機動駐在コジロウ




ペインは剣より強し



 強かに額をぶつけ、目が覚めた。
 つばめは我に返って顔を上げると、ぼやけた視界に見慣れない景色が映った。大きな黒板に傾斜を付けた形に 並べてある机、そして洒落た制服に身を包んだ生徒達。目立つワッペンが胸元に付いたダークグレーのブレザーに 臙脂色のスカーフを襟元に締め、ブレザーよりも少し明るいグレーのチェック柄のプリーツスカート。

「どうしたの? 貧血?」

 心配げにつばめの顔を覗き込んできたのは、その洒落た制服を着込んだ美月だった。

「ああ……ええと……」

 今し方まで、つばめはフカセツテンで死闘を繰り広げていたはずではなかったのか。だとしたら、ナユタやアマラ はどこにある。つばめは慌てて服のポケットを探ろうとして、気付いた。自分もまた、洒落た制服を着ている。記憶が 正しければ、確か、これは吉岡りんねが着ていたものだ。だとすると、ここは一体。

「具合悪いんだったら、御屋敷の人に車を回してもらいなよ」

 美月はつばめの額に手を添え、熱はないね、と笑んだ。耳慣れない言葉に、つばめは思わず聞き返す。

「……御屋敷?」

「じゃ、私、これから部活があるから。またね」

 美月は手を振って、軽やかにスカートの裾を翻しながら駆け出していった。つばめはその背に手を振り返したが、 疑問の奔流に襲われていた。これは悪い夢なのか、それとも先程までの全てが悪い夢なのか、或いは祖父が遺産 の力を使って見せている幻影なのか。だとしても、何のために。
 額の痛みと混乱でふらつきながらも、つばめはとりあえず下校しようと決めて教室から出た。廊下には生徒の数に 見合ったロッカーがずらりと並んでいて、つばめはスカートのポケットから鍵を出し、鍵の番号と照らし合わせて自分 のロッカーを探した。619、との番号札が付いたスチール製の箱を見つけ出したが、きょとんとした。

「え」

 ロッカーには、吉岡つばめ、と書いた名札が付いていたからだ。吉岡ってあの吉岡であってあの吉岡以外の吉岡 じゃないよね、とつばめは目眩すら起こしそうになりながら、恐る恐る鍵を差し込んだ。すんなりと錠が開いたので、 扉を開けてみた。制服のデザインに合った革製の通学カバンとジャージが入ったスポーツバッグ、教科書やその他 諸々の私物も入っていた。教科書の裏表紙にもやはり、吉岡つばめとの名前が書いてあった。しかも、つばめ本人 の字だった。すると、通学カバンの中で携帯電話が鳴ったので、つばめは慌てて取り出した。
 着信名は設楽道子とあり、その名を見て少しほっとした。何が何だか解らないが、道子が身近にいるのは確かな ようだった。つばめは透き通った液晶モニターが特徴的な携帯電話を操作し、受信する。

「もしもし、道子さん?」

『御嬢様ですか? 美月さんから連絡を頂きましたので、車でお迎えに上がります』

「御嬢様?」

『そうですよ、御嬢様は御嬢様以外の何物でもないじゃありませんか。それでですね、御夕飯なんですけど、奥様が お作りになるそうですよ。今日も御仕事でお忙しいのに』

「奥様?」

『奥様は奥様ですって。十五分後に正門前に到着しますので、お出でなさりませ』

 そう言い残し、道子は電話を切った。ますます訳が解らない。つばめは通学カバンとスポーツバッグを肩に掛け、 ロッカーの鍵を閉め、言われた通りにしてみようと校内を歩いた。やたらとだだっ広い校舎で、デザインが全体的に 西洋風だった。階段は幅が広く、吹き抜けがあり、宗教画めいたステンドグラスも填っている。窓越しには時計塔の 姿も見え、目を凝らさなければ見渡せないほど広大なグラウンドでは、生徒達が部活動に勤しんでいる。
 まるで、学園ものの少女漫画のようではないか。つばめは校舎の豪華さに辟易しながら歩いていたが、他の生徒 と擦れ違うたびに挨拶され、その度に挨拶を返さなければならなかった。それが心底煩わしかったが、挨拶を返す だけで相手の生徒達はきゃあきゃあと騒いでいたので、無反応でいるのは居たたまれなかったからだ。
 廊下の壁に貼られている順路に従って進み、昇降口に至った。上履きから外履きに履き替えようと自分の靴箱を 探し、扉を開けると、何かが雪崩れ落ちてきた。それは、古式ゆかしいラブレターの数々だった。それも一通二通で はなく、二十通以上はありそうだった。つばめはなんだか胸焼けがしてきたが、雑に扱っては送り主に失礼なので、 封筒をまとめて通学カバンに入れた。すると、靴箱の群れの奥から黄色い悲鳴が上がった。私の手紙を受け取って もらえただけで嬉しい、との声も聞こえてきた。ということは、つばめはいわゆる学園のアイドルなのか。
 いやいやまさかな、それだけは困るな、と内心でぼやきながらつばめが昇降口から出ると、メイド服を着た女性が 待ち構えていた。女性型アンドロイドのボディも記憶の中と全く同じ、設楽道子だ。つばめは安堵し、駆け寄る。

