南海インベーダーズ




侵略的大害獣対南海御三家



 大方の予想通りの展開だった。
 自ら鋏脚を切り落として竜ヶ崎から脱したガニガニは、伊号が罠を張っている場所まで竜ヶ崎を誘導しようとしたが、 負傷して体液を大量に失っていたガニガニには最早空を飛ぶ体力はなくなっていた。よって、数百メートルほど 逃げたところで竜ヶ崎の手中に落ち、生体電流を一ボルトも残さずに奪われたのち、皆と同様に吸収された。彼の 断末魔と無念が勾玉を通じて流れ込み、苦い頭痛を生んだ。
 海上基地のデッキに立っている甚平は、こめかみに当たる部分を押さえていた。ゾゾとワン・ダ・バと合体した忌部 の考えは解っている、人智を超越した次元で思考する彼らの概念は、そもそもの感覚からして違うものだ。だから、 非難すべきものでもなければ否定すべき策でもないが、人道的には最悪だ。そこまでしなければ勝てない相手だ とは甚平も肌で感じ取っているが、牙を噛み締めすぎて口の中から血がだらだらと出ていた。だが、ここで自分が 不用意な動きを取れば、後の作戦に支障が出る。だから、動くに動けない。甚平は鮮血の滴る口元を作業着の袖で 拭い取ったが、焦燥感までも拭えず、やるせなさのあまりに拳でコンクリートを殴り付けた。

「……くそぉ」

「ひっでぇ戦いっすね」

 人型軍用機のコクピットに入ったまま待機している山吹もまた、苦しげに吐き捨てた。彼も、本心では今すぐにでも 秋葉を助けに行きたいだろう。秋葉は珪素回路を搭載した人型多脚重機に乗っていたが機体は呆気なく破壊され、 挙げ句に秋葉本人は隅田川に投げ込まれた。生体反応は辛うじてあるようだが、放っておくべきではない。けれど。 砕けたアスファルトを無造作に握って小石に変えながら、甚平は立ち尽くしている紀乃を窺った。母親に続いて双子 の妹、父親、そして最愛の甲殻類までもを失った紀乃は、目を見開いたまま滂沱していた。声すら出せず、力すらも 行使出来ない有様だった。そんな彼女を、息も絶え絶えながらも翠は慰めようとしているが、体を貫かれた翠も尻尾の 尖端すら動かせないほど弱り切っていた。まともなのは、伊号と甚平と山吹とあの二人だけになった。
 この作戦の立案者であるゾゾは、ワン・ダ・バの頭部とほぼ同じ高さである、海上基地の頂点に立っていた。長い 尻尾は潮風に靡き、組んだ腕は微動だにしていない。いつものように紀乃を慰めることもなければ、竜ヶ崎に対して 悪態を吐くこともなく、赤い単眼を都心に向けているだけだった。忌部次郎の人格を持ち合わせていながらも、その 感覚と知性は宇宙怪獣戦艦と化しているワン・ダ・バも同様で、翠が負傷した時はひどく動揺していたが、今はやけ に落ち着いていて思念通信にも割り込んでこないほどだった。どちらの血も、凍り付いているのだろうか。

「んで、甚平君。どうなんすか、君の考えは上手くいきそうっすか?」

 山吹は人型軍用機に両手足をセットしながら、尋ねてきた。甚平は、悠々と都心を闊歩している全長五十メートル もの巨体となった竜ヶ崎全司郎を見上げ、風に混じる匂いを嗅ぎ取ってみた。

「今はまだ、その時じゃない」

「んじゃ、ただやられるのを待てっつーことっすか?」

「いや、違う。後少し……そう、後少し」

 まだ動けない、匂いが濁りすぎているからだ。甚平が呟くと、紀乃が絶叫した。

「嫌だぁああああああっ!」

 それまでは瞬きすらせずに硬直していた紀乃は、その心中を支えていた糸が途切れたかのように崩れ落ち、頭を 抱えた。ぜいぜいと喘ぎながら頭皮に爪を食い込ませ、ぼろぼろと涙を散らしながら、紀乃は喚く。

「やだ、もうやだ、こんなのやだ、どうして皆は死んじゃうの、それなのになんであいつだけ死なないの、ガニガニまで あんな目に遭わなきゃいけないの、皆を返してよぉおおおおおっ!」

