南海インベーダーズ




御三家御前会合 後



 辺り一面に、瓦礫が散らばっていた。
 目の前には崩れかけた建物があり、METEO と書かれた看板が倒れて駐車場に突き刺さっている。露出した鉄骨 には錆が浮き、割れたアスファルトの間からは雑草が飛び出し、風化したコンクリートには雨の筋がいくつも付いて いる。変異体管理局管理区域、関係者以外立ち入り禁止、と書かれた看板が地面に打ち捨てられていて、その上を 虎鉄が運転するアメリカンバイクが通り過ぎた。敷地を取り囲む鉄条網も、行く手を阻む無数の瓦礫も、地面の 亀裂も、芙蓉が次々に液状化して道を造ってくれる。サイドカーの中で体を縮めた紀乃は、虎鉄のヘルメット越しに 辺りの様子を窺った。電磁手錠のせいでサイコキネシスは発現出来ないが、感覚をなぞる異物がある。足の裏から 這い上がるざわめきが背筋を昇り、紀乃は思わず身震いした。ここは、ただの廃墟ではない。
 正面玄関ゲート手前でアメリカンバイクを横付けした虎鉄は、イグニッションキーを抜いてエンジンを止めた。芙蓉 は水音を立てながらサイドカーに近付くと、膝を抱えている紀乃に手を差し伸べてきた。

「ほら、紀乃。そんな中にいちゃ狭いでしょ?」

「うん」

 紀乃は躊躇いながらも、母親の手を取って外に出た。一瞬、ガニガニのように溶かされるのではないか、との嫌な 想像が頭を過ぎったが、重なった手のひらは溶けるどころかしっかりと握り締められた。紀乃を引っ張り出した芙蓉は それまで保っていた笑顔を崩し、紀乃をきつく抱き寄せると、何度も何度も頭を撫でてきた。

「ごめんなさい。本当にごめんなさい。すぐに助けてやれなくて」

「俺達を許してくれとは言わん。だが、怒らないでくれ」

 虎鉄の大きな手が、紀乃の背を支える。

「今まで俺達の体のことを言わなくて悪かった。見ての通り、俺も溶子もミュータントなんだ。気付いた頃には、俺は 触れたものを鉄に変化させてしまう力があった。溶子も同じで触れたものを溶かしてしまうんだ。だから、紀乃と露乃 が何かしらの力を持って生まれることは最初から解り切っていたんだが、俺達は結婚して、お前達をこの世に生み 出した。その先がどうなるかってことも知っていたが、溶子との間に子供が欲しかったんだ」

 虎鉄は娘の体ごと妻を抱き寄せ、硬く冷えた指先で涙を堪える妻の肩を抱いた。

「責めるべきは俺と溶子だ。お前自身でもなければ、他の誰でもない」

「いいよ、そんなこと」

 紀乃は俯き、母親の肩に額を当てた。体に触れる二人の感触は、紀乃の記憶にあるものとは懸け離れていた。母親 の体はバイオスーツのせいもあって滑らかに柔らかく、ライダースジャケットを脱いで素肌を曝している父親の体は 人間とは思えないほど硬く冷え切っていた。思い切り縋り付いて泣いてしまいたい。だったら、どうして最初から そうだと言ってくれなかったのか。二人の正体が両親だと知っていたら、無益な戦いはしなかった。ガニガニだって ちゃんと守れたはずだ。変異体管理局にいたのに、なぜ妹を先に助けてくれなかったのか。紀乃は言いたいことや 問いたいことが矢継ぎ早に頭に浮かんだが、どれもこれも口に出来ず、震える唇を歪めて母親の背と父親の腕に 爪を立てて嗚咽混じりに声を上げた。

「ごめんなさいぃいいいいっ!」

 紀乃は両足から力が抜け、立っていられなくなった。

「お父さんとお母さんだって解らないまま、戦っちゃってごめんなさい! 一瞬だけど、本当にほんのちょっとだけど、 本気で殺そうとしちゃってごめんなさい! 呂号のことも、妹の露乃だって解らなくてごめんなさい! ごめんなさい、 ごめんなさい、ごめんなさいぃいいいいいいっ!」

