三日間で掻き集められた情報には、限りがあった。 紀乃の感覚も、勾玉を奪われてからは明らかに出力が下がっていた。捉えられるものの大きさ、擦り抜けられる 壁の厚さも鈍っていて、余程集中しなければ細かな部分までは解らなかった。配管や海底ケーブルの位置まで解る ようになれば、もっと簡単に事が運べていただろうが、紀乃が掴み取れたのは地下施設の規模と海上基地を繋ぐ 円筒形の連絡通路の幅と壁の厚さぐらいなもので、隔壁の厚みの違いまでは上手く感じ取れなかった。 取り調べを終えて地下牢に戻された紀乃は、冴えない味付けのハンバーガーを頬張った。初日のサンドイッチと いい、今回といい、全体的に味がぼやけている。政府が出すメニューなのに洋食なのがなんとなく意外だ。刑務所 の食事って普通の定食だよなぁ、と頭の片隅で考えながら、紀乃は綺麗に平らげて皿を重ねた。 「隔壁の厚さまで解らないのか」 人工臓器に食事を流し込まれて早々に血糖値が上がった小松は、壊れたメインカメラに紀乃を映した。 「そうなんだよねー。結構頑張ってみてんだけど、力が上手く出せなくて」 紀乃は口元を拭ってから、小松の足をよじ登って操縦席まで辿り着いた。 「でも、何の情報がないよりはマシでしょ?」 「まぁな。俺は動けんが、お前がどう動けばいいかの指針は出せる」 「なんかさぁ、楽しくなってこない? 脱獄を企てるなんて、悪役っ! って感じがする」 紀乃が意味もなく拳を突き上げると、小松はちょっと笑った。 「そうだな」 この三日で、小松との付き合い方もようやく解ってきた気がする。小松は言葉が少ないわりに主語を抜かして喋り がちなので真意が捉えづらいが、決して人当たりが悪いわけではない。偏屈で意固地な部分もあるが、基本的には 生真面目で頭の回転も良い青年だ。そして、小松は実家の建築会社に勤めていたこともあり、紀乃より遙かに建物に 通じている。何の準備もなしに暴れ回っても、また捕まるだけだ。だから、綿密な作戦を練る必要がある。 『お前の話を総括すると、この地下牢がある施設は独立しているようだ』 小松はガラスの破片まみれのモニターを光らせ、紀乃の話を元に書いた図面の下に文字を打ち出した。 『海上基地は本来は別の用途で作られた建造物で、地下施設は建て増しされたようだな。海底とこの空間を隔てて いるのは円筒形の構造物で、その壁はトンネルと同じ技法で造られていると見て間違いないだろう。だから、それを 壊して脱出するのは今の俺達ではまず無理だ。俺は動けんし、お前に至っても出力不足だ。だから、最低限の力で 最大限の効果を発揮する行動を取り、外界への脱出を測らなければならない。エレベーターの中を通じて海上まで 出る、それがもっとも単純であり有効な作戦だ。その前にやるべきことは、お前の力を戒めている電磁手錠を破壊 することだが』 「散々水に浸けてみたけど壊れなかったし、小松さんの外装に叩き付けても同じだったんだよね」 紀乃は声を落とし、小松だけ聞こえるように言った。すると、図面の下に新たな文字列が並んだ。 『だから、機械的に破壊するしかない』 「どうやって?」 『俺のバッテリーとケーブルで繋ぎ、感電させて破壊する。そのためには、絶縁体を手首と手錠の間に挟む必要が ある。そうしなければ、お前が死ぬからだ』 「絶縁体って?」 『お前が着ている下着だ。上と下、二つあれば足りるだろう』 「……えっち」 『この非常事態に、つまらないことを気にするな。それが終わったら、俺のケーブルをどれでもいいから電磁手錠に 繋げ。通電させ、破壊する。電磁手錠からは電波が出ているから、破損したと同時に敵が雪崩れ込んでくる可能性が 大いにある。だから、外に出られる隙があるとすれば、その一瞬だ。後は、お前一人で戦ってもらうしかない』 「でも、小松さんを引き摺って外に出るのは、今の私じゃ難しいかも」 『事を起こしたら、俺の脳が入っているクーラーボックスだけ外してくれ。保存液が入っているから、総重量は十キロ にも満たない。しかし、バッテリーとも人工臓器とも離れてしまうと、俺の生命維持はせいぜい十二時間が限界だ。 