機動駐在コジロウ




昨日の敵は今日のトラップ



 そして、夜が明けた。
 心身の疲れとは逆に神経が立っていたからか、つばめは早朝に目覚めた。枕元の携帯電話を引き寄せて操作 し、時刻を確かめてから、また布団に潜り込んだ。暖まった布団から半分だけ顔を出して天井を見上げ、つばめは 一瞬ぎょっとした。佐々木家の自室ではなかったからだ。少し間を置いて、ここがどこなのかを思い出した。
 船島集落に程近いドライブインの経営者であり、吉岡りんねの母親であった、吉岡文香の自宅だ。そこに至るまで の経緯も思い出されてきて、つばめは布団から出るのが心底嫌になった。起きてしまえば、文香が呼び付けた吉岡 グループの人間によってどこかに連れ去られてしまうだろう。けれど、このまま眠り続けていても、事態が好転すると いうわけではない。むしろ、悪化する。吉岡グループの良いようにされてしまえば、つばめの生体組織を使って遺産が 悪用されないとも限らない。掛け布団を少し捲って腕を出し、指折り数えてみる。
 ムリョウ、タイスウ、アソウギ、ナユタ、アマラ、ゴウガシャ、コンガラ。美野里に奪われたのは、ムリョウ、ナユタ、 ゴウガシャだ。アマラは美野里に唆されたつばめが機能停止させてしまった上、道子の電脳体が宿っている女性型 アンドロイドごと政府に押収された。アソウギを収めたタイスウは佐々木家に置いてあり、それが美野里に奪われる のは時間の問題だろう。ゴウガシャは弐天逸流の御神体の分身であり、異次元に存在している弐天逸流の本部を 根城にした美野里達の手中にあるのは確実だ。つばめが相続したとばかり思っていた財産も、名義は祖父のものに ままになっていた。柳田小夜子に渡された私物の中に入っていた現金は、一万円にも満たない。つばめの名義の 預金通帳や多額の現金が入ったポーチも、佐々木家の自室にあるが、それを取り戻しに行く勇気などない。

「よく眠れた?」

 枕元にあるふすまが開かれ、声を掛けられた。つばめが体を起こすと、昨日とは打って変わってフォーマルな服装の 文香が立っていた。やり手のキャリアウーマン、と言わんばかりの白のスーツに身を固めていて、化粧も髪型も随分 手が込んでいた。ドライブインにいる時は、一昔前の化粧に着古したトレーナーと色褪せたジーンズを着ていたの だが、別人のように様変わりしていた。りんねの母親だけあって文香は目鼻立ちがはっきりとした美人なのだが、丁寧な メイクでその美貌が何倍にも引き立っている。

「ケバいでしょ。私もね、本当はこういうのは趣味じゃないの。でも、示しが付かないから」

 朝御飯が出来ているからね、洗面台はあっちにあるから、服も乾いたからここに置いておくわね、と矢継ぎ早に 言ってから、文香はつばめの枕元に折り畳んだ服を置いていった。礼を言う暇もなかった。つばめはふすまを少し 開け、冷え込んだ空気が漂っている廊下に顔を出した。板張りの廊下に面した窓からは、いつもと変わらぬ針葉樹 の森が見えた。ふすまを閉めてから、綺麗に洗濯された自分の服を着込み、洗面台に向かった。
 四隅に錆が浮いた古びた鏡に向き合い、用意されていたタオルで顔を洗ってから、ヘアブラシを借りて寝乱れた 髪を整えたがクセ毛だけはどうにもならなかった。ヘアゴムでいつものようにツインテールに縛り、気の抜けた顔を している自分と見つめ合ってみた。ひどい顔だ。
 文香と食卓を囲み、揃って朝食を摂った。炊き立ての御飯と小松菜の味噌汁と焼き鮭と、ほんのり甘い卵焼きが テーブルに並んでいた。つばめが黙々と食べていると、先に食べ終えた文香が眺めてきた。

