自由を与えられても、その使い道がない。 肉体は人型軍用機であっても、乙型生体兵器として分類されている以上、電影の扱いは一応生き物だ。だから、 他の面々と同じように公休を言い渡された。だが、休みというものをどうやって使ったらいいのかさっぱり解らない。 整備点検を終えた後には格納庫からも解放され、メンテナンスドックのシャッターも全て開かれているが、そこから 先へは進む気は起きなかった。日々忙しく働いて機体の手入れをしてくれる整備員達はすっかり出払ってしまい、 滑走路から離発着する哨戒機や偵察の戦闘機の数も少なく、変異体管理局全体が静まっていた。 『やっほー』 メンテナンスドックの入り口に大きな影が掛かり、ヤシガニ形態のガニガニが顔を出した。 「ガニー!」 途端に元気になった電影が駆け寄ると、スピーカーを頭に貼り付けているガニガニはヒゲを振った。 『今日は皆がお休みなんだって。だから、秋葉姉ちゃんにも丈二兄ちゃんにも会わなかった。珍しいね』 「そうなんさー。アキハーもジョージーもおらんのさー」 『こんな時に緊急出動が掛かったら、どうするのかな? 僕達じゃなくて、自衛隊の人達が戦うのかな?』 「電影には解らねーんさー。そういうムチサカヌことはなー」 『なんか、変なの』 ガニガニは短い足を動かして巨体の前後を反転させ、東京湾を望んだ。快晴の青空から降り注ぐ日差しが波間を きらきらと輝かせ、遙か彼方ではタンカーがゆったりと航行している。どこからか海鳥の鳴き声も聞こえてきて、休日 には申し分のない陽気だった。夏の攻撃的な暑さも緩みつつあり、心なしか潮風に混じる熱風も柔らかい。 なぜ、自分はここにいるのだろう。なぜ、自分は人間と共に戦っているのだろうか。青黒くごつごつしたガニガニの 外骨格を何の気なしに撫でながら、電影は考え込んだ。今でこそ、人型軍用機の肉体を駆使してインベーダー達と 交戦しているが、それ以前の自分というものがまるで思い出せない。電影は電影という名ではなく、何か、別の目的 を持って生み出されたような気がしてならない。己の全てが収まっている珪素回路を駆け抜ける電流も、決して悪くは ないのだが、本来受けるべきエネルギーとは質も量も違うような気がする。欠けている部分を捜し出そうと思っても、 何が欠けているのかすら思い当たらなかった。自分はここにいるのに、自分が自分で在るために積み上げてきたで あろうものが失われている。だとすれば、自分とは一体何なのか。電影という名ではない、本来の自分は何のために 意志を持っているのか。それ以前に、自分は一体どこから来たのか。 『うん。僕もね、それが解らないんだ』 電影の手から放出される微弱な電流で思考を読み取ったガニガニは、物憂げに呟いた。 『僕はヤシガニだけど、普通のヤシガニじゃない。ミーコさんの力ででっかくしてもらっただけじゃなくて、彼のおかげで 変形能力と帯電体質とちょっとばかりの知性も身に付けた。でも、それが何のために授かった能力なのか、全然 解らないんだ。誰かの役に立つためだとしても、その誰かって誰なんだろう。もっと頭も良くなってもっと強くなったと しても、それは良いことばかりじゃないって思うんだ。僕は秋葉姉ちゃんと約束をしたからこっち側にいるけど、本当は あっち側にいるべきなんだ。ううん、あっち側にいなきゃいけないんだ。皆と、一緒にいたいんだ』 「でも、ガニーはこっちにいるんさー」 『うん。僕さえ我慢すれば、忌部島は攻撃されないはずだし、皆の生活が滅茶苦茶にされなくて済むから。だけど、 僕は紀乃姉ちゃんに嫌われちゃったよなぁ。だって、あんなひどいこと、言っちゃったんだもん』 「あんなんひどくねーらん、相手はインベーダーなんだから気にすることねーさー」 電影はガニガニの外骨格を叩くと、ガニガニの巨体は上下に揺れ、迷惑そうに触角を曲げた。 