ドラゴンは滅びない




禁忌の子



 それから数日後の夜。
 ブラッドはこぢんまりとした自宅の屋根に昇り、感覚を研ぎ澄ませていた。月明かりもなく、星も出ていない。 昼間のうちには見えなかった分厚い雲が張り出してきたらしく、雨の前兆である湿気が空気を膨らませている。 大分暖かくなってきたが、夜は肌寒い季節だ。ブラッドは上着の上に黒いマントも羽織って、じっと待っていた。 時計を持っていなかったのでどれほど待っていたのかは解らないが、感覚的には、二時間かそれ以上だった。
 家の周囲の木々の根元がかすかに動くのが見え、ブラッドはすぐさま上着とマントを脱ぎ捨てて飛び降りた。 魔力を放って柔らかな風を生み出し、足音を立てずに着地してから、草が揺れた場所へ向けて目を凝らした。 闇は深いが、吸血鬼にとっては何の障害にもならない。草むらの隙間から、闇には溶けない色が姿を現した。

「よう、ヴィンセント」

 ブラッドが小さく名を呼ぶと、それはびくりと尖った耳を立てた。

「…へぇ」

 そろそろと前足を出し、二股の尾を持つ白ネコ、ヴィンセントはブラッドに近付いてきた。

「どうしたんですかい、こんな丑三つ時に。あっしを待ってらしたんですかい?」

「まぁな。お前の偵察がそろそろ来ることだと思ってさ」

 ブラッドはヴィンセントの首の後ろを掴み、持ち上げた。ヴィンセントは、長いヒゲを下げる。

「あっしはただ、御主人に情報を運んでいるだけでやんすよ。今は敵じゃあございやせんぜ?」

「だから、頼むんだよ」

「へい?」

 意外そうに、ヴィンセントは目を丸くした。ブラッドはヴィンセントに顔を寄せ、囁く。

「ちょっと面倒な話だし、他の偵察には聞かれたくない話なんだ。うちに上がってくれ」

「そいつぁ構いやせんが、またどうして」

「色々あるんだよ、オレ達にも」

 ブラッドはヴィンセントを地面に下ろすと、玄関へと向かった。ヴィンセントは、ブラッドに続く。

「どんなに些細な情報であれ、得ておくに越したことはありやせんからねぇ」

 ブラッドはヴィンセントを先に入れてから中に入り、玄関に鍵を掛けた。ヴィンセントは、迷わず居間に向かう。 すると、あんれまぁ、との声がした。続いて居間に入ると、寝間着姿のルージュが厳しい顔をして立っていた。