「あの」

 少しやりづらくなったつばめが目線を彷徨わせると、文香は頬杖を付いた。

「いいのよ、気にしないで」

「私、そんなに吉岡りんねに似ていますか?」

「それもあるけど、あの子がちゃんと大きくなっていたら、こんな感じだったのかなって思っちゃって。ダメねぇ、それ だけは考えないようにしていたのに」

 文香は目元を押さえようとしたが、マスカラとアイシャドーが落ちるので手を下げた。

「八時になったら、迎えの車が来るわ。それまでに準備をしておいてね」

 お茶を淹れてくるわね、と文香は腰を上げた。ほうじ茶の茶葉を急須に入れる文香の後ろ姿を横目に、つばめは 箸を進めた。ややこしい事情さえなければ、文香とつばめは親戚の叔母と姪なのだから、そう思われることは意外 ではないからだ。それどころか、うっすらと嬉しさを覚えていた。親戚付き合いとは、こういうものなのだろうか。
 その後、時間ぴったりに迎えの車がやってきた。山奥には似付かわしくないメルセデス・ベンツだった。文香と共に 後部座席に乗ったつばめは、乗り心地の良さに感心しつつ、車に身を委ねた。それから二時間半近くのドライブを 経て東京に到着したが、ほとんど乗り物酔いしなかったのは、ひとえに車の快適さと運転手の巧さによるものだと 改めて思った。寺坂が荒々しく乗り回すスポーツカーとは天と地ほどの差がある。
 都内の高級住宅地に至り、その中でも特に広い敷地を有する邸宅にベンツが滑り込んでいった。純和風の正門 を通り抜けて正面玄関に向かうと、使用人らしき人々が待ち構えていた。文香はやりづらそうに眉根を顰めたが、 表情を整えた。後部座席のドアが開かれると、文香が先に下り、つばめは私物の入った紙袋を抱えて下りた。
 八畳間ほどの広さがある玄関に入って靴を脱ぎ、スリッパに履き替えた。廊下がとにかく長く、部屋数もやたらと 多く、下手をすれば迷ってしまいそうだった。そんなつばめの内心を察したのか、私も久々に来たから部屋の位置を 忘れちゃったわ、と文香はばつが悪そうに肩を竦めた。
 奥へ奥へと進んで辿り着いたのは、床の間だった。ふすまが開かれた途端、つばめはぎくりとした。二つ並んで 敷かれた布団の上に、二人の人間が横たわっていたからだ。その顔には白い布が掛けられて、枕元では線香が 細い煙を上らせていた。つばめが臆していると、文香は先に床の間に入った。

「思った通りね」

「この人達って、一体」

「今し方まで、私と夫を演じていた肉人形よ」

 文香は感情を表に出さないようにしているのか、横顔が強張っていた。気分は悪いけど、と前置きしてから、文香 は二人の遺体の枕元にストッキングに包まれた膝を付き、顔に掛けられた薄布を剥がした。文香に良く似た顔立ち だが派手な化粧をした中年女性と、恰幅の良い中年男性だった。

「これも全て、佐々木長光の仕業よ」

 薄布を戻し、手を合わせてから、文香は使用人に勧められた座布団に正座した。つばめも腰を下ろす。

「やっぱり、そうだったんですか」

「なんだ、解っていたのね。まあ……隠そうともしていないから、いずれ察しが付くだろうとは思っていたけど」

 文香は一つため息を零してから、話を切り出した。

「私が佐々木家に関わるようになったのは、二十年ほど前のことよ。あの頃、私はとんでもない馬鹿な女でね、毎晩 毎晩遊び呆けては端金を稼ぐために汚い商売をして、それはそれは薄汚い生活を送っていたわ。そんな時、私に 目を掛けてくれたのが夫よ。あの人もつばめちゃんのお父さんと同じで佐々木長光に対して反抗的で、若い頃から 家の金を持ち出しては都会に出て遊び暮らしていたのよ。そうでもしないと、正気が保てなかったのね。家庭環境が 異常だったから。で、私はあの人に気に入られて水商売を止めて、自転車操業だった借金も肩代わりしてもらって、 中退した大学にも通ってそれなりの教養と常識を身に付けて、普通の女になった時、あの子が出来たの」

