのどちらかで、それを作った主は 四肢と尻尾を投げ出して呆然としていた。出されたものに文句を言えない立場の忌部と甚平は、火が通っていない 干物の食べられそうな部分をほじくり、ほとんど炭化しているために白飯とは言い難い状態の御飯の中から、まだ 食べられそうな白い部分を取り出しては食べていたが、おいしいわけがない。

「……なあ、ゾゾ」

 忌部はほとんど味が付いてない上に具が煮崩れている味噌汁を啜り、ゾゾに話し掛けた。

「なんでございましょ」

 ゾゾは単眼を天井に据えたまま、平べったく発音した。

「紀乃が捕まったのがショックなのは解るが、ちったぁ味見をしてから出してくれないか?」

 喰えたもんじゃない、と忌部が透明な舌を出すと、ゾゾはばたんと尻尾で床を叩いた。

「だったら御自分で作ればいいじゃないですか」

「あ、う、え、で、でも……」

 甚平は意見しようとしたが、ゾゾの態度の険悪さに臆し、不味い味噌汁を啜って言葉を飲み込んだ。

「大体ですね、張り合いがないんですよ、張り合いが」

 ばったぁん、と再び尻尾で床を叩き、ゾゾは顔を背けた。

「野郎を相手においしい御飯を作ったところで、何の意味があるってんですか。そりゃあね、私はあなた方みたいな ミュータントに対しては並々ならぬ興味がありますし、こっそり生体組織を採取して実験実験実験の日々ですから、 いずれはサンプルではなく本体で生体実験を行うつもりでいますし、そのためには健康体であってほしいと思って、 おさんどんをする毎日ですけど、そりゃやっぱり遣り甲斐のある相手に尽くしたいって思うんですよ。思いませんか、 思いますでしょう、あなた方も生物学的には男なんですから」

「まあ……うん……」

 忌部も少しは共感出来たので曖昧に頷くと、ゾゾは怠慢に尻尾を振った。

「ですから、私は紀乃さんが可愛らしい声で料理を褒めて下さったり、あの小さな口で一生懸命食べて下さったり、 デザートで一喜一憂なさったり、お風呂上がりのアイスクリームにきゃっきゃとはしゃいで下さったり、温泉卵一個で とろけるような笑顔を浮かべて下さったりすることが、楽しみで楽しみで楽しみで楽しみで楽しみで楽しみで楽しみで どうしようもないんですよこれが。それなのに、ああそれなのに、ああんそれなのにぃっ!」

 突然ゾゾは立ち上がり、両手を上向けて虚空を掴んだ。

「野郎共に褒められたところでちぃっとも嬉しくないんですよぅっ! それも、こんなスッケスケで露出狂なフンドシ男と 根暗でヒキオタ気質な鮫肌男なんて、人生の袋小路に五十メートルの高さから飛び込み自殺をした気分です!」

「……う、あ、う」

 容赦のない罵倒を浴びせられ、甚平は瞬膜を開閉させた。うっすら涙目である。ゾゾは紀乃がいない不満をここぞと ばかりにぶちまけながら、尻尾でばんばんと床を叩き続けていた。忌部は甚平の丸まった背を軽く叩いて励まして やってから、腹を膨らますためだけに食事を詰め込んだ。南風が吹き込んでくる窓からガニガニの巣に目を向けると、 巣の中に閉じこもっている巨大ヤシガニはぼんやりしていた。アダンの実や出来損ないの野菜などがガニガニの 前に並んでいるが、ほとんど口を付けていない。鋏脚の先でアダンの実をいじくり回しているが、それを口元へは 運ぼうとしなかった。涙が出ていれば潤んでいるであろう複眼は虚ろで、触角もヒゲも大人しい。紀乃が小松と一緒に 行ってしまった後から、すっかりしょげてしまった。このまま紀乃が帰ってこなければ、どうなってしまうことか。
 助けてやりたい、とは思う。だが、それが変異体管理局の仕事であり心を痛める理由はない。上手く行けば、紀乃は 乙型生体兵器一号として本来の位置に配備され、対インベーダー戦が楽になるだろう。オーバースペックだが、 それ故に扱いづらい伊号、呂号、波号と違い、紀乃は汎用性が高い。殺しはしないだろうが、そう簡単に手放す とは思いがたい。忌部は食卓の平穏を望むあまり、紀乃には無事で帰ってきてほしいと願ってしまった。
 ガニガニは、切なげに顎を鳴らしていた。




