南海インベーダーズ




生体兵器的軍事演習



 続いて、呂号対乙型六号・識別名称ガニガニの演習が開始された。
 伊号と同じく大量破壊兵器である呂号にも、観客達は注目していた。テレパシーの亜種であり、能力のメカニズムの 解明が難しい伊号とは違って、呂号の能力は多少は解りやすい部類に入るからだ。厳密に言えば、呂号の音波 操作能力は斎子紀乃のサイコキネシスに近しい能力である。音というものは物体に震動を与えて発生させるもので あり、呂号も常人には到底理解出来ない音域を操る際には微細なサイコキネシスを発している。音響兵器自体は 以前から運用されていたが、呂号の実働データを仔細に解析すれば性能は飛躍的に向上し、国境の防衛ラインも 強化出来ることだろう。だから、呂号の演習には政治家達だけではなく、兵器開発に携わっている企業の技術者も 数多く列席していた。虎鉄の溶接を終えて戻ってきた山吹は、制服に焦げ跡が付いていないかを気にしつつ観覧席 を昇り、中座したことを詫びながら関係者席に座った。秋葉と波号は次の演習の準備があるので、席を外しており、 山吹の背後では波号に関する会話が交わされていた。誰よりも幼い波号の能力を疑っている人間も少なくはなく、 運用コストだけは安く済むだろうが戦力外だ、との言葉も聞かれた。
 解り切っているが、誰も彼もが生体兵器達を完全な道具として見ている。それは山吹自身にも備わっている認識で あり、変異体管理局で現場監督官に就任した当初から、一ノ瀬真波に教え込まれた価値観だった。生体兵器達は、 インベーダーと紙一重の存在だ。もしもこの世にインベーダーがいなければ、インベーダーと同じ扱いを受けて 忌部島に隔離されているであろう面々であり、インベーダーがいるからこそ生体兵器として成り立っているだけだ。 生体兵器を人間として扱うな、と言われ続けたのは、考えようによっては真波なりの優しさなのかもしれない。下手に 人間として扱ってしまえば、生体兵器達は自分の行動に疑問を持つようになり、インベーダーとの戦いも思い悩む かもしれないからだ。だが、冷たく突き放していることには変わりなく、何度記憶を失おうとも無邪気に慕ってくれる 波号に対しては特に罪悪感が沸いてしまう。彼女達の人間離れした活躍を日頃から目にしていても、人間らしさを 垣間見ると、尚更だ。だが、この場では生体兵器達を道具として見ることに徹しなければ、変異体管理局の今後に 関わってしまう。山吹は元から無表情なマスクフェイスの下で表情を固めながら、次なる戦場に向いた。
 戦闘準備を完了した呂号は、野外ライブ直前のアーティストのようだった。前後左右には広域音波発生器が配置 され、全長十五メートルの恐ろしく巨大なスピーカーがステージの両翼を守っていた。それらはいずれも可動式で、 呂号の意志のままに音波を発する方向を変えられ、出力も音階も自由自在だ。ステージの中央に立っている呂号は、 リッケンバッカーのエレキギターの弦をピックで軽く弾いてチューニングを確認している。ピンヒールのブーツの つま先は床を叩き、テンポを刻んでいた。対するガニガニは、近場の送電線から引っ張ってきたケーブルを鋏脚 で持っていて、時折空気放電しながら充電していた。甲殻類が帯電体質になった理由は未だに解明出来ていないが、 便利と言えば便利な能力だろう。だが、この二人ではまともな戦いになるのだろうか。呂号は強力な音波で物体に 震動と衝撃を与えて破壊するが、ガニガニは巨体を駆使した肉弾戦で戦う他なく、接近戦に持ち込まなければまず 勝ち目はない。帯電した電気を操って呂号を妨害しようにも、かなり難しいだろう。
 戦闘開始の合図は、呂号が奏でたエレキギターのリフだった。事前に呂号が演奏して録音し、調整済みのドラムや ベースを同時に流しながら、淀みない指運びで現を押さえながらピックを操り、流暢な英語で歌い始めた。
 受難劇の終わりが始まる、私はお前の自己破壊の素だ。少女らしからぬデスヴォイスを放ち、呂号は叫ぶ。曲目は 例によってメタリカで、マスター・オブ・パペットである。原曲と相違のない演奏技術を駆使して構築される音楽は、 兵器の名に相応しい荒々しさと能力に見合った才能を迸らせている。だが、それはあくまでも呂号から音波攻撃を 受けずにいる立場の感想であり、真正面から受けた場合は別だ。そして、その最中のガニガニは、ヒゲの尖端から 青白い電流を零しながら、鋏脚と両足を突っ張って硬直していた。