 過去を懐かしむように、文香は下腹部をさすった。

「あの人は、すぐに結婚しようって言ってくれた。私の名字を名乗って、佐々木長光とは縁を切るって言った。あの男 から離れることは金に窮するっていう意味でもあったけど、真面目に働けばなんとかなるし、私も夫も多少の苦労は 気にしなかったの。当たり前の家族になれば、嫌なことも忘れられるって思ったから。でも……」

 言葉を切り、何度か深呼吸してから、文香は仏壇に収まっている小さな骨壺を見つめた。

「私は、あの子を死産したのよ」

「え……」

 ならば、つばめを陥れようと画策していた吉岡りんねは、一体。つばめが絶句すると、文香は肩を震わせる。

「正確には、繋留流産。お腹にいるんだけど、成長しなくなったの。今でも覚えている、昨日まで元気に私のお腹を 蹴っていたのに、全然動かなくなっちゃったの。そんなの嘘だ、あの子はちょっと大人しくしているだけだ、って思おうと してもね、やっぱり解るのよ。母親だから。お腹の中から出すのは辛いけど、そのままにしておくのもダメだから、 病院に行って出す処置をしたの。普通に出産するみたいに陣痛が来て、痛くて苦しいのに、あの子は生きていない なんて信じられなかった。夫はね、ずっと傍にいてくれたの。仕事も休んで、一緒にいてくれたの。おかげで随分と 救われたわ。それで、出てきた子にね、名前を付けたの。もう一度巡り会えるように、りんね、って」

 つばめは俯き、膝の上で拳を固めた。文香は幾度も瞬きし、上擦り気味の声で話を続ける。

「でも……あの男は、あの子を死なせておかなかったのよ。金を使って病院に手を回して、あの子の小さな小さな 亡骸を奪っていった。りんねをコンガラで複製して、ゴウガシャで命を与えて、アソウギで強引に成長させた、私達の 娘の体に、自分の意識と自我を取り込ませたラクシャを使って乗り移ったのよ。一週間後に戻ってきたりんねの体 はますます小さくなっていて、氷みたいに冷たかった」

 文香は顔を覆い、背を丸める。表情は窺い知れなかったが、指の間から覗く唇はひどく歪んでいた。

「私達はなんとかしてりんねを解放してあげようとしたけど、無駄だった。佐々木長光はりんねだけじゃなく、私と夫 の複製も作ってそれも遠隔操作するようになったのよ。ラクシャの内部にアマラの情報処理能力も記録してあった から、どんなことでも出来たの。私と夫の複製体を使い、佐々木長光は吉岡グループを立ち上げたわ。本物の私達 はどうなったかって、そりゃ捨てられたのよ。反抗的で利用価値がないから。だけど、夫は私と違ってすこぶる優秀 な人だから、ハルノネットに入り込んで昇進に昇進を重ねて、今じゃ代表取締役よ。でも、そこまで地位を上げても 美作彰の手元に渡ったアマラを取り上げることも出来なくて、アマラの暴走も止められなくて、道子さんの命だって 守れなかった。何も、守れなかった」

 長年の苦悩を絞り出しながら、文香は語る。つばめは耳を塞ぎたくなったが、出来なかった。体が震えてしまい、 手が動かなかったからだ。

「でも、複製体で自我が産まれないはずのりんねが、佐々木長光の支配から逃れようとするようになった。切っ掛け がなんだったのかは私達にも未だによく解らないけど、りんねは自分の意思で行動し始めた。だけど、それが佐々木 長光にとって面白いわけがないわ。だから、自殺に見せかけて殺したの。もちろん、佐々木長光の意志が宿った ラクシャは傷一つなかったけどね。それから、複製体として産まれてからきっかり三年後に、佐々木長光はりんねを 処分するようになったのよ。複製体のあの子が自我に目覚めるまでに必要な時間が、三年だから」

