南海インベーダーズ




衝動的汚染行為



 真波の職業について知ったのは、偶然としか言いようがない。
 その当時、白崎は都内の機械部品メーカーの営業職に就いていた。肝心の相手もいないのに高ぶっている熱情を エネルギーに変換し、遮二無二に仕事に打ち込んだ。おかげで白崎の業績は昇り、同期の社員の中ではトップの 成績を収めていた。手取りも目に見えて上がったし、社内での評判も上がったが、それもこれも真波に対する感情を 吐き出す術が見つからないからだった。急に業績を上げた白崎に言い寄ろうとする女性社員もいることにはいたの だが、粉を掛けられようと誘われようとアピールされようと、何も感じなかった。
 一途というよりは狂信的で妄信的なものであり、時折我に返る瞬間もあった。再会出来る保証もない相手にどれ ほど思いを寄せたところで、何一つ産み出せないのは解っている。街中で真波に似た女性を目で追っては落胆する たびに心中の傷が膿み、顔すら知らない真波の相手の男への憎悪が膨らみ、爆ぜる寸前まで行ったこともあった。 いっそ探偵にでも依頼して真波の行方を捜してもらおうかと本気で考えてしまうほど、白崎は思い詰めていた。あの 夜、真波に声を掛けなかったのが悔やまれてならない。けれど、あの時、真波に声を掛けていたとしたら、今の白崎 と真波の関係はないだろう。
 五年前のことである。白崎が勤めていた機械部品メーカーは一般的ではない部品を生産していたので、省庁からも 度々仕事の依頼があった。それは試作段階まで進んだという人型軍用機の部品であったり、人型軍用機が装備 するための武装の部品であったり、機密性の高い仕事だった。
 白崎は開発部と省庁のパイプ役として立ち回ることが多く、変異体管理局を訪れたのも先日納品した人型軍用機 の部品の細かな修正点を聞き届けるためだった。相手方に一度で納得してもらえることは滅多にないし、納得して もらえるまで修正を繰り返すものだからだ。人型軍用機の研究開発を行うチームと話し合った結果、先日納品した部品 では人型軍用機の機体に掛かるレスポンスに耐えきれない、とのことだった。肘から肩にかけての関節の部品 と同じ作り方をしていたのだが、その作り方では人間でいうところの脊椎に当たる部品の強度が足りないらしい。
 考えてみれば、確かにそうだ。人型軍用機は中に搭乗した人間の動作を数百倍のパワーに変換して動くのだが、 どんな動きにせよ、背骨が脆弱ではろくな動作が出来ない。下手をすれば一歩歩いただけで背骨が全て潰れて しまうかもしれない。緩衝材を挟んでクッション性を高めたとしても、今度はパワーが半減してしまう。研究開発チーム の注文を事細かに聞き、不明な点は逐一説明してもらい、双方が納得出来るような仕事を行えるように話し合いを 重ねながら、必要書類を捌いていると、研究開発部が変異体管理局の上層部に許可を申請するための書類が目に 留まった。そこには、狂おしく求めても得られるはずもない女、一ノ瀬真波の名があった。
 白崎があまりにも動揺したからだろう、研究開発部の職員から訝られたが白崎は取り繕った。話し合いは滞りなく 終わったので白崎は会社に戻ろうとしたが、とてもじゃないが運転出来なくなった。路肩に社用車を駐めてハンドル に突っ伏し、歪んだ口元から無意識に溢れ出してくる泣き声のような声を抑えようとしたが、まるで意味はなかった。 車中であることをいいことに白崎は背中を引きつらせながら涙を零し、獣の唸りのような嗚咽を吐き出した。
 同姓同名の別人かもしれないし、真波は白崎のことなど当の昔に忘れているかもしれないが、それでも良かった。 ひとしきり泣いてから顔を上げた白崎は、東京湾内に浮かぶ海上基地を見つめ、決意した。この仕事が終わるまで の間に真波と接点を作り、再会しようと。
 そして、思いを告げようと。