だから、その間に手近な工事現場から同じ機体を見繕って忌部島に帰ってくれ。そうすれば、ゾゾが俺の脳と新しい 体を繋ぎ合わせてくれるはずだ』 「随分と無茶苦茶言ってくれるじゃない」 『これでも譲歩しているんだが』 「だったら、あんまり贅沢言わないでよね?」 小松との会話を終えた紀乃は、モニターから目を外して機体からはみ出している血管じみたケーブルを見やった。 そのどれかを繋げばいいと言ったが、どれもこれもカバーが剥がれて銅線が露出しているので危なっかしい。小松は 捕獲された時にガソリンを抜かれ、バッテリーも一度も充電していないので電圧が弱っているが、きちんと食事を 摂っていたおかげで僅かながら自家発電出来たらしく、モニターに点る光も少しずつ強くなっていた。だから、電磁 手錠を過電流で破壊するのは可能だろうが、その後はバッテリーが空っぽになる上に脳の入ったクーラーボックス を機体から外して抱えた状態で戦闘に突入することになるだろう。行動は、迅速かつ的確に取らなければ。 地下牢での会話は、部屋の四隅に設置された監視カメラと集音装置で残らず記録が取られている。だが、だからと いって相談せずに物事を進められるわけがないので、脱出計画がばれるのを承知で話し合っていた。そのことに ついて山吹と秋葉から毒突かれもしたが、諦めるわけにはいかない。早く帰らなければ、ガニガニが心配で心配で たまらないからだ。紀乃は小松の機体の陰に入ると、薄い衣服の裾を上げて慎重に薄っぺらいパンツを下ろした。 支給されている衣服には限りがあり、この入院着もどき以外はお情けのようなスポーツブラと嫌になるほど真っ白な パンツが一枚ずつで、どちらも外したので体がすかすかしていた。だが、そのどちらも外さなければ、脱出に必要な 条件が揃わない。薄布一枚しか体を守るものがなくなってしまい、紀乃は居たたまれなくなって身を縮めた。 「お嫁に行けなくなっちゃう」 紀乃は薄布を出来る限り引っ張って太股を隠そうとしたが、無駄な努力だった。電磁手錠と手首の間の空間に布を 詰め込み、右手首にブラジャーを、左手首にパンツを挟み、両手首の手錠に小松のケーブルを繋ぎ合わせた。 一瞬、銅線が煌めいたかと思うとばちんと空気が爆ぜて焦げ臭い匂いが漂った。紀乃は半信半疑で自分の服の 裾を見下ろすと、風もないのにぶわりとめくれ上がって素肌が丸見えになった。慌てて裾を押さえ、頷いた。 「……イケちゃう、かも?」 「だったら、早くしろ」 小松に急かされ、紀乃はサイコキネシスを放出した。 「言われなくたって!」 空気が張り、壁に埋め込まれたワイヤーの根本が軋み、それらが全て弾け飛んだ。鋼鉄のムチが反動でしなって クッション材が貼られた壁を叩き、中身が溢れて零れ出た。出力が出せない分、精度が求められるが、集中力さえ 切らさなければどうとでもなるはずだ。紀乃は浮かび上がると、小松の操縦席のフレームを引き剥がして彼の脳が 入ったクーラーボックスを取り出し、両手で抱えた。数秒前から鳴り響き始めたサイレンのうるささに顔をしかめると、 小松を搬入した隔壁が開いてフル装備の自衛官達が駆け込んできた。紀乃は並々ならぬ興奮を感じ、にいっと 口元を広げて笑みを浮かべ、抜け殻と化した小松の機体を投げ飛ばした。半分上がり掛けた隔壁に激突した小松 の抜け殻は金属片をばらまきながら転倒し、隊員達は逃げ惑った。そんな中でも勇敢に発砲してくる者がいたが、 紀乃はそのゴム弾を一つ残らず空中に縫い付け、撃ち返した。 「悪いけど、遊んでいる暇はないんだよね」 紀乃は空中に浮かんだことでひらひらする裾を気にしながら小松の脳の入ったクーラーボックスを抱え、戦闘部隊 の真上を横切って飛び出した。追撃の銃撃もサイコキネシスを固めた盾で弾きながら、位置の見当を付けておいた エレベーターまで向かった。だが、当然ながら戦闘部隊が待ち構えており、的確な機銃掃射が襲い掛かった。硝煙と マズルフラッシュの嵐を堪えながら紀乃は跳弾させてスプリンクラーに命中させ、消火剤の白い雨を降らせた。 「これで終わると思わないでよね!」 紀乃は泡で出来た雨粒を全て空中で凝結させ、一斉に放った。