南海インベーダーズ




懐古的南洋幻想時空紀行



 まるで怪獣映画だ。
 隅田川沿いの河川敷に止めた装甲車の上に立って周囲の状況を窺って、鈴本礼科はそんな感想を得た。芙蓉と 竜ヶ崎全司郎が交戦していた近辺のビルは、芙蓉の能力を帯びた水を浴びたせいでアイスクリームのように溶けて いる。そこから程近い地点では、虎鉄が奇妙な能力で引っこ抜いたビルが根本だけ残して崩壊している。完成して 間もないスカイツリーの尖端には、滝ノ沢翠の血が付着して赤黒く変色している。隅田川に掛かる駒形橋の上には 呂号が戦うために造ったステージがあり、ステージから半径五百メートル以内の建物は大地震でも受けたかのような ヒビが走ってガラスは全て割れていた。これでは、都心が機能を取り戻すまでには時間が掛かるだろう。

「気分は落ち着きました?」

 藍色の戦闘服を着ている礼科は自動小銃を担ぎ、装甲車の下で介抱されている田村秋葉に声を掛けた。

「多少は」

 ぐしょ濡れの戦闘服を脱いで乾いた衣服を身に付けた秋葉は、頬に貼られたばかりのガーゼを押さえた。隅田川に 駆け付けた公安と警察の混合部隊が、溺れかけている秋葉を発見し、直ちに救出したのである。変異体管理局の 局員であり、一ノ瀬真波の直属の部下であった秋葉は真波と同様に死なせてはならない人間だ。彼女が死ねば、 竜ヶ崎絡みの事件の立件に欠かせない情報も引き出せなくなる可能性が高いからだ。

「んで、戦況はどうなっているんです? こちら側からじゃ全然掴めないんですよ」

 礼科は装甲車から降り、秋葉の元に向かった。秋葉は上着の襟元を合わせ、目を瞬かせる。

「竜ヶ崎全司郎は溶解した。けれど、事態は完全に収束してはいない」

「でしょうね」

 礼科は秋葉の手前に椅子を引いてくると、座った。秋葉はサイズの合わないズボンの裾を折り、答える。

「御三家の戦いはまだ終わってはいない。むしろ、これからが本番だと判断すべき」

「御三家って、インベーダーというか、ミュータントのことですね」

「そう。けれど、いずれ事実は埋もれてしまう。私達がしてきたことも、彼らの生き様も、その過去も。それは惜しくも あるが、至極当然の結果。国内の秩序と安定を保つのが、あなた方と政府の仕事だから」

「まあ、それが本分ですからね」

「これまで私が見知ってきたことをあなたに伝聞すれば、それは公文書として保存されるか」

「田村さんは重要参考人ですからね。そうならない方が変ですよ」

「だったら、あなたに聞いてもらいたい。彼らの歴史と、人生を」

 礼科の答えを待たずに、秋葉は語り始めた。それは礼科や公安が求めている情報とは違ったが、人智を越えた 世界に生きるミュータントに関係する貴重な証言だった。これまで変異体管理局が徹底して隠蔽していた情報の 数々に、礼科は周囲の警戒に当たっている高嶺兄弟を呼び寄せた。二人は秋葉の話に面食らったようだったが、 自分達が生き長らえた理由もそこにあると察すると熱心に聞き入った。ほとんど表情を動かさず、休憩すら挟まず、 秋葉は平坦な抑揚で何時間も話し続けた。ゾゾ・ゼゼの生まれ故郷である宇宙の果てで跋扈する侵略国家の話から、 一千年以上もの時間を生き長らえた末に自害した八百比丘尼、竜ヶ崎全司郎とその尼の女性が生んだ一族の 苦難に満ちた運命と歴史、怨嗟に継ぐ怨嗟、因縁と因習を。
 礼科には、どこからどこまでが真実なのかは判断が付けかねた。けれど、秋葉の口調は一瞬も淀むことはなく、 躊躇わずに言い切っていた。この物語じみた証言をを公文書として認めるには確かな裏付けが必要だろう。だが、 裏付けられたからといって、公表されるとは限らない。音声レコーダー代わりとして、高嶺兄弟に秋葉の話す言葉を 一字一句残さず録音させながら、礼科は考えた。変異体管理局に絡んだ者達の処分と、今後の処遇について。
 国家を守って戦い抜いた者達には、それ相応の態度を取るべきだ。




