歌劇場の屋根の上に、彼は立っていた。 建物の内側から伝わってくる歌声と演奏に、聞き入っていた。感覚を高めれば、あの歌い手の歌声は聞こえる。 先日よりも月は大分細くなり、光も弱まっていた。ほとんど影は出来ず、彼の姿も、夜の暗闇に馴染んでいた。 高層建築の間を吹き抜けてくる生温い風に髪を揺らされたので、手で押さえた。彼は、傍らの機械人形に呟いた。 「良い歌だねぇ」 アルゼンタムは答えずに、じっとどこかを見つめていた。反応がないので、彼はつまらなさそうにする。 「珍しいな、君が大人しいなんて。僕とグレイスが君を改造したから、調子でも悪くなったのかい」 「違ェヨォー」 アルゼンタムは、ぎち、と顔を上げた。銀色の仮面は薄い光を受け、つやりとした光沢を帯びていた。 「テメェがオイラの体ァいじくったのハァー、関係ネェーンダァヨォー」 「それじゃ、何かい。今回の作戦に不満でも?」 「ソウジャア、ネェー…」 アルゼンタムは、気持ちだけ目を細めた。感覚を高めようと思っても鋭さが出ず、女優の歌しか聞こえなかった。 歌劇場の中にひしめく人間達の中に、例の女優以外の高魔力者もいるのだが、どこにいるのかまるで解らない。 竜の少女の気配が混じっているような気もするのだが、女優の歌声が雑音となっていて、明確には感じられない。 感覚が鋭敏にならない歯痒さに苛立ったアルゼンタムは、ドォーチクショオォー、と甲高い声で吐き捨てた。 「オイラってば超絶イケてネェー、テイウカァー、歌がウルセェからナァーンニモ解ッンネェエエエエエ!」 「グレイスの言う通り、君の感覚は大分鈍いね。感覚というものは、本来は生身の生き物が備えているものだから」 彼は、メガネ越しに銀色の骸骨を見下ろした。 「有機生命体でない君が、それを失ってしまっているのは無理からぬことだ。だけど、そのための改造には手間と金が掛かってしまうから、グレイス・ルーが引き受けてくれるかどうか怪しいんだよ。彼は、兄であるデイビット・バレットに似て腕の良い魔導技師でもあるけど、やる気にムラがあるのは頂けないよ。フィフィリアンヌ・ドラグーンのように、金さえ積めばどうこうなる男じゃない。彼は、自分の気に入ったことしかやらないから」 子供みたいだよ、と彼は嫌そうに唇を尖らせた。アルゼンタムは彼を見上げていたが、歌劇場を見下ろした。 巨大な箱だった。劇場というものの構造上、正方形にも似た形状となっていて、正しく箱というに相応しかった。 レンガで組まれた厚い壁の底から、劇独特の気配が滲み出てくる。日常から懸け離れた、作り事の世界だ。 正面の入り口にひしめいていた観客達も、今は箱の中にすっぽり納まっているので、辺りは静かなほどだった。 静寂が金属の体を鎮めていても、本能は落ち着かなかった。アルゼンタムは、今も沸き起こる飢えを堪えていた。 喰いたい。飲みたい。腹が空いている。満たしたい。満たしたくて溜まらない。だから、人を思い切り喰いたい。 アルゼンタムは、仮面の下でがちりと歯を鳴らした。昨日の夜から満ちていなかった腹が、更に減っている。 「うくくくくくくく」 喰いたい喰いたい喰いたい。アルゼンタムは狂気にも似た飢餓感で笑い声を漏らし、ゆらりと立ち上がる。 「うけけけけけけけけけけけ」 「もう、良さそうだね」 彼は懐中時計を取り出して蓋を開け、時間を確かめると、ぱちり、と蓋を閉じる。 「食事の時間だ、アルゼンタム。思う存分、喰って来るがいいさ」 「言ィワレナァクトモ、喰うぜ喰らうぜ喰っちゃるゼェエエエエエエエ!」 うかかかかかかっ、と笑いながらアルゼンタムは屋根を蹴り、宙に身を投げた。銀色の影は、すぐに落下した。 屋根の真下、正面玄関からは騒ぎ慌てる人間達の悲鳴が聞こえる。そして、凄絶な断末魔が響いてきた。 早速、手近な人間に手を付けたようだった。アルゼンタムの飢えの凄まじさを感じ、彼はにんまりと笑った。 