南海インベーダーズ




バッド・オア・デス



 荼毘に付された父親は、炭化した粒子となって空気中に拡散していた。
 火葬場の煙突から立ち上る一筋の煙をやる気なく見上げながら、忌部は何本目かも解らないタバコに火を灯そうと したが、ライターのガスが切れていたので断念した。忌部の兄もかすがも火葬場に出向くことはなく、来ているのは 父親の遺骨を回収して今後の研究材料にしようとしている変異体管理局の研究員と、付き合いの良い山吹だけ だった。葬儀も最低限しか上げていないし、骨を拾ったら檀家の寺に全てを任せておくつもりだ。墓参りになんて、 頼まれたって行きたくない。同じ墓に入るのも嫌なので、目処が付いたら自分の墓を見繕おう、とも思った。

「もう少しで親父さんが焼き上がるっすよ、忌部さん」

 ロビーから出てきた山吹は、窮屈そうに喪服のネクタイを緩めた。

「てぇことっすから、今回の一時帰投とくっつけた休暇は忌引き扱いにしておくっす」

「手間を掛けてすまんな。火、あるか」

 同じく喪服姿の忌部は気のない答えを返してから、包帯を隙間なく巻いた手を山吹に差し出した。

「昨日から吸いっぱなしっすね。なんか、忌部さんらしくないっすよ」

 そうは言いつつも、山吹はライターを忌部に渡した。忌部は手で先端を覆って火を灯し、深く吸った。

「そうでもしないと、やってられないんだよ」

 紫煙混じりのため息を吐いた忌部は、山吹に翠との関係と己の家系について話すか否か、逡巡していた。誰かに 話せば少しは気が楽になるだろうが、山吹は他人なのだ。年下の上司で気の良い友人ではあるが、明るい態度の 下に拭い切れない暗さがある。紀乃が話してくれたので小松との因縁がどんなものか知ってしまった今では、尚更 山吹に話すのは気が引ける。小松との一件も全て片付いたわけではないのだから、余計な心配を掛けてしまっては 彼を気に掛けている秋葉にも悪い。だから、忌部家のことは自分の内だけで処理するべきだろう。

「んで、その、色々と思うところはあるだろうっすけど、親父さんから得た情報は有効活用するっすよ」

 山吹は忌部に付き合ってタバコを吸いながら、忌部を窺った。忌部は一度タバコを外し、灰を落とした。

「そりゃ結構だ。あのろくでなしが爪の先でも世の中の役に立つんなら、何よりじゃないか」

 二人の吸うタバコの細い煙は、火葬場の煙突から立ち上る煙に混じらずに漂い、消えた。空の色が鮮やかすぎる からだろう、父親の死の色である煙が一際濃く見えた。市街地から離れた火葬場は静かで、やかましいのは周囲の 木々で短い生を迸らせるセミばかりだ。盆が過ぎてからはぐっと秋の気配が増し、空気の蒸し暑さとは裏腹に時折 吹き付ける風は涼しかった。山吹は形だけ吸ったタバコをマスクの隙間から外し、スタンド灰皿で灰を落とした。

「俺が死んだ時もこうだったんすかねぇ」

 山吹はスラックスのポケットに大きな両手を突っ込み、壁に寄り掛かった。

「小松建造に首から下を踏み潰されて、頭だけが無事だったんすけど、その頭も脳みそと神経を摘出した後は荼毘に 付されたんす。一応は元の形に繋ぎ合わせてあったらしいっすけど、むーちゃんでも二目と見られなかったらしい っす。でも、その頃、俺は変異体管理局の中にいて、新しいボディと折り合いを付けようと四苦八苦していたんすよ。 だから、俺は俺が火葬されるところを見ていないんすよね。ちょい残念な気もするっすけど」

「お前の骨はどうなった?」

「戸籍の上では生存扱いっすから、実家の仏壇の前に骨箱がどでんと。今の仕事が仕事っすから、それを家族の手で 墓の中に突っ込まれる日も遠くないんじゃないかなーって思ってみたりするんす」