 身体検査、取り調べ、情操教育、取り調べ、その合間に食事と休憩。
 捕らえられてから三日が経過したが、同じことを繰り返すだけだった。そして、今日もまた、紀乃は解剖されるのでは ないかと思うほど徹底的に体を調べ尽くされ、強化ガラスで区切られた面会室に入れられた。右腕には注射針を 刺された傷がガーゼに塞がれ、昨日一昨日の傷と共にちくちくと痛んでいた。地下牢と同じように白い壁で作られた 部屋は狭く、電磁手錠の鎖も繋がれ、背後のドアの外には自動小銃を持った女性自衛官が待機している。逃げる ことなど出来るわけもなく、ただ、無益な時間が費やされるばかりだ。手首に重たくぶら下がる電磁手錠をガラスに ぶつけようと振り上げた時、ガラスに区切られた向かい側の部屋のドアが開いた。

「まーた何しようとしてんすか、乙型一号」

 ファイルを肩にぶつけながら入ってきたのは、現場管理官の山吹丈二と現場管理官補佐の田村秋葉だった。

「無意味」

「で、今日はちゃんとした話を聞かせてくれるっすよね?」

 紀乃の向かい側に座った山吹は制服の胸ポケットからボールペンを抜き、金属の指の上で回転させた。

「我々への有益な情報の譲渡は、乙型一号にとっても利益となる。よって、情報を口外すべき」

 山吹の隣に座った秋葉はボールペンを手元に横たえ、無表情な瞳で紀乃を見据えてきた。

「ジュースを一度に二本飲んじゃいけない。人生の教訓だね」

 紀乃が苦笑すると、山吹はかちんとボールペンを止めた。

「そりゃ正論っすけど、今はどうでもいいことっす」

「だって、話すようなことなんて何もないんだもん。てか、そっちは何を知りたいの?」

 紀乃は両足を投げ出し、二つの空間を区切っている台の上に置いた。

「行儀が悪いっすねぇ」

 山吹が辟易すると、紀乃はぎしぎしとパイプ椅子を軋ませた。

「だあって、暇なんだもん。テレビも見られないし、話すにしたって小松さんとじゃ話題も限られちゃうしさぁ」

「我々は国防に不可欠な情報を得るために仕事を行っている。断じて暇ではない」

 秋葉は冷淡に述べ、薄い服の裾から伸びた紀乃の細い足を一瞥し、山吹を見やった。

「……丈二君」

「あ、え、何すか、むーちゃん」

 一瞬の間の後、山吹は紀乃の足から目を外した。秋葉は表情を一切変えずに、タイトスカートの裾を掴んだ。

「丈二君が見るべきなのは私の足。存分に見せる。ストッキングも破いていい。ともすれば、下着も」

「うわぁあおうっ!」

 山吹は慌てて秋葉を押さえ、取調室の中を見回した。

「御立派なことを言うわりに、公私混同してんじゃん」

 紀乃が毒突くと、山吹は不満げに頬を張る秋葉と紀乃を見比べた。

「違うっすよ違うっすよ、これはそういうんじゃなくて、ええとなんていうのかな、ああそう、そう、アレだ! 作戦!」

「何の?」

「えと、ハニートラップ的な?」

「でも、あれって男に対してやることじゃん? 私には通用しないと思うんだけど」

 紀乃が冷め切った目を向けると、山吹は秋葉を撫でて宥めた。

「ええ、まぁ、そりゃそうなんすけどね。むーちゃん、ジェラシースイッチを入れるにしても、せめて退勤して俺の部屋に 引っ込んでからにしてくれないっすか? でないと、俺のデスクに始末書が来ちゃうんすから」