「夜中に起き出してどこに行ったのかと思ったら、このネコを待っていたのか」

 ルージュは手にしていた鉱石ランプでヴィンセントを照らすと、安堵のため息を零した。

「まあ、相手がヴィンセントであっただけ、まだマシと思うべきか。女を買いに行っていたのなら首を折っていたぞ」

「そんなに邪推するなよ」

 ブラッドは妻の思いの深さに若干戸惑いつつも、ソファーに腰を下ろした。ヴィンセントも、ソファーに座る。

「夜分遅くに申し訳ありやせんねぇ、吸血鬼の姉御。ああ、お気遣いなく」

「当たり前だ。何も出さんぞ」

 ルージュは鉱石ランプをテーブルに置いてから、ブラッドの隣に腰掛けて長い足を組んだ。

「それで、ブラッドはこいつに何を頼もうとしていたんだ?」

「ん、ああ。この間のことだよ」

「ああ、あれか」

 察したルージュは、顔を曇らせた。ヴィンセントはソファーに寝そべると、二本の尾をゆらりと振る。

「その様子からしやすと、何やらろくでもねぇことのようでやんすねぇ」

「うちの息子のことなんだよ」

 ブラッドはローガンの眠っている寝室に視線を向けたが、ヴィンセントに戻した。

「ローガンの素性についてはお前らも調べているんだろうが、どの辺まで調べたんだ?」

「まあ、大体のことは把握しちょりやすよ。あっしの調査力を舐めちゃあいけやせんぜ」

「じゃあ、ローガンの産みの母親については調べたんだろうな?」

「そいつぁ当然でやんすよ。吸血鬼の姉御が耳と尾の生えた赤子を拾った時点で、あっしは動き始め ちょりやしたからねぇ。何事も早い方がええですからねぇ。ですが、あっしが危険を冒して得た情報でやんすから、 ロハっちゅうわけにはいきやせんなぁ。あっしと兄貴方の付き合いは長ぇでやんすが、知り合いっちゅうだけでやんすから、 それ相応の報酬を支払って頂けやせんと」

 ヴィンセントは尾を振りながら、舌なめずりをする。ブラッドは少々不愉快ではあったが、ルージュに尋ねた。

「台所になんかあったか?」

「魚の干物ならいくつか」

 ルージュも嫌そうではあったが、渋々答えた。ヴィンセントはにんまりと笑み、深々と頭を下げる。

「そいでは、その干物を三枚も頂ければあっしの小さな口も開くことでしょうや」

「じゃ、後でやるから、早く話せ」

 ブラッドが急かすも、ヴィンセントは悠長に寝そべった。

「こういう場合は前払いっちゅうのが基本中の基本でやんすよ、半吸血鬼の兄貴」

「ああもう、解った解った」

 ブラッドは鉱石ランプを取って立ち上がると、台所に向かった。ルージュは、夫の背に声を掛ける。

「魚の干物は右の戸棚に入っているからな」

 了解、とのブラッドの返事を受けてから、ルージュは鬱陶しげにヴィンセントを見下ろした。

「全く厚かましい奴だな、お前は」

「これでも勉強した方なんですぜ、吸血鬼の姉御」

 ヴィンセントの言い回しが今一つ理解出来ず、ルージュは首を捻った。程なくしてブラッドが台所から戻った。 ヴィンセントの注文通り、三枚の魚の干物をテーブルに並べると、ヴィンセントは鼻を突き出してひとしきり匂いを 嗅いでから、干物を舌先で舐めて味を確かめた。ソファーに身を戻したヴィンセントは、話し始めた。

「そいでは、お話しさせて頂きやす。あっしの調べに寄りやすと、産まれて間もないローガンをこの森に 捨てたのは農夫を装った使用人でやんして、その使用人が仕えちょるのはこの町の唯一にして最大の資産家、 アンドリューズ家でやんす。帰り道を変えたり服装を変えたりして誤魔化そうとしちょりやしたが、所詮は田舎者の 浅知恵、あっしの追跡から逃げられるわけがねぇんでさぁ。アンドリューズ家には三人の息子と一人の娘がおりやしたが、 共和国戦争でそのうちの三人が全て戦死し、残されたのは末娘のナタリア嬢だけでやんした。そこであっしはナタリア嬢の 周囲を嗅ぎ回ってみたところ、生臭ぇ話がいくつも出てきやしたよ。ナタリア嬢は外面こそ整っておられやすが、 これがどうにもタチの悪い色情狂でやんして、あの家の使用人は男女問わず全部お手つきでやんした。使用人と言えど 人の子でやんすから、そう毎日毎日せがまれては枯れっちまいやす。かといって、その辺から精力の強い男をふん捕めぇて あてがうっちゅうのはアンドリューズ家の沽券に関わる、っちゅうことで」

 ヴィンセントと言えど、多少なりとも不快感を露わにした。

「獣をあてがうようになったんでやんすよ」

「ブラッドの想像と大差ないな」

 ルージュは苦々しげに漏らした。ブラッドはひどく気が重くなったが、口を開いた。

「オレの考えが外れていれば、まだ良かったよな…」

「まあ、あっしも調べていて嫌んなりやしたがね。人間っちゅうのはこうも浅ましいもんかと」

 ヴィンセントは、小さな眉間にシワを寄せる。

「三年前、ナタリア嬢は床に伏せっていた時期がありやした。アンドリューズ家お抱えの医者の診療記録書も 見つけ出して、三年前の記録書を一通り読みやしたところ、ナタリア嬢は病気ではなく妊娠しておったんでやんす。 気付いた頃には堕胎することも出来なくなっちょったんで、ナタリア嬢を死なせないためにも産ませるしかないっちゅう ことで産んだんでやんすが、その赤子っちゅうのが」