「そういうのって、嫌じゃないのか?」

「嫌……ってか、変ではあるっすよ、変では。骨箱の蓋を開けてみたことはないっすけど、幽霊ってこんな気分なの かなーって。自分がちゃんとこの場にいるのに、別の場所に自分だったものがあるなんて変じゃないっすか。でも、 まあ、本当に死ぬ時のために心構えが出来ていいとは思うっすけどね。もちろん、怖いものは怖いっすけど」

「人生経験に裏打ちされた死生観だな」

「てか、俺以外にこんな目に遭ってる人間なんていないっすからね」

 山吹はけらけらと笑い、肩を揺すった。それに釣られ、忌部も笑みを零した。

「違いねぇ」

 喪服姿での会話に相応しすぎる内容で、なんだか可笑しくなった。ひとしきり笑い合ったが、忌部の心中に凝った 異物は溶けなかった。忌部家の件を話してしまいたくなったが、それはそっちの問題だ、と言われてしまったらそれで お終いだ。山吹だから突っぱねはしないだろうが、愚かな妄信に縛られた家系だと受け取られるのが怖くなった。 昨日まで忌部は忌部家と滝ノ沢家の関係など知らなかったし、御前とやらになったところで忌部自身は何も変わって いないし、滝ノ沢家から孕ませてくれと女を差し出されたわけでもない。対処しようにも、どこから手を付けていいのか すら見当が付かない。だから、相談しようにも、相談する取っ掛かりが見つからなかった。

「なあ」

 だが、全てを抱え込むのは辛い。忌部は口調を波立たせないように気を張りながら、深く、深く、煙を吸った。

「お前、本家って行ったことあるか?」

「本家って、うちの本家っすか?」

「それ以外にないだろう」

「んー……。あるようなないようなー、って感じっすね。父方と母方の実家は俺の実家から近いんで、盆暮れ正月は ちょいちょい行っていたっすけど、そこから先は思い出しづらいっすね。俺んちの家系はそう大したもんじゃなくて、 平々凡々っすから、本家自体も大したもんじゃないっすよ。まるきり行ったことがないわけじゃないっすけど、行った 記憶が残らないほどの出来事だったんすね、きっと。で、忌部さんはその本家がどうかしたんすか?」

「本家ってのは、分家に口出しするもんなのか?」

「口出しするようだったら、それは余程の家系っすよ、余程の。親父さんの葬儀についてなんか言われたんすか?」

「いや、別に。まあ、とにかく、色々あったんだよ」

「そうっすか、色々っすよね」

 山吹は忌部の言葉を繰り返し、頷いた。忌部は山吹が深入りしてこないことに安堵して、もう一つの心中の凝りで ある手紙の一文を思い返した。読めそうで読めない単語だ。記憶を反芻しながら携帯電話のメール画面に入力した 忌部は、それを山吹の目の前に突き付けた。

「それと、これ、なんて読むんだ?」

 儀来河内。

「ニライカナイっすけど」

 即答した山吹は、首を傾げた。

「で、それがどうかしたんすか? ニライカナイっつーと、琉球文化で言うところの理想郷っすけど」

「理想郷……」

 儀来河内、のゴシック体の文字を見つめ、忌部は一笑した。そんなものはただの言い伝えだ、龍ノ御子なる子供を 作ったところで行けるわけがない。忌部家も滝ノ沢家もつまらない幻想に浸り切って腐った一族だと確信し、忌部は 携帯電話のフリップを閉じた。滝ノ沢家から女を宛がわれたら面倒なので、忌引きにかこつけた休暇を中断し、 早々に忌部島に戻ってしまおう。本土から一千五百キロも離れた離島にいれば、滝ノ沢家も本家も手を出せまい。 要は、忌部が子供を作らなければいいだけのことだ。
 どうせ、作る当てもないのだから。




