ギルディオスは、銃口を下ろした。 手にしている小銃から、硝煙が立ち上っている。目の前に立ち塞がっていた歩兵の顔は、銃撃で抉れていた。 こちらに飛び掛かろうとした格好のまま崩れ落ちて倒れ、小銃を落とす。その小銃を、躊躇いもなく取る。 兵士の腰から弾丸も抜き取り、己の物入れに突っ込む。小銃に次の弾丸を込めつつ、周囲の様子を窺った。 聞き慣れた銃声が辺り一帯に響き渡り、その音の前後に絶叫が聞こえ、無惨な死体の数が増えていく。 狙い撃ちされないうちに、さっさと移動してしまおう。このまま突っ立っていては、いずれ撃たれるだけだ。 ギルディオスは甲冑の上に無理矢理着込んだ戦闘服の襟を立て、銀色の兜を覆い隠している覆面を直した。 腰を落として前傾姿勢になり、足早に駆けていく。土を積み上げた後ろで、銃撃戦をしている仲間に近寄る。 ギルディオスが土山の背後に滑り込んだ途端、手前にいた味方の兵士の肩が吹き飛ばされ、彼は転げていった。 絶叫を上げながらよろけた若い兵士は、その勢いで、敵軍と自軍を遮蔽していた土山の影から出てしまった。 直後、複数の弾丸が若い兵士の頭部を貫いた。赤黒い飛沫を散らしながら後方に傾き、どちゃっ、と倒れた。 ギルディオスは絶命した兵士を見ていたが、ちぃ、と舌打ちした。これで、小隊の損失は三人になってしまった。 一刻も早くカタを付けなければ。ギルディオスは、土山の上に小銃を載せて、敵兵に向けて照準を合わせた。 「しかし、面倒だな。銃ってやつはよ」 「そうですかね。私はこっちの方が楽だと思いますが」 ギルディオスのぼやきに、隣で射撃を続けていた兵士が言った。ギルディオスは、引き金を引いて発砲した。 だが、ギルディオスの放った弾丸は敵兵の腕を砕いた。頭を狙ったはずが、反動でぶれてしまったらしかった。 ギルディオスは狙いが外れてしまったことを苦々しく思いながら、小銃に弾を込め直し、恨みがましく呟いた。 「あーもう、なんで外れんだよ」 「接近戦だと負けなしなんですけどねぇ、小隊長って」 なのにどうして、と不思議そうにしながら、兵士は小銃を構えて撃ち、正確に敵兵の胸を貫いた。 「あと、どれくらいで終わりますかねぇ」 「三人も死なせちまったからな…。さっさと終わらせねぇと、もっと死んじまう」 ギルディオスは覆面の隙間から辺りを見回して味方の数を確かめると、自分の小銃を足元に横たえた。 「んじゃ、いつもので行くかな。全員、撃ち方止め!」 「援護ぐらいはさせて下さいよ、小隊長!」 二人の背後のある瓦礫から顔を出した味方の兵士が叫ぶと、ギルディオスは拳を固めた。 「明日もどうせやり合うんだ、無駄弾は使わない方がいいぜ」 ですが、と背中に抗議の声が投げられたが、ギルディオスはそれに構うことなく、土の障壁を駆け上がった。 ふっ、と軽く息を吐きながら、高々と跳ね上がる。返り血と泥にまみれた戦闘服を着た巨体が、宙に浮いた。 銃弾の飛び交う真上に浮かんだギルディオスは、呆気に取られてこちらを見上げている敵勢を見渡した。 先程敵兵から奪った小銃を手の中で回し、銃身の先を握り締める。身を傾げて足を曲げ、一気に落下した。 敵兵の真正面に着地したギルディオスは腰を上げ、慌てて小銃を構え直している敵兵の中に突っ込んだ。 「へっ!」 ギルディオスの威勢の良い声と共に振り回された小銃で、一番前にいた敵兵の首が叩き潰され、頭が落ちる。 どっ、と足元に転がった血塗れの頭に、敵兵達は後退ろうとしたが、ギルディオスはそれより先に拳を振った。 ごしゃっ、と骨が砕ける音が響き、手にしていた小銃ごと腹を殴り付けられた敵兵は、がばっと血を噴いた。 手袋を填めたガントレットへ染み込んでくる血と体液に辟易しながらも、ギルディオスは拳を振るい続けた。 大抵の敵兵は、驚いている間に頭や首を砕いて絶命させ、構えた小銃と一緒に腹を拳で抉り、簡単に倒した。 