弾丸に比べれば貫通力が劣るが、速度を付けて しまえば、水滴は一粒でも強烈な威力を生み出す。最初に突入してきた部隊とエレベーターホールの部隊の全員の ゴーグルを雨粒で打ち砕き、ついでに弾丸の火薬に水気を与えてから、紀乃は素早くエレベーターのドアを破壊して ワイヤーがぶら下がる空間を上昇していった。地下百五十メートルに設置された施設に通じるエレベーターらしく、 どれだけ昇っても出口が見えない。もしかして閉じ込められたんじゃないか、と不安に思いながら上昇を続けていると、 ある階層を越えた瞬間に感覚に届いていた圧迫感が失せた。紀乃は直後に現れたドアを破壊して外に出ると、 エレベーターホールに転げ落ちた。長方形の窓には東京湾があり、その奥では臨海副都心が煌めいていた。 「や……やったぁ」 紀乃は安堵の笑みを浮かべかけたが、多方向から迫り来る重たい足音に気付いて表情を固めた。エレベーター ホールに通じる通路から駆け込んできたのは、先程よりも人数が多く重装備の戦闘部隊だった。その先頭に立つ のは、フル装備に身を固めた山吹丈二だった。紀乃に銃口を据え、山吹丈二は声を張った。 「乙型一号、寄生体一号! 速やかに投降せよ!」 「二股! 下半身直結! 公私混同サイボーグ!」 紀乃が思い付くままに罵倒すると、山吹はぐえっと声を潰したが踏み止まった。 「そっ、それがどうしたってんすか!」 「あのお姉さんのストッキング破いて、一発ヤらかしたんでしょ? 仕事しやがれ国家公務員」 紀乃が蛇蝎の如く蔑むと、山吹は隊員達からの視線に戸惑って取り繕った。 「違う違う違うっ、これは大いなる誤解っすよ諸君! 相手は見た目はちょっと可愛いけど悪逆非道のインベーダー なのであって、これは善良なる国家公務員である俺らの指揮系統を崩そうというベタな精神攻撃であって!」 山吹は必死に弁解しようとするが、必死になればなるほど嘘臭い。紀乃はそれをにやにやしながら眺めていたが、 別の気配を感じ、エレベーターのドアを盾代わりに構えた。直後、窓をぶち抜いて突っ込んできた人型軍用機が 紀乃を鷲掴みにして床に押さえ付け、少女の声で高笑いした。 『まどろっこしいことしてんじゃねーし! てか、あたしが出ればすぐに終わるし!』 「イッチー! マジグッジョブっす、これで話題が逸れるっす!」 山吹は素早く自動小銃を構えると、他の隊員達も人型軍用機の手のひらに押し潰され掛けている紀乃に銃口を 向けてきた。突然の衝撃と震動で紀乃は一瞬目が眩んだが、超能力までも封じられたわけではない。呂号がライブ を始める前に事態を打開しなければ、前回の二の舞だ。紀乃は山吹の自動小銃を動かして銃口を人型軍用機に 向けさせ、発砲させた。だだだだだだだっ、と一息に吐き出されたゴム弾が人型軍用機の頭部に無数の穴を開け、 ヒューズが飛んだ。センサーの大半を失った人型軍用機がよろけたので、紀乃は小松の脳入りクーラーボックスを 抱えて素早く脱し、窓の大穴から外界に飛び出した。 「いやっほう!」 なぜかテンションが上がってきた紀乃は、海上基地の滑走路目掛けて飛行した。背後からは山吹と人型軍用機を 遠隔操作していた少女、伊号の罵声が聞こえたが、久々に感じる海風の心地良さでどうでもよくなっていた。紀乃は 潮の匂いを胸一杯に深呼吸しながら落下していたが、不意に風を孕んだ服が捲れ上がり、全てが丸出しになった。 肌を焼く夏の日差しの暑さと湿っぽい空気の粘り気が素肌に絡み付いて、一瞬にして噴き出した汗が滴り落ちた。 このままでは、脱出どころではない。適当な部屋に飛び込んで服を見つけなければ、素っ裸も同然で忌部島に帰る 羽目になる。紀乃は全身が火照るほど赤面しながら落下を止め、背後の窓をぶち破って飛び込んだ。 冷房の乾いた冷気が汗を引っ込めさせ、現在の状況とは懸け離れた安堵感が訪れた。紀乃は小松の脳を抱えた まま、部屋を見渡した。誰かの私室のようで、内装は基地の名に相応しくなかった。レザー張りのソファー、黒一色の ベッド、数百枚はありそうなCDの山、ドラム一式、マイクスタンド、ベース、シンセサイザー、ギター、ギター。