南海インベーダーズ




元突然変異体的人生観



 鬱屈した感情は、晴れるどころか深まる一方だった。
 久し振りに帰国したいづみに付き合わされ、純次の子供達に送るクリスマスプレゼントを買い込んだ。結婚する気が 毛頭ないにもかかわらず子供が好きないづみは、終始ハイテンションで、振り回されっぱなしだった紀子は体の芯 から疲れ果ててしまった。プレゼントを買うのは楽しいことには楽しいのだが、何事にも限度がある。
 いづみに引き留められて帰るに帰れなくなった紀子は、仕方なく彼女の泊まっているホテルに一泊した。当然夕食 にも飲みにも付き合わされ、引きずり回された。ようやくホテルに戻ってきても、いづみは寝付こうとはしなかった。 シャワーを浴びさせてベッドに放り込んだが、一向に眠気が来ないらしい。心底うんざりした紀子は、彼女を放って おいて勝手に寝付こうとしたが、神経が立っているのか、心身共に疲れているのに眠くならなかった。
 復興して間もない都心の夜景はまだまだまばらで、窓明かりもネオンサインも少ない。アルコールに頼ろうか、とも 思ったが、散々飲んできた後なので自重した。二日酔いはごめんだからだ。仕方ないので、ホテル内の自動販売機 で買ってきたミネラルウォーターをちびりちびりと飲みながら、テレビの音声をBGMに夜景を眺めていた。スイート ルームだけあって眺めは非常に良く、それを見ていると少しだけ気が晴れてきた。

「あー……やぁあっと落ち着いてきたー……」

 キングサイズのベッドの中でもぞもぞと動いたいづみは、火照った顔を押さえながら紀子を見やった。

「ノリ、今、何時?」

「午前二時半」

 紀子が壁掛け時計を指すと、いづみは起き上がり、ぼさぼさになった長い髪を掻き乱した。

「まだ早ぇーな……。でも、あー、気ぃ抜けるとどっと疲れが来るなー……」

「いづみちゃん、なんか飲む?」

「水。てか、それ以外はなんもいらねー」

 いづみが手をひらひらと振ったので、紀子は冷蔵庫からミネラルウォーターのボトルを取り出し、いづみに渡した。 いづみはすぐさまキャップを捻り取り、喉を鳴らして飲んだ。魂が抜けるような深い息を吐いてから、いづみは胡座を 掻いてヘッドレストに寄り掛かると、寝乱れたブラウスを緩め、脱力した。

「悪ぃな、ノリ。付き合わせちまって」

「うん。ぶっちゃけ、最後の方はしんどかったよ」

 紀子が本音を言うと、いづみは掠れた笑い声を漏らした。

「あたしだって。でも、どうにもならなくてよぉー。だって、久々に帰ってこられたし、甥っ子と姪っ子に会えるって思うと 楽しくって嬉しくってテンション上げ上げでさぁー。憂さ晴らしには持ってこい、っつーか」

「色々あるんだろうね、そっちも」

 紀子はいづみのベッドの端に腰掛けると、いづみは残り少なくなったペットボトルを揺すった。

「まぁな。上に行けば行くほど、マジ楽じゃねー。だけど、あたしがガンガン切り開いていかねーと、アストロノーツが育つ 土壌だって出来上がらねーし、やっとこさ人類が掴んだ宇宙進出の切っ掛けが滑り抜けちまうし。だから、男に うつつを抜かしてらんねーの。子供はいつか産んでみてーけど、まだその時じゃねーって感じだし。甥っ子と姪っ子 を可愛がりまくってると、今になって田村の気持ちが解るわ。……あいつには、ちょっと悪いことしたな」

「そう思うんだったら、今からでも挽回すればいいじゃん」

 紀子がいづみの肩を叩くと、いづみは紀子に寄り掛かってきた。化粧もほとんど落ちている上、かなり酒臭い。

「でぇもさぁー、面と向かってごめんなさいすんのってマジハズいじゃん。マジしんどいじゃん」

「大人になったんでしょうが」

「大人になったから、余計にじゃん」

 あーハズい、すっげハズい、とぼやきながら、いづみは紀子にしがみついてきた。抱き枕代わりである。

「なー。ロッキーの子供ってさ、今、いくつになるん?」

「洋平君が三つで、来年にもう一人産まれるってさ。いづみちゃんにもメール来てたでしょ、エコーの写真付きで」

 紀子は暑苦しさに耐えかねていづみを剥がそうとするが、いづみの手は緩まない。

「あー、そうだった。てか、ど忘れしてた。飲んでるとダメだな、頭が全然回らねー。兄貴んとこの子供のプレゼント のことしか考えてなかったから、また明日探しにいかねーと」