そうやって、あの女優を殺してくるといい。きっと、良い味がするはずだ。彼女は、相当な高魔力者なのだから。 彼女がこちらの世界から遠のいて、もう何年にもなる。女優になったと聞いていたが、まさか本当だったとは。 どれだけ美しくなったか気にはなったが、見る気はなかった。もうすぐ、アルゼンタムの餌になる人間なのだから。 彼は屋根に腰を下ろし、旧王都を眺めた。闇に沈んだ高層建築のいくつかの窓に、柔らかな明かりが見えている。 箱の中から流れてくる歌声は、愛の尊さを歌っていた。 歌劇場の二階席は、静まっていた。 なんだかんだで、それぞれが劇の内容に集中していた。話の内容は、生き別れた兄と妹が再会するまでの話だ。 時代は中世で、兄と妹は王族だった。横暴な強国の軍隊によって妹は連れ去られ、兄は仲間と共に助けに行く。 その途中、連れてきた部下に裏切られたり、妹の婚約者だった貴族が裏で糸を引いていたことが解ったりした。 思いの外重たい内容に、レオナルドは意表を突かれていた。大抵の劇は薄っぺらい恋愛だ、と思っていたからだ。 次がどうなるかがあまり読めないので、展開が楽しみになってきた。リチャードの言う通り、楽しんだ方がいい。 妹の婚約者であった貴族が、兄によって追放された。その後貴族の男は、強国の使者によって殺されてしまう。 役に立たなかったのだから、切り捨ててしまうべきだ、ということだった。恐らく、風刺も混じっているのだろう。 近代社会に置いて、貴族達は権力を失いつつある。だが大半の貴族達は、未だに過去の栄華に縋り付いている。 ストレイン家のように成功するのはごく一部で、大抵は事業に手を出して失敗し、財産の多くを失ってしまうのだ。 だが、高みにいた者達は、いきなり平民と同じように生きろと言われても、今までが今までだから無理な話だ。 空を飛んでいた鳥に、もぐらになれと言っても出来ないように。貴族には貴族の、長きに渡る誇りがあるのだから。 レオナルドはそんなことを考えながら、ちらりと左隣を見た。舞台からの明かりで、フィリオラの姿が見えていた。 銀の髪留めは、スイセンを模しているようだった。ヴァトラスの家紋と同じなのだから、花弁の形状と枚数で解る。 黒に近い緑髪を編み上げて結い、くるりとまとめている。普段は見えていない細い首筋が、露わになっていた。 薄緑色の衣装は、襟ぐりが広かった。色の白い喉が鎖骨に繋がっていて、そこから先は起伏の少ない胸だった。 うなじには数本の後れ毛が落ちていて、それがいやに目に付いた。幼さが消えていて、色香すら感じられた。 不意に、レオナルドは、ずきりとした痛みを胸に覚えた。それが何なのか解ってしまいたくなくて、顔をしかめた。 フィリオラに女を感じたことなど、なかったのに。多少着飾ったくらいでどうだというんだ、と内心で毒づいた。 だが、一度覚えてしまった感覚はそう簡単には払拭出来ない。忘れたはずの、口付けの感触すら思い出しそうだ。 「レオさん」 小さく、声がした。レオナルドが一瞬反応に遅れると、フィリオラは振り向き、笑った。 「なんか、嬉しいです」 「何がだ」 レオナルドが嫌そうにすると、フィリオラは白い手袋を填めた両手を胸の前で重ねた。 「だって、あんまり文句を言ってこないじゃないですか。だから、悪くはないんだなぁーって思って」 「言う暇がなかっただけだ」 フィリオラに合わせ、レオナルドは小声で返した。楽団の演奏と女優の歌声に、消されてしまうほどの声だった。 「言って欲しいなら言ってやるぞ。それこそ、お前がうんざりするぐらいにな」 「誰も言って欲しいなんて思ってません」 だからレオさんて嫌い、とフィリオラはむくれた。レオナルドは、なるべく素っ気なく言う。 「ギルディオスさんとブラッドはどうした。兄貴の誘いは受けなかったのか?」 「小父様は用事があるとかで。