 季節は移ろい、雪がちらつき始めた。
 真波からの電話を受けた日以来、白崎は毎日のように真波の病室に通い詰めていた。天気が悪かろうと、仕事が 詰まっていようと、体調が芳しくなかろうと、予定が入っていようと、時間を調節して見舞っていた。切り花を持って いくこともあれば、真波が読みたがっていた本や雑誌を持っていくこともあり、真波もベッドから動けないなりに白崎 を出迎えてやりたいのか、温かなコーヒーを入れてくれた。白崎が仕事や日常の出来事を話してやると、真波は 色々な反応を返してくれた。日を追う事に表情豊かになっていき、声を転がして笑ってくれる回数も増えてきたが、 瞳に宿る寂しげな光は薄らがなかった。白崎がどれほど好意を見せようと、口に出して好きだと言おうとも、真波は それを受け止めようとはしなかった。それどころか、白崎の思いの矛先を変えようとしていた。その気持ちは非常に 嬉しかったが、やるせなさの方が大きかった。結局、真波にとっては白崎は傷口を縫う糸にもならないのか、と。
 リハビリが順調に進んだ真波は、ベッドから立ち上がれるようになっていた。重心は不安定で右足を庇うあまりに よろけながらではあったが、窓に近付いて雪化粧された街並みを眺めていた。生まれ育ったのが関東圏だったので 雪景色自体が物珍しいのか、はしゃいですらいる。白崎は真波の隣に立ち、窓から下界を見下ろした。

「あの話、考えてくれた?」

「外泊のこと? 先生からは薬をきちんと飲んでいれば何の心配もないとは言われたけど、でも、そんなのって」

 悪いわ、と言おうとした真波を、白崎は制した。

「悪い、気が引ける、申し訳ない、気持ちだけで充分、そういうのは止めろって言ったじゃないか」

「でも……」

 真波は窓を開けて冷たい外気を入れ、雪が舞う中に白い息を吐いた。

「派手なことさえしなきゃいいんだ。俺だって、一ノ瀬を振り回そうだなんて思っちゃいない。ただ、こっちに来てから 久しいのに何も見て回らないのは勿体ないじゃないか。旅行ぐらいしたって、バチは当たらないさ」

「だけど」

 真波は横目に白崎を窺っていたが、身を縮めた。

「本当に、二人、だけで?」

「それが嫌なのか?」

「違うわ。白崎君はそういう人じゃないって解っているもの。でも、どうしたらいいのか、さっぱりで」

 真波は空中に手を差し伸べ、数粒の雪を手のひらに載せたが、すぐに融けて水に変わった。

「私なんかと一緒にいて、楽しい?」

「楽しくなかったら、来たりはしない」

「嘘よ、そんなの。だって、私は今まで白崎君に何も返さなかったわ」

 窓から身を引いた真波は、ベッドに腰を下ろした。白崎は窓を閉め、真波の傍に座る。

「だったら、これから返してくれればいい。その手始めに、一緒に旅行に行くんだよ」

 白崎は真波の肩に手を触れようとしたが、下げた。その気配を感じ取っていた真波は息を吐き、うぅ、と喉の奥で 声を殺した。ほつれた前髪が垂れた額には脂汗も浮いていて、顔色も青ざめていた。白崎は行き場をなくした手を 下げ、真波との距離も少しだけ開けた。顔を覆った真波は、ごめんなさい、と謝ってきた。白崎は、気にしないから、 としか言えない自分が情けなかった。もっと気の利いた言葉を掛けられれば真波の恐怖心も癒えるだろうに、ろくな 語彙が見つからない。
 体の傷が癒えてくると今度は心の傷が開いたらしく、真波は白崎に限らず異性を恐れるようになった。それまでの 主治医は男性だったが、真波があまりに怯えるので女性の医師に担当を変えてもらったほどである。いつも誰かの 気配にびくついていて、余程の用事がなければ病院の外には出ようとせず、中庭すらほとんど出たことはなかった。 だから、外泊するとなれば計り知れないほどの勇気が必要だろう。新たな主治医は白崎を掴まえると、少しずつで いいから真波を外に慣れさせてくれ、と頼んできた。現時点で真波が最も信頼しているのは、医師でも看護士でも なく、白崎なのだと説き伏せてきた。だから、白崎は躍起になって一泊二日の旅行の計画を立てた。近場だがなるべく 静かな場所で、と限定していたので目当ての宿を見つけるのは大変だったが、その苦労さえも楽しかった。真波と 同じ時間を過ごせるなら、それ以上のものはないからだ。

