南海インベーダーズ




椰子蟹上陸作戦



 面倒な役割を押し付けられてしまった。
 床が剥がされた体育館に押し込められた巨大ヤシガニを見上げ、紀乃はげんなりした。ミーコが寄生虫を寄生 させて巨大化させたヤシガニ、通称ガニガニは、居心地が悪そうに八本足を縮めていた。ヒビ割れた窓から差し込む 光が当たっている外骨格は青黒く、ごつごつした突起が連なっている。夜行性であるヤシガニは日中は活動が低下 するとかで、実際、昨夜の暴れぶりから比べるとかなり大人しい。紀乃は渡り廊下と土が曝された体育館との段差 に気を付けながら足を下ろし、めくれかけたスカートを直した。
 朝日の光条を浴びるガニガニは、鞭のように強靱な長いヒゲを不安げに揺らしていた。カニの名に相応しく、縦長 の頭部から飛び出している黒い複眼はじっと紀乃を見つめていた。甲殻類は発声器官を持たないため、静かでは あるのだが、ガニガニが少しでも身動きすると分厚い外骨格が擦れて重たく鳴り、彼が昨日まで暮らしていた森の 湿った匂いがそこかしこから流れ出していた。昨夜、小松の足をねじ曲げていたハサミには、彼の黄色と黒の塗装が こびり付いていた。人型多脚重機の小松でさえも敵わない相手に、紀乃が敵うわけもない。だが、紀乃に仕事が ないのは事実であり、だからこそガニガニの世話係のお鉢が回ってきたのだ。

「えーと、まずは……」

 紀乃はガニガニになるべく近付かないようにしながら、野生の果物を詰め込んだカゴを横にした。

「これを食べさせるんだよね?」

 ごろごろと地面に直接転がったパイナップルに似た実を視認したガニガニはヒゲをゆらりと動かし、硬く太い足先で 土を踏み締めて近付いてきた。甲羅の下に隠した腹部を引き摺るように進んだガニガニは、口を地面に擦り付けて 果物を食べようとしたが、頭を下げたことで高く持ち上がった甲羅が体育館の屋根にぶつかって震動した。

「あっ、ダメ、止まって!」

 紀乃が慌てると、ガニガニはその声に反応して固まった。その後もガニガニは果物を食べようとするものの、口と 地面を接させようとするとどうしても甲羅がぶつかってしまい、思うように食べられなかった。体長八メートルの彼に とっては、戦前の学校の体育館では狭すぎるのだ。

「おーい、小松さーん」

 体育館と校舎を繋ぐ渡り廊下に出た紀乃が呼び掛けると、校庭の隅で岩を重ねている小松が振り向いた。

「なんだ」

「ガニガニの巣、まだ完成しない?」

「するわけがない。資材をやっと運び終えたところだ。図面を引く時間も欲しかったんだが」

 小松は明らかに苛立った口調で返し、半球状の頭部を半回転させて工事現場に向いた。左腕に内蔵されている セメントガンを使って海岸から運んできた岩同士を接着しながら、小松は愚痴めいた独り言を零していた。しかし、 それは無理からぬ話だ。昨夜、ミーコに食い下がられてガニガニを廃校に連れ帰ったはいいが、ガニガニを収める ような場所は小松の寝床である体育館以外にはなかった。当然、小松は嫌がったが、ミーコが泣いて叫ぶので小松は 妥協せざるを得なくなり、昨夜は屋外で一人寂しく眠っていた。紀乃からすれば、体が機械の小松にとっては外も 中も関係ないだろうとは思うのだが、人型多脚重機はデリケートだから充分休めて整備も出来る場所が不可欠なの だそうだ。実際、体育館の中には小松が掻き集めた整備用具と部品の山があり、機械油臭かった。
 小松を怒らせては面倒だ、と紀乃は体育館の中に戻ると、ガニガニは鋏脚を使って果物を口元に引き寄せようと していたが、それもまた失敗して土を食べそうになっていた。さすがに可哀想になってきた紀乃がガニガニを仰ぐと、 ガニガニはヒゲをだらりと垂らして足を広げて這いつくばった。落ち込んでいるらしい。

「仕方ないなぁ」

 紀乃は本音を言えば嫌だったが、食べ物を目の前にして食べられないのは哀れなので手伝うことにした。

「これから私はガニガニに近付くけど、間違っても攻撃したりしないでね? 私、死ぬから」

 ヤシガニに言葉が通じるわけもないが言うだけ言ってみてから、紀乃はガニガニの正面に回り、土まみれの 果物を一つ拾い、土を払ってやってから、ガニガニの口元に差し出した。