 忌部島に向かう前に、今一度、腹も種も違う妹に会いに行った。
 包帯を全て取り替えてヤニ臭い喪服から制服に着替えた忌部は、分厚い隔壁に埋まっている円形の鉄扉が開く のを待っていた。自動小銃を携えた自衛官が両脇に控え、硬い表情を保っている。忌部は彼らに言葉を掛けてやる か否か考えたが、やめておいた。変異体管理局に配備されている自衛官達は、対インベーダー作戦に徹している 忌部達とは目的が違うし、彼らは定期的に人員が入れ替わっている。仲良くなったとしても、その時だけの付き合い で終わってしまうからだ。がご、と壁と鉄扉の内部でシリンダーが抜け、シャフトが軋みながら扉が開いた。
 円形に区切られた異空間が、いつものように待ち受けていた。一歩踏み入れると、海底らしからぬ明るさが頭上 から降り注ぎ、土と草木を包んでいる優しい空気が流れ出す。二百メートル四方の箱の中心にひっそりと建っている 日本家屋では、黒い包帯で素肌を覆い隠した翠が庭木の手入れをしていた。

「あら……」

 ぱちん、と剪定バサミで枝を切り落とした翠は、忌部に気付いて顔を上げた。

「こんにちは、翠さん」

 忌部が近付くと、翠は剪定バサミを足下に置き、足早に駆け寄ってきた。

「どうかなさいましたの。一昨日、お泊まりになったばかりですのに」

「いえ、大したことではないのですが」

 忌部は顔面の包帯が緩むほど、大きく笑みを浮かべた。どれほど憎んでも足りない父親と母親と呼びたくもない 性根の腐った薄汚い女と縁が切れた解放感と、その女が産み落とした清らかな娘に再会した歓喜が入り混じった。 自分が翠の兄だとは言えない代わりに、もっと親しくなろう。この世にまともな家族が一人でもいると知っていれば、 これからの人生もちゃんと生きていけそうだ。忌部は翠に手を差し伸べると、翠はその手を柔らかく掴んだ。

「御前様」

「……え」

 そのことは、まだ誰にも言っていないはずなのに。包帯の下で目を丸めた忌部に、翠は微笑んだ。

「御前様自らいらして下さるなんて、光栄至極に存じますわ」

「あ、いえ、その、俺は」

 忌部が戸惑うと、翠は詰め寄ってきた。

「私はまともな体の女ではございませんが、御前様以外の殿方に触れられたことはありませんわ。ですから、どこも かしこも新品ですの。どうぞ、お好きになさいませ」

「俺は御前様なんかじゃない、俺はただ、あなたが俺の」

 妹だと知ったから、家族に会いに来ただけだ。そう言いかけた忌部に、翠はしなだれかかる。

「忌部さんが御前様で、本当に良かったですわ。あなたにでしたら、私は何を捧げてもよろしゅうございます」

「だから、俺は!」

 忌部は翠を引き剥がすが、翠は黒い包帯の隙間から潤んだ瞳を向けてきた。

「御前様」

「どうして、俺がそれだと知ったんですか」

 翠の肩を掴む手を混乱で震わせながら、忌部は俯いた。翠は目を瞬かせ、悩ましく呟いた。

「本家の御前様から、宅に御電話がありましたの。だから、存じ上げておりましてよ、忌部の御前様」

「じゃあ、俺とあなたが」

「それも存じ上げておりますわ。御兄様」

 包帯の下で薄く口を開いた翠は、牙の間でちろりと赤い舌を動かした。

「あ、あの」

 緊張と混乱が極まった忌部は喉が異様に乾き、上顎に貼り付きそうな舌を剥がしながら言った。

「俺のこと、一体どれで呼ぶつもりですか」

「御兄様とお呼びしとうございます」

 翠の瞼が下がり、瞬膜が閉じた。着物に覆われた彼女の肩を握る手は包帯に染みるほど汗ばんで、反比例して 喉が干涸らびるほど渇く。翠は触れてはならないものだと理性が叫んでいる。箱の中に封じられているのは、危険 だからだと資料で知っている。本家が同じなら、忌部家も滝ノ沢家も近しい一族だ。だから、交わるべきではないと 本能が拒絶している。ニライカナイに至る道を開く龍ノ御子なんて、つまらないおとぎ話だから信じてはならないと、 理性と常識が忌部の胸中に鋭く爪を立ててくる。だが、忌部は負けた。
 他人との触れ合いに、飢えすぎていたからだ。





 


10 8/24