ブラッドさんは眠いんだそうです。今日の昼間も、先生の助手をしてきましたから」 「お前は眠くならないのか?」 「…ちょっとは」 情けなさそうに、フィリオラは舌を出した。ふんわりと広がったスカートの裾を引っ張り、つま先を出す。 「足が痛くて助かりました。痛いおかげで、そんなに眠くならなくて済みましたから」 レオナルドは、そうか、とだけ返した。フィリオラはスカートを戻してから、背中を柔らかな背もたれに埋めた。 「レオさん」 「なんだ」 「カッコ良いですよ」 思い掛けない言葉に、レオナルドは吹き出しかけた。ぎょっとして目を丸くすると、フィリオラは慌てる。 「あ、ごめんなさい。で、ですけどね、そう思ったわけでして」 「…そう、思うのか?」 レオナルドは、自分の格好を見下ろした。着慣れない礼装姿は、何度見ても自分ではしっくり来なかった。 はい、とフィリオラは頷いた。上から下までレオナルドを見回してから、ふにゃりとした柔らかな笑顔になる。 「レオさんて、背が高いじゃないですか。そういう男の人がかっちりした服を着ているのって、素敵だと思うんです」 「言われたこと、なかったぞ」 レオナルドは、変な笑いを浮かべた。自分では似合わないと思っている格好を褒められると、戸惑ってしまう。 フィリオラは、上目にレオナルドを見上げた。口元を押さえて目元を歪めている彼を見、眉を下げた。 「言っちゃ、いけませんでしたか?」 「いや、そういうわけでは」 「なら、良かったです。レオさんが怒ってなくて」 フィリオラは、小冊子で口元を隠して笑った。 「でも、レオさんって、怒ってないときはなんだか可愛いですね」 「かっ」 今度は、声が裏返ってしまった。レオナルドは面食らってしまい、フィリオラをまじまじと見つめた。 「お前、どんな感覚をしているんだ。オレのどこに、その、可愛げがあると思うんだ」 「あると思いますよ」 フィリオラは、さも当然のように言った。レオナルドは腕を組み、本気で悩み出しそうになる。 「オレは…ないと思うが」 気難しげに眉間をひそめたレオナルドの横顔に、フィリオラはくすりと笑った。そういうところが、可愛いと思う。 普段はあれほど強気で嫌味ばかりを並べ立てるのに、少し褒めたらこれだ。これが、愛嬌でなくてなんだろうか。 ずっと、このままだったらいいのに。あの文句さえなくなってしまえば、彼のことは好きになれそうだと思っていた。 近頃は前のような刺々しさが減ってきたし、無下にもしなくなった。だが、未だに顔を合わせれば皮肉を言ってくる。 それさえ、なくなってしまえば。フィリオラはそう思っていたが口には出さず、歌劇が続いている舞台を見下ろした。 その手前に、焦点を合わせた。キャロルと隣り合って座るリチャードは物静かで、観劇に集中しているようだ。 彼の左隣のキャロルはすっかり固まっていて、表情を強張らせていて、劇の内容など頭に入っていないようだった。 いいなぁ、と思った。キャロルのいる場所もそうだが、その初々しさが可愛らしくて、ついつい顔が綻んでしまう。 本当に、彼女の恋が叶えばいいと願っていた。無論、そう思うたびに、ちくりとした嫉妬が胸の奥に湧いてくる。 複雑な心境だった。フィリオラはどちらに心を傾ければいいのか解らず、双方の感情の感覚を味わっていた。 レオナルドは、横目にフィリオラを見た。リチャードを見つめている彼女の横顔は、切なげに微笑んでいた。 それが、美しかった。完全に笑うでもなく、完全に悲しむでもなく、二つの感情が入り交じった目をしていた。 胸の奥の痛みは、更に増した。見れば見るほどに痛みが増すと解っていても、目を逸らすことが出来なくなった。 目を動かすと、すぐに滑らかな首筋が目に入り、そこに繋がる鎖骨や喉元に向かってしまう。強引に、上にやる。 視界には、あのスイセンの髪留めが入ってきた。すると、フィリオラはレオナルドに目線に気付き、振り向いた。 