「ほら、口開けて」

 目とヒゲの間辺りに生えている触角が紀乃に向くと、次に果物に向き、ガニガニは毛むくじゃらの付属肢を上げて 大顎と二つの小顎を開いたので、その中に果物を投げ込んだ。ガニガニは余程空腹だったのか、ほとんど噛まずに 飲み下した。要領が掴めた紀乃は次々に果物を投げ込んだが、ガニガニは体格に見合った腹の持ち主らしく、紀乃が 持ってきた分だけでは足りないようだった。ヒゲの動きは不満げで、鋏脚も軽く打ち鳴らしている。

「じゃ、もう少し持ってくるからね」

 紀乃が空のカゴを拾って体育館から出ようとすると、渡り廊下をゾゾが渡ってきた。

「おやおや、紀乃さん。いかがなさいましたか」

「ガニガニ、これだけじゃ足りないんだって。だから、また持ってこないと」

 紀乃がカゴを振ると、ゾゾは体育館に入ってガニガニを見上げた。

「そうですか。でしたら、後で畑の野菜もいくらか運んで差し上げましょう。ヤシガニは雑食ですからね」

「で、ゾゾは何の用なの?」

 紀乃もまた体育館の中に戻ると、ゾゾはミーコの寄生虫が入った半透明の筒を掲げた。保存液らしき液体で 満たされている筒の中では、息絶えている寄生虫がとぐろを巻いていた。

「ええ、これですよ。昨夜、ガニガニさんの体内から出てきたミーコさんの分身の一つなのですが、興味深い進化を 遂げられておりました。ミーコさんは世代交代がお早い種族なので、少し時間を置くと以前のサンプルとは比べ物に ならないほど進化されるのです。以前のミーコさんでしたら、寄生することでもたらす作用は宿主の身体能力を限界 近くまで引き出せることと不死にも等しい再生能力なのですが、ガニガニさんに寄生させていた個体は驚いたことに ガニガニさんの成長因子を促進させるばかりか、テロメア細胞も劣化させるどころか伸ばしていたのです」

 得意げに話すゾゾに対し、紀乃は全く訳が解らずに首をかしげた。

「それ、凄いの?」

「ええ、凄いですとも、超凄いですとも。さすがは私が見込んだミュータントですね、ミーコさんは」

 ゾゾは寄生虫の保存容器に頬摺りせんばかりに喜んでいたが、紀乃にはその気持ちは理解出来なかった。確かに ガニガニが巨大化したのは凄いことだろうが、それ以外はさっぱりだ。成長因子だのテロメア細胞だの言われても、 その意味すらも掴めない。とりあえず、そんなことが出来るミーコもそんなことが解るゾゾも凄いということだ。

「そして、ミーコさんの寄生虫に手を加えてガニガニさんに再び寄生されれば、ガニガニさんは更なる進化を遂げる ことが出来るのですよ、これが!」

 妙に張り切っているゾゾが胸を張ると、紀乃は思い出した。

「ああ、昨日の夜に言っていたアレ? ガニガニに羽根を生やして本土まで飛んでいってもらおう、ってやつ?」

「ええ、そうですとも」

「でも、ガニガニはヤドカリの仲間なんでしょ? ヤドカリが空を飛んだりするわけないじゃん」

「いえいえ、そんなことはありませんよ。あらゆる甲殻類は昆虫に通じているのですから、進化の中で忘れ去られた 因子を発見し、促進させれば、ガニガニさんには必ず羽根が生えるはずなのです」

「嘘だぁー」

「嘘だと思うのなら、それでよろしいでしょう。さあて、久し振りに創作意欲が湧いてきました。では私はこれで!」

 ゾゾは珍しく上機嫌になり、浮かれた足取りで体育館を後にした。

「そんなこと、あるわけないじゃん。ねえ、ガニガニ?」

 ゾゾの丸まった背を見送った紀乃がガニガニに振り返ると、ガニガニは足を丸めて触角もヒゲも下げていた。

「何、どうしたの?」

 紀乃がガニガニに近付くと、ガニガニはぎちぎちと外骨格を軋ませながら触角を振った。紀乃は少し躊躇ったが、 ガニガニの恐ろしく巨大なハサミに触れると、ガニガニはかちかちと大小の顎を打ち鳴らした。彼なりに意志を表現 しようとしているらしいが、生憎、紀乃にはテレパシーは備わっていない。だが、雰囲気で伝わるものはあった。

「もしかして、ゾゾの話が解ったの?」

 紀乃の言葉に、かちん、とガニガニは顎を鳴らした。

「じゃあ、ガニガニは空を飛べるようになりたくないの?」

 がちん。今度は強めだった。

「また寄生虫を入れられるのも嫌?」

 がちん。

「それじゃ、その、本土に上陸して暴れるのも嫌?」

 がちん。がちん。がちんがちんがちん。

「そっか」

 紀乃はガニガニの鋏脚に触れると、ガニガニは弱めに顎を打ち鳴らした。ミーコの寄生虫のせいで巨大化した際に、 頭も少しだけ進化したのだろう。そうでなければ、紀乃やゾゾの言葉の意味など解るはずもない。