「だったら、どうして毎日毎日通ってくれるの?」

 二の腕に爪を立てた真波は、か細い声を詰まらせる。

「だって、それってそういうことでしょ? いくら白崎君だって、まるで見返りを求めていないわけがないわ」

 その通りだ。だから、やれる限りのことをしている。

「でも、そんなのって嬉しい? 私があなたを受け入れられるようになっても、私が反応するのはあの男に徹底的に 教え込まれたからよ。それが、どんなことにしてもね」

 解っている。言われるまでもない。

「使い古して擦り切れたから捨てられた、中古品にすらならない体よ。全部が全部、そうなのよ」

 項垂れた真波の首筋は白く、薄い汗でほのかな光沢を帯びていた。

「それって嫌よね。私だって嫌。あの男と白崎君を常に比較しながら感じるなんて、本当に嫌よ。でも、そうならない わけがない。いえ、そうにしかならない。だって、私、あの男しか知らないんだもの」

 だからこそ、尚更だ。

「誘ってくれたのはとても嬉しいわ。旅行らしい旅行なんてしたことがなかったから、どんな場所だって連れて行って もらえるだけでも充分なの。病院以外の場所で寝起きするなんて、考えただけで浮かれてきちゃう。外に出るのなら 新しい服も必要だし、冬物もちゃんと準備しておかないと傷に障るわ。でも、怖いのよ」

 真波は唇を震わせながら、目元を覆う。

「これ以上幸せになりたくない。欲しいものが増えてしまう。欲しがっちゃいけないものなのに」

 それきり、真波は黙り込んでしまった。長い長い沈黙の後、白崎は言った。

「こんなもんが幸せだなんて、馬鹿言うなよ。本番はこれからだ」

 シーツを握り締めすぎて強張った真波の手の甲に、白崎は出来る限り力を入れずに手を載せた。途端に真波は 身動いだが、白崎の手がそのままだと解ると、詰めていた息を緩めて肩を落とした。

「……じゃあ、白崎君」

 真波は徐々にシーツを握る手を解き、ぎこちなく振り向いた。

「クリスマスケーキ、食べてみたい」

「え?」

「あんなに大きいのは一人で食べきれやしないから、一度も買ったことがなかったのよ。でも、子供の頃から一度も 食べたことがなくて……。だから、その」

 気恥ずかしげに目線を彷徨わせる真波に、白崎は腰を浮かせた。

「なんだ、そんなことぐらいだったらいくらでも!」

「子供っぽいでしょ」

「いや全然」

「嘘よ」

 真波はちょっとむくれてみせたが、白崎に向き直り、恐る恐る手を伸ばしてきた。血の気の薄い手はひやりとして いて、暖かみは弱かった。白崎の手を慎重に掴んだ真波は、何度か深呼吸してから頬を綻ばせた。少しだけだが、 慣れてきたらしい。気が済むまでそうさせておこう、と思った白崎は、真波の手をそのままにした。白崎の手を握るか 握らないかという微妙な握力で掴んでいる真波は、雪の降りしきる窓の外をじっと見つめていた。
 ただならぬ決意を漲らせた顔で。