 届かなかった左手を握り締める力すら、残っていなかった。
 悔やんでも悔やんでも、悔やみ抜けない。ゾゾは割れたアスファルトに額を擦り付けるように突っ伏し、顔が半分 損なった頭部を押さえて呻いた。生体組織をごっそり抜かれた右半身は空虚で、生体維持機能のおかげで辛うじて 生きてはいるが長持ちはしないだろう。だが、もう生きていたいとは思えない。全て、無駄に終わったのだから。
 竜ヶ崎の攻撃の余波で、海上基地は致命的な損傷を受けていた。滑走路は縦横無尽に断ち切られ、主要施設の ビルは斜めに傾き、基地全体を支えている支柱もいくつか折れたらしく、デッキも歪んでいた。格納庫の隅には昨夜の 名残であるバーベキューコンロが横倒しになり、それが空しさを煽り立ててくる。戻せるものなら、あの時まで時間を 引き戻してしまいたい。下らない理屈をこね回さず、紀乃が求めるままに応えてやるべきだった。だが、どれほど 悔やんでも時間も戻らなければ紀乃も戻らない。ゾゾのひくつく背に、ワン・ダ・バの単眼が近付く。

「ゾゾ」

「……私を笑いなさい。さすれば、少しはあなた方の気も晴れましょう」

 ゾゾは単眼をアスファルトで押し潰すように、崩れかけた頭蓋骨をごりっと擦らせる。

「皆の生体組織とヴィ・ジュルを、一つ残らず回収してきた。生体洗浄と生体復元は既に開始した。翠も、いづるも、兄貴も、 芙蓉も、甚平も、露乃も、ガニガニも、山吹も、必ず全員を元に戻してみせる」

 ワン・ダ・バは巨大な頭部を近寄せ、ゾゾの背に語り掛ける。

「ゾゾ、お前も俺の中に入れ。そうすれば、すぐに体は元に戻る。腕も再生する」

「そんなもの、誰も望んではおりません! そう、この私自身も!」

 ゾゾは尻尾を使ってなんとか上体を起こし、ワン・ダ・バの単眼を睨み返す。

「あの男に利用されながらも生き長らえるなど、生き恥の中の生き恥です! 再生などせず、直ちに生体分解処理を 行いなさい!」

「紀乃の生体反応は、まだあるのにか?」

「……あるのですか?」

 ゾゾが瞼が剥がれかけた目を押さえながら迫ると、ワン・ダ・バは僅かに瞼を動かす。

「ああ」

「では、今すぐにお迎えに上がりましょう! 動けますよね!」

「俺も行けるものなら行きたいところだが、生憎、この空間じゃないんだ」

「どういうことです? ゼンは紀乃さんを攫いましたが、次元乖離空間跳躍航行技術を行使出来るわけが」

「それについては、奴が何枚も上手だったってことさ。生体組織を次元ごと乖離させて巨大化を解除させた時にゾゾの 中に生体組織を瞬間移動させて、再生したぐらいだからな。一通り調べたんだが、奴は俺達と戦っている最中に 並列空間と接触していつでも飛べるように準備を整えていたんだ。だから、ゾゾの内から再生した時も、並列空間に 転移させていた分子を引き戻したからこそ、ああも簡単に再生出来たんだ。んで、その並列空間に紀乃共々飛んだ んだ。ワンが万全だったら行けなくもないが、今のワンは俺と小松とミーコでなんとか動かしている状態だ。反物質も まるで足りていないし、生体洗浄と生体復元を行っている状態で戦うのはまず無理だ」

「何もせずに、ただ待っていろと? ゼンが紀乃さんを弄ぶと知っていて放置するのですか?」

「そういうわけじゃない。だが、まるで手を打っていないわけじゃない。俺とワンが、小松とミーコの演算能力を借りて 紀乃と竜ヶ崎の存在を観測している。通常空間から並列空間を観測している限り、並列空間とあいつらの存在は立証 される。策を練る時間もある程度は作れる。だから、今のうちに体は治しておけ。でないと、紀乃が泣くぞ」