『でも……』 「なんくるないさー」 電影は笑ってみせたが、そう思っておかなければならないのだ、と内心で自分に言い聞かせていた。日本国内、 引いては世界を侵略せんとするインベーダー達を退けるために戦っているが、彼らに親しみを感じた瞬間は一度や 二度ではない。電影が電影として目覚める前から見知っていたような、本来の自分で接していた記憶があるような、 収まるべき場所のような。だが、秋葉を始めとした局員から教えられた教育が感覚に身を委ねることを妨げ、それは 全て思い違いだと判断させる。そう思ってさえいれば、皆は電影に味方してくれる。電影と親しくしてくれる。電影を 世話してくれる。電影を立派な兵器にしてくれる。けれど、その一方で、良心の呵責に似たわだかまりが珪素回路 の内側でこんがらがっている。本当にやるべきことは別にあるんじゃないのか、と。 ガニガニは押し黙ってしまった電影に複眼を向けていたが、澄んだ日差しが眩しい外界を見やった。日当たりの 良い場所にのそのそと這い出していくガニガニの甲羅を見つめながら、電影は再び悩んだ。これでいいのだろうか。 このままでは悪いのではないだろうか。だが、一体何が悪いのだろうか。違和感の正体すら掴めないのでは、答え の出しようがない。珪素回路と思考回路に絡み付いた悩みをどうしても振り払えず、電影は薄暗いメンテナンス ドックから一歩も外に出ることもなく、貴重な休日を無駄にしてしまった。 対するガニガニは、一日中、外で一人遊びをしていた。 後悔は尽きることはない。 少しでも静かな時間が訪れると、途端に苦悩が襲い掛かる。後悔、懺悔、悔恨、怨嗟、憎悪、悲哀、そしてまた、 後悔。立ち止まっていると押し潰されそうになるから、動かずにはいられなかった。何もせずにいると、それだけで 罪深さが増していくから、憎らしい男の懐に飛び込んだ。正体が見透かされていないとは思えない、あの男はきっと こちらの腹積もりを見透かした上で利用しているのだ。浅はかなのは承知の上だ、愚かなのは自分達が痛いほど 理解している、情けないのも馬鹿馬鹿しいのも間抜けなのもだ。だが、それが親というものだろう。 風が吹けば倒れてしまいそうな古びたアパートの前にアメリカンバイクを止めると、虎鉄はエンジンを切った。虎鉄の 越しに腕を回して後ろに乗っていた芙蓉は、夫を締め付けかねないほど強く巻き付けていた両腕を緩めてバイクから 降りると、ヘルメットを外して長い髪を流した。虎鉄もバイクから降りてスタンドを立て、イグニッションキーを抜き、 ヘルメットを外してストラップのハンドルに引っ掛けた。妻を窺うと、複雑極まる顔をしていた。 「なんて言えばいいのかしらね、この気持ち」 ヘルメットを抱き締めた芙蓉に、虎鉄は低く呟いた。 「さあな。だが、一つだけはっきりしているのは、あのクソ野郎が憎いってことだ」 虎鉄も芙蓉も、どこにでもある平凡な幸せを求めていただけだった。愛する伴侶と家庭を作り、子供を育て、人生を 歩んでいきたいだけだった。きっと、あの男は、それ自体を憎んでいるのだろう。ささやかなりに精一杯な生活を 送る人間を、家庭を、家族を、引いては愛情そのものを。そうでなければ、虎鉄も芙蓉も二人の娘達も苦しめられる ことはなかったはずだ。芙蓉のほっそりとした腕を取って歩き出した虎鉄は、ライダースブーツで伸び放題の雑草を 踏み締めながらアパートに向かった。グローブを外した虎鉄は、かつて住んでいた部屋のドアノブに手を掛けると、 芙蓉がその手に自分の手を添えて夫の手をどろりと溶解させた。錆び付いた小さな鍵穴に溶けた指がめり込み、 虎鉄はすかさず己の手を鋼鉄化させて錠に噛み合わせ、手首を捻って鍵を開けた。 「邪魔するぜ」 半畳もない玄関に踏み入ると、三和土には黒いパンプスが揃えられていた。