 白崎の決意は空振りに終わった。
 変異体管理局に所属する一ノ瀬真波はかなり地位の高い役職に就いていて、営業マンの一人でしかない白崎とは 顔を合わせる機会すらなかった。白崎が出入りする部署と真波が所属している部署は離れているので、擦れ違う ことすらなかった。用事もないのに基地内をうろついては機密保持に抵触したとして逮捕されかねないので、迂闊に 探し回ることも出来なかった。
 そうこうしているうちに白崎の仕事は終わり、次の担当者に引き継ぐ時期が来てしまった。だが、変異体管理局との 縁は完全に切れたわけではなく、人型軍用機の研究開発チームの職員が趣味を通じて白崎と親しくなった。互い の都合が合う時に飲みに行くことも多く、その中で変異体管理局の現状について服務規定に反しない程度に教えて もらうこともあった。何気ないふうを装って一ノ瀬真波について尋ねると、彼は途端に調子を落とした。
 どうやら、局内での真波の評判は良くないようだった。真波は対インベーダー作戦に不可欠な特殊な兵器の管理 を任されているが、その扱いが荒いのだそうだ。真波が立案する対インベーダー作戦は確かに有効で、そのおかげ で何度となく危機を逃れてきたが、損害も半端ではないらしい。それだけならまだいい、と彼は声を低めた。真波の 強引かつデタラメな作戦がまかり通るのは、真波が変異体管理局の局長と深い仲だから、だそうだ。表立って口に する者はいないが、上層部と接点のある者であれば誰でも知っている。しかし、それを言及したり咎めたりする者は いない。真波に手を出せば政府要人や有力者と通じている局長に手を出すことと同等であり、少しでも深入りしたら 変異体管理局から追い出されるだけでは済まない。実際、昨日まで共に仕事をしていた職員を見かけなくなったと 思ったら、退職させられていたということも珍しくないらしい。
 局長とは一体何者なのかと、もちろん聞いてみた。知る限りの情報で構わない、誰にも口外しない、と言い張って 詰め寄ったが、彼は酔いが覚めるほど怯えて逃げ腰になった。余程のことなのだろうというのはその反応だけでも 充分すぎるほど理解出来たが、尚更、興味は尽きなかった。彼からは二度とこの話はしないでくれと頼まれ、白崎も その場は同意した。その後、自力で調べられる範囲で変異体管理局局長について調べてみたがかなり厳しい情報 統制がされているらしく、まともな情報は出てこなかった。出てきたのは、竜ヶ崎全司郎なる男がいかに偉大でいかに 有能でいかに財産を持ち合わせているか、という与太話ばかりだった。それほどの男であれば、部下である真波を 弄ぶのは小石を転がすよりも容易いことだろう。勝ち目はない。それどころか、近付く術すらない。
 打ちひしがれた白崎は労働意欲もへし折れてしまい、営業成績が最低になった。会社からは緩やかなリストラを 行われ、白崎も納得した上で退職した。地元に戻ったのは気持ちを切り替えるためだった。古い友人のおかげで、 前職と大差のない職に就けたばかりか、真波への未練がましい思いを吹っ切って立ち直ることも出来た。だから、 これからは身の丈に合った恋愛をしてそれ相応の場所に落ち着こうとしていた。
 そんな時、趣味であるドライブの帰りに寄ったドライブインで異様な車を発見した。至るところが煤けて焼け焦げた ベンツだった。アクション映画のスタントカーじゃあるまいし、と驚いた白崎がベンツの車内を窺うと先程の数十倍は 驚く羽目になった。運転席でタバコを蒸かしているのは、他でもない一ノ瀬真波だったからだ。彼女もまた車以上に ひどい恰好をしていて、疲れ果てた顔であるにも関わらず、息を飲むほど美しかった。心の奥底にねじ込んでいた 思いが一瞬で再生したばかりか増大した白崎は、話し掛けるか否かを迷ったのは一秒にも満たなかった。
 戦いに赴く兵士のような顔をした真波が聞かせてくれた身の上話は壮絶で、白崎の想像の範疇を越えていたが、 それでも彼女への思いは潰えなかった。それどころか、真波の人生を徹底的に蹂躙していた男への対抗心のよう なものが湧いてきた。真波に連絡先を書いた紙を渡し、真波の乗ったベンツが走り去る様を見た後、白崎は彼女を 追おうとも思ったが、真波の車が出てから程なくして見るからに重武装した装甲車が追い掛けていったので、彼らに 任せておこうと思い直した。真波の話だけでも、変異体管理局を取り巻く状況が悪化の一途を辿っているのは充分 解っていたからだ。愛車のシートを倒して後部座席で寝転がった白崎は、ありとあらゆる神に祈った。
 真波が生きて帰ってこられるように。





 


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