「ローガン、だな?」

 鉛のように重たい声で、ルージュが呟いた。へえ、とヴィンセントは肯定する。

「ナタリア嬢が獣と交わった末に産み落とした赤子には、人のものではない耳と尾が生えちょったんでやんす。 記録書ではその辺のことは曖昧な記述にしちょりやしたが、あっしの目は誤魔化せやせん。ここから先はあっしの 推測に過ぎやせんが、ナタリア嬢と交わった獣には魔物の血が流れちょったんじゃあねぇか、とね。ほとんどの魔物族は 人間に駆逐されて滅ぼされちまいやしたが、こうしてあっしや兄貴方がおられるように、完全に滅ぼされたっちゅう わけじゃありやせん。ですが、生き残ったとしても、交配出来る同族はいなくなっちまいやした。そこで同族に似た姿の 獣を見つけ、交わり、繁殖したが、血は薄まるばかりでやんした。いつしかその姿は交わった獣と同じものに成り下がり、 魔力も失い、単なる獣と化して生きていたんでしょうなぁ。ところがぎっちょん、三年前、ブリガドーンが破壊された際に 発生した広範囲の魔力波によって血の中に眠っていた魔物の因子が目覚めてしまい、全く違う種族であるナタリア嬢の 腹に種が根付いちまったっちゅうところでしょうや」

 聞いているだけで胸の悪くなる話だった。ブラッドは苦みが喉の奥に迫り上がったが、強引に飲み下し、堪えた。 ルージュも顔色こそ変わらなかったが、表情を失っていた。ブラッドは妻の気持ちを慮り、その冷たい背をさすった。 ブラッドも魔物と人が交わって産まれた存在だが、父親のラミアンは人間に酷似した姿に擬態出来る高位魔物だ。 ヴィンセントの想像が正しければ、ローガンの父親は魔物の血を引いていたと言うだけのただの獣になってしまう。 ブラッドは息子のためにもヴィンセントの想像を否定したかったが、否定出来るだけの材料が見当たらなかった。

「そいで、知ったところでどうするっちゅうんでやんすか?」

 ヴィンセントの言葉に、ブラッドは意識を戻した。

「そこから先は、考えてなかったな」

「たとえ生まれが何であろうと、あの子は私達の息子だ。過ぎたことは、どうでもいい」

 ルージュは、気丈に言い切った。ブラッドは、妻の肩を抱き寄せる。

「そうだな。このことは、オレ達の胸の中にだけ仕舞っておこう」

「そう出来るんなら、ええんですがねぇ」

 ヴィンセントの粘りつくような言い回しに、ブラッドは訝った。

「まさかとは思うが、アンドリューズ家の連中がローガンを探しているってんじゃないだろうな?」

「いやいや、もっと悪ぃことになってやすぜ」

 ヴィンセントは伸ばした前足の上に、ちょこんと顎を載せる。

「ここのところ、ナタリア嬢は血を見るのに凝っちょりやしてねぇ。使用人や猟師に命じて獣を生け捕りにしては、 次から次へと殺すようになっちまったんでやんすよ。この間も森の傍まで馬車で乗り付けて、獣を一匹殺しちょりやした。 近頃じゃあ人を殺してみたいだの何だのと言うようになりやして、使用人達はほとほと困っちょるんでさぁ。そこで使用人達は、 浮浪児に金や菓子を与えて屋敷に招き…」