「帰ってくる。絶対に」

 甚平が紀乃に近付くと、紀乃は甚平を睨み付けた。

「どうしていつも甚にいはそうなの、露乃がああなっちゃったのに悔しくないの、怒らないの、辛くないの!?」

「僕だって辛い!」

 甚平は紀乃の襟首を掴むと、力任せに立たせて顔を突き出す。

「だけど、今、ここで僕達が踏ん張らなかったら、誰が露乃や皆を助け出せるっていうんだよ!?」

「じゃあ、どうやって助けるの!? 教えてよ、今すぐに!」

 紀乃は甚平に噛み付かんばかりに身を乗り出し、叫び返す。

「今はまだ、教えられません。最後の最後まで、奴に隙を見せてはなりません」

 声を張ったのは、海上基地の屋上に立つゾゾだった。紀乃は甚平の手を振り解き、ゾゾを見上げる。

「なんで……?」

「私を信じて下さい。紀乃さん」

 ゾゾの言葉に、紀乃は涙に濡れた頬を拭いもせずに頬を引きつらせる。

「意味解らない。信じろって、何をどう信じればいいの?」

「どうか、信じて下さい」

 ゾゾは同じ言葉を再度繰り返すと、紀乃は深呼吸を繰り返し、少しだけ平静を取り戻した。

「……解った。信じるよ、ゾゾ」

「ええ。その思いに、報いてみせますとも」

 ゾゾは深く頷いて、敵を見据えた。甚平は紀乃から離れると、山吹に出撃準備を整えておくように言った。山吹も 紀乃と同じように感じたようで毒突いていたが、渋々従ってハッチを閉めた。その間にも、一歩、また一歩、と特撮 映画の怪獣を思わせる大きさの竜ヶ崎全司郎は近寄ってくる。その威圧感は津波を思わせ、尻尾が少し動くだけで ビルが容易く薙ぎ倒され、一足踏み出すだけで車が踏み潰されて電線が千切れた。次元乖離空間跳躍航行技術を 使用するのに最適な空間であるスカイツリーからは離れたが、ワン・ダ・バの生体組織には変えられないのだろう。 東京湾に面した臨海副都心に至った竜ヶ崎は、宇宙怪獣戦艦を射竦めるように赤い単眼を見開いた。

「嘘を吐け。誰も、そやつを信じておらぬくせに」

 地の底から響くような、重たく、濁った、男の声。

「疑うのであれば、なぜ傍にいる? 裏切るような輩に、なぜ好意を寄せる? そんな己を愚かしく思わんかね?」

 重たい腕を掲げた竜ヶ崎は、長い指で海上基地を示すと、海面が割れて海底が露わになった。

「甚平。私の内に溶けた呂号が、お前を呼んでいる。それだけは、信じられるであろう?」

 竜ヶ崎の視線が甚平に向いた途端、甚平の勾玉に痛烈な生体電流が駆け抜けた。それは呂号の断末魔を増幅 した過電流であり、甚平が辛うじて保っていた理性を緩めるには充分すぎるほどの苦痛だった。後退りかけた甚平は 鈍痛を帯びた頭を押さえ、尻尾で体を支えた。エラを開閉させて喘ぎ、勾玉を握り潰さんばかりに掴む。脳内には 呂号の声と思考が反響し、竜ヶ崎に抗いながらも余さず吸収された呂号の言葉が胸を刺した。感情的に動いては 敗因となるだけだと解っていても、最早限界だった。甚平は顔を上げ、ずらりと並んだ牙を剥く。

「……ゾゾ。あなたの考えは解っている。だけど、僕はもう我慢が出来そうにない」

「どうなさるおつもりで」 

 ゾゾが静かに問うと、甚平は格納庫で待機している人型軍用機を一瞥した。

「竜ヶ崎全司郎は誰も彼もを溶かして吸収したけど、まだ完璧じゃない。そこを突けば、きっと」

「解りました。どうか、お気の済むように」

 ゾゾが瞼を伏せると、甚平は格納庫に向かって駆け出した。

「甚にい!」

 紀乃は甚平を制止するが、甚平は振り返りもしなかった。予備機として格納庫に待機していた機体のコクピットに 飛び込んだ甚平は尻尾を丸めて足の間に収め、両手を差し込んで使うマニュピレーターツールを無理矢理広げると、 常人の数倍の太さがある腕を突っ込んだ。エラーを連呼しているコンピューターのスピーカーを壊して黙らせると、 ハッチを手動で閉めた後に機体を始動させた。バッテリー式エンジンを震わせながら起動した人型軍用機は、 甚平の付け焼き刃の操縦で、よろめきながらも歩み出した。ワン・ダ・バの推進気孔を応用して改造を加えた水素 燃焼式ブースターに点火した甚平機は、ぎこちない姿勢で空中に飛び出した。