 ワン・ダ・バはゾゾの目の前で口を開き、招いた。ゾゾは躊躇ったが、腰を上げた。

「そうですね。身だしなみは大切ですからね」

 赤黒く潤ったワン・ダ・バの口に、ゾゾは両足と尻尾を引き摺りながら近付いた。ワン・ダ・バはゾゾを迎え入れると、 口を閉ざして長い首を持ち上げた。一万年前まではゼン・ゼゼが収まっていた頭部に心身を浸し、生体組織を緩やかに 溶かすと、ゾゾの感覚はごく自然にワン・ダ・バと共有した。ゾゾの内には、今現在、ワン・ダ・バに心身を溶かして 命懸けの戦いに挑んでいる者達の記憶や感情が怒濤のように押し寄せてきた。生体洗浄は、そう容易いもの ではない。人間で言うところの親知らずのように、文明と進化の過程で不要と判断されたものならいざ知らず、 それまで共に長らえてきたものを刮げ落とすのだから。遺伝子の塩基配列や染色体に異常が出てしまったら、本来 あるべき姿になったとしても生き長らえるのは難しくなる。少しでも加減を間違えれば、元の姿とは懸け離れた物体に なる可能性もある。だから、ワン・ダ・バの膨大な情報処理能力はそちらに全て回すべきだが、一刻も早く紀乃を 探し出したい気持ちが押さえきれない。けれど、皆が死んではそれこそ本末転倒だ。
 赤黒い体液の海に浸ったゾゾは痛烈に己を戒めながら、思考から紀乃を切り離す努力をした。だが、記憶を塞ごうと すればするほどに紀乃の引きつった顔が蘇り、伸ばした手が届かなかった瞬間が幾度も過ぎった。体液の海に涙を 数滴混ぜながら、今更ながらゾゾは片割れが狂おしく溺れた愛憎の根深さを味わった。
 愛とは、表裏一体だ。




 上も下も、右も左も、朝も昼も夜も解らない。
 ただただ、広大だった。海中へと投げ出されたかのような感覚に似ていたが、海水の塩辛さは喉にも舌にもなく、 目も痛くなかった。開いているのだと自覚しているのに、瞳孔には光は一粒も写らない。体を探ってみると、自分の 体はそこにあるのに手応えが軽すぎて不安になる。あれからどれほどの時間が過ぎ、どれほどの距離を移動した末に この状況に陥ったのだろうか。順を追って思い出そうとしても頭が働かず、脳内に酸素が回らない。息を吸ったつもり なのに、肺は膨らまない。もしかして死んだのか、だとしても、一体どんな理由で。紀乃は働かないなりに頭を 動かして考えてみたが、さっぱり思い付かなかった。すると、頭上に光が見えた。
 紀乃の真下に、昼側の地球が浮いていた。青い海と緑の大地に包まれている球体は、鮮烈な日光に縁取られて 姿を現した。地球の背後には月が潜っていき、反対側は夜を迎えている。光を視認したからか、脳がやっと状況を 認識し始めた。太陽光が及んでいない部分では無数の星々が輝き、朧気ながら銀河系もいくつか見える。という ことは、つまりそういうことなわけで。間を置いてから理解したが、納得出来ず、紀乃は首を捻った。

「……解せない」

「何がだね」

 背後から聞こえた声に、紀乃は条件反射で答えた。

「だって、ここ、どう見たって宇宙空間でしょ? なのに、なんで私は素で宇宙空間に出ていて、おまけに生きている わけ? 普通だったら即死亡だよ、超低温だし真空だし。幽霊になったわけでもあるまいし」

「似たようなものだとも。今の私と君は、通常空間の並列空間にねじ込まれた異物だが、通常空間における肉体を 失ったのも同然の状態だ。意識と自我を保ってはいるが、物体としては成り立っていないのだから。簡単に言えば、 時間と空間の狭間に揺らぐ蜃気楼のようなものなのだよ」