「道子さん!」

「お待ちしておりました、御嬢様。では、参りましょう」

 道子はスカートの両端を摘んで広げて膝を折り、一礼してから、つばめに寄り添って歩き出した。昇降口から正門 まで向かう間にも、思い詰めた表情の生徒達が駆け出してきてはつばめに手紙やプレゼントを渡そうとする。男子 も女子も先輩も後輩も関係なく、皆が皆、つばめに思いを寄せているようだ。それが、気色悪くないわけがない。
 正門前のロータリーに駐まっていた自家用車は銀色のメルセデス・ベンツだった。道子が後部座席のドアを開けて くれたので乗り込んでから、つばめは心底ぐったりして変な声を漏らした。すると、運転手が嘆いた。

「おいおいどうした、その顔は。それでも世界に名だたる大企業の御嬢様か?」

「あぁ?」

 つばめが目を上げると、運転手の制服を着てはいるが、武蔵野に間違いなかった。

「何してんの、こんなところで。致命的に似合わないんだけど」

「何って、そりゃ御嬢様の運転手だろうが。今の俺には、これといって仕事の当てがないからな」

 武蔵野の形相は記憶の中となんら変わらない柄の悪さで、古傷も目立っているが、右目は義眼ではなかった。

「右目、どうしたの」

「どうしたって、何が」

 武蔵野に訝られ、つばめは更に混乱した。後部座席の反対側に道子が乗り込むと、ベンツは軽やかなエンジン音 を奏でながらロータリーを滑り出ていった。車窓を流れる景色は東京都心で、天を衝かんばかりの高層ビル群には 吉岡グループの社名がいくつも見えた。この分では、オフィス街のビルのほとんどは吉岡グループの傘下の会社 が所有しているのだろう。つばめは靴箱に入っていた手紙の束を出すと、道子がそれを受け取り、広げた。

「皆様には、後日、御礼をいたしますね。どのような品を御用意いたしますか?」

「どのような、って?」

 つばめが聞き返すと、道子は微笑んだ。

「御神託、護符、或いは我が社の自社製品の無償提供となりますが」

「それ、吉岡グループの仕事なの? 新興宗教みたいじゃん!」

 つばめが驚くと、ベンツは交差点で一時停止した。バックミラー越しに、武蔵野がつばめを捉える。

「それがどうかしたのか」

「どうしたもこうしたも、ってか、なんでそんなことになってんの!? ねえ!」

 つばめが道子を詰問すると、道子はつばめを押し戻して座り直させてから、笑顔のままで語った。

「御嬢様、いえ、つばめちゃんが長光さんとの争いに屈したからです。フカセツテンの内部に突入した私達は、長光 さんの蛮行を阻止すべく善戦したのですが、長光さんは私達を追い詰め、つばめちゃんに瀕死の重傷を負わせて しまったのです。死に間際のつばめちゃんから膨大な感情を採取した長光さんは、それを一滴も残さずにクテイ様 にお与えになりました。そして、クテイ様は物質宇宙でお目覚めになり、管理者権限のお力も取り戻され、クテイ様 は私達の過ちをお許しになりました。もちろん、つばめちゃんの過ちも寛大なお心でお許しになりました」

 道子の笑顔は翳らない。つばめは薄ら寒くなり、後部座席の端へと身を引く。

「何、言ってんの?」

「つまりだ、クテイ様は人類の導き手になられたんだよ」

 緩やかにアクセルを踏み込み、発進させながら、武蔵野は心なしか晴れやかな口調で言った。

「遺産を徹底的に利用して改変されたんだよ、物質宇宙の概念は。改変前の物質宇宙がどんなものだったのかは、 遺産の産物でもなんでもない俺には解らんが、この体に付いた古傷の多さから察するに、ろくでもない世界だった ことは間違いない。右目がどうのと言っていたが、ということは、改変前の物質宇宙では俺は右目を潰しても尚戦い 続けていたようだな。全く、信じられんよ」