「ああもうっ、一人に出来るかよ!」

 山吹は素早くハッチを閉めると、甚平を追うために水素燃焼式ブースターに点火した。方向指示翼のないミサイルの ように半回転しながら、甚平機は巨大化した竜ヶ崎に突っ込んでいく。一拍遅れて山吹機が続き、二機が引く煙の 尾が伸びていく。竜ヶ崎は二人の攻撃が端から効かないと思っているのか、応戦しようとする気配すらなかった。 甚平機は竜ヶ崎の胸部に狙いを定めた弾丸のように進み、紫色の分厚い肌に頭から突っ込んだ。当然、甚平機は 粉々に大破して爆砕したが、甚平は直前に脱していた。数メートル程度落下したところで、尻尾を振るって竜ヶ崎の 肌に打ち付ける。その衝撃でぐにゃりと歪んだ肌に手を掛けた甚平は、怪力に物を言わせて押し広げていく。

『手伝うっすよ!』

 山吹機は甚平の背後にやってくると、両足のタイヤを急速回転させて肌に噛ませた。

「そう、ここ! 脳の真上! そこには神経が集中している! その神経細胞からは竜ヶ崎の匂いしかしてこない、 だから、そこを破壊すれば竜ヶ崎の制御系統は崩壊するはずだ!」

 甚平は猛り、山吹機の両手がみちみちと引き裂いていく肉に掴み掛かる。

『なぁるほどぉっ!』

「中枢神経の先には紗波ちゃんがいるとみて間違いない! なぜなら、彼女が竜ヶ崎の中心だからだ!」

 人型軍用機の身長ほどもある筋繊維を押し退けながら、溢れ出してきた体液を泳ぎながら、甚平は竜ヶ崎の体内 を目指して突き進む。流れ出してきた膨大な体液には、血族達の匂いが充満している。その中には呂号の匂いも 混ざっていて、それが更に戦意を呼び起こす。珪素回路を得ても大して能力は発展しなかったが、それでも、きっと 出来ることがある。山吹機の腕力を借りながら、甚平は奥へ奥へと進んでいく。数メートルほど掘り進んだ後、脳を 包む膜が現れた。薄赤い脳漿の中には肥大した脳が収まり、人類のものとは構造が違う脳の隙間には膜の袋が 癒着していた。その中には、山吹と秋葉が求めて止まない波号が。

『はーちゃあああんっ!』

 山吹機は反射的に腕を伸ばすが、ぐにゅりと踊った筋繊維に絡め取られた。辛うじて逃れた甚平が先に進むが、 分厚い脳の膜は牙でも腕力でも破れない。こうなったら、と考えた甚平は動きを封じられている山吹機の左腕を もぎ取り、手動でスタンガンを作動させて膜に突っ込ませた。直後、膜と周囲の体液に過電流が迸り、筋繊維の 動きも止まった。拘束から解放された山吹機は駆け出し、甚平もそれに続いた。スタンガンが命中した部分は 軽く焼け焦げ、蛋白質が加熱された匂いがした。山吹機は残った右腕から跳ね出した飛び出しナイフで焼けた 膜を切り裂くと、その奥にある膜の袋を掴み取った。ぶちぶちと筋を引き千切りながら摘出すると、波号は膜の 中でうっすらと目を開け、山吹機と甚平を視認して僅かに表情を動かした。

『今、そこから出してやるっすよ』

 山吹機は波号を包む膜を千切ると、内用液が溢れ出した。裸の波号は山吹機の手の上で力なく横たわっていたが、 目を大きく開いた。その視線が山吹機を捉えた途端、でろりと溶解した。上半分を失った山吹機はその操縦者と 共に崩れ落ち、体液に浸った。山吹機のコクピットを守っていたハッチが外れると、機体と同様に上半身を欠いた 山吹がごろりと転げてきた。それは波号の目の前に浸り、抜け殻の下半身が奇妙に曲がった。