「さすがに明日は付き合わないからね」

「うん。ごめん。色々と」

 急にしおらしくなったいづみは、紀子から離れると、ずるりとベッドに突っ伏した。紀子はもう一つあるベッドに移動 しようかと思ったが、疲れすぎて何もかもがかったるかったので、いづみの隣に寝転んだ。枕を抱え込んだいづみは 幼子のように背を丸めると、ぐずっと洟を啜った。酔いが回りすぎて、情緒が不安定になっているらしい。生体兵器 であった頃からいづみにはその気があったので、珍しいことでもなく、紀子も慣れているので放っておいた。

「あたしさぁ」

 いづみは枕に顔を押し付けているのと涙声であるせいで、かなり不明瞭な発音であったが喋り始めた。

「ママにあんなに言われたのに、また妻子持ちの男に靡きそうになった。だってさ、ヤベェんだもん。ああいう男って あたしみたいな女を引っ掛けるの、マジ得意なんだもん。お父さんみたいなことしてくれるくせして、ちゃんと男なんだ もん。それヤバすぎんだもん。兄貴みたいな男には惹かれないようになったけど、お父さんみたいな男にはまだまだ ダメすぎだし。あー……しんどい……」

「で、今度もちゃんと我慢出来たの?」

「うん。なんとかね。一度でも負けたら、ズッブズブになっちまうの、自分でも解っているし。そんなに馬鹿じゃねーし。 だからさ、あたし、結婚するなら出来婚してぇ。それだと、あたしと一緒になったその時点で、相手の男もお父さんな わけだし。そしたら、お父さんと旦那がセットで手に入るわけだし? だけど、仕事が仕事じゃん? そうそう男漁りを している暇もねーっつーかで。いいやら悪いやら」

「それでいいんじゃない? 結婚なんて、いつだって出来るんだしさ」

「まあ、そうかもしんねーな。実感籠もりすぎだし。で、ノリはどうなん? ゾゾの野郎に縛られまくり?」

「……うん」

 紀子が声を落とすと、いづみは紀子の髪をぐしゃぐしゃにした。慰めているつもりらしい。

「ひでー男だよな、あいつ」

「うん。ひどいよね」

 紀子は頬を歪めたが、笑みにはならなかった。いづみは緊張が抜けたのか、そのまま寝入ってしまった。彼女の 寝息とテレビの音声を聞きながら、紀子はいづみに掛け布団を掛けてやり、ベッドから起き上がった。体中が汗か 何かでべとついていて、このままでは寝付けそうにない。だだっ広いバスルームに入り、服を脱ぎ捨て、温かな湯で 体を洗い流した。男性に父性を求めて止まないいづみの姿は、ゾゾを求めて止まない紀子にも通じるものがある。 もう二度と彼には出会えないのに、割り切れずに身動きが取れずにいる。
 しかし、ゾゾはそうではないだろう。遙か遠い宇宙の彼方で、ワン・ダ・バと共に永き時を過ごしているだけなの だから。母星ごと種族が滅亡しているゾゾは生き方は一つしかないだろうし、誰かと人生を比べたり、迷ったりすること などないに違いない。紀子が抱える悩みなんて、知る由もないだろう。
 そう思うと、不意に、愛して止まない男が憎らしくなった。




 年始の挨拶に来た家族との団欒が、一段落付いた。
 和室に敷いた来客用布団の中では、甥の洋平が愛用のぬいぐるみを抱いて寝付いていた。その傍らでは、初孫 を寝付かせるうちに自分まで眠ってしまった融子が弛緩している。紀子は少し笑うと、母親にも布団を掛けてやり、 和室の襖をそっと閉めた。廊下は底冷えしていて、スリッパを履いた足でも寒気が這い上がってくる。暖房の効いた リビングに戻ると、男達が宴席の後片付けをしていた。ソファーとリビングテーブルを壁際に追いやって空けた空間に 置いた大きめの座卓には、ビールの空瓶や料理がなくなった大皿などがまだ残っていたので、紀子は使用済みの 小皿や割り箸などが載った盆を片手に持ちながら大皿を重ねてキッチンまで運んだ。