「そうですよねー。クテイ様にお近付きになることが出来たおかげで、人類は平等な価値観と公平な概念と安定した 精神と発達した肉体を手に入れることが出来たんですから、感謝しない方がおかしいですよ」

「ああ、そうだとも。クテイ様がいなければ、御嬢様もどうなっていたことやら」

 姿形は見知った二人なのに、中身は全くの別物だ。つばめは腹の底に嫌なものが疼き、唇を歪める。

「奥様と旦那様が再婚なさるようにクテイ様が御神託を下されたから、つばめちゃんは御嬢様になられたのですよ。 それがなければ、今頃、つばめちゃんはどうなっていたでしょうね」

「誰と誰が再婚したの?」

「あらまあ、お忘れになったんですか? 奥様は文香様ですよ、クテイ様とクテイ様の御世話を担う御社に効率的に 御布施をお恵みするために事業展開している、吉岡グループの経営者ではありませんか。旦那様は長孝様です、 つばめちゃんの実の御父上ですよ。クテイ様と同じお姿をしておられますから、クテイ様の素晴らしさが届いていない 愚劣な下々に布教活動を行っておられるんです。どうです、御立派でしょう?」

「お父さんが、なんで?」

「そりゃ、御神託を受けたからだ」

 バックミラーを経て、武蔵野の鋭い視線がつばめを射竦める。

「でも、お父さんは」

 つばめが腰を浮かせかけると、武蔵野は畳み掛けてきた。

「長孝様は色々と御苦労なさったから、つばめを育ててやるには再婚するのが一番だと考えたんだ。そこにクテイ様 の御神託だ、迷いも吹っ切れる。つばめは管理者権限があるんだ、クテイ様の御加護と御忠告があろうと、管理者 権限の恩恵に与ろうとする奴が掃いて捨てるほど現れる。毎日毎日つばめにラブレターを寄越している連中が正に そうだ、クテイ様により近付き、より深い感情を捧げたいがためにつばめを踏み台にしたいんだ。クテイ様に感情の 一切合切を捧げれば、極楽に行けるからだよ」

「極楽ぅ?」

 つばめが声を裏返すと、道子が上機嫌に頷く。

「はあいそうなんです、クテイ様に人類を分け隔てなく慈愛を下さいますけど、クテイ様の御寵愛を受けるためには 当然ながら供物が必要なんですよ。それが感情なんです。元手はただですし、放っておいても際限なく出来るもの ですから、皆、喜んで捧げてくれるんですよ。もちろん、負の感情も全部。おかげで世界は完璧に平和です」

「そんなの、気色悪いだけじゃんか」

 つばめが舌を出すと、武蔵野が諌めてきた。

「そう思えている分、つばめは自由を与えられている証拠だよ。それもまた、クテイ様のお優しいところだ」

「皆、痛いことも辛いこともないんです。とってもとっても幸せなんです。それもこれも、生死の境を彷徨ったつばめ ちゃんが、遺産を放棄して下さったからです。もう、あんな目に遭うのは嫌ですよねぇ?」

 道子は笑顔のまま、妙な角度に首を捻った。つばめの脳裏に、遺産の互換性を利用して逆流してきた痛みの 数々の記憶が過ぎり、背中に嫌な汗が浮いた。確かに嫌だった、少年を攻撃された時も、鬼無を攻撃された時も、 生きていたくないと思いかねないほどの辛さだった。だが、それもまた祖父がつばめを徹底的に追い詰めて感情を 発露させるための作戦なのだ。だから、耐えて耐えて耐え抜いた。それを無駄にしろと言うのか。

「そんなの、かったるい」

 道子から顔を背けたつばめは、吐き捨てた。正直言って逃げたくなる時もあったし、手に負えないと思った瞬間も 多々あったが、ここまで来て自分が選んだ道を全否定するのだけは、それこそ嫌だ。アマラを使う時は今だ。
 そう思ってポケットを探るが、何もない。いや、それこそ思い込みだ。何もないわけがない。つばめの手中にはナユタと アマラが握られている。コンガラは外に置いてきてしまったが、その二つは手の中にある。制服のポケットを何度も 何度も探り、念じ、欲した。すると、指先にちくりと痛みが走った。針だ。