『うぐ……』

 戦闘時でも楽に会話が出来るように、とガニガニの外骨格に貼り付けられたアンプからは、呻きが漏れた。

「僕に触れるものか。触られなければお前など敵でも何でもない」

 間奏の最中に小さく呟いた呂号は、ぎょい、と弦を擦って音程から少し外れた音を出した。

『わあっ!?』

 途端にガニガニの巨体が仰け反り、派手に転んで甲羅で地面を削ってしまった。操り人形の主、私はお前の心を操る。 呂号が吐き出す歌詞に沿い、ガニガニはぎしぎしと関節を軋ませた。

『や……やだぁ……』

 お前の心をねじ曲げ、お前の夢を壊す。呂号が歌えば、ガニガニは屈強な鋏脚を開き、地面に突き立てた。

『痛いっ、痛いっ、電流が乱れて痛いっ!』

 私に目を塞がれて、お前には何も見えない。お前の叫びが聞こえるようだ、私の名を呼ぶがいい。

『ふぎっ!?』

 ばちん、と頭部で過電流が弾け、ガニガニは視神経の伝達が乱れ、視界を失った。御主人様、御主人様と。

『見えないよぉ、痛いよぉ、うぇえええっ』

 ガニガニは視界が暗転した混乱と苦痛に喘ぎながら、意味もなく地面を殴り続けた。

「電流はおろか電磁波も操り切れないお前が僕に勝てるとでも思ったのか。馬鹿めが」

 再び間奏に入り、呂号は鬱陶しげに言った。ガニガニは泥と雑草にまみれた鋏脚を地面から引き抜き、二本足で 立ち上がるが、よろけて倒れ込んだ。間奏でもまた、呂号は楽譜にない音を絶妙に混ぜた。原曲の力強さと勢いを 消さず、それでいて耳に残る音だった。青黒い外骨格を擦り付けながら這ったガニガニは、がちん、と悔しげに顎を 打ち鳴らすが、それだけでは呂号の音楽を掻き消せるわけがない。耳があれば塞いでいたのだろうが、外骨格で 直接音を聞き取っているガニガニには、それすらも不可能だった。体をヤシガニ形態に組み変えようにも、体内の 生体電流はでたらめに入り乱れている。ごつごつとした外骨格の隙間から、時折光が零れ、そのたびにガニガニの 呻きは増した。呂号はそれを雑音だと認識しているのか、眉根を少し曲げた。
 さあもっと這ってくるがいい、お前の主に従うのだ。呂号の歌声が響き、ガニガニを揺さぶる。突っ伏したガニガニは 放電の抑制すら出来ない自分の体を引き摺り、重々しく這った。ず、ず、ず、と震える外骨格に削り取られた土が 溜まり、ぶちぶちと雑草の根が千切れて飛び散る。青臭い草の汁の匂いが甲殻類独特の臭気に入り混じり、火薬と ガソリン臭い演習場に新たな匂いが広がった。ガニガニは腹部の気門で吸排気を繰り返しながら、呻いた。

『ねえ、どうして、僕にそんなことするの? そんなに、僕のこと、嫌い?』

「好きだとか嫌いだとかではない。僕は平気でお前も兵器で現在は演習中だ。お前の方こそ何を言っているんだ」

 呂号は言い返してから、更に歌った。与えられる報いは地獄だけ、天性の性癖。分別などありはしない。

『僕はケンカするために秋葉姉ちゃんに付いてきたんじゃないもん! 約束を守ってもらうためだもん!』

 みちみちみちぃっ、と外骨格の隙間を埋める膜を強引に伸ばしながら、ガニガニは立ち上がろうとする。終わることなき迷路、 限られた日々を流されていくだけ。お前の命は最早時機を逸したのだ。

