穏やかな朝の日差しが、心地良かった。 ギルディオスは戦闘服の上半身を脱いで腰で袖を結び、甲冑の姿を晒していた。やはり、この方がかなり楽だ。 戦闘服に押し込まれていたせいで硬くなっていた肩を回しながら、捕虜にしては悠々とした足取りで歩いていた。 森の中に出来た広場の中心で、レベッカが魔物達と話をしていたが、まともに言葉を発しているのは彼女だけだ。 ギルディオスは、魔物達を眺めた。長いこと魔物など見ていなかったので、これもまたすぐに思い出せなかった。 レベッカのすぐ隣にいる者は、茶色の体毛に全身を覆われていて尖った耳と突き出た鼻先を持った、人狼だ。 人狼の脇に座っている巨体の者は、一際屈強な体格で、ざらついた赤紫の肌と単眼を持ったサイクロップスだ。 その他にも、女の鳥人、人猫、ヒトクイネズミ、リザードマン、など久しく目にしていなかった魔物達だった。 ギルディオスは、なんだか懐かしくなった。昔はよく、ああいった者達を切り裂いては、金にしていたものだ。 濃密な魔力を持った魔物達の血肉や骨や皮は、魔導師や魔導技師には、打って付けの魔法薬の材料だった。 中世時代は魔物は殺しても殺してもきりがなかったし、魔物の討伐隊が組まれるほど、大量に存在していた。 それが今や、ほとんど見掛けなくなった。黒竜戦争の後に、魔物達は人間の手によって駆逐されてしまったのだ。 帝国や王国だけでなく、その当時はまだ力が弱かった共和国も手を貸して