 文香は、床の間を示す。一段高い板張りの床には、仏壇のものよりも一回り大きい骨壺が四つ並んでいた。

「右から順に、りんね、まどか、たまき、めぐり。といっても、私と夫が後から付けてあげた名前だけど。せっかく自我 に目覚めたのに、りんねのコピーのままじゃ可哀想でしょ? 佐々木長光は、あの子の外見の年齢をいじくり回して 大人にしてみたり、子供にしてみたり、思春期にしてみたりとオモチャにしていたわ」

「……じゃあ、今まで私が会って、話していたのは、五人目で」

 つばめが途切れ途切れに呟くと、文香は頷いた。

「そうよ。五番目の子は自我の芽生えが早くて、学校でお友達を作ってきたの。そんなこと初めてだから、私も嬉しくて 使用人の格好をして屋敷に紛れ込んだこともあったぐらいよ。でも、自我の芽生えが早かった分、あの子は自分が どういう存在で何のために作られたモノなのか、自覚するのも早かった。三年目の日を迎える前に自分から電車 に飛び込んで粉々になった。そのことを誤魔化して、お友達に嘘を吐かなければ行けないのがどれだけ辛かった か、私の振りをした偽物がそれらしい顔をして話している様を見るのが、どれだけ憎らしかったか」

「ミッキー、じゃなくて、小倉美月さんのことですよね」

「ええ、そうよ。美月ちゃんはつばめちゃんともお友達なんですってね」

「ごめんなさい、私、今まで、そんなの」

 そうと知っていたら、出来ることがあっただろうに。つばめが悔いると、文香はつばめの肩に手を添える。

「気にしないで。私達がなんとかするべき問題に、つばめちゃんが巻き込まれただけなんだから」

 つばめと目を合わせながら、文香は表情を一変させた。苦悩に満ちた母親の顔から、仕事の顔に切り替わる。

「これまで遺産絡みの争いで散々な目に遭わせてきたのに、こんなことを頼むのは虫が良すぎるっていうのは百も 承知よ。つばめちゃん、手伝ってくれないかしら。ただとは言わせないわ」

「手伝うって、何を」

「決まっているでしょ、佐々木長光をやり込めるの。いいようにされていたとはいえ、一から十まで好き勝手にされて いたわけじゃない。目の前で娘を弄ばれているのに、引き下がるとでも思う?」

 覇気に満ちた目を見開き、文香はスーツを着ていても目立つ胸を張る。気の強い性分なのだろう。

「ハルノネットだって小さな会社じゃないし、やれることは山ほどあるわ。大体、相手は頭の煮詰まった田舎の老人が 一人だけなのよ? そんな輩に、私達の前途有望な人生を蹂躙されて、大人しくしているわけがないじゃない。 むしろ全力でぶん殴ってやりたいわ! 自力で! 遺産にしても、佐々木長光が管理者権限の持ち主だなんて のは嘘よ嘘、ペテンでハッタリでインチキでフェイクで、まーとにかく嘘なんだから、ねっ!」