「なんですか?」 レオナルドは言葉に詰まってしまい、言い訳じみた言葉を出した。 「いや。それは、悪くないと思ったんだ」 「あ、これですか」 フィリオラは後頭部に手を伸ばして髪留めに触れると、嬉しそうに目を細めた。 「これ、大分前に小父様がくれたんですよねー。だから、余計に嬉しいです。ありがとうございます」 薄化粧をしていても、表情は子供じみていた。だらしなく顔を緩ませるフィリオラから、レオナルドは目を外した。 これ以上見ていたら、どうにかなってしまいそうだった。胸の痛みが、次第に照れくささを生じさせ始めていた。 久々に、炎の力以外の熱があった。体中で荒れ狂う発火能力とは違った、妙なやりづらさのある熱だった。 レオナルドは情けなくなりながら、ため息を零した。すると唐突に、フィリオラは目を見開き、息を詰めた。 リチャードも身を乗り出して、傍らに置いていた杖を取っている。レオナルドも、間を置いてから気付いた。 何か、近くにいる。それも、近付いてきている。キャロルは様子が変わった三人を見回し、不思議そうにする。 「あの、どうかしたんですか?」 「君は座っていてくれないかな。ここから先は、僕らの仕事だから」 リチャードは、キャロルの肩を軽く叩いてやった。キャロルは真っ赤に頬を染めると、こくんと頷いた。 フィリオラは髪留めに手を掛け、外した。編んでいた髪が落ちると括っていた紐を解き、残念そうにする。 「せっかく一生懸命編んだのにぃ」 衣装の背中に手を回してから、フィリオラはレオナルドとリチャードに苦笑いする。 「あの、あっち、向いててもらえます?」 「はいはい」 リチャードは頷くと、レオナルドをぐいっと引っ張った。レオナルドが戸惑っていると、兄は弟に囁く。 「ご婦人が脱ぐんだ、まじまじと見ちゃいけないよ」 「…あ?」 訳も解らず、レオナルドは変な声を出した。確かに、何かが来る感覚はあったが、なぜそこで脱ぐのだろうか。 はいはい、とリチャードによって顔を反らされ、レオナルドはきょとんとした。背後から、衣擦れの音がする。 どさり、と布が落ちる音や、紐を外す音、そして小さな声だった。全部脱ぐと寒いですねぇ、という言葉。 レオナルドは、背後を見てはいけないと思いつつも意識はそちらに向いていた。不意に、フィリオラは叫んだ。 「へんーっしんっ!」 空気が、変わったのが解った。少女の魔力が張り詰め、気配が強まり、レオナルドの感覚が一気に逆立った。 ばさり、と空気が何かによって叩かれ、風が起きた。レオナルドが振り向くと、彼女は、その姿を変えていた。 切ったはずのツノが長く伸び、背中には竜の大きな翼を生やし、青い瞳は赤く染まり、髪は濃緑になっていた。 胸元と下半身はウロコに覆い隠されていたが、腹部や華奢な腰は露わだ。両肘と両膝から先は、竜だった。 太く逞しい腕が、細い二の腕の先に付いている。手足は大きくなっていて、体と釣り合いが取れていなかった。 フィリオラは、冷たさを帯びた笑みを作った。口元から覗いている鋭く尖った牙が、舞台照明で小さく光った。 「レオさん。せいぜい、そこで見ていて下さいね。いくらあなたが念力発火能力者といえど、人間風情が竜と同等に戦えるはずがありませんからね」 レオナルドは、言い返すことを忘れていた。フィリオラの雰囲気に飲まれているのは、彼だけではなかった。 キャロルは、姿を変えたフィリオラの態度に怯えていた。竜の気配が恐ろしいのも相まって、身を縮めている。 フィリオラは翼を下げて歩き、キャロルの隣までやってきた。赤毛の少女を見下ろすと、にたりと目を細めた。 「キャロルさん、あなたもです。先生がいますから死にはしないと思いますけど、守れなかったらごめんなさいね?」 キャロルは何も言えず、頷いた。良い子ですね、とフィリオラは嘲るような笑みを見せ、ふわりと浮かび上がった。 