「気分が悪いなんてもんじゃねぇな」

 オレ達魔物の方がまだまともだぜ、とブラッドは顔を歪めた。ヴィンセントは、小さく息を吐く。

「貴族階級の世界じゃあ珍しくもなんともありやせんが、やっぱり気色悪いもんは悪いんでやんすよ」

「自由が利く身だったら、その女の首を飛ばしてやったものを」

 ルージュは牙を剥き、吐き捨てる。

「人を裁くのは人の役目でやんすが、この街の連中はアンドリューズ家には手を出せないようでやんすし、このまま 放っちょいたら犠牲者は増える一方でやんす。早いところ手を打っておくべきだと思いやすが、どうしたもんか…」

 ヴィンセントは、尾の先でソファーを叩いている。

「ないわけでは、ないかもしれないが」

 ルージュは目を上げたが、伏せてしまった。

「それ、どんな方法だ?」

 ブラッドが問うと、ルージュは口籠もった。

「手段としては有効だが、人道的には良くないんだ」

「殺人者に人道も何もありゃしやせんぜ、吸血鬼の姉御」

 ヴィンセントの淡々としていながらも辛辣な言葉に、ルージュは再度目を上げた。

「そうだな、それが道理だ。リチャード・ヴァトラスの存在を利用するんだ。奴はあることないことを吹聴したおかげで 大量の罪を犯したことになっているから、微罪が増えても違和感はない。リチャード本人が処刑された後でも、連合軍も 国際政府連盟もリチャードの罪状を増やすことに手を尽くしているようだから、名前を挙げただけで飛び付いてくるはずだ。 だが、それが上手く行くとは限らない。リチャードとアンドリューズ家の間にそれらしい関連性を持たせなければ、どちらも 本気にはしないだろう」

「でしたら、こうしやしょう。ナタリア嬢はリチャード・ヴァトラスの悪しき魔法で心を病んでしまった、とでも書き付けた 書簡を連合軍に密告しちまいやしょうや。もちろん、あっしらの名前は出しやせん」

「でも、たったそれだけでいいのか?」

 不安げなブラッドに、ヴィンセントは返す。

「下手な小細工をしたって、怪しまれるだけでやんすよ。それに、兄貴方がちょいとでも動いたら、この家をじいっと 見張っちょる方々も動き出してしまいやす。そうなれば、元も子もありやせん」

「だが、問題は、その密告書を誰が書くかと言うことだが」

 ルージュの視線が、ヴィンセントに注がれる。ブラッドも妻に倣い、白ネコを見下ろす。

「オレとルージュの筆跡は連合軍にも国際政府連盟にも押さえられちまってるし、偽造しようにもそんなに 器用じゃねぇし、かといって印字機を買えるほど金があるわけじゃねぇしなぁ。なあ、ヴィンセント?」

「だったら、もうちょいと干物を下せぇな」

「だとさ」

 ブラッドがルージュに向くと、ルージュは躊躇っていたが言った。

「解った。残りの干物も持って行け。これで今週の蛋白源が尽きたな…」

「え?」

 妻の言葉に、ブラッドは目を剥いた。夫の態度に、ルージュはむっとする。

「ヴィンセントを連れ込んだのはお前だろうが、ブラッド。ただでさえ家計は逼迫しているんだ、余計なものなど 買えないんだ。ゼレイブとこの街では根本的に勝手が違うんだぞ」