 と、文香に凄まれ、つばめは座布団からずり落ちかけた。

「え、あ、はあ」

 だが、その根拠はどこにあるのだろう。つばめが呆気に取られていると、文香は立ち上がった。

「それじゃ、別の部屋に行きましょうか。他のお客さんにも、つばめちゃんと会ってもらいたいし」

「……はい」

 つばめは文香に言われるがままに立ち上がり、彼女に続いて床の間を出た。気が強い分、感情の起伏が大きい のだろう、文香は先程までの湿っぽい表情は引っ込んでいた。だが、そんな態度を取れるようになるまでは随分と 辛い思いをしたはずだ。つばめに対しても、暖かな感情だけを抱いているわけがない。産まれることすらなかった娘 と比較して苦悩したに違いない。それを思うと、今一度、つばめの胸中は痛んだ。
 床の間を出た後、渡り廊下で繋がった離れに向かった。文香は不躾に障子戸を開き、中に入っていった。つばめは 渡り廊下に残り、事の次第を見守っていた。数分後、文香が障子戸の隙間から手招きしてきたので、つばめは それに従って中に入った。板の間の奥には畳敷きの和間があったが、床を埋め尽くすほどの量の本やスクラップ ブックが散乱していて、足の踏み場がなかった。それを跨ぎながら進んでいくと、日当たりの良い縁側に見覚えの ある男が寝そべっていた。ヘビと化した下半身を持つ男、羽部鏡一である。

「ふおあっ!?」

 ヘビの下半身を見て心臓が跳ねたつばめが変な声を出すと、羽部は鬱陶しげに目を上げた。

「なんだよ、その品性の欠片も感じられない悲鳴は。この僕に対する侮辱にしては、低俗すぎやしないか」

「な、な、なっ」

 つばめは戸惑うが、文香はしれっと羽部に話し掛けた。

「どう、羽部さん。情報の整理と分析は進んでいる?」

「情報って言っても、資料がどれもこれもいい加減でジャンル分けすらされていなかったんだから、面倒で仕方ない んだけど、何もしていないのも暇すぎて、この優秀という字の意味として辞書に載るべき僕の頭脳を持て余すのが 勿体ないから仕事をしてやっているけどさ。新聞の切り抜きは年代別だけど、掲載紙別じゃないし、全くもう……」

 ぼやきながらも着実に仕事をこなしているのか、羽部の手元のノートにはみっちりと文字が書き込まれていた。

「あんたと旦那の稚拙な仮説は大筋では合っているけど、要点を想像で補完しすぎだよ。確かに佐々木長光が遺産 を作動させる際に使っていたのは本人の生体組織でもなければ声紋でも指紋でも網膜認証でもないけど、それが 管理者権限を持っていないっていう意味には直結しないからね。当人の生体組織があれば、物凄く嫌だけどこの僕 が舐めれば情報が掴めないわけじゃないんだけど、生憎、佐々木長光の遺骨は手元にないからね。吉岡りんねの 複製体が生産される以前にべらぼうな値段で売買されていた生体安定剤の化学式があれば、もっと解りやすいん だけど、フジワラ製薬はそんなにザルじゃないからなぁ。かといって、今からフジワラ製薬に行く時間もないし」

「時間がないって、どういうこと?」

 つばめが尋ねると、羽部は面倒そうに返した。

「なんだよ、そんなことも解らないのか。いいかい、今、佐々木長光の手元には遺産がゴロゴロある。広辞苑の馬鹿 という項目の下に名前を書かれても文句を言えない立場である君が、備前美野里に唆されたせいで、だ。君の家に ある遺産、つまり、ムリョウ、タイスウ、アソウギ、アマラ、ナユタ、は確実に奪われたと思っていい。弐天逸流の本部 は船島集落の裏側とでも言うべき異次元だったからね。だが、それだけでフカセツテンが動かせるわけがない」

「フカセツテンって何?」

 初めて聞く単語につばめが問い返すと、羽部の背後にある文机に載っているコップから返答があった。その中には 拳大の種子が水に半身を付けていて、赤黒く細長い触手でコップの下に置かれた携帯電話を操作した。