「ごめんね、仁にい。やらせちゃって」

 紀子が洗い物をしている仁にまた新たな大皿を渡すと、仁は笑んでそれを受け取った。

「あ、いいよ、別に。慣れているから」

「おい紀子、瓶はどこに出しておきゃいい」

 ビール瓶を抱えた純次に問われ、紀子はガレージを示した。

「ガレージの奥のところに瓶と缶を入れておくゴミ箱があるから、そこに入れてきて」

「俺も純次も、随分と酒の量が減っちまったなぁ」

 濡れ布巾で座卓を拭きながら鉄郎が残念がると、純次は苦笑した。

「そりゃ、俺も兄貴も歳だってことだ。俺も親父になったわけだし、兄貴に至っちゃ爺さんだもんな」

「つまり年相応の落ち着きを持てということ。お父さんも叔父さんも」

 壁際のソファーに腰掛けている露子は、紺色のマタニティードレスを膨らませる下腹部に手を添えていた。

「ごもっともだ」

 鉄郎は厳つい肩を竦めると、純次が持ちきれなかった分の空き瓶を抱えてリビングを出ていった。紀子は細々と した片付けも一通り終えた後、座卓の脚を折り畳んでリビングの隅に移動させると、リビングテーブルを元の位置に 戻しておいた。父親と叔父が戻ってきた頃には仁の洗い物も一段落していたので、紀子は全員分のお茶を淹れた。 胎児の重みで立ち上がるのが楽ではない露子に直接手渡してやり、他の面々の分はリビングテーブルに並べた。 熱い茶の温度が胃に広がる感覚に紀子はほっとして、足を崩した。

「翡翠さん、来られなくて残念だったねぇ」

「仕方ないさ。スイは職人として独り立ちしたばかりだからな、忙しい盛りなんだよ」

 純次はラグの上に胡座を掻くと、湯飲みを取った。

「はるひさんとお前の嫁さんもだな。色々と話したいこともあったんだが」

 純次と向かい合う位置に座った鉄郎が残念がると、純次は嘆息した。

「こっちも仕方ないだろ、うちの子がどっちもひどい風邪を引いちまったんだから。俺も残ろうかって言ったんだが、 母さんがいるから大丈夫だって初美が言ってな。まあ、仲が良くて結構なんだが」

「だったらまた次。お盆にでも会えばいい。その頃にはこの子も出てきているから」

 露子が微笑んだので、純次は、そうだな、と答えてから仁に向いた。

「しかし頑張るな、お前らも」

「え、あ、いや、まあ、うん……」

 仁が照れ臭そうに口籠もると、露子は少し眉を下げた。

「予定外ではあった。けれどいずれ二人目は欲しいと思っていた。だからあまり茶化さないでくれないか」

「今、何週目だっけ?」

 紀子が露子に近付くと、露子は指折り数えた。

「二十三週目で安定期。だから実家に来られた」

「洋ちゃんの時よりも、お腹、ちょっと大きい気がしない?」

 紀子は露子の隣に座ってその腹部に手を添えると、露子ははにかんだ。

「かもしれない。動くのも洋平よりも早めだった」

「あんまり急がなくていいからねー。ちゃーんと育ってから出てきてねー」

 紀子は優しく語り掛けつつ、露子の腹部をさすった。露子はなんだかくすぐったいらしく、笑い出すのを堪えている ようだった。その面差しは以前とは比べ物にならないほど柔らかく、体付きも全体的に丸くなっているからか、呂号 時代の面影は一切ない。ギターの弦を毎日押さえているから指紋が綺麗に磨り減っていた指先も、今や水仕事に 慣れた主婦のものだった。仁は紀子と反対側に座ると愛妻の肩を抱きながら、紀子に尋ねた。

「で、その、いづみちゃんに会ったんだって?」

「ああ、うん。クリスマス前にいきなり帰ってきて、私の携帯に電話が来たんだよ。その日は特に予定もなかったし、 用事もなかったから、せっかくだからってことで付き合ったのよ。一成かずなり君と美鶴みつるちゃんのプレゼントを買うのをさ。で、 その後はまあいつもの流れで、飲み歩いたんだけど、私もいづみちゃんも昔ほどは粘らなくなったな」