考える までもなく、呂号の部屋だった。紀乃は嫌悪感から舌を出したが、四の五の言っている場合ではない。 「ちょっと借りるね、返す当てはないけど」 紀乃はクローゼットを開くと、案の定、メタルファッションしか入っていなかった。通気性の悪そうなレザーのブーツに レザーのジャケットにレザーのホットパンツ、じゃらじゃらしたチェーンベルト、ドクロが大きくプリントされたシャツ、 棘が付いたリストバンド、ごついアクセサリーの数々。これを着るのは嫌だが全裸を曝して戦う方がもっと嫌なので、 紀乃は我慢しながら適当に引っ張り出して着込んだ。不思議なことにブラジャーは見当たらず、下着もホットパンツに 合わせてTバックしかなく、改めて呂号の正気を疑った。同年代なのに、こんな下着を履いているのか。 「うっわ、すっげー……」 紀乃は唖然としながら、紐も同然のTバックを見つめた。仕方なくそれを履いたが、物凄く落ち着かなかった。尻と 股間に紐が食い込むばかりか、後ろが大いに心許ない。その上に布地に余裕がないレザーのホットパンツを履くと、 更に食い込んで居心地が悪い。上半身には差し当たってまともそうなタンクトップを着るが、ノーブラなので出る ものが出てしまうのでレザーのベストを着てファスナーを上げ、夏場には蒸し暑いピンヒールのロングブーツを履き、 格好を付けるために太いネックレスとビスが付いたリストバンドを巻くと、それっぽくなった。 「おい」 背後から声を掛けられ、紀乃が振り向くと、部屋の主である呂号が早速エレキギターを構えていた。 「僕の部屋で僕のものを漁るとは良い度胸だ。だが許さない。死んでも許さない。だから殺す」 「子供のくせして、Tバックなんて履いてんの? 趣味、最悪すぎだし」 「インベーダーに僕の趣味をとやかく言われる筋合いはどこにもない」 呂号は淡々と返しながら、エレキギターを高く振り上げた。紀乃はクーラーボックスを抱えて後退し、言い捨てた。 「だったら、あんたも私のやることにとやかく言わないでよね!」 「だったらお前こそ侵略行為を止めろ!」 呂号はエレキギターを横たえて駆け出し、振り回した。ヒールでよろけつつも飛び退いた紀乃は、ぶち抜いた窓 から再び身を躍らせた。呂号が山吹らを呼んだのか、大勢の足音が呂号の部屋に雪崩れ込んできた気配がしたが、 紀乃は振り返らずに重力に身を任せた。落下する最中履き慣れないTバックを手直ししたが、サイズが恐ろしく丁度 良かった。呂号とは体格が似ているからだろうが、それにしては都合が良すぎる。ヒールを引き摺りながら滑走路に 着地した紀乃は東京湾の南側に目を向けて帰り道を見定めてから、海岸沿いの工事現場を探すことにした。 「建造物破壊、盗難、公務執行妨害、そして、国家反逆罪。実にインベーダーらしいわね」 紀乃のものとは違うヒールがアスファルトを叩き、硬質な声が潮騒を破った。振り返ると、一ノ瀬真波が戦闘部隊 を従えて立っていた。その足元にはヘッドギアとゴーグルを被せられた少女がいたが、怯えた様子で俯いていた。 真波は小さな鍵を取り出して少女のヘッドギアに差し込むと、錠を外し、ゴーグルごと外して奪い取った。 「生き延びたければ、命乞いなさい。それが出来なければ」 真波は少女の口をこじ開けて錠剤を突っ込み、飲み下させてから、紀乃に向けて突き飛ばした。 「波号に殺されなさい」 波号と呼ばれた少女は苦しげな呻きを漏らしながら、よろけ、倒れ込んだ。紀乃が駆け寄るべきか迷っていると、 波号の足元のコンクリートが抉れて球状に消失し、その質量を吸収した波号の体格が急激に膨れ上がった。手足 が伸びて袖を破り、襟が千切れ、ボタンが弾け飛ぶ。色白の肌に血の気が巡り、既視感がありすぎる体型の少女 が出来上がった。虚ろな目で顔を上げた波号は、顔も体格も紀乃と化していた。サイズが合わなくなった靴を脱ぎ 捨てた波号は、同じ顔に埋まる同じ目で紀乃を見据えて同じ表情を浮かべた。鏡から抜け出してきた自分と現実に 向き合うと、途方もなく気色悪い。紀乃は小松の脳が入ったクーラーボックスを抱え直し、超能力を高めた。 気合いを入れて戦わなければ。 10 8/17 |