「蛋白がねぇのは辛いなぁ…」

 ブラッドは忌々しげに、ヴィンセントを睨んだ。ヴィンセントはテーブルに飛び乗ると、干物を体の下に隠す。

「こいつぁあっしが頂いたもんでやんすよ、返せと言われて返すわけにはいきやせん」

「仕方ない、湖に釣りにでも行くか」

 干物を取り返すことを諦めたブラッドは、嘆息した。ルージュは、棚上の置き時計を指す。

「それはそれとして、ブラッド。あと三時間もすれば出勤時間なんだが」

「げ」

 ブラッドはぎょっとして、立ち上がった。ヴィンセントが来てから話し込んだせいで、睡眠時間が奪われた。 吸血鬼と言えど、眠らなければ体は持たない。ブラッドはルージュに後の事を任せてから、急いで寝室に戻った。 ブラッドの後ろ姿を見送ってから、ルージュは肩を落とした。息子も大事だが、日常生活はもっと大事だ。 ローガンが小さいためにルージュは働きに出られないので、この家の収入源は当分の間ブラッドの稼ぎだけだ。 だが、それも大した額ではない。魔導師としての腕は優れている方なのだが、それ以外の特殊技能がないからだ。 この街は元々の住人と戦災難民が混じって暮らしている街であり、ブラドール一家は分類としては後者に当たる。 余所者が出来る仕事は限られており、過酷な土木工事や戦時中に破壊された線路の整備などの重労働が多い。 ブラッドは半吸血鬼故に体力は人並み以上にあるので、そういった仕事は難なくこなせるが給料は少なかった。 その上、成長したローガンも立派に物を食べるようになったので、月が増すごとに食費が嵩むようになってきた。 ルージュは物を一切食べられないので多少は金が浮いていたのだが、これから先はますます逼迫していくだろう。

「そろそろ帰れ、ヴィンセント。私も眠らなくてはならない」

 台所から戻ってきたルージュは、残りの干物をヴィンセントの前に置いた。

「そうさせてもらいやすよ。仕事を承った以上、やらなきゃなりやせんからねぇ」

 ヴィンセントは干物に前足を翳して魔法で消失させると、ソファーから降りて玄関に歩き出したが、立ち止まった。

「吸血鬼の姉御。半吸血鬼の兄貴はちょいと頼りねぇところもあるようですが、ええ男になりやしたねぇ」

「ああ」

 ルージュは、少し笑んだ。

「私達を謀ったお前のことは未だに許せないし、これからも許す気はない。だが、少しは利用価値があるようだな」

「そいつぁあっしも同じですぜ、吸血鬼の姉御」

 ヴィンセントは暗闇の中で目を細めた。ルージュは玄関の扉を開けて外に出してから、扉に鍵を掛けた。 ルージュは鉱石ランプをぶら下げて寝室へと向かいながら、ヴィンセントの思惑について考えを巡らせていた。 ヴィンセントは一筋縄では行かないネコだ。魔導兵器三人衆であった頃には、いいように利用されてしまった。 今度もまた、そうなのだろう。ヴィンセント側にも何かしらの利点がない限り、干物だけでは引き受けないはずだ。
 寝室に入ったルージュは、息子の傍らで眠りこける夫の姿に頬を緩めた。子供並みに寝付くのが早い。 夫に縋って熟睡しているローガンは尖った耳を伏せ、涎を垂らしている。大人しくなるのは、眠っている時だけだ。 ルージュはベッドに腰掛け、ローガンが蹴り飛ばした掛布を直した。二人の寝顔を見ているだけで、胸が詰まった。 ローガンの産みの母親について考えたことはいくらでもある。我が子を攫っていくのでは、と思った時もあった。 一年経っても、二年経っても、三年目を迎えてもローガンの産みの母親は現れず、家族は脅かされなかった。 ヴィンセントの思惑通りに、ナタリア・アンドリューズが一刻も早く逮捕されて、処刑されることを願って止まない。 ルージュとは接点などない女なのに、嫉妬が燻った。愛しい我が子を捨てた女なのに、ほんの少しだけ羨ましかった。 産めるものなら自分が産みたかった。胸を張って母親だと名乗りたかった。だが、それは決して叶わない夢だ。 だから、本当の母親には死んでもらうしかないのだ。そうすれば、ルージュはローガンの唯一の母親になれる。
 なんて嫌な女だ。ルージュは自分自身の考えを蔑み、唇を噛んだ。愛し、愛されれば、それだけでいいはずなのに。 自己嫌悪のあまり、冷却水の涙が滲んだ。それを拭ってから、ルージュは寝床に潜り込んで息子を抱いた。
 息子の体温を感じながら、心の中で自分を責め続けた。





 


08 5/11