「やらしいの」

 紀乃が顔を背けると、山吹はすっかり機嫌を損ねた秋葉を見下ろした。

「それについては弁解も出来ないっすね」

「毎日三回」

 秋葉が山吹にしがみつくと、山吹は全力で否定した。

「ああいや、それはさすがに無理ってもんすよ、マジ無理! いくら俺がサイボーグだからって、三回はちょっと!」

「仕事しろよ公務員」

 紀乃が呆れ果てると、山吹は泣きそうな声を出した。

「してるっす、してるっす、普段は大いにしてるっす! だからそんな蔑んだ目で見ないでほしいっす!」

 山吹は秋葉を諭して仕事モードに切り替えさせようとするが、秋葉は山吹から一時も離れたくないらしく、彼の制服を 掴む手には力が込められている。先程までの無表情はクールな態度は消え去り、秋葉は少女のように甘えた顔で 山吹に縋っている。山吹もまんざらではないらしく、秋葉を本気で引き剥がそうとはしていないが、国防の最前線を 担う人間がこれでいいのかと、紀乃は敵ながら思ってしまった。いや違う、これはきっと作戦だ、紀乃を油断させて 口を割らせるための作戦だ、だから気を抜いてはいけない、とも思ったが、そうだとしても馬鹿馬鹿しすぎる。

「あなた達、何をやっているの?」

 向かい側の部屋のドアが開き、メガネに引っ詰め髪の長身の女性が入ってきた。

「うおわっ、主任」

 山吹はすぐに秋葉を引き離し、秋葉も我に返って山吹から離れた。彼女は二人の相手をするのも面倒だったのか、 目も合わせずに歩いてきた。ガラス越しに紀乃を見下ろした眼差しは冷徹で、忌部とも山吹とも秋葉とも違って いた。完全に紀乃を兵器として見ており、人間扱いする気など欠片も感じられなかった。厚いガラスを隔てていても 流れ込んでくる痛烈な敵対心に、紀乃は警戒した。胸元の職員証には、一ノ瀬真波、とあった。

「乙型一号。あなたは自分の立場を弁えていないばかりか、自分のことをまだ人間だとでも思っているようね」

 真波は制服の内ポケットから拳銃を抜き、強化ガラス越しに紀乃の額に照準を据えた。

「我々は口答えする生意気な小娘なんて、これ以上必要ないのよ。必要なのは、実用性の高い兵器だけ。あなたを 生かしておくのは、情報を引き出すためなんかじゃないわ。あなたの能力を国防に使うためだけよ。だから、あなたの 力さえ使えれば、本当は首から下なんてどうでもいいの。人格も性格も何もかも、どうでもいいのよ」

「その小娘一人倒すために、どれだけ税金使ったの?」

 紀乃が臆さずに言い返すと、真波は発砲して分厚い強化ガラスに弾丸を埋め、ひび割れで白く濁らせた。

「一千億は軽いわね。だけど、あなたはその一千億を埋めるだけの力がある。だから、実際に撃ち殺せないのよ」

「具体的には?」

 紀乃が山吹と秋葉に説明を求めると、山吹は真波に気圧されながらも言った。

「ええと、まず、国防費が浮くんすよ。乙型一号のパワーは半端ないっすし、その脳の構造を解析すれば、今後開発 予定の甲型生体兵器の研究が進展するし、乙型一号一人だけで戦闘機何十機分もの戦闘能力があるっすから、 それだけの経費が浮いて他に回せるようになるっすし、まあとにかく、色々と金が動くんすよ」

「利益が出なければ、誰もあなたに目を付けたりしないわ」

 硝煙がうっすらと糸を引く拳銃を下げた真波は、片付けておきなさい、と二人に命じ、取調室から出ていった。山吹と 秋葉は真波に敬礼してから、その通りに動いた。紀乃は足を組んだまま、天井を仰ぎ見て目を閉じた。真波に発砲 されたのには少し驚いたが、超能力が暴発するほどではない。程良い刺激を受けたことで神経が高ぶり、すぐに 感覚を広げられた。サイコキネシスとして発現出来なくとも、何も出来ないわけではない。海上基地の構造を精神の 触手でなぞるように、透き通った肌で触れるように、感覚的に内部構造を把握していった。
 まだ負けたわけじゃない。





 


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