 その方が肝臓に良いんだけど、と紀子が付け加えると、露子は羨んだ。

「いいな。お姉ちゃんはイッチーに会えたのか。私は当分は会えそうにない。もう十年は体の自由が効かないし」

「だが、俺も初美もいづみに会えなかったぞ。プレゼントは早々に届いたが」

 純次が訝ってきたので、紀子はその後の顛末を答えた。

「それがねぇ。いづみちゃんは徳島に行くつもりだったんだけど、洋ちゃんのプレゼントを選んでいる途中でまた急な 仕事が入ってきたらしくて、愚痴りまくりのメールが来たんだよ。なんでも、宇宙探査機から重要データが来たとかで。 それが何かはまるで解らないけど、とにかく急ぎらしくて、私のマンションの部屋の前に洋ちゃんのプレゼントが丸々 置いてあったよ。送っている時間もなかったみたい」

「気持ちは嬉しいが、あいつの選ぶものはどれもこれも微妙なんだよなぁ。なんで男の一成のプレゼントがままごと セットで、女の美鶴のプレゼントがレゴの宇宙船なんだ? モノが悪くない分、余計になんかこう、なぁ」

 純次が微妙な顔をすると、露子もちょっと呆れた。

「そう。イッチーはその場の勢いでモノを選ぶからだ。洋平のプレゼントもそうだった。シルバニアファミリーだった。 でも本人が喜んでいるから良しとすべきだと思う。懸念は残るが」

 その後、いづみ本人がこの場にいないのをいいことに、皆は彼女に関する様々な思い出を語り合い始めた。良い 話題もあれば悪い話題もあったが、紀子はそれには加わらなかった。妹の膨らんだ腹部に触った手に残る熱さが 忘れがたく、僅かではあったが確かな胎動が染み付いていた。心の底から露子が羨ましくなって、子供が欲しい、と 猛烈に思った。けれど、それに不可欠な相手を受け入れられないのだ。家族の団欒で忘れかけていた苦悩がまた 胸中に広がり、苦味をもたらした。だが、自分は一体何を求めているのだろう。
 型に填めたような女の幸福なのか、上っ面でしか愛せない夫なのか、自分の遺伝子を継ぐ子供か、ゾゾに代わる 何かか。そのどれも真実である一方、偽りでもあった。要するにこのまま朽ち果てていくのが怖いだけだ。末継紀子 として生きた証しを一つも残せずに、骸となってゾゾの帰りを待ち侘びるだけなのが嫌なのだ。だが、ゾゾを裏切る ようなことはしたくない。しかし、夫となる男性も真っ当に愛してやりたい。考えれば考えるほど、答えが遠のく。

「お姉ちゃん?」

 すると、露子が心配げに覗き込んできた。紀子ははっとし、意識を戻す。

「あ、うん、何?」

「具合でも悪いのか。そうでなければ辛いことでもあるのか」

 露子はメガネ越しに目を凝らし、紀子を見据えてくる。紀子は思わず腰を引く。

「別になんでもないって。心配しすぎだよ、露子は」

「あ、うん、僕もそうは見えなかったっていうかで」

 露子の頭越しに、仁も紀子を見下ろしてきた。

「今みたいな紀子ちゃんの顔には、見覚えがあるっていうか。うん、そうだな、思い出した。ガニガニと戦っていた時 の顔っていうか、そんな感じ。だから、余程のことがあるんじゃないの?」

 こちこちこち、と水槽の中でガニガニが鋏脚を打ち鳴らした。いつのまにか他の面々の視線も集まっていて、紀子は 恐ろしく気まずい思いに駆られた。実際は大したことではないのだから、あまり気にしないでほしい。思い詰めて いる原因も、蓋を開けてみれば個人的な問題なのだから。紀子はしばし躊躇ったが、何も言わないでいると余計に 思い詰めてしまうだけだ、と思って口を開いた。

「まあ、何もないってわけじゃないよ。大したことじゃないんだけどね」

 忘年会での出来事と合わせ、一ノ瀬真波、もとい、白崎真奈美と再会した出来事を話した。なんだそんなことか、 と笑い飛ばしてもらいたかったが、皆はいやに神妙な態度で紀子の話を聞いた。事のあらましを聞き終えた鉄郎は 安堵とも落胆とも測りかねるため息を吐き、露子は目を伏せ、仁は戸惑い、純次は無言で冷めつつある茶を傾け、 ガニガニは水槽の片隅で身を縮めた。紀子は居たたまれなくなり、俯いた。長い沈黙の後、露子が呟いた。