一目で見渡せる部屋は記憶の中とは なんら変わらなかったが、内装は少しだけ違っていた。台所がくっついている六畳一間の和室では、毛羽立った 畳の上に喪服姿の女性が座っていた。彼女は二人が来るのを予想していたらしく、驚きもしなかった。 「あら、いらっしゃい。鍵は……ああ、外から開けたのね。言ってくれれば開けたのに」 鍵の形を維持している虎鉄の指先を見て納得し、彼女は腰を上げた。 「少し待ってちょうだいね、すぐにお茶を淹れるから」 「悪いな、気を遣わせちまって」 虎鉄はお情けのような調理場に向かう中年の女性を見やってから、ライダースブーツを脱ぎ、上がった。 「御邪魔します」 芙蓉は一礼して、ブーツを脱いで上がった。ひやりとした板の間の冷たさが足の裏に至り、夏が終わりかけた時期 らしい熱気と湿り気が部屋の隅に溜まっていた。ヤカンを火に掛けて急須と人数分の湯飲みを用意しつつ、女性は、 適当に座って、と言ってきた。虎鉄は小さなテーブルの下座に座って胡座を掻いたので、芙蓉はその隣で膝を揃えて 正座した。程なくしてヤカンが湯気を吹き、女性は茶葉を入れた急須の中に熱湯を注いだ。 「あなた達、見張られていなかった?」 「多少は。だが、適当に固めただけだから特に問題はない。時間が経てば元の姿に戻るようにしておいたし、鋼鉄化 している最中は記憶がすっ飛ぶから、何が起きたか解らないはずだ。目撃証言さえなければな」 虎鉄は六畳間を見渡し、小さなテレビの脇の戸棚に置かれた位牌に目を留めた。 「親父の四十九日、俺も行くべきだったか」 「気が咎めるでしょうけど、鉄人さんは行かなくて正解だったわよ、次郎君の代わりにいづるが来ていたから。今は 大変な時だから、混乱させずに済んで良かったと思うべきよ。お父さんは寂しがるかもしれないけどね」 三つの湯飲みに緑茶を注ぎ終えた女性、忌部かすがは、それらを盆に載せて運んできた。 「それで、最近はどんな感じ?」 「順調、とは言い切れません。露乃が廃棄処分されてしまいましたし。私と主人で細工をして逃げられるような状態 にはしましたが、その後の行方は把握出来ていないんです。情報収集しようにも、派手に動くと怪しまれますし」 湯飲みを両手で包み込んだ芙蓉は、俯きがちに一口啜った。 「何、それは心配ない。輸送部隊の証言と甚平君を信じてやれ」 虎鉄が少し笑うが、芙蓉の面差しは曇ったままだった。 「まあ……彼らが嘘を言っていたとは言わないけど。でも、甚平君が保養所のある島に来てくれることは、正真正銘 の賭けだったじゃない。それに、甚平君はサメだから海の長旅も平気でしょうけど、露乃はそうじゃないわ。泳げる わけもないし、増して体のこともあるわ。病気、悪化していなければいいんだけど……」 「紀乃のことも心配してやれよ。俺は露乃よりも、あいつの方が余程心配だ。能力の成長速度が早すぎるんだよ」 虎鉄は片手で持った湯飲みを傾け、緑茶を啜った。 「たぶん、土壌のせいだろう。あの島は、俺達がクソ野郎から受けた遺伝子よりも遙かに強い力の固まりだ。そんな 場所の土で育ったものや近海の魚介類を食っているからだろうが、どう考えても負担が大きすぎる」 「私達は、どこまで取り返せるものかしらね」 かすがは夫の位牌を見上げ、きつく手を組んだ。黒い漆塗りの表面が、滑らかに光っていた。 「いづるもだけど、露乃ちゃんも、紀乃ちゃんも、あの男に奪われたわ。お父さんだってそう。結果として、あの男に 殺されたようなものよ。だって、お父さんは、一族の男達が総出で宮本都子さんを手込めにする集まりなんかには 行かなかったし、行くわけがないのよ。それなのに、都子さんの寄生虫を罹患するなんて変よ」 「次郎の奴も、俺がどうにかする前にあの男に取り込まれちまったしな。元気にしているようだが、無事に済むとは 思えない。