敵兵の中にはまともに戦おうとする者もいたが、振り下ろされた剣を逆に奪い取って、更に戦い続けていった。 そして。巨体の兵士が拳を下ろした頃、銃声は完全に止み、敵兵は一人残らず殴り殺されて死体と化していた。 辺りには、硝煙と血の匂いが充満していた。 その夜。共和国軍旧帝都連隊第十五分隊は、野営地に戻っていた。 ギルディオスの所属する第十五分隊は、共和国の南西に位置する小国と、国境付近で小競り合いを続けていた。 原因は、小国が共和国が占領した土地を取り戻そうと進軍を始めたので、それを食い止めるための戦闘だった。 だが、その結果は既に見えていた。小国の送り込んできた兵力に対し、共和国軍の兵力はその数十倍だった。 なので、共和国軍が小国の軍を圧倒して制圧するのは時間の問題だったが、戦況は芳しいとは言えなかった。 共和国軍が優勢にいたにも関わらず、なぜか劣勢に追い込まれてしまい、負けてしまった戦闘がいくつかあった。 今の今まで逃げ惑っていた小国の兵士達が、いきなり態勢をきっちり整えて、的確な位置に反撃してきたのだ。 だが、恐ろしいほど整った統率と一糸乱れぬ銃撃が始まる前に号令などは聞かれず、それがまた不思議だった。 小国の軍からの斥候役が戦闘の騒ぎに紛れて共和国軍の中に潜んでいて情報を渡しているのでは、とも思った。 しかし、そうであるにしても敵勢の反応はいくら早すぎるし、斥候にしても潜んでいるなら解らないはずがない。 まるで、戦場を見下ろしている誰かに戦況を操られているような気分になり、気持ちの良い話ではなかった。 第十五分隊の野営地は、戦場となっている荒野から東側にしばらく歩いた場所で、背後に川が流れていた。 その川は共和国から流れているもので、下っていけば国境に繋がっており、丁度戦場の上流に位置していた。 なので、川の水に両軍の死体が流れていることはなく、工業地帯からも遠いので水質も一応保たれていた。 大量の返り血でどろどろになった戦闘服を脱いだギルディオスは、肩を回しながら、関節の動きを確かめていた。 今し方、戦闘服越しに染みてきた血を洗い流したばかりなのだが、錆止めの機械油が剥げてしまった気がする。 関節に差している油も水と一緒に抜けてしまったようで、滑りが悪くなっていて、耳障りな金属音がしている。 兵士達の足跡だらけの地面に、底が真っ平らでやけに大きな足跡を付けながら、炎に向かって歩いていった。 向かう先には、兵士達が休むための大きなテントがいくつも並んでいて、それらの中央に焚き火があった。 火を囲んで談笑している数人の兵士達の腕には、小銃が抱えられていて、いつでも撃てるようにしていた。 ギルディオスは暗がりで見張りをしている兵士に挨拶してから、焚き火を囲んでいる兵士達の元に近寄った。 「おう、戻ったぞ」 「英雄のご帰還ですね、小隊長」 兵士の一人が笑うと、ギルディオスは腰を下ろした。 「寄せやい。オレぁよ、そんな格好の良いことが似合うような男じゃねぇんだ」 「ご謙遜を。あれだけのご活躍をしておいて恰好が悪いはずがありませんよ、ヴァトラス大尉」 朱色の炎を浴びて装甲を輝かせている大柄な甲冑に、射撃の腕が優れていた兵士、ビリーが笑ってみせた。 ギルディオスは地面に直に座って胡座を掻くと、頬杖を付いた。もう一方の腕に、形だけだが小銃を抱えた。 「まさか。あんなに汚ぇ戦い方をする英雄なんているもんか」 「あ、被弾されたんですか?」 ビリーの隣に座っていた兵士が、ギルディオスの右腕を指した。ああ、ギルディオスは太い右腕を見やった。 細身の人間の胴ほどもありそうな太さの右の上腕には、弾丸と思しき丸い穴が、前後に一つずつ空いていた。 そういえば、暴れ回っている最中に一発ほど貫通した気がする。痛みが薄れたので、忘れてしまっていたのだ。 痛みの根源である異物が内に止まっていたら痛みは続くのだが、なくなってしまえは痛みは消えてしまう。 