『フカセツテンって言うのは、弐天逸流の本部がある空間を包んでいた宇宙船の名前だよ。あ、ちなみに僕は高守 信和の本体。今後ともよろしくね』

「高守って……あの人? 桜の木の下にえげつない地雷原を作った、あの人!?」

 つばめが種子を指すと、触手が上下した。

『そうそう、その人だよ。嬉しいなぁ、ちゃんと覚えていてもらえて』

「え、ええー?」

 ますます混乱してきたつばめは頭を抱えそうになったが、最も重要な質問を投げ掛けた。

「で、その、フカセツテンっていう宇宙船が何をするの? ハリウッド映画みたいに世界各地の主要都市を襲撃して 破壊の限りを尽くした挙げ句に地球が滅亡する一歩手前になって唐突なラブシーンが挟まれて御都合主義の奇跡 が起きて世界が救われてUSA! って空気になるの?」

「御約束だなぁ」

 羽部は唇の端を曲げたが、笑みとは程遠い表情だった。

「答えは簡単、燃料補給だよ。フカセツテンは宇宙船だ、だから動力源が必要だ。コジロウの本体であるムリョウは 本来はフカセツテンのエンジンだけど、エンジンはそれだけで動くものじゃないし。だけど、フカセツテンの動力炉に 放り込んで燃焼させるものはガソリンでもなんでもない、管理者の生体組織だよ。ラクシャに強制的にシャットダウン されているけど、ムリョウは完全に機能停止したわけじゃないからね。君の血でも何でも放り込まれれば、あいつは 条件反射で作動して膨大なエネルギーを生み出し、フカセツテンを起動させるだろうさ」

「で、でも、私はここにいるし、体も大丈夫だし」

「馬鹿だなぁ。こいつさえ取り戻してしまえば、そんなもの、いくらでも複製し放題じゃないか。管理者権限のレベル は半分に劣化するけど、それでも充分すぎる」

 そう言って、羽部は縁側の床に無造作に箱を転がした。十センチ四方の正方形の箱で、艶のない黒一色だった。 箱には繋ぎ目もなく、蓋もなく、模様もなかった。金属なのか鉱石なのかは定かではないが、質感は硬質だ。

「このコンガラで、あいつは君を無数に複製するはずだ。この僕だったら、間違いなくそうするね。最高純度にして 遺産が拒否反応を起こさない、唯一無二の燃料なんだから」

 これが、コンガラ。つばめは本を跨いで縁側に出ると、床板に転がされている箱を拾った。見た目に反した軽さ で、重みはほとんどない。手触りは冷たく、手応えは硬かった。他の遺産に比べると仰々しさはないが、無機質 故の底知れなさがあった。だが、こんなもので本当に人間も複製出来てしまうのだろうか。
 ならば、試してみればいい。無機物を複製するだけなら支障は出ないだろうと踏み、つばめはコンガラを携えて、 最も手近な位置に落ちていた本を一冊拾った。吉岡グループの系列会社が起こした不祥事を追求する内容の本 で、攻撃的なタイトルが表紙を彩っていた。つばめはその本を手にしたまま、コンガラを握り締めた。

「作って」

 黒い箱が薄く発光した。その光がコンガラの真上で収束すると、つばめが手にしている本と全く同じ本が完成し、 コンガラの上に落ちた。つばめは複製された本を広げ、本物の本と比べてみると、中身も相違なかった。いい加減な 開き方をしていたせいで少し折れたページの端も、日焼けした背表紙も、カバーの折り目も、何もかもが。
 それがどれほどの脅威なのか、つばめはすぐに思い知った。一刻も早くお金を貯めて独り立ちしたいと思っていた から、真面目に社会科の勉強をして社会の仕組みを理解していた。いかなる物資にも、生産者が存在し、製造工程 を経て加工され、あらゆる輸送ルートで流通した末に消費者に手元に辿り着く。だが、コンガラはそういった工程が 一切ない。製造コストもなければ、材料を調達する必要もないのだ。よって、コンガラが全ての物資を生み出すよう になってしまえば、経済が破綻するのは目に見えている。遺産同士の互換性を利用して、アマラやラクシャを通じて コンガラに情報を与えれば、核兵器ですらも複製出来てしまうかもしれない。
 これを奪われてはいけない。





 


12 12/1