「よし来た、アマラだ!」

 遺産の正体であり本体は、異次元宇宙そのものを形成している演算装置だ。だから、肝心なのはその演算装置に 接触出来るかどうかだ。呼び寄せられたのなら、こっちの勝ちだ。つばめは銀色の針を抓み、血の滲む指先を 舐めた。生温く鉄臭い、本物の血の味がした。

「改変後の物質宇宙が偽物だとでも思っているの?」

 前触れもなく、助手席から美月が顔を出した。肩から滑り落ちたサイドテールが揺れるが、髪の束には見覚えの ある異物が何本も混じっていた。赤黒く冷ややかな、触手だった。宗教画を思わせるステンドグラスに描かれていた 女性からも生えていた。彼らが言うところの、人間が高みに至る過程にあるからだろう。

「ロボットファイトに限らず、ショービジネスを目的とした格闘技にはシナリオが出来ているの。もちろん、格闘家達は 本気で戦うけど、その試合内容にもシナリオはあるんだ。徹底したキャラ作りとインパクト重視の展開とショッキング な大技満載の試合は、見慣れてくると作り話だって解るし、大技を仕掛けてくる方じゃなくて大技を受ける方が上手い ってことも解ってくるの。でもね、それが解らない人達にとっては、彼らの試合や抗争は全部本物なの」

 わざとらしい笑みを顔に貼り付けながら、美月は語る。

「だから、この世界も本物。私も本物。クテイ様も本物。つばめちゃんがこの世界を本物だと思いさえすれば、全て は肯定されるんだ。それなのに、どうして否定しようとするの? クテイ様という確固たる上位の存在を得た人類は、 あらゆるものが均一になった。おかげで戦争もなくなったし、不幸になる子供もいなくなったし、苦しいことは何一つ なくなったんだ。わざわざ辛い目に遭うこともないじゃない。御嬢様なんだよ? お金に不自由しなくて済むんだよ?  友達は放っておけば擦り寄ってくるんだよ? なのに、どうして?」

「自力で手に入れたものじゃなきゃ、ありがたみもクソもないんだよ」

 長々と語る間、一度も美月は瞬きしなかった。つばめはアマラを一層強く握ると、心を強張らせる。こんな生活の どこが本物だ、奥行きも何もない。つばめに好意を寄せてくれた生徒達は、つばめではなく、つばめを経て得られる 利益に喜んでいただけだ。吉岡りんねと出会った時、彼女の境遇を浅はかに羨んだ。整いすぎた外見と大人びた 態度は作り物だった。彼女の人生そのものが作り物であり、彼女という人間もまた作り物だった。
 偽物だから、本物にもなれる。つばめは余計な付属物を削ぎ落としたりんねを思い起こし、昨夜のお喋りの内容 も思い出しながら、アマラに注ぎ込んだ。どんなに周りが自分を持ち上げてくれようと、自分自身が自分を肯定したく ならない環境ならば、正に生き地獄だ。だから、なんとしてでもタイスウの外に出る。そしてまた、戦わなければ。
 つばめ自身の人生と。




 少女を飲み込んだ金属の棺には、掠り傷一つ付かなかった。
 それもそうだろう、タイスウを構成している物質は物質宇宙には存在していないのだから。複製された銃弾が雨霰 と撃たれたが、全て呆気なく潰れて地面に散らばった。武蔵野を始めとした面々は熱しすぎで赤らんですらいる銃身 を下ろし、物言わぬ金属の棺を睨んだ。その間、コジロウは直立しているだけだった。真っ先に殴りかかりそうなもの なのだが、三年前に三分割したムジンを再び繋ぎ合わせて大幅に演算能力を拡張した影響で、思慮深くなって いるのかもしれない。だが、その落ち着きぶりが苛立ちを招くのも、また事実だった。

「おい、コジロウ!」

 真っ先にコジロウを怒鳴りつけたのは寺坂だった。彼は使い慣れないサブマシンガンの反動で摩耗した肩関節の 緩衝材が気になるのか、右肩を押さえながら、コジロウに詰め寄った。

「あれだけつばめに好かれていたくせに、何もしないってのか!?」

「計算している」

「だから、何をだよ!」

 寺坂がまた弾切れを起こした銃身でコジロウを小突くと、コジロウは鬱陶しげにその銃身を払った。

「タイスウを構成する物質が存在している異次元宇宙とこの異次元の空間が最も接近する、事象の地平面が存在 するエルゴ領域の探索を実行している。よって、その作業には膨大な演算能力を要するため、本官は戦闘行動に 移るべきではないと判断した。静止限界の観測、及びペンローズ過程で生じる29%のエネルギーも観測した」