変異体管理局側からインベーダー側に移動させたのも、腹積もりがあってのことだろう」 虎鉄は緑茶を半分ほど飲み終え、湯飲みを置いた。 「私も、あなた達みたいに戦えれば良かったのにね。そうすれば、私の手でいづるを取り返したわ」 虎鉄の湯飲みにお代わりを注いでから、かすがは切なげに目を伏せた。 「代わりに俺達がなんとかするさ。きっとな」 虎鉄はかすがに笑いかけると、かすがは頷いた。 「ええ、信じているわ。鉄人さんのことも、溶子さんのことも」 顔を上げたかすがは、顔を強張らせて膝の上できつく手を組んだ。 「だけど、何かがおかしいのよ。次郎君は私とは絶対に会わないのに、お父さんが亡くなった時に隔離施設で一緒に いる映像を見たって、いづるは言ったわ。いづるの首の骨だって私が折ったんじゃない。折るはずがない。いづるの 首が折れた時、私は外に出ていたのよ。パート先で人手が足りないからって電話が来たから行ったけど、そんな 電話は掛けていないって言われたの。誰かが勘違いして間違えたんだろう、って思って、買い物だけして、いづるが 留守番しているマンションに帰ったら……いづるが……いづるが……」 かすがは自分の手の甲に爪を立て、肩を怒らせた。 「私は遊んでなんかいないのに、いづるも次郎君も私が遊んでいたって言うの。男なんか連れ込んだことがないのに、 連れ込んだって言うのよ。でも、いづるの首が折れたのは私が目を離したせいだってことに変わりはないから、私は ちゃんと罪を償ったわ。お父さんはそこまでしなくていいって言ってくれたけど、気が済まなかった。だから、周りから 何を言われても我慢して、いづるのためなんだって思って刑を受けて、外に出たら、今度はお父さんが……」 口紅が残る唇を大きく歪め、かすがは丸めた背を震わせる。 「大方、変身能力を使える奴がいるんだろう。だが、波号じゃないな。まず産まれてはいない。となると、母親か? だが、波号の母親って一体誰なんだ。資料室を漁る隙がなかったから調べようがなかったんだが」 虎鉄はかすがを慰めながら、芙蓉に向いた。 「戦い続けていれば、いずれ解ることよ。それで、あの、かすがさん」 芙蓉は少し身を乗り出すと、かすがは涙を拭ってから腰を上げた。 「そうそう、アレね。お父さんの遺品ね、すぐに出してくるわ」 あっちのタンスに、と、言いつつ、芙蓉はふすまを開けて隣の六畳間に入っていった。その後ろ姿を見上げると、 一纏めにしてある黒髪にはいくつか白いものが混じっていた。虎鉄の記憶にあるかすがの姿は若々しく、母親と言う よりも妹のような存在だった。事実、かすがは虎鉄よりも一歳年下で、親子というにはかなり苦しい年齢差なのだが 戸籍の上では後妻と息子だ。なので、芙蓉にとっては義理の母親に当たり、二人の娘達からすれば義理の祖母に 当たる。昔に比べれば遺恨が緩んできたので一度は会わせてやるつもりでいたのだが、あの男、本家の御前様は それすらも蹂躙した。悪辣なことに、祖父に当たる忌部我利を利用して。帰宅したら娘が一人きりになっていた瞬間 の混乱と憎悪を思い出してしまい、虎鉄は湯飲みを握り潰しそうになったが寸でのところで堪えた。 「そうそう、これね、これ」 ざらついた畳にストッキングを履いた足を擦らせながら戻ってきたかすがは、再びテーブルに付いた。 「次郎君はお父さんの遺品を何一つ受け取ろうとしなかったから、全部私の手元に来たのよね。もっとも、あの男が 検問していないわけがないけどね」 かすがは紙袋を開き、古びた紙の束を取り出して畳の上に広げた。 「ええと、これが忌部家の家系図で、これが忌部の御屋敷の見取り図で、これが滝ノ沢との書簡で……。あらやだ、 案の定じゃない。肝心なところを塗り潰してあるわ、戦時中の教科書じゃないんだから、全くもう」 かすがが顔をしかめたので、芙蓉は黄ばんだ書簡を覗き込んだ。 