「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさいぃっ」

 波号は切なく連呼しながら、顔を覆うとするがその手も溶けた。甚平は彼女の背後に回り、手を添える。

「紗波ちゃん。今の君は、本当の君?」

「う、うん。パパは色んな人と合体して生体情報量が多くなったから、一度情報を整理して制御するために、一時的に 分離させられたの。で、でも、でも、でもぉっ、色んな力がぐちゃぐちゃになってて、もう、何が何だか」

 波号は手首から先がなくなった両腕で体を守ろうとするが、その両腕もずるりと溶解してしまう。

「こんなのやだぁ、丈二君まで死んじゃったぁっ、もう嫌だぁああああっ!」

 ざんばらの髪を振り乱しながら、波号は溶けた腕で懸命に体液の海を殴る。

「紗波ちゃん。落ち着いて」

 恐怖心に勝る呂号への思いを支えにして、甚平は波号の背後に膝を付いて穏やかに語り掛けた。

「僕のヴィ・ジュルが持つ情報、君のヴィ・ジュルで読み取れるかい?」

「ううん、それは出来ない。だって、私のヴィ・ジュルと、お兄ちゃん達のヴィ・ジュルは本を正せば同じものでしょ?  だから、こっち側の情報が漏れたらいけないって、パパは私のヴィ・ジュルの相互思念通信機能を封じたの」

「無線は不可能か。だったら、生体接触すれば可能かな」

「たぶん。でも、それだと、パパが気付いちゃう」

 やや落ち着きを取り戻した波号が首を横に振ると、甚平は少し考え、言った。

「内側からなら、竜ヶ崎全司郎の生体電流も乱しやすいはずだ。紗波ちゃん、君は露乃……呂号の能力もコピー してある? 使えるのなら、使ってほしいんだけど」

「出来ないことはないけど、私、ロッキーみたいに歌は上手くないよ」

「大丈夫、僕も歌うから。その歌には、色んな思いを込めてほしい。君がどれだけ外に出たいか、どれほど山吹さんや 秋葉さんのことが好きか、自由になりたいか、そんな気持ちで歌ってくれればいい。どんな歌でもいいから」

 甚平は赤黒い体液が染み込んだ作業着の胸ポケットから勾玉を取り出し、波号の額にそっと当てた。

「うん。解った」

 波号は甚平を視認しないように目を閉じ、ごちゃ混ぜの生体情報の内から呂号の能力を抽出した。

「歌っている間に、僕は紗波ちゃんのヴィ・ジュルに作戦内容を転送させる。そうすれば、なんとかなる。今、君をここ から助け出すことは出来なくても、君を含めた全員が助かる切っ掛けを作れるんだ」

「サメのお兄ちゃん」

「なんだい?」

 甚平が問い返すと、歌うために深く息を吸ってから、波号は年相応の表情ではにかんだ。

「ロッキーのこと、そんなに好きなの?」

「うん。大好きなんだ」

 甚平は照れ隠しに少し笑い、波号の歌に声を合わせた。幼く頼りない歌声が巨大化した竜ヶ崎の体内にゆったりと 広がり始めると、脳膜が次第に震え出し、脳漿に細かな気泡が生まれ、脳自体にもじわりじわりと振動が伝わって いった。波号が選んだ歌は、竜ヶ崎の自室のベッドで戯れている最中に呂号がよく演奏してくれた童謡で、その時の 思い出も詰め込まれた歌だった。波号の歌に反応したのか、竜ヶ崎の巨体が竦んだ。山吹と甚平が決死の行動で 開けた穴が外側から塞がれ、波号の歌を伝わせないようにするためか、体液が流し込まれてくる。歌い続ける波号を 抱えて浮上した甚平は、波号の額に当てていた勾玉を外し、無事に情報が波号のヴィ・ジュルにだけ転送された ことを確認した。波号もそれを感知したのか、一瞬、歌声が緩んだ。途端に竜ヶ崎は二人に向けて筋繊維を動かし、 波号の小さな体は分断されて再び体内に吸収され、甚平もまた引き摺り込まれた。海水よりも遙かに粘っこい 液体をエラに通すと、その部分から溶かされた。最期の抵抗を試みるも、骨までもがとろけた甚平に為す術はなく、 程なくして、実の父親ではあるが憎悪の対象である男の一部と化した。