ギルディオスは割合大きな穴が開いている右上腕を見ていたが、がりがりとヘルムを掻き、情けなさそうにした。 「後で埋めておかねぇとな。風が入ってきちまうと寒いんだよな、腹ん中が」 「そういう感覚もおありなんですか、小隊長には」 まだ若さの残る兵士が、面白そうにする。ギルディオスは右上腕の穴から目を外し、まぁな、と肩を竦めた。 「生身の頃に比べたら大分鈍ったが、痛覚も触覚もちゃんとあるんだよ」 「本当に不思議でなりませんねぇ、小隊長どのは」 ビリーの隣の兵士、サムスがまじまじとギルディオスを眺めた。 「小隊長の下に配置されるまでは、自分は小隊長の存在を信じていませんでしたよ。増して、それが二等兵からの叩き上げで大尉にまでなっておられているなど、話だけでは到底信じられません。五百年近く生きている甲冑というのもそうですが、ほとんど銃を使わないで戦績を上げている、というのもそうです。ですが、こうして目の当たりにしてしまえば、信じないわけにはいきませんなぁ」 「別に、無理に信じてもらわなくてもいいんだけどな。信じられないなら信じられないで、それでいいんだよ」 ギルディオスはビリーが差し出してくれた紙巻き煙草を一本受け取ると、焚き火に近付け、先端に火を灯した。 ヘルムとマスクの隙間に押し込み、銜えるような恰好をする。吸えないのだが、気遣ってくれた部下への礼儀だ。 「魔法にしたってそうだ。お前らみてぇな若ぇのにとっちゃ、訳の解らない昔の技術に過ぎねぇだろうしよ」 「一応、学校で習うことには習ったのではありますが」 先程の若い兵士、エリックが苦い顔をした。 「あの、なんていうんですか、魔法文字ですか。あんなもん、読めませんよ。四角とか三角が重なってたり線が何本も書いてあったりするただの図形に、本当に魔力を操れるんでしょうか? 魔導師協会から派遣されてきた魔導師によれば、算術と理屈は同じだって話なんですが、自分にとっては算術の方がよっぽど解りやすいです。丸と三角を重ねて縦線で繋げたものがアウロスという魔法文字で魔力を制する作用がある、なんてことよりも、一と一を足して二になるって方がよっぽど簡単だと思いませんか?」 「良く覚えているな、そんなこと。オレなんかとっくに忘れちまったぞ」 ビリーがエリックを茶化すと、エリックは口元を引きつらせた。 「自分は、魔法の授業の点数が特に悪かったんですよ。だから、嫌になるほど魔法文字の復習をさせられていたんですよ。それこそ、魔法文字とその名前とその作用を覚えちゃうぐらいに」 「小隊長どのは解るんですか、魔法文字」 サムスがギルディオスに尋ねると、甲冑はヘルムとマスクの隙間から紙巻き煙草を抜き、紫煙を漏らした。 「多少はな。だが、前にも言ったようにオレは魔力がねぇから自力で魔法は使えないんだ。けど、覚えておいて損はねぇし、ちったぁ魔法の知識があった方が色々とやりやすいんだよ」 「色々とは?」 エリックが、心持ち身を乗り出してきた。ギルディオスは紙巻き煙草の灰を、足元に落とす。 「まぁ、色々さ」 ギルディオスは、紙巻き煙草を持った手を足の間に下ろした。冷たい夜風で、薄い煙はすぐに掻き消された。 「知識ってのはそんなもんだろ。どんなものにしたって、使いようによっちゃ便利に使えるもんさ」 すると、野営地の向こうから駆けてくる足音がした。テントの間から武装に身を固めた兵士が現れ、近寄ってきた。 ギルディオスがそちらに向くと、その兵士はギルディオスの傍にやってきて敬礼をした。連絡役の兵士だった。 「ヴァトラス小隊長! 本隊への報告、完了しました!」 「おう、ご苦労。明日も早いんだ、早いところ休んで寝ちまえ」 ギルディオスは彼を労うと、連絡役の兵士は少しばかり表情を緩めたが、続けた。 「ブライト少佐よりヴァトラス小隊長へご命令が下されましたので、お伝えします! これよりヴァトラス小隊は、国境付近の戦線から離脱し、掃討作戦を行えとの命令です!」 