 後半は言葉にすらならず、紀乃は号泣しながら両親にしがみついた。

「インベーダーになっちゃったのも、家に帰れなくなったのも、全部、全部、ごめんなさい……」

「すまん」

 泣きじゃくる紀乃を撫でながら、虎鉄は声を落とした。

「ガニガニのことは、本当に悪かった。だが、ああでもしないと、俺達は竜ヶ崎全司郎と一ノ瀬真波から信用されない と思ったんだ。変異体管理局に入った時点で、俺達の素性が割れていないはずがない。あいつらは俺達の一族に ついて知り尽くしているから、今更調べるまでもないことだろうがな。だが、利用されると解っていても、連中の懐に 入らなければ、紀乃も露乃を救えないと踏んだからだ。下手にインベーダー側に付いたら、次郎みたいに身動きが 取れなくなっちまうだろう。だから、敢えて敵側に付いたんだ」

「変異体管理局のデータベースをちょっといじくって、忌部島の衛星写真を見たんだけど、露乃はちゃんと甚平君と 一緒に忌部島に行けたみたいね。露乃とは仲良く出来ている?」

 腰を曲げた芙蓉は紀乃の涙を拭ってやると、紀乃は首を横に振った。

「わ……わかん、ない。仲良くしたいし、お姉ちゃんにならなきゃいけないって思うけど、どうやって仲良くしたらいい のか、全然解らないんだもん。敵同士だったし、まだ私のこと嫌いだろうし、でも、私は露乃と仲良くしたい」

「そう思っているのなら、いつか仲良くなれるさ。姉妹だもんな」

 虎鉄は紀乃の引きつる背をさすってやりながら、笑顔を見せた。

「だと、いいんだけど」

 紀乃は芙蓉が貸してくれたハンカチで赤らんだ目元を擦り、俯いた。

「あら、いけない。そのままじゃ、足を切っちゃうわよ。中に詰めておいたの、気付かなかったのね」

 芙蓉は紀乃が素足のままだということに気付くと、鋼鉄と化したままの忌部を押し退けて、ピンヒールの編み上げ ブーツを引っ張り出して渡してくれた。それを履きながら、少々気分が落ち着いてきた紀乃は忌部を指した。

「で、その、忌部さんはどうするの? 重傷だけど、そのままにしておくのはちょっと気が引けるような」

「ああ、そうだったな。何も考えていないわけじゃないが、そのためにこれを盗ってきたわけじゃないんだがなぁ」

 虎鉄はアメリカンバイクの後部のコンテナを開き、人間の頭部程度の大きさはある鉄塊を取り出した。

「……何それ?」

 紀乃が怪訝な顔をすると、芙蓉は溶かした下半身に鋼鉄化した忌部を絡め取り、サイドカーの外に出した。

「そっち側で言うところの宇宙怪獣戦艦の肉片ね」

「ワン・ダ・バの? でも、なんでそんなものをお父さんが持っているの? まさかとは思うけど、八百比丘尼の洞窟に ある岩を削って持って来ちゃったとか?」

 紀乃が鉄塊を指すと、虎鉄は手を横に振った。

「モノは同じだが、出所が違うんだ。こいつはガニガニを再生させた肉塊からむしり取ってきたんだ。変異体管理局は 東京湾に流れ着いた肉塊を焼却処分した、と世間には言ったが、その実は海上基地の地下施設で冷凍保存して いたんだ。で、それを俺達がちょっと拝借してきたというわけだ」

「私達がその肉塊を摂取、或いは融合して竜の首と同化するつもりでいたけど、御前である次郎君がいてくれるのなら その必要はなくなったのよね。だけど、有効活用しないと勿体ないのよね」

