南海インベーダーズ




バッド・オア・デス



 翠との面会を終えた後、忌部は会議室に呼び出された。
 一度解いたネクタイを締め直していると、真波が見知らぬ男女を引き連れて入ってきた。その姿形は異様であり、 どう見てもミュータントだった。男はフルフェイスのヘルメットで顔を隠していて、黒いレザーのライダースジャケットに 同じく黒いレザーのライダースパンツを履き、両足もライダースブーツで固めていた。それだけでも充分会議室では 浮きに浮いていたのだが、本当に異様なのはライダースジャケットの胸元から覗いている素肌だ。素肌にジャケットを 羽織っているのだが、肌は硬質な光沢を帯びた鉄色だった。分厚く盛り上がった胸筋と見事に割れている腹筋も 相まって、さながら銅像を思わせる外見だ。女もまた顔をヘルメットで隠していたが、こちらは下半分が出ていたので 口元の表情が窺えた。細い顎に色の濃い口紅が似合う、大人の女性だった。その首から下はビニールのような 素材の全身スーツに覆われていて、両足にピンヒールのブーツを履いていた。パールのように艶やかな白いスーツは 女の肢体にぴったりと貼り付き、脂の載った肉体を彩っていた。

「忌部君、紹介するわ」

 真波は書類を挟んだファイルを会議机に置いてから、男女を示した。

「彼らは今日付で対インベーダー作戦に配備された乙型生体兵器よ」

「俺は乙型三号、虎鉄だ。あんたが現場調査官の忌部か、よろしくな」

 全身が鋼鉄の男は太い指でヘルメットのバイザーを少し上げ、頑強な口元を露わにした。

「私は乙型四号、芙蓉よ。よろしくお願いするのよね、忌部さん」

 全身スーツの女は微笑むと同時に下半身が崩れて液状化し、虎鉄の屈強な腰回りに絡めた。

「……どうも、こちらこそ」

 忌部はやや臆し、一礼した。真波はファイルを開き、資料を抜いて忌部に渡してきた。

「これが虎鉄と芙蓉のスペックよ。乙型五号、電影は珪素回路と電子回路の同調処理と機体のセッティングが完了 していないから、配備されるのはもうしばらく先になりそうだから、今のところはこの二人で回していくしかないわね。 局長が遊びに行かせた沖縄の島で伊号は遊び呆けて能力値が下がるし、呂号は足を負傷するし、波号は私達の ことを粗方忘れているだろうから、実戦配備はまず無理ね。だから、忌部君もそれを考えておいて」

「これはなかなか凄いですね」

 資料を読みながら、忌部は素直に畏怖した。乙型生体兵器三号、虎鉄の能力は己の体と接触した対象物を鉄に 変質させる能力である。触れている範囲が広ければ広いほど適応範囲と有効時間は拡大し、硬度も自在に上げる ことが可能であり、大抵の物理攻撃は通用しない。余程の高熱の中に叩き込まれれば別だが、弾丸はおろか砲弾 さえも生身で弾き返すことが出来、爆発の中心であろうとも生き延びられる。その上、虎鉄本人も戦闘訓練で徒手 格闘術を叩き込まれているので、接近戦では文字通り肉弾戦が行える。筋繊維も鋼鉄製なので常識を越えた腕力 を発揮出来るため、車一台なら楽に持ち上げられる。乙型生体兵器四号、芙蓉の能力は己の体と接触した対象物 を液状化させる能力である。分子レベルで構造を変換しているので、水よりも粘度が低い液体からマグマのように 粘り気が強い液体まで自由自在で、あらゆる打撃を受け流せる。水に溶けてしまえば肉体そのものを消失させる ことが可能で、体積は限られているが水に己の生体組織を馴染ませて操ることも出来る。全ての攻撃を受け止めて 弾き飛ばす虎鉄とは異なり、芙蓉は全ての攻撃を吸収して受け流せるようだった。

「凄いから、政府に飼われるんじゃないか。俺達はまともじゃないが、自分の価値は理解している」

 虎鉄は芙蓉の肩に手を回し、ヘルメットの下で笑った。芙蓉は虎鉄に寄り掛かり、溶け合った。

「どうせ嫌われるんだったら、お金がもらえる方がいいじゃない?」

「物凄く野暮なことを聞きますけど、芙蓉さん、そのスーツも溶かしちゃったら大変なことになるんじゃ」

 忌部が半笑いになると、芙蓉はにゅるりと体を伸ばして忌部に近寄り、にいっと唇を広げた。

「それは大丈夫なのよね、忌部さん。このスーツは変異体管理局の科学研究部が私の生体組織から培養した素材 で作ったバイオスーツで、私の体の一部だから能力を使っている時には溶けるけど消えてしまうことはないのよね。 もちろん、ヘルメットとブーツも同じよ。でも、最初の質問がそれだなんて、いやらしいのよねぇん」