竜の少女の姿を見ている者は、三人の他にはいないようだった。舞台上の俳優は、気付いているかもしれないが。 それでも、観客席の気配は変わっていなかった。楽団の演奏は佳境に入り、女優の歌声も更に伸びやかになる。 舞台の中心で、モニカ・ゼフォン演じる妹姫は悲劇を嘆いていた。悲しげな歌声が、劇場の空気を震わせている。 豊かな金髪と青い瞳の女優、モニカはちらりとフィリオラに目を向けてきたが、すぐに戻して歌い続けていた。 「あの人も気付いていますね。まぁ、当然と言えば当然でしょうけど。これだけ血生臭ければ」 フィリオラは、劇場の扉に向いた。舞台の真正面にある大きな扉は閉ざされていて、係員が左右を挟んでいる。 「十、九、八」 悲鳴が聞こえてくる。絶叫が響いてくる。 「七、六、五」 甲高い叫声と共に、扉が激しく揺さぶられた。その勢いで鍵が壊れて吹き飛び、扉も外れて倒れた。 「四」 倒れた扉の上には、無惨に切り裂かれた人間の残骸があり、その上には銀色の骸骨がいた。 「三」 銀色の骸骨は血に汚れた仮面から赤い滴を落としながら、ぎち、と首を動かして舞台に向いた。 「二」 立ち上がった銀色の骸骨は、絨毯の敷き詰められた床を蹴り、観客席の上を飛ぶように跳ねた。 「一」 フィリオラは観客席の上に出、銀色の骸骨の軌道上に浮かんだ。大きく翼を広げ、その行く手を阻んだ。 「ゼロ」 「イィヤッホォオオオオオオオ!」 マントをなびかせながら飛んできたアルゼンタムは、一気にフィリオラの元まで到達し、血を振りまきながら笑う。 「喰うぜ喰らうぜ喰ってやるゼェエエエエエエエ!」 フィリオラは片手を出し、擦れ違いそうになったアルゼンタムの首を掴んだ。がしゃり、と銀色の骸骨が止まる。 頸椎そのものの首を、骨張った爬虫類の手が握り締める。ぎちぎちと金属を軋ませながら、フィリオラは、笑う。 「お久し振りですねぇ、イカレ機械人形のアルゼンタムさん」 「うかかかかかかかっ」 体を揺らしたアルゼンタムは、反動で足を上に挙げた。それが頭に届く前に、フィリオラはぐいっと腕を捻った。 振り回すようにして、銀色の影を放り投げた。空を切って飛び抜けた銀色は、装飾を砕きながら壁に埋まる。 激しい衝撃が、広い壁を揺らした。銀色の骸骨の形で壁にへこみが出来、砕けた壁の白い粉が飛び散った。 観客達は、騒然としていた。我先に逃げ出そうとするが、扉に転がっている死体を恐れて逃げ出せずにいた。 その扉が閉ざしていた先、正面玄関前の広間も死体だらけだった。派手に切り殺されていて、喰われた後だった。 フィリオラは乱れに乱れている人々を一瞥すると、舞台を背にして降下した。一度羽ばたき、壁に目をやる。 「さっさと出てきなさい」 「うくくくくくくくくくく」 ばらり、と壁の破片を落としながら背中を抜いたアルゼンタムは、赤黒い筋の絡んだ指先で口元を拭う。 「イカすイカすぜ超イケてるゼェエエエエエ! オイラァ、テメェみてぇな女ァ好きだ好きだぜ大好きダァアアアア!」 アルゼンタムは観客のいなくなった客席に踏み出てくると、座席に昇り、頭上の竜の少女を見上げる。 「ダッカッラァー、腹ァかっ捌いて喰ってやるゼェエエエエエエッ!」 「あら。あなたの標的は、あちらの女優さんじゃなかったんですか?」 フィリオラは、舞台上に立っている主演女優を太い爪先で指した。チッチッチィー、とアルゼンタムは指を振る。 「ドォーセ喰うナァーラァアアアアア、旨い方がイケてるに決まってンダァーロォオオオオ?」 「なかなか話が解るじゃないですか。私も、そちらの方が好みです」 フィリオラは、薄い赤の口紅を乗せた唇を上向ける。 「下手に一般の方に手を出されると、守るのが億劫で凄く面倒なんですよね」 フィリオラは微笑んだ。薄化粧が、毒々しい笑みを引き立てていた。 「全力で、あなたを料理してあげます」 05 12/10 |