「掃討作戦?」 どこを、とギルディオスが聞き返すと、連絡役の兵士は封書を取り出してギルディオスに差し出した。 「少佐より、預かってまいりました。内密な作戦であるとのことで、自分は詳しいことは存じていません」 「内密ねぇ…」 封書を受け取ったギルディオスは、自分への宛名が書かれているそれを裏返したりしながら、眺めてみた。 あまり、いい予感はしない。内密に事を進めたいということは、それだけ面倒なことであるという証拠なのだ。 しかも、わざわざこちらに寄越してくるのも引っ掛かる。ギルディオスの存在は、分隊の中でも浮いている。 あまり兵士を死なせないので部下達には慕われているが、上にしてみれば、物を言う甲冑などただの妙なものだ。 その上、その妙なものがそれなりに戦績を上げてきているとなれば、尚のこと上にとっては面倒な存在になる。 帝都付近で共和国軍に入隊し、二十年近く時間を掛けて地道に地位を上げてきたが、そろそろ目に付く頃だ。 掃討作戦というのは名目で填める気なのかもな、と思いつつ、ギルディオスは焚き火に封書を透かしてみた。 第十五分隊隊長、ハリー・ブライト少佐の署名が末尾にあり、しなやかで丁寧な文字と重なって見えていた。 地図を同封してあるようで、地名を書き込まれた図形が見えており、森の奥深くに丸く印が付けてあった。 そこが、掃討する場所のようだった。 日も昇らない早朝、ギルディオスは一人駆けていた。 闇と森に紛れるくすんだ緑色の戦闘服を着込んで覆面で兜を隠し、小銃を肩に担ぎ、足音を殺して走っていた。 金属質な虫の鳴き声や、ぎいぎいと鳴き喚いている鳥と思しき声を聞き流しながら、真正面に向かっていった。 向かっている場所は小国との戦闘を繰り広げている場所とは正反対の方向で、行けば行くほど森が深まった。 部下達は置いてきて正解だった。こんなに面倒な地形で厄介な者達を相手にするのは、彼らでは経験不足だ。 木々も太く逞しくなり、踏み締めた落ち葉の感触も柔らかく、人の住んでいる気配など全く感じられなかった。 だが、ギルディオスが掃討作戦を命じられたのは、この先に住んでいるであろう人ならざる者達なのだ。 ブライト少佐からの手紙に寄れば、森の奥深くに住まう者が小国の軍勢を手引きしている、とのことだった。 第十五分隊にいる魔導師の兵士が、戦場を飛び交っている思念に気付き、その発信源を調べていたのだそうだ。 様々な魔法を使って思念の元を探ってみたところ、戦場から遠く離れた山奥から出ていることが解ったのだ。 そこからは戦場を飛び交う思念の他にも強い魔力が感じられて、人でない者の気配もいくつかあったらしい。 魔導師の兵士は手を出さない方がいい、と言ったが、ブライト少佐は一掃すべきだとして掃討作戦を命じてきた。 ギルディオスとしては、魔導師の兵士に賛成だった。人間が人でない者達を、下手に脅かすべきではないのだ。 それは、竜王都での戦いや黒竜戦争で身に染みて解っていた。両者が干渉し合うと、ろくなことにはならない。 どちらにも譲れない価値観や正義があるが、それが食い違うこともしばしばで、結果として血が流れてしまう。 小国との小競り合いでただでさえ兵士が死んでいるのに、無用な戦いで死人を増やしてしまったら意味はない。 だが、下手に命令に逆らえば、処刑は免れない。上官の命令は絶対であり正義、それが軍隊というものだ。。 木々の隙間から差し込む光が増えてきたので、ギルディオスは足を止め、太い幹に背を預けて腰を落とした。 担いでいた小銃を下ろし、弾丸を装填する。かきん、と銃身を元に戻し、感覚を研ぎ澄ませて様子を窺った。 ギルディオスが木々の向こうをじっと見据えていると、ふと、足音がした。反射的に振り向き、小銃を構える。 「いよぉ!」 いやに明るい声に、ギルディオスはぎょっとした。ここで会うはずのない男の姿に、一瞬、かなり動揺した。 