「殴ってもいいですか、主任」

 ごぎ、と虎鉄が指を鳴らすと、真波は真顔で答えた。

「許可出来ないわ。忌部君は味方だし、非戦闘時に攻撃を行えば懲罰を下すわ」

「あら、残念」

 小川のせせらぎのような水音を残して虎鉄の元に戻った芙蓉は、体も元に戻して立った。

「それで、この二人はどういう関係なんですか?」

 忌部は真波に向けて尋ねたが、答えたのは虎鉄だった。

「夫婦だ。なんか文句でもあるのか」

「いいえ、別に」

 忌部は首を横に振り、やや後退った。芙蓉はくすくすと笑いながら虎鉄の太い腕に華奢な腕を絡め、悩ましげに 唇を舌先で舐めた。虎鉄はそれに対して反応は返さなかったが、ヘルメットの下から満足げな笑みが漏れた。夫婦 といっても、まずまともではないだろう。どういった経緯で変異体管理局に入ったのかは忌部の与り知るところでは ないが、興味もなかったので聞かないことにした。どうせ、この二人は忌部には関係ないのだから。

「主任、お呼びっすか」

 会議室のドアがノックされ、山吹と秋葉が連れ立って入ってきた。

「遅れてすみません。波号の記憶回復処置に手間取ってしまったので」

 山吹と秋葉は既に新兵器達の紹介を受けていたらしく、虎鉄と芙蓉は山吹と秋葉に敬礼した。

「余計な前置きは取っ払って、とっとと本題に入るわよ」

 真波は会議机から椅子を引いて腰掛けたので、忌部と山吹と秋葉も座ったが、虎鉄と芙蓉は立ったままだった。

「お二人も座ればいいでしょうに」

 忌部が椅子を指すと、虎鉄はいかつい肩を竦めた。

「今の俺は、投薬のせいで能力が出しっぱなしになっていてな。だから、体の細胞が一つ残らず鋼鉄なんだ。質量は 変化しないが密度が高くなったせいで重量が増しているから、椅子になんか座ったら体重で壊しちまうんだ」

「私も似たようなものなのよね。だから、彼の傍にいる方が座るよりも楽なのよね」

 芙蓉は虎鉄に再び溶かした下半身を絡み付け、虎鉄の背中に抱き付いた。その様を秋葉は羨ましげな眼差し で見ていたが、忌部で足で小突くと秋葉は我に返って僅かに赤面した。真波は眉根を顰めて苛立ちを垣間見せた が、彼らには一瞥もくれずに乾いた口調で話を切り出した。

「先日の乙型一号と寄生体一号の脱走事件以来、世論のインベーダーに対する懸念と我々に対する不信感は増大 する一方で、このまま行けば来年度の予算が削減されかねないのよ。だからといって、一気にインベーダーを殲滅 するとそれはそれで非難の対象になるのよ。非人道的だ、とか何とかね。それなのに、しばらく派手なことが起きな ければ、役に立たないだの金食い虫だの何だのと文句を言われ、少しでも強く言い返せば国民の血税を無駄遣い しているのに何様のつもりだと報道される。だから、なあなあで済ませるのが一番ではあるけど、そのままでいれば いたでまた非難される。面倒臭い仕事ではあるけど、やるべきことをやっているのだから文句を言われる筋合いは ないわ。だから、今回は強攻策に出るわ」

 真波は新入り二人を見やってから、忌部に視線を据えた。

「乙型二号を忌部島に配備するのよ」

「翠をですか? ですが、乙型二号の危険性を承知しているからこそ隔離しているのでは」

 忌部が腰を浮かせかけると、真波は畳み掛けた。

「どれだけ強力な能力の生体兵器であろうとも、地下に押し込めていたのではただの箱入り娘で終わってしまうわ。 乙型二号は忌部君を信用しているようだし、使わない手はないわ。膠着状態を打開するには必要な措置よ」

「ですが、局長は」

「もちろん許可してくれたわ。厄介払いが出来るから、なのかもしれないけどね」

 真波は忌部が座り直したのを確かめてから、話を続けた。

「作戦の概要はこうよ。隔離されたミュータントだと言って乙型二号を忌部君が忌部島に連れて行き、インベーダーが 気を緩める早朝に奇襲攻撃を仕掛けるのよ。夜明けの一時間前に虎鉄と芙蓉が島に上陸し、戦闘を開始する。 連中の気を引いて痛め付けたところで乙型二号を朝日に当て、巨大化、暴走させて、忌部島ごと全滅させるのよ。 まあ、島一つを潰した程度で死ぬような連中ではないだろうけど、ダメージは与えられるわ」