 はい次郎君、と芙蓉が死にかけた格好のまま硬直している忌部を虎鉄に向けると、虎鉄は振りかぶった。

「痛むのかどうかすらも解らんが、ちょっと我慢しろよ!」

 虎鉄の手中で柔らかさを取り戻した肉塊は、赤くどろりとした液体がまとわりついていた。途端に溢れ出した饐えた 臭気に紀乃は若干えづき、そんなものを忌部に当てていいのだろうかと疑問が湧いた。だが、それを虎鉄に問う間も なく、虎鉄は半分腐りかけた肉塊を鋼鉄と化している忌部の傷口に捻り込んだ。虎鉄の指が忌部に触れると、 忌部もまた元の姿を取り戻し、包帯を巻き付けた透き通った肉体がびくんと痙攣した。着流しの下で突っ張っていた 両手足にも力が戻ると、胸を貫かれた痛みも蘇ったらしく、忌部は苦しげに呻きながら顔を上げた。その視線の先 には、再びヘルメットを被り直した虎鉄と泣き顔の紀乃がおり、背後には忌部の体に溶かした下半身を巻き付けて いる芙蓉がいた。更には胸の傷には正体不明の肉塊が詰め込まれ、忌部は混乱の極みに陥った。

「なんだこれ。俺は死ぬのか、死ぬんだな、それにしては冗談みたいな光景だな」

「生体接触が足りなかったのか?」

 首を傾げつつ、虎鉄はぞんざいに肉塊を忌部の胸元に押し込んだ。すると、折れた肋骨の端が肉に刺さり、忌部は あまりの激痛に仰け反った。包帯に涙を滲ませた忌部は、失血でふらつきながらも必死に突っ掛かった。

「俺を殺す気かお前はぁああああっ! どこの世界の民間療法だ、意味不明にも程度ってもんがあるだろ!」

「あれ、意外に元気」

 紀乃が不思議がると、忌部の背後で芙蓉が小さく拍手した。

「出血も止まっているし、血圧も体温も安定してきたのよね。てぇことは、やっぱり私達の予想通りなのよね」

「おい、紀乃。なんでもいいから、こいつらをぶっ飛ばしてくれないか。俺は生死に関わる傷口に正体不明の腐った 肉を詰めて死ぬのはごめんだ。俺は死ぬ時は翠と死ぬんだ。そりゃあもう美しい兄妹愛に浸りながら果てるんだ」

 真顔と思しき口調で懇願してきた忌部に、紀乃は電磁手錠を見せた。

「無理。それに、お父さんとお母さんだもん」

「お父さんとお母さん……? てぇことはやっぱり、そうか、そういうことだな!」

 忌部は一人で納得し、その途端、着流しの裾を割って足を振り上げて虎鉄の胸を蹴り飛ばした。

「どの面下げて俺の前に姿を現しやがったんだ、このクソ兄貴がぁっ!」

「おうっ!?」

 不意打ちを食らった虎鉄はよろけ、蹴られた胸を押さえた。

「なんで兄ちゃんを蹴るんだ、次郎! お前は俺のこと大っ好きだったじゃないか、なあ次郎!」

「お前のことを兄ちゃん兄ちゃん言いながら追っかけていたのは、ガキもガキの頃の話だ! 今は違う! それに、 俺はクソ親父と同じぐらいに兄貴を許しちゃいねぇ! 誰もいない家に俺を放ったらかしにして一人だけさっさと自由 になりやがってぇ! 五歳も年下の若い娘を引っ掛けて子供なんか産ませやがってよぉ! クソ親父も充分すぎる ほどくそったれだが、お前も充分にくそったれだ! 男兄弟だから興味が失せるのは仕方ないにしても、いくらなんでも 中学生のガキが一人で家にいられるわけないだろ! 一度で良いから、帰ってきてほしかったんだよ! たったの 一度でも良かったんだ、それなのにお前はどこにいるかすら解らない、探そうにもアテがない、親戚を頼ろうにも 家の中のどこにも親戚の連絡先がない、バイトしようにも歳が足りない、親父は俺のことなんか構いやしない、後妻の マンションになんて行く気が起きるわけがない、そんなんだから学校にも勉強にも身が入りゃしない、だから必死に 頑張って頑張って成績上げて奨学金もらって大学に通えるようになったと思ったら、こんな体になっちまった!」