小銃の銃口が睨んでいる先に、深い森の中に不釣り合いな都会の服を着た男が、にやにやしながら立っていた。 灰色の上下を着ていて、その上に同じく灰色の長いコートを羽織り、緩く編んだ三つ編みを肩に乗せている。 度の入っていない丸メガネに、驚いた様子の大柄な兵士が映っていた。丸メガネの奧で、灰色の瞳が笑った。 「いやー奇遇だなぁ、運命感じちゃう!」 「ぐ…」 小銃の銃口を下ろさずに引き金を絞りながら、ギルディオスはその男の名を呟いた。 「グレイス…」 「お久ー。ここんとこ会えなくて寂しかっただろう、オレはキュンキュンするほど寂しかったぞう」 にこにこ笑いながら、グレイスはにじり寄ってきた。ギルディオスは木から背を外し、慌ててずり下がる。 「別に寂しくねえっ! ていうか、なんでてめぇがここにいやがるんだよ!」 「仕事だよ、仕事」 グレイスは逃げ腰のギルディオスの目の前にやってくると、覆面を引き摺り下ろし、ヘルムに顔を寄せた。 「あんまり気分の乗らない仕事だったんだが、引き受けて良かったぜ。愛しのギルディオス・ヴァトラスと二人っきりになれるんだから、これ以上の報酬はねぇなぁ」 「オレに触るなー!」 グレイスの手がヘルムに触れる感触に、ギルディオスは絶叫した。グレイスは、ついっとマスクを撫でる。 「そう嫌がるなよぉ」 「嫌に決まってんだろうが、この野郎!」 ギルディオスはグレイスの体を押し退けて後退し、息を荒げた。すっかり、斥候に来ていたことを忘れてしまった。 グレイスがここにいた驚きと触れられた嫌悪感ばかりが全身を駆け巡っていて、一兵士から素に戻ってしまった。 肩を上下させながら、小銃を構え直した。どうせなら剣を背負ってくるんだった、と思ったが、今更後悔しても遅い。 グレイスは手を上げることもなく、にんまりしていた。だらしのない気の緩んだ笑顔が、おぞましくてたまらない。 どうせ、撃ったところで無駄だ。適当に空間をねじ曲げられて、弾を逸らされるだけた、と思い、小銃を下ろした。 「おい」 ギルディオスは小銃を肩に担ぐと、上機嫌なグレイスを見下ろす。 「てめぇ、仕事つったな? どんな仕事なんだ」 「そいつは言えねぇなぁ。依頼人から仕事を引き受けた時点で、魔導師には守秘義務が生じるからよ」 両手を上向けたグレイスは、首を左右に振る。ギルディオスは、馬鹿馬鹿しげにする。 「そりゃ魔導師協会が、フィルの奴が決めた真っ当な魔導師のための真っ当な規則だろうが。てめぇみたいな外道呪術師には適用されるもんか」 「ま、ギルディオス・ヴァトラスになら教えてやるよ。オレの愛する男にはオレの全てを知って欲しいから」 「知りたくねぇよ」 ギルディオスが即座に吐き捨てると、そう言うなよぉ、とグレイスは笑う。 「オレはさ、この先にいる連中を戦いから守るために雇われてんだよね」 「オレらと小国が小競り合いしている場所は、もっと遠いぜ? 心配することもねぇだろうが」 ギルディオスが訝しむと、グレイスは首を横に振る。 「それがさぁー。オレに守って欲しいとか言っておきながら、小国の軍を戦闘に勝たせるために思念なんざ送っちまってさ、それがあんたら共和国軍の魔導師に感付かれちまったわけよ。馬鹿だよ、全く。ただでさえ魔力の気配ってのは感付かれやすいのに、思念なんざ含めて飛び散らしたら簡単に見つかるっての。素人考えだぜ。だから、オレは共和国軍の斥候部隊を蹴散らそうって思って、ここで待ち構えていたわけなんだが」 「そこに、オレが来ちまったわけか」 うぁー、とギルディオスは嫌そうに顔を逸らした。 「ま、そういうこったな」 グレイスの目付きが、上機嫌なものから狡猾なものに変わった。彼の視線は、ギルディオスを通り越していた。 ギルディオスは、背後に複数の足音を聞いた。左右を窺ってから、慎重に首を動かし、後方へと振り返った。 森の先は、明るくなっていた。朝日が昇り始めたのか、柔らかな日差しが朝靄の満ちた空気を白く光らせている。 