「愚かなものよ。この程度のことで、私の行く手を阻めると思ってか」

 ぐ、と肉を寄せて胸に開いた小さな穴を塞いでから、竜ヶ崎は膝を伸ばして巨体を立ち上げる。

「……甚平さん。ああ、そうですとも、そうして下されば作業効率は遙かに上がりますとも」

 居たたまれなくなったゾゾは顔を覆い、尻尾を垂らした。

「うあぁあああああああああっ!」

 もう、堪えきれない。怒り狂った紀乃はサイコキネシスを乱暴に放ち、竜ヶ崎を倒そうとする。だが、竜ヶ崎の質量と サイコキネシスは紀乃の能力でも押さえきれず、割られた海水は持ち上がり始め、渦を巻いて空に向かって伸びて いった。それを砕こうと紀乃がサイコキネシスの刃を飛ばすが、断ち切った瞬間に海水は繋がり合って元に戻り、 更に海水を巻き上げて東京湾内の水位を下げていった。その全長が数百メートルに達すると、東京湾の海水全体 が空中に吸い上げらた。ワン・ダ・バは海水を浴びて濡れた首を伸ばし、海上基地と竜ヶ崎の間に出すと、巨大な 単眼の下にある口のような裂け目を開いて水素を吸引し、吐き出した。翠が放った水素の炎の数百倍近い規模の 火球が膨大な酸素を消費しながら猛進し、水の竜巻に突っ込んだ。途端に双方は激突し、水蒸気の熱風と爆風が 衝撃破を帯びて轟いた。露出していた海底も大きく抉れ、びしゃびしゃとヘドロが飛び散る。

「お気を静めて下さいまし、紀乃さん」

 ぜいぜいと息を荒げながら身を起こした翠は、紀乃の傍に長い首を差し出してくる。

「無理だよ、そんなの絶対に無理!」

 紀乃は涙も拭わずに言い返し、竜ヶ崎を仕留めようと力を放つが、またも容易く弾かれた。

「戦っているのは、紀乃さんお一人ではありませんわ」

 翠は紀乃に首を擦り寄せてから、金色の瞳を格納庫に向けた。

「さすがにあたしの出番だし?」

 万能車椅子を操って格納庫から出てきた伊号は、素早く目を配らせると、万能車椅子に直結させているケーブルに 意志を送った。紀乃らとは違ってこれといって動揺した様子を見せない伊号に、紀乃は訝ったが、伊号の横顔は いつになく強張っていた。へらへらした表情は一切なく、口調こそ相変わらずだが語気が強かった。再び、竜ヶ崎の 操る水の竜巻が迫ってくる。紀乃はサイコキネシスで阻もうとするが、度重なる感情の上下が影響して制御が鈍って しまった。力が集中出来ず、防護壁を張れない。水の竜巻の尖端がデッキに突き刺さんと鎌首をもたげた時、翠が 血の筋を付けながら這いずり、二人の前に立ちはだかった。渦巻く槍は傷付いた竜の背を抉り、血と肉を散らす。

「……ぐっ!」

 牙が折れるほど強く噛み締めて悲鳴を堪えた翠は、焦点がぶれた目で妹を見下ろした。

「御無事でして、いづるさん?」

「そこまですること、なくね?」

 万能車椅子の端を掠めた姉の肉片に少々臆した伊号に、翠は優しく微笑んだ。

「有りも大有りでしてよ。いづるさんは、大事な大事な妹にございますもの」

 その笑顔を保ったまま、翠の巨体は傾いた。最初に翼の根本が折れて背骨が露出した胴体が横転し、長い首が しなりながら倒れ、尻尾が叩き付けられた。常人よりも体温が低い血が滝のように噴出し、デッキ全体を赤黒い池に 変えていく。伊号は言葉すら出せずに翠を凝視していたが、ぎこちなく首を曲げてワン・ダ・バを仰いだ。

「あ……兄貴……」

「戦え、いづる。俺も翠も、他の連中もそれを望んでいるんだ。だから、ここまで踏ん張ったんだ」

 ワン・ダ・バがあらゆる感情を押し殺して答えると、伊号は唇を曲げた。

「まぁな。こんな芸当、あたしにしか出来ねーことだし?」

 伊号は激情と恐怖を戦意に変換し、集中力を高めた。目を開いては余計な情報処理を行わなければならなくなる ので目を閉じ、遮光仕様のバイザーを掛けてから、ケーブルを通じて流れ込んでくる大量の情報処理を開始した。 それは電力供給と人々の生活が途絶えた都市部でがら空きになっている各種配線に張り巡らせているネットワークを 使って造り上げた罠であり、伊号が出来る、最大にして最強の攻撃だった。従来の物理的な攻撃では、勝ち目は 万に一つもない。総当たり攻撃は単純でやりやすいかもしれないが、それ故に弊害も多いのだ。だから、皆、次々に やられてしまったのだ。本音を言えばガニガニか虎鉄に手伝ってほしかったところだが、その二人は今や竜ヶ崎を 成す生体組織の一部だ。引き摺り出そうにも、伊号の能力ではそんな荒技は出来ない。
 竜ヶ崎は海水が戻った東京湾に踏み出し、高波に匹敵する波紋を広げながら一歩ずつ近付いてくる。その足取りは 巨体に見合った重たさで、余裕を見せつける意図もあるだろう。伊号は目を閉じていながらも外界の景色を脳内に 描き出していた。今、伊号の目となっているのは海上基地の至るところに設置されている監視カメラであり、その 方が肉眼で見るよりも余程効率的で多角的な視覚情報を得られるからだ。海上基地に近付くに連れて、竜ヶ崎の 足取りは若干鈍ってきた。伊号の意図に気付いたのかもしれないが、立ち止まってくれるのならそれに越したことは ない。牽制として海上基地に設置されている機銃を撒き散らし、竜ヶ崎の巨体に掠らせるが、そんなものが効くとは 思っていない。充分に引き付けるために残弾がなくなるまで掃射すると、硝煙臭い煙が辺りに漂った。十数メートルは ある竜ヶ崎の足が粗大ゴミが堆積した海底を踏み締め、その下に張られた海底ケーブルに触れた瞬間、伊号は 都心部の電力供給を一瞬にして切り替えて海底ケーブルに集中させ、莫大な電力を解放させた。

「次!」

 伊号が命じると、竜ヶ崎の左手にある海底ケーブルからも過電流が迸る。

「次ぃ!」

 続いて命じると竜ヶ崎の右手にある海底ケーブルからも過電流が迸り、竜ヶ崎の巨体は三角形に囲まれた。伊号は 計算に計算を重ねて完成させた理論と都心のアリモノを寄せ集めて作った作戦を、展開した。
 海面が瞬くほどの過電流が広がり、竜ヶ崎を三方から攻め立てる。それはガニガニが繰り返した攻撃と大差ない ように思えたが、竜ヶ崎は伊号の狙いに即座に気付いて三角形の陣から出ようとした。だが、突如膝が折れ、飛沫を 上げながら腰近くまで没した。その周囲には過電流を浴びて煮え上がった魚が浮かび、バッテリー溶液が残って いたバッテリーが炸裂して中身を垂れ流す。片腕を付いて巨体を起こそうとするが、竜ヶ崎の腕も折れて上半身が 海水に浸かり、帯電する領域が増した。ただの電撃ではないのか、と紀乃が若干戸惑うと、伊号は説明した。

「あれなー、電磁手錠の拡大版っつーかだし」

「電磁手錠? でも、それだけであんなにダメージを受けるもんなの?」

 やや落ち着きを取り戻した紀乃が問い返すと、伊号はロボットアームで髪を掻きむしった。

「てか、ちょっと鈍くね? 普通に考えて、無駄にでけー構造物が二本足だけで自立出来るわけねーし。つか、筋力とか 骨格とか考えてみろっての。ただの人間だって、立って歩くだけでも結構な筋肉と関節を使って立っているわけ だし。でも、局長はそうじゃねーし。はーちゃんがコピーしてから巨大化したのと同じで、単なる他の物質の寄せ集め に過ぎねーわけだし。見せかけっつーか、ハッタリだし。だから、自立なんてしてねーの。体重移動もマジ怪しかった し、サイコキネシスがねーとろくに立っていられねーのはマジ明らかじゃん?」

「な……なるほど」

 つまり、伊号は竜ヶ崎のサイコキネシスを封じて動きも封じたのか。少々の間を置いてから、紀乃は理解した。

「さすがは伊号さん、予想以上の威力です」

 ゾゾは身を躍らせると、紀乃らが揃っているデッキに飛び降りた。曲げていた膝を伸ばして直立してから、ゾゾは 両膝も折って俯せになりつつある竜ヶ崎を見据え、ゆらりと尻尾を振った。

「所詮、見せかけの力などあんなものなのですよ。奴の能力は、どれもこれも自力ではなく、借り物に過ぎません。 体を作り上げているものも無機物ばかりで、補填した生体組織は他人のもの、珪素回路は操れても情報処理能力 に不可欠な情報伝達力は到底足りていません。なんと浅はかで愚かな姿でしょうか」