「あ、そう、大変なんだな。で、それってどういう意味?」

 毒気を抜かれた寺坂が首を捻ると、道子が説明した。

「要するにですねー、タイスウを破壊するためには、タイスウを構成している異次元の物質が存在している異次元 宇宙をぶっ壊す必要がある、で、その在処を見つけ出した、って言っているんです」

「それ、近いの?」

「まっさかぁー。近いように見えて遠いものですよ。そんなのをどうやって壊すつもりなんですかね?」

 そりゃつばめちゃんが外に出てこないことには困りますけど、と言いつつ、道子は頭の後ろに拳銃を向けて無造作 に発砲した。ぎぇあっ、と鈍い叫びを散らしながら吹き飛んだのは、人間もどきの胎児だった。つばめがタイスウの 中に飲み込まれた直後から、植物という植物が人間もどきと化して地中から這い出してくる。胎児のままならばまだ 楽なのだが、一歩一歩歩くごとに成長してくる。それも、皆が良く見知った人間の顔をして近付いてくる。
 それが、喩えようもない苦痛だった。そうした感情の揺らぎさえも長光の糧になっているかと思うと癪に障るので、 外面だけでも平静を保ちながら、つばめにだけ執心するように務めていた。武蔵野はひばりを、寺坂は生身だった 頃の道子と美野里を、一乗寺は周防を、道子は若い頃の寺坂を、何度も殺さなければならなかった。だが、伊織は ただ一人、地獄を免れていた。彼がこの場にいたら、伊織は際限なく現れるりんねの偽物を殺す羽目になっていた だろう。だから、賢明な判断ではあった。
 銃声、銃声、また銃声。合間に人間もどきの断末魔。甘ったるい果実が腐敗したかのような生臭い死臭が、春の 温もりを得て膨張する。そしてまた雑草の根本が盛り上がり、泥にまみれた胎児がぷっくりとした指で地面を掴み、 悪魔じみた産声を上げる。それが成長する前に、武蔵野は一瞬だけ照準を付けて目を逸らし、射殺した。

「計算完了。これより、タイスウの破壊に移行する」

 コジロウはマスクフェイスを上げ、銃弾の死骸に囲まれた金属の棺を見据え、歩み寄る。

「本官はタイスウを構成する物質の破砕点である異次元宇宙に接触を行うために演算能力に負担が掛かっている ため、タイスウを構成する物質に作用する固有振動数を含有する振動波を発生させられない状態にある。よって、 振動波の発生を要請する」

 コジロウが右の拳を構えて振りかぶると、人型重機のスピーカーがハウリングした後、聞き覚えのある声であの 常軌を逸した歌詞が流れ出してきた。あいらぶらぶゆーアンダーテイカーっ、と恥じらいもせずに歌っているのは、 他でもない伊織だった。反射的に全員が振り返ると、フロントガラスが破損している操縦席の中から引っ張り出した マイクを握り、作った声で歌っている。声の高さこそ違うが、御鈴様を演じていた頃の伊織の歌声だった。

「何度聞いても、すんげー歌詞だよねぇ。墓掘り人と愛し合いたいからって、死人の少女は墓掘り人を墓穴の中 に引き摺り込んで殺そうとするんだから。でも、そこまでしても叶わないんだよなぁ、この子の恋って」

 一乗寺が肩を揺すると、武蔵野が苦々しげに漏らした。

「そりゃそうだろう。死人は死人らしく、墓土の下で大人しくしているべきなんだよ」

 その歌に合わせて、コジロウはタイスウを殴り続ける。傍目には闇雲に拳をぶつけているようにしか見えないが、 その実は綿密な計算による攻撃であり、ムリョウから生じるエネルギーを激突させ、異次元宇宙に浮かぶ物質に 的確にダメージを与えている。コジロウの拳を受けてタイスウが振動すると、人間もどきの生まれる勢いが衰えて、 這い出して間もない胎児が枯れていく。コジロウもまた、タイスウへの攻撃で固有振動数を発生させているとみて いいだろう。いつしかコジロウの両の拳が削れ、火花が散る。それが数十回、続き、そして。
 タイスウの蓋が、砕けた。





 


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