その眩しい光景を遮るように、いくつもの人影が並んでいた。逆光のせいで、その姿はすぐには見えなかった。 徐々に、朝日が昇ってくる。彼らの影が足元に伸び、半身が照らされ始め、彼らの様相が掴めるようになった。 尖った耳。垂れ下がった尾。しなやかな翼。硬く分厚い赤紫の肌。縦長の瞳孔。いずれも、人間ではなかった。 その彼らの前に、幼女が立っていた。紺色のメイド服を着た、頭の両脇でバネ状に髪を巻いた幼女が笑っている。 「お久し振りですー、剣士さんー」 メイド姿の幼女、レベッカは背後の魔物達を制し、濃い桃色の髪を揺らしながら歩み寄ってきた。 「似合いませんねー、その恰好ー。ものすごーく変ですー」 「うるせぇ」 それは、ギルディオス自身も解っていた。そもそも、甲冑の体に戦闘服を着込むこと自体がおかしいことなのだ。 中世時代の戦場では違和感のなかった全身鎧も、この時代では違和感の固まりであり、無駄に目立ってしまう。 夜戦では装甲が照り返してしまいかねないし、それでなくても目を引くので、戦闘服で隠さなくてはならない。 だが、やりにくいのも確かだ。返り血を浴びると戦闘服が重たくなってまとわりつき、動きづらくなってしまう。 ギルディオスは、小さな両手の指先から鋭く長い爪を伸ばしているレベッカを見下ろしていたが、小銃を投げた。 「お前とやり合うのは嫌いじゃないが、グレイスの野郎にまとわりつかれてやる気が削げちまった」 腰に差していたナイフも放り、物入れを開けて弾丸をざらざらと落とす。金色の弾丸が、草の間に転がる。 「だが、ちゃんと部隊に帰してくれよ?」 「その辺はー、ちゃんと弁えていますよー。長い付き合いですからー」 レベッカはギルディオスが放り投げた小銃を手に取ると、軽く投げた。それを、長い爪で一気に切り裂いた。 しゃりっ、と小気味良い硬質な音がした直後、黒光りする銃身は細切れにされ、ただの鉄屑と化してしまった。 草の間に転げた銃身の細切れを踏み、レベッカはギルディオスに近付いた。爪先を上げて、甲冑の胸元を指す。 「それではー、たった今からー、剣士さんは捕虜ですー」 「ああ、うん、なんでもいいよ」 ギルディオスが本当にやる気なく返すと、レベッカは軽い足取りで森の出口へ向かっていった。 「それではー、連行しますー。御主人様ー、連れてきて下さいねー」 「おう、解った解った」 グレイスは、ギルディオスの背をとんと押した。 「ほれ歩け、捕虜」 「いちいち触るなうざってぇな!」 ギルディオスは大股に歩き、グレイスとの間を開けた。このままこの男の近くにいたら、抱き付かれかねない。 ざくざくと草と枯れ葉を踏み散らしながら、木々の間を抜けた。前方を、異形の者達と幼女が歩いている。 魔物達と言葉を交わしているレベッカの横顔は、この上なく楽しそうで、外見の年齢に似合った表情をしていた。 その表情に、ふと、ギルディオスは既視感を覚えた。遠い昔に、彼女があのような笑顔を見せていた時がある。 それがどんな状況であったか、すぐには思い出せなかった。何せ、レベッカに関する記憶は数百年分ある。 森を出ると、その先にはだだっ広い広場のような場所があり、その奧にぽつんと一つだけ小屋が建っていた。 村と言うには家が足りないその場所に近付こうとして、ギルディオスは足を止めた。そうだ、あの子と遊ぶ時だ。 遠い昔に、妹が生み出した人造魔物の三番目の子。仰々しい見た目に反して、幼い思考を持った魔物の少年。 レベッカの最初で最後の友人であり、彼にとってもレベッカは最初で最後の友人である、スパイドと遊ぶ時だ。 レベッカにとっては、彼らはスパイドと同等の存在なのだろう。魔導鉱石で出来た異形の幼女の、異形の友人だ。 背後に振り返ると、深い森が広がっている。戦場から遠く離れているため、銃声も悲鳴も聞こえてこなかった。 至極、平和だった。 06 4/22 |