『ロッキーとケンカするのは嫌、傷付けちゃうのは嫌、でも、でも、でもっ』

 ごきん、と両足を鋏脚で変形させて腹の内側に収納したガニガニは、腹部を包む尻尾の外骨格を曲げた。お前を占領し、お前が 死ぬ手助けをし、お前の中を走り回る。今や私はお前を牛耳ってさえいるのだ。

『苦しい目に遭うのは、もっと嫌だよぉっ!』

 なけなしの戦意を滾らせたガニガニは、丸めた尻尾の尖端で地面を弾き、巨体を高く跳ね上げた。雑草の切れ端が 四散し、尻尾が叩いた部分には三日月型の抉れが出来上がっていた。下半身だけをヤシガニに変えた巨体は一息で 数十メートルの高さにまで跳躍し、そのおかげで呂号の攻撃音域から外れたらしく、両足を元に戻した。視界も回復 したのか、黒い複眼が下がって呂号を捉えた。甲羅を開いて魚のヒレに似たハネを展開させたガニガニは、昆虫よりも 遙かに鈍い羽音を起こして空中に止まり、威圧的に二つの鋏脚を叩き合わせた。

『ていっ!』

 ガニガニは鋏脚を振り下ろして放電し、落雷させた。呂号の両脇に控えている巨大な広域音波発生器に命中し、 黒煙と同時に凄まじいノイズが発生した。途端に呂号が奏でていた爆音が途切れ、過電流に負けた電源ケーブルが 焼け焦げてカバーが溶けかけていた。ステージ上の呂号は動じることもなく、演奏を続けている。

『今度は、他のもぜーんぶ壊してやるぞ! 僕だって、生体電流の扱いに慣れてきたんだから!』

 操り人形の主、私はお前の糸を操る。呂号が同じ歌詞を繰り返すと、落雷攻撃の被害を免れた広域音波発生器が 動いてガニガニの位置を捉え、音波が再び外骨格を揺さぶった。今度は負けまいとガニガニは生体電流を放電して 外骨格に纏わせ、局地的な電磁波フィールドを作り上げる。淡い光を帯びた巨大人型ヤシガニは呂号の攻撃を防ぐ べく、ハネも一層速く羽ばたかせて空気を掻き乱す。呂号はそれに気にも留めず、歌い続ける。
 御主人様、御主人様と。呂号の音波を半減させるも、完全には凌ぎきれなかったガニガニは、再び襲い掛かって きた過電流に負けて電磁波フィールドが弱まり、ハネを動かしている筋肉が硬直した。

『うぅ、う……』

 泣き声を漏らすガニガニに、呂号は攻撃を止めない。私の名を呼ぶがいい、お前の叫びが聞こえるようだ。

『ぐぁ、あぅっ!』

 最後の意地で、ガニガニは変形を維持するために残しておいた電流を放電した。鮮やかな青空の下に似合わぬ 稲光が幾筋も駆け抜け、閃光が閃光を呼び、行き場を失った電流が演習場のあちこちに落雷しては乾いた破裂音 が響き渡り、演習場全体の空気が痺れる。落雷した地点で起きた小規模な火災が細い煙を上げる中、ガニガニは 音波を跳ね返すことは出来たがハネを開き続けることすら出来なくなり、人型からヤシガニ形態に戻ってしまうと、 重力に従って落下を始めた。一際重たい鋏脚が下になり、尻尾を丸めて腹部を守りながら、ガニガニは前のめりに 地上を目指してくる。言葉を発さなくなった青黒い怪物の真下には、エレキギターを操る少女、呂号が無表情に立ち 尽くしている。光以外は何も映さない目はガニガニを捉えもせずに、虚空を見つめている。山吹は思わず駆け出し そうになったが、観覧席から演習場までには相当な距離がある。人型軍用機でもまず間に合わない。その間にも、 ガニガニは呂号に迫りつつあった。風切り音が途絶えた瞬間、ステージに巨大な青黒い砲弾が命中した。
 皆が、目線をステージに揃えていた。誰も彼もが言葉を失い、呂号が立っていた場所を注視している。ステージは 原形を止めておらず、鉄骨もステージを成している板もぐちゃぐちゃに潰れて、アンプや小型の広域音波発生器も 被害を被っていた。それから、数分が経過した後、エレキギターが掻き鳴らされた。