「あら、本当ですね。でも、なんとかなりますよ」 芙蓉は巻物状の書簡に手を添え、皮膚をほんの少しだけ溶かして紙面に馴染ませ、塗り潰しているインクだけを 浮かせて取り去った。素早く手を外した芙蓉は、かすがが渡してくれたティッシュペーパーで黒インクに汚れた手を 拭った。年号から察するに江戸時代末期に滝ノ沢家と忌部家の御前同士が交わした書簡は本来の姿を取り戻し、 達筆すぎて読み取りづらい文字が現れた。虎鉄は芙蓉の肩越しにそれを睨み、唸った。 「読めん」 「てっちゃんは英語は読めても古語はさっぱりだもんねぇ」 芙蓉が苦笑すると、神妙な顔で書簡を眺めていたかすがが返した。 「崩し字が多いから、無理もないわよ。私だってそんなに読めるわけじゃないけど」 かすがは流れるような文字の一列ずつに人差し指を添えて内容を読み取ると、内容を口に出した。 「竜の首の在処は大方の予想通りだけど、問題はその後ね。地の底の底、らしいけど、どれくらい地下深くに眠って いるものなのかしら。簡単に掘り出せる深さなら、とっくの昔にあの男が掘り出しているはずだもの」 「俺達の能力にも限界があるしな」 虎鉄が芙蓉に向くと、芙蓉は眉を下げた。 「いくら私でも、あんまり地下深くじゃ溶かそうにも溶かしきれないわよ」 「だが、次郎が俺達の側に付いてくれれば、なんとかなるかもしれん。あいつは忌部家の御前だからな」 「なんとかって、どうなんとかする気なの?」 「それをこれから考えるんじゃないか」 「当てにならないなぁ、もう」 「だったら、溶子はどうなんだ」 虎鉄が少々むっとして言い返すと、かすがは二人の湯飲みに新しい緑茶を注いだ。 「だけど、ここでなんとかしなければ、竜の首があの男の所有物になるわ。そうなると、手の打ちようがなくなるのも 事実なのよ。代用品でも何でも使って一時的に動かして、竜の首を忌部島まで持って行ければいいんだけど」 「どんな手を使おうとも、やるだけやるしかない」 虎鉄はやや腰を浮かせ、今は亡き実家の見取り図を見下ろした。実家を手放して更地にし、商業施設を建てようと 計画していた建設会社に売り払ったのは父親なりに抗った結果だが、竜ヶ崎は容易くその上を行った。今までも そうだった。だから、今後もそうならないとは言い切れないが、ここで踏ん張らなければ全てが無駄になる。 「ガニガニが復活した時の肉塊、確か、海上基地の地下に保存してあったよな? それを上手く使えないだろうか? 当てになるとは限らんが、何も手を打たずにいるよりは余程マシだと思うんだが」 虎鉄が提案すると、芙蓉は目を上げた。 「そうね……。まるで何もないわけじゃないのよね。なんとかなる、かもしれないわね」 上手くいく保証はないけど、と、呟き、芙蓉は考えを巡らせ始めた。虎鉄は腰を下ろして座り直し、残っていた温い 緑茶と新たに入れた熱い緑茶が入り混じったおかげで適温になった緑茶を啜った。かすがはお茶菓子を出してくる と言って立ち上がり、狭い台所に向かった。芙蓉は変異体管理局の地下施設で冷凍保存されている肉塊の大きさと 自分の能力の適応範囲を摺り合わせ、いかにして動けば効率的な行動を取れるかを考えている。問題は肉塊を 奪う機会だが、それについては見当が付いている。菓子鉢にお茶菓子を詰めているかすがの隣にある、冷蔵庫の 扉に本家の家紋入りの手紙が貼られていたからだ。御三家の御前が顔合わせをする会合の日程と、招待する旨を 伝える文面だった。かすがは、早々に返信用はがきの欠席の丸を付けているので、かすがが巻き込まれる心配は まずなさそうだった。きっと、弟の次郎も呼び出されるだろう。その時に、本家の御前様を倒すのだ。 虎鉄は決意を固めたが、固めすぎて、湯飲みと緑茶まで鉄塊に変えてしまった。 10 10/30 |