 忌部はこれまで積もり積もってきたものを吐き出し終えると、肩を上下させ、力の入りきらない拳を固めた。

「クソ親父に愛想を尽かして出ていくのは勝手だが、少しでもいいから自分の家族を顧みろよ」

「すまん」

 虎鉄は二度目の謝罪をし、忌部に向き合った。忌部は顔に巻いた包帯を乱暴に掴み、押し広げる。

「で、挙げ句の果てに俺を殺す気か? だったら殺せよ、さっさと殺せよ、どうせ俺と兄貴は敵同士だ!」

「お、落ち着いて、忌部さん。ちょっと深呼吸して、状況確認して、ね?」

 紀乃は慌てて忌部と虎鉄の間に入り、今にも虎鉄に掴み掛かりそうな忌部を押さえた。

「こんな時に落ち着いていられるか! お前もちったぁ動揺しろ、俺とお前は叔父と姪だったんだぞ!」

「そういうことになるね。でも、呂号が双子の妹だって解った時の方が驚いたから、そんなでもない」

 紀乃が苦笑すると、忌部は少し間を置いてから納得した。

「それもそうか」

「と、いうわけだから、まずは俺達の話を大人しく聞いてくれないか。やることをやって落ち着いたら、その後は俺を 殴ろうが蹴ろうが憎もうが構わん。だが、今だけはちょっと落ち着いてくれ。頼む、次郎」

 降参するように虎鉄が両手を広げると、忌部は芙蓉の拘束から脱し、胸の傷口を包帯で適当に締め上げた。

「その約束、忘れるなよ」

「じゃあ、事の次第を掻い摘んで話すのよね。竜ヶ崎全司郎がゾゾの片割れで、ろくでもないことを企んでいるって のは解り切っているから、その辺の下りは飛ばすのよね。で、いきなり本題に入るけど、この廃墟は昔々は忌部家の 本宅があった土地なのよね。お義父様が売り払って更地にしてショッピングモールなんて建てちゃったんだけどね。 んで、その土地の地下には、竜の首が埋まっているって忌部家の古文書に書いてあったのよね。それが宇宙怪獣 戦艦の首だってことは十中八九間違いがないけど、このままだと竜ヶ崎のファッキン野郎がいづるちゃん……という よりも伊号ちゃんって言った方が解りやすいわね、伊号ちゃんや波号ちゃんやガニガニや電影を利用してその竜の首 を蘇らせかねないの。そうなったら色んな意味で一大事だから、次郎君と紀乃に協力してもらうのよね」

「ゾゾもそんな感じのことを言っていたが、竜の首が蘇ると何がどうなるんだ?」

 なあ、と忌部が紀乃に意見を求めてきたので、紀乃は足元を見下ろした。

「大変なことになるのは本当だと思う。この下に何かいるって感じる。凄く大きいし、なんだか強い気もする」

「だから、そいつを俺達の側にするんじゃないか。政府の馬鹿げた兵器でもなくインベーダーでもなく、次郎も含めた 俺達家族の味方にするんだ。そして、竜ヶ崎全司郎を倒す」

 虎鉄は瓦礫の中に膝を付くと、素手を触れた。その手が触れた部分からコンクリートは変色し、分子構成自体が 変化して鋼鉄と化していく。芙蓉は紀乃の手首に触れて電磁手錠を溶かすと、紀乃は自由になった両手を広げて、 封じ込められていた感覚も一気に拡大させた。METEOの構造が手に取るように神経から脳に染み入ると、足元に 散る瓦礫の破片や砂粒が薄く浮かぶ。コンクリート製の基礎、アスファルト、その下の地面、粘土層、地下水、配線 などを擦り抜けた感覚を伸ばし、伸ばし、伸ばしていくと、地下深くに神経をざわめかせた張本人が埋もれていた。
 それが、竜の首だった。





 


10 11/16