「お姉ちゃんの気持ちも解らないでもない。私としてはお姉ちゃんはお姉ちゃんを好きでいてくれる人と結婚して ほしいと思う。私自身が仁と結婚して幸せだからだ。けれどそれは私のひどいエゴだ」

「うん、まあ、僕もちょっと心配だった。紀子ちゃんのこと。ゾゾだけが人生じゃないし、ゾゾに戒められたまま一生を 終えるだなんて、勿体なさすぎるっていうかで。だから、いいことじゃないのかな」

 仁は肯定的な意見を述べたが、鉄郎は渋った。

「そりゃそうかもしれんが、なんか、こう……釈然としないのは俺だけか」

「男の立場としたら、そうかもしれんがな。俺だって、出来ることなら初美の最初の男になりたかったさ。だが、それは ただの身勝手な独占欲なんだ。相手にも相手の人生があるし、俺達の人生があるように紀子にだって一人前の 人生ってやつがある。その後輩とやらとくっつくのが幸せだって思うのなら、そうすりゃいい。後輩が不満だったら、 また別の男を捜してみりゃいい。漁るだけ漁ってみて満足しなかったら、ゾゾにだけ貞操を捧げりゃいい。俺からは それしか言えんな。好きにしろ」

 純次の投げやりな言い方に、露子がむっとした。

「お姉ちゃんは至って真剣じゃないか。どうしてそういい加減なんだ」

「あのなあ、露子。どれもこれも紀子自身がどうにかしなきゃならん話じゃないか。それを外野がぐちゃぐちゃ言った ところで、事が解決するか? しないだろ? 俺もお前らも、もうガキじゃないんだ」

 純次は壁にもたれると、俯いている紀子を一瞥した。

「変な能力もなくなった。下らん血筋も綺麗さっぱり洗い流した。宇宙怪獣との因縁も切れた。戦いからは十二年も 過ぎた。やるべきことは全部片付けて、別人としての人生を歩んでいる。不安は尽きないが、もう慣れた。俺は忌部 の御前じゃないし、現場調査官でもないし、透明人間でもない。末継純次なんだよ。お前は末継紀子だ。斎子紀乃 でもなきゃ、龍ノ御子でもなきゃ、乙型生体兵器一号でもなきゃ、ミュータントでも、インベーダーでも、御三家ですら ない。どう生きるか決められるのは、お前だけだ。ゾゾでも俺達でもない。踏ん切りを付けられずにいるのを、他人の せいにするな。全部が全部、自分のせいなんだからな」

「おい、言い過ぎだ」

 鉄郎が純次を咎めたが、紀子は父親を宥めた。どれもこれも正論だったからだ。斬り付けられるように痛い言葉 の数々だったが、だからこそ心中に突き刺さってきた。ゾゾに引け目を感じていたのは、いつまでも十五歳の斎子 紀乃でいようとしていたからだ。末継紀子として生きているのに、斎子紀乃の影は振り払えず、まとわりついてくる。 それは忌まわしき過去の亡霊であり、かつての因縁に情けなく縋っている証拠だ。確かにあの頃の自分は絶大な 能力を持ち、人智を越えた力を振り翳して強大な敵と戦っていたが、それが何になるというのだろう。御三家は名実 共に滅亡し、竜ヶ崎全司郎は滅び、忌部島も地図の上から消えたというのに。
 地に足を着けて生きたいと願った。家族と平穏に暮らしたいと望んだ。当たり前の日常を取り戻したいと祈った。 そして、ごく普通の人生を送りたいと夢を抱いた。だが、それは非日常に酔っていた証しであり、なんでもない日常を 本心では物足りないと思っていたからだ。願う、望む、祈る、抱く、とはそんな心情に基づいた行為だ。普通に生きると 決めていたはずなのに、心の奥底では過剰な刺激を求め続けていたことにやっと気付けた。今こそ、あの暑い夏 を終わらせる時が来たようだ。紀子は顔を上げると、純次に礼を述べた。
 斎子紀乃は、今、ようやく死んだ。





 


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