「じゃ、もう一つ聞くけど、ガニガニって呼ばれるのは嫌?」

 紀乃がガニガニを覗き込むように背伸びをすると、ガニガニは顎を打ち鳴らさなかった。

「そう、だったら良かった」

 次のを持ってくるね、と紀乃が背を向けると、ガニガニがヒゲの先端でセーラーの襟に引っ掛けてきた。

「どこにも行かないって、すぐに戻ってくるから」

 紀乃がヒゲから襟を外してガニガニに言い聞かせると、ガニガニは僅かに後退した。解ってくれたようだ。

「だから、良い子にしてなさい」

 体育館から外に出ると、小松製ガニガニの巣は着実に完成に近付いていた。仕事に熱中している時が紛れる のか、小松は先程の不機嫌さから一転して鼻歌を零すほど機嫌が良くなっていた。ちなみに六甲おろしだった。小松の 作業の妨げにならないようにと回り道をしてから、紀乃は誰も住んでいない集落を目指した。ゾゾが選り分けて くれた発育不全の野菜や野生の果物が一塊にしてあるので、先程もその場所から取ってきたのだ。カゴを振り振り 下り坂を歩いていると、無作為に雑草を引っこ抜いているミーコと出会った。

「あ、ミーコさん。今日はここにいたんだ」

 紀乃が手を振ると、ミーコは泥まみれの手を挙げた。その襟元は、何かの汁でまだらに汚れている。

「ミーコがミーコのミヤモトミヤコ!」

「ミーコさんはガニガニの御世話しないの?」

 紀乃が尋ねると、ミーコは千切った雑草をぶちまけた。

「ガニガニガニガニガニガニ!」

「だから、ガニガニの」

「ガニガニがガニガニでガニガニのガニガニはガニガニのガニガニをガニガニは!」

 ミーコは飛び上がるような勢いで立つと、いきなり紀乃を指した。

「紀乃キノキノのののの!」

「え? それって、つまり」

 紀乃が自分を指すと、ミーコは海岸に向かって駆け出した。

「きゃほはほはははほははははははっ!」

 つまり、ガニガニの世話を一切合切押し付けられたようだ。

「じっ、自分で造ったくせにー!」

 思わず紀乃が声を張り上げるが、ミーコの姿は白い砂浜に消えた。相変わらず、恐ろしく足が速い。紀乃は怒りが 込み上がってきたが、ガニガニが腹を空かして待っているんだ、と思い直して、間引かれた野菜や野生の果物を カゴに詰めようとその場所に向くと、粗方食い尽くされて食べかすだらけになっていた。

「そうか、だからか……」

 納得すると同時に怒りが増した紀乃は、ミーコの進行方向に向いた。ミーコがガニガニの世話を嫌がったのは、 自分がガニガニの餌を食べてしまったからだ。感情に煽られて形を成してきた超能力を感じた紀乃は、中途半端に 喰われたカボチャを高く投げると、それ目掛けて目一杯力を放った。

「おんどりゃあああああっ!」

 紀乃の乱暴なサイコキネシスを浴びせられたカボチャは弾丸の如く発射され、海岸を目指した。それから数秒後、 ミーコの甲高い悲鳴が聞こえてきた。どうやら、今回はコントロールが上手くいったらしい。

「いよおっし! これで私も立派なエスパーだ! 目指せ魔美ちゃん!」

 妙な自信が湧いてきた紀乃は拳を握ったが、すぐに空しくなった。

「やめよう。情けなくなってくる」

 紀乃は気を取り直し、ミーコが食べていない分の野菜や果物を掻き集めてカゴに詰め込むと、その重みに苦労 しながら廃校に戻った。体育館ではガニガニが大人しく待っていて、紀乃が運んできた野菜や果物を食べようとした が、また上手くいかなかったので今度も手渡しで食べさせた。そんなことを繰り返していると、なんとなくガニガニに 愛着が湧いてきた。最初に見た時は、あんなに気持ち悪いと思ったのに。
 それから一週間、紀乃はガニガニの世話に没頭した。それまで、紀乃は毎日だらだらと過ごすだけで、寝て食べて 散歩する以外はテレビかラジオで暇を潰していたのだが、散歩にはガニガニを連れて行くようになった。といっても、 ガニガニの方が巨大なので、歩くうちに紀乃が引き離されてしまい、最終的には紀乃はガニガニの甲羅の上に 乗せてもらって帰ってきていた。顎を打ち鳴らして意思表示するが、ガニガニは何も喋らない。だから、ゾゾよりも 気楽に話をすることが出来たのも、ガニガニを気に入った理由の一つだった。自分でも下らないと思うようなことでも 話したくてたまらず、ガニガニを相手に延々と喋り倒してしまったこともある。そんな時、ガニガニは辛抱強く紀乃の話を 聞いてくれるばかりか、時折顎を打ち鳴らして相槌も打ってくれた。
 二人が友達になるのは、時間の問題だった。





 


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