「でも、忌部島には攻撃を仕掛けないのが暗黙の了解みたいなところがなかったすか?」

 山吹が訝ると、真波は目も上げずに返した。

「あの島は変異体隔離特区であって、非武装地域じゃないのよ。履き違えているのはインベーダーの方よ、民間人が 一人もいない島だからって好き勝手に暮らしていいわけがないわ。だから、尚更よ」

「忌部さんはどう思われる」

 複雑な表情をした秋葉に声を掛けられ、忌部は口籠もった。

「作戦としては効率的だろうが、しかしな……」

「ま、無理もないっすよ。忌部さんの御先祖がいた島なんすし、なんだかんだで長逗留してるっすしね」

「作戦に私情を挟むものじゃないわ。それに、忌部島は当の昔に国有地になっているんだから」

 山吹の言葉を遮り、真波は作戦概要の説明を続けた。だが、忌部はそれがほとんど頭に入らず、資料の文字を 見据えるのが精一杯だった。虎鉄と芙蓉から視線を感じたが、動揺を隠せているか不安になってしまうほど、忌部の 心中は波立っていた。忌部島に思い入れがあるのは事実だったが、それ以上に忌部島のどこかにニライカナイ に至る道があるのでは、と思ってしまったからだ。幼稚な夢物語だと馬鹿にしていたはずなのに、理想郷に対する 期待が醜悪に膨らんでいた。もしも、龍ノ御子が翠なら、翠に道を開いてもらって、ニライカナイに連れていきたい。 理想郷と言うからには、日の光が当たっても翠の体に害を成さない世界だろう。忌部の体も、元通りの色彩を取り 戻す世界だろう。イカれた一族から生まれたイカれたミュータントであろうとも、普通に暮らせる世界だろう。
 是が非でも行かなければ。




 障子から差し込むのは、月明かりに似せた人工光だった。
 四角く区切られた青味掛かった光が畳に落ち、縦長に伸びていた。乱れた布団では、翠が裾を直すこともせずに 横たわっていた。怠惰であればあるほど禁忌が骨身に染み、包帯が戒める体を安らがせ、黒々とした闇が腹の内 を汚していく。どちらも父も母も違えど兄妹で、厳密に言えば血が繋がっていて、どちらも人の心を持ちながらも人と 言えぬ姿形をしている。長らく欲していた家族の時間とは懸け離れているが、甘く、優しい時間だった。

「御兄様」

 襟を直してから身を起こした翠は、忌部の背後からするりと腕を回してきた。

「私、ようやく外に行けますのね。嬉しゅうございますわ、御兄様」

 包帯が半端に巻かれて白い筋が出来たかのような兄の背に、妹の硬く冷たい顔が触れる。

「作戦が実行に移されるのは、君が配備されてから三日後だ。ニライカナイへの道を探すのは、その後だ」

 忌部は嬉しそうに畳を擦っている翠の尻尾に手を這わせ、ウロコの滑らかさを味わった。

「では、その間は、私と御兄様は外で暮らせますのね」

「だが、昼間は地下室か何かに籠もってもらうことになる。我慢出来るか、翠」

「出来ますわよ。生まれてこの方、私はずうっとずうっと我慢しておりましたもの。だから、我慢だけは得意ですわ」

「だったら、次からはもう少し我慢してくれ。でないと、俺の方が我慢が効かなくなっちまう」

「御兄様が悪うございましてよ。あんなことをなさるから」

 翠は恥ずかしげに声を弱め、忌部の透けた背に顔を埋めた。

「温かい……」

「ニライカナイに通じる道があるとすれば、忌部島に違いないだろう。だから、巨大化しても、なるべく島を破壊しない ようにしてくれ。インベーダーを追い出したら、君と俺とでゆっくりと調べよう。ただのおとぎ話かもしれないが、信じて みたいんだ。これまで、俺も君もろくな人生じゃなかったんだ、ちったぁ夢を見てもいいじゃないか」

「見つけたら、どうなさいますの?」

「解り切ったことじゃないか。二人で向こう側に行くんだ」

「まあ、素敵ですこと」

 翠はウロコが薄い目元を赤らめ、尖った口元をちろりと舐めた。胸に回された妹の硬い手に自分の透き通った手を 重ね、忌部も少し笑った。背中には翠の丸い膨らみが接し、柔らかく潰れている。常に着物を着込んでいるから 解りづらいが、硬い肌の下にはまろやかな肉がある。どこもかしこも、普通の女と変わらない。違っているのは、ツノ と牙を持ち、翼を背負い、尻尾が生え、ウロコに包まれていることぐらいである。長らく忘れていた肌を重ねる安らぎを 妹の身で思い出した忌部は、背徳故に底知れぬ充足感に満たされながら妹と指を絡め合った。
 さながら、恋人同士であるかのように。





 


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