「僕は何度も言っていたはずだ。僕がお前の主だと。落下地点の予測と安全地帯の把握など造作もない」

 呂号の平坦な声が聞こえると、腹這いになってステージを押し潰していたガニガニが身動いだ。

『痛い……』

「お前如きが僕を殺せるものか。僕はお前を殺せるがな」

 ガニガニが身を引くと、呂号は演奏していた位置から一歩も動いていなかった。エレキギターの弦を押さえている 指遣いも、足の広げ方も、アンプと繋がっているケーブルの伸び方さえも一切変わっていなかった。ガニガニは頭部に 貼り付けられたアンプから、電池切れ寸前のラジオに似たぶつ切りのノイズを発していたが、そのうちにノイズは 聞こえなくなった。呂号は床板の割れ目や破片に一度も引っ掛からずにステージ上から降りると、短く言った。

「僕の勝ちだ」

「わああっ、ガニー! でーじ大変なんさー!」

 次の演習のために待機していた電影が、泡を食って駆け出してきたが、呂号の前で立ち止まった。

「ロッキー! いくら演習だからって、ガニーをいじめちゃならんさー! ガニー、でーじちむいんさー!」

「それがどうした。初動が遅れた奴が悪い。僕はやるべきことをしただけだ。文句を言う方がおかしい」

「そんなん、バッペーテルんさー! ああっ、ガニー!」

 電影は慌てすぎたせいで転んだが、すぐに起き上がってガニガニを助け起こしに行った。ステージの真上に落下 した衝撃が抜けていないガニガニは、全ての足をだらんと伸ばして突っ伏していた。滅茶苦茶に割れたステージの 床を踏み抜きながら昇った電影は、気絶しているガニガニを揺さぶった。

「ジョージー! ガニーがパタイんさー! 電影、そんなのベールさー!」

 電影は半泣きになりながらガニガニを一層激しく揺さぶったので、山吹はステージに駆け寄り、宥めた。

「大丈夫っすよ、電影。ガニガニは衝撃と電圧不足でちょっと気が遠くなっちゃっているだけっすから、たぶん」

「たぁぶん!? たぶんって何さー、そんなんじゃ解らんのさー! ガニー、ガァーニィイイイイ!」

 電影はますます必死になって、ガニガニの外骨格を平手で叩いている。曖昧な答えは良くないと山吹も思ったが、 ガニガニを解明し切れていないのだから仕方ない、と内心で言い訳した。とりあえず応急処置で電気の供給だ、と 山吹が指示を出すと、電影は大型の広域音波発生器に接続しているケーブルを抜いて繋げようとしたが、先程の 落雷攻撃で全て断線していたので、電影は駆け足で新しい電源ケーブルを調達しに行った。電影もガニガニも人間 でもなければ普通の生き物と分類するべきではない特異性の固まりだが、変わり者同士だからなのか意外と仲良く なれているようである。出会いは最悪だったのに、仲良くなれる要素を見つけ出せる二人が凄い。
 羨ましいやら暑苦しいやらで山吹がマスクの下で笑いを零していると、研究部のテントに向かって歩いていた呂号 が足を止めてガニガニをしきりに心配する電影に耳を向けていた。横顔に髪が掛かり、ヘッドギアによる影のせいで 表情はよく見えなかったが、物憂げに俯いていた。エレキギターのネックを握る手にも力が籠もり、弦との摩擦で 傷が付いた爪が白くなるほどだった。興味を持っていない振りをするためなのか、呂号が大きく顔を逸らした拍子に 髪が舞い上がり、悔しげに歪められた唇が垣間見えた。山吹は呂号を呼び止めようしたが、下手に呂号の機嫌を 損ねては演習後のデータ収集に影響が出る、と思い止め、愛機に搭乗するために方向転換した。
 これからが本番だ。





 


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