 ゾゾは紀乃の前に歩み出ると、横顔を向けてきた。

「皆さんは五体満足でお返しいたしますことを、この首に掛けて誓いましょう。ですので紀乃さん、今しばらくは堪えて 下さい。さすれば、この戦いも終わりましょう。長らく続いた因縁も、今こそ断ち切れましょう!」

 ゾゾは翼を広げて浮上すると、ワン・ダ・バの頭部に立ち、海中にうずくまった竜ヶ崎を指し示した。

「因縁であるものか! 御三家が私の糧となることは、生まれながらにして定められた崇高なる使命なのだよ!」

 竜ヶ崎は辛うじて海面から首を出して言い返すが、筋力が保てず、ごぶりと海水に顎を浸した。

「この減らず口が。そろそろ黙らせて差し上げましょう」

 ゾゾはワン・ダ・バの額に当たる部分に触れ、銅鏡のような形状の珪素生物、カ・ガンを抽出させた。赤黒く分厚い 皮膚が少し沈み、盛り返すと、その下から体液を纏った銅鏡が現れた。それを手にしたゾゾは、高らかに命じる。

「ゾゾ・ゼゼより、ワン・ダ・バに命じる! 空間乖離、開始!」

 ワン・ダ・バが低く唸ると、空気全体に乾いた破砕音が生じた。目眩がした紀乃はよろけると、足とアスファルトが ずれていった。何事かと辺りを見渡すと、目に映るものがずれていた。さながら、赤と青で印刷されている立体視の イラストのように。ビルというビルが二重になり、海上基地も二重になり、海すらも二重になった。両手を見てみると、 紀乃の手も二重になっている。空間を乖離させただけでなく、ずらしているのだ。そんな中、ゾゾとワン・ダ・バだけは 本来の姿を保っていた。ゾゾがカ・ガンの鏡面をなぞるとワン・ダ・バが雄々しく咆哮し、竜ヶ崎の周囲の空間乖離が 激しくなっていった。二重に枝分かれした電流に苛まれる竜ヶ崎を見据え、ゾゾはカ・ガンを翻す。
 
「ヴィ・ジュル各機に命じる、所有者の生体組織と同時に並列空間に移動と同時に復元作業を開始!」

 ゾゾは単眼を一度瞬きさせてから、カ・ガンを掲げる。

「続いて、ゼン・ゼゼの生体分解処理を開始!」

 カ・ガンを縦に振り下ろし、ゾゾは牙を剥いて声を張る。

「続いて、生体分裂体ゼン・ゼゼに告ぐ! 不可侵が原則である現住生物と交配を行い、現住生物の文化を乱し、 人心を弄んだばかりか、次元乖離空間跳躍航行技術を行使し、管理者の許可なく惑星ニルァ・イ・クァヌアイへ帰還 しようとするとは言語道断! 軍紀に従い、生体分解処分とする!」

「私はお前の支配から逃れたのだ、そんな命を受けると思うなよ!」

 心底憎らしげに竜ヶ崎は吐き捨てたが、並列空間に乖離させられた生体組織が離れていったため、ついに体が 保てなくなった。最初に落下したのは首、続いて両肩が外れ、胸から腹が崩れて海に散らばり、海底に付いていた 膝も外れて骨が露出したが、その骨もまた砂と化して形を失った。指先や尻尾の尖端までが本来の物質に戻ると、 珪素回路によって並列空間に分離させられた各人の生体組織が海に落下した。それらは皆、本来の姿とは程遠い ものだったが、確かに皆だった。勾玉を通じて竜ヶ崎の生体反応はちらほらと感じ取れるが、本体らしき強烈な反応 はどこにもない。紀乃は少しばかり気が緩み、安堵混じりの声を漏らした。

「あー、なんかすっげー疲れたし」

 やべー、と、ぼやきながら伊号は頭を仰け反らせ、深呼吸した。紀乃はゾゾを見上げ、尋ねる。

「ねえ、ゾゾ。皆が元通りになるまで、どれぐらい時間が掛かる?」

「そうですね。生体洗浄と平行した生体復元を行いますので、一ヶ月は時間を要しますが」

 ゾゾが答えると、ワン・ダ・バが続けた。

「何せ、どいつもこいつもドロッドロに溶かされちまっているからな。生体情報は揃っているから元通りにはなるが、 手間が掛かるんだ。だが、時間を掛ける分、綺麗に仕上げてやるさ」