「うげえっ!?」 

 振り返った途端に仰け反った紀乃は、すぐさま距離を開いた。

「若い娘らしからぬ悲鳴だね」

 紀乃と同じく宇宙空間に浮かぶのは、竜ヶ崎全司郎だった。その姿は醜く巨大化したものでもなければ、皆を吸収 したために体積が増えた容姿でもなく、ゾゾに近い体格と容姿だった。背景が暗かったせいでゾゾと見違えかけたが、 口調も違えば声の質も違うので、紀乃は一瞬緩みかけた気持ちを引き締め直した。竜ヶ崎は紀乃に近付こうと するが、紀乃はサイコキネシスを使う態勢に入っていた。差し違えてでも倒す覚悟をしている紀乃に、竜ヶ崎は少し 肩を竦めて後退した。紀乃もまた後退して十メートル以上の距離を開けてから、竜ヶ崎を睨み付ける。

「私を連れてきたところで、役に立つわけないじゃん」

「あの程度で諦めると思ったのかね? 私はニライカナイに至るのだよ。そのために不可欠なものを揃えたつもりで いたが、やはり龍ノ御子が足りなかったと見える。そこで、並列空間に一時撤退し、態勢を立て直そうと思ってね」

「無理だよ。あんたに私の生体情報は渡さない」

 紀乃が顔を背けると、竜ヶ崎はするりと移動して紀乃の視界に入ってくる。

「おや、そうかね? 私は並列空間を越える技術を知っているが、君は知らぬだろうに。私がいなければ、君は元の 空間と時間軸には戻れまい。孤独と空虚に負けてすぐに私に屈するだろうに、そう強がることもあるまい」

 竜ヶ崎の手が紀乃の頬に伸びてきたので、紀乃は反射的にサイコキネシスを放った。

「黙れっ!」

 どれほどゾゾと似ていても、触られたくもない。紀乃が無我夢中で操った膨大な運動エネルギーは、同じ並列空間に 存在している竜ヶ崎を呆気なく吹き飛ばした。と、同時に妙な手応えが返ってきた。首から提げている勾玉からは 聞き覚えのある声が響き、感覚を揺さぶってきた。紀乃は慌てて宇宙空間を見渡すと、地球の衛星軌道に突入した 竜ヶ崎の直線上に赤黒い巨体が出現しつつあった。膨大な距離を飛び越えて通常空間に長い首を出しつつあった 宇宙怪獣戦艦に、紀乃が放ったサイコキネシスが着弾した。途端に宇宙怪獣戦艦の首に裂け目が走り、宇宙空間 に赤い体液が噴出した。首を損傷したことで制御を失った宇宙怪獣戦艦は傾き、地球の重量に引かれていく。

「まさか、あれって」

 あんなに大きなもの、見間違えようがない。紀乃は竜ヶ崎に対する怒気を上回る畏怖に戦慄し、硬直した。ぎい、 ぎゅえええええ、ぎゅおおおおお、と、弦を引き絞るような、クジラのような、声にならない声を上げたワン・ダ・バは 大気圏摩擦によって真っ赤に燃え盛った。真っ先に外れた頭部は回転しながら関東地方に向かい、胴体は南洋へと 引き込まれ、首の傷口から剥がれた細かな肉片は日本列島を中心にして散らばった。

「ワン! そっちに行っちゃダメぇええええっ!」

 今見ているものは過去なのか、それとも夢なのか。どちらにせよ、何もしないわけにはいかない。紀乃は加速して ワン・ダ・バを追い縋ったが、落下速度が違いすぎた。竜ヶ崎に追い付かれたら困るので何度となく振り返りながら、 太平洋南洋の火山の真上に落下しつつあるワン・ダ・バを追った。だが、結局追いつけず、ワン・ダ・バの胴体は火山に 貫かれた。途端に宇宙が震えるほどの絶叫が轟き、紀乃の心身にも激痛が伝わり、勾玉を押さえてしまった。噴煙 に勝るとも劣らぬ体液の飛沫を上げるワン・ダ・バは、ヒレを動かして必死に脱しようとしたが、もがけばもがくほどに 傷が深まってついには意識を失った。途方もない喪失感と罪悪感に襲われながら、紀乃もまた、ワン・ダ・バと同じ 道を辿った。視界には、息苦しいほど懐かしいエメラルドグリーンの海が広がっていた。
 忌部島で見た海と、同じ色だった。





 


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