「じゃあ、さ。あと一ヶ月は、ゾゾと一緒にいられるんだね?」

 そう言ってから、場違いなことを言ってしまった、と紀乃は自戒した。ゾゾはワン・ダ・バの頭部から舞い降りる。

「ええ、その通りです」

 紀乃に歩み寄ってきたゾゾは膝を付き、左手を差し伸べると、紀乃の頬を丁寧に包み込んできた。

「どうか、悔いのないように過ごしましょう」

「……うん」

 紀乃は頬に添えられたゾゾの手に自分の手を重ね、泣き出したい気持ちを堪えて笑った。ゾゾは紀乃の乱れた髪に 指を入れ、爪を立てて掻きむしった部分を労ってきた。その手付きがこの上なく優しいが、痛ましく、紀乃はゾゾを 労り返そうと両腕を伸ばした。だが、その腕はゾゾの背には届かず、空を掴んだだけだった。
 紀乃の体は、ゾゾの右腕に弾き飛ばされていた。失ったはずの右腕が一瞬にして再生し、内側から突き破られた 包帯が剥がれてとぐろを巻いた。紀乃は訳も解らずに起き上がると、ゾゾの内側から、ゾゾが産まれていた。いや、 実際はそうではないのだと認識するまで、紀乃は僅かながら時間を要した。右腕の傷口から盛り上がった赤黒い肉 が膨らみ、体液を垂らし、音を立てながら伸びた骨に筋が巻き付き、皮膚が張り、眼球が出来上がった。ずるり、と 尻尾に体液の糸を引きながら這い出したそれに、紀乃は声を失うほどの恐怖を覚えた。

「ゼン……!? なぜ、私の内から!」

 体液と生体組織の大半をもぎ取られたゾゾは、肩どころか右半身が欠損し、眼球を左手で押さえた。

「お前とワンの次元は乖離していなかったではないか。私は次元こそ跳躍出来んが、空間であれば飛べる。よって、 お前の内へと私の生体組織を飛ばしておいたのだよ。戦いに夢中になるあまりに、気付かなかったようだがね」

 産まれて間もない胎児のようにしとどに濡れている竜ヶ崎は、紀乃を乱暴に抱えた。

「やっ!」

「それにしても、伊号、お前の才には感服したよ。さすがは私が見初めた個体だ、なかなかのものだったよ。だが、 兵器であるお前が家族の元に戻ることを許した覚えはない。少々、お仕置きをせねばならぬな」

 竜ヶ崎の指先が上がると、伊号の万能車椅子がサイコキネシスで弾き飛ばされ、伊号は為す術もなく倒れた。

「ぎゃうっ!」

「お前の首から下には、何の使い道もないだろう? 処分してしんぜよう」

「あ、やっ、あぎっ!」

 サイコキネシスで浮かび上がった伊号の首は奇妙な角度に捻られた後、ごぎぃ、と骨が折られて動脈が切れた。 そして、首から下が分断され、どちらも海に放り込まれた。ワン・ダ・バは最大限に目を見開き、吼える。

「いづる、いづる! この野郎、負け惜しみもいい加減にしやがれぇっ!」

「私が負け惜しむことなどない。なぜなら、私は何者にも負けてはいないからだ。どこもかしこも愚鈍な男に穢されては いるが、致し方ない、この龍ノ御子を使うとしよう」

 竜ヶ崎は誇らしげに一笑し、紀乃を抱く腕に力を込める。

「嫌だぁああああっ!」

 紀乃は竜ヶ崎から離れようとするが、それ以上の力で押さえ込まれて尻尾で動きを封じられた。サイコキネシスを 使おうとするが竜ヶ崎の尻尾が首筋に突き刺され、強引な生体接触が行われた。サイコキネシスどころか意識まで 落ち始めた紀乃はゾゾを求めて手を伸ばし、ゾゾも紀乃を求めて左手を限界まで伸ばした。互いの指先が触れ合う 寸前、竜ヶ崎は紀乃を伴って空間跳躍した。かすかに紀乃の耳に届いたのは、ゾゾが懸命に紀乃の名を呼ぶ声と、 竜ヶ崎の誇らしげな哄笑と、紀乃自身がゾゾの名を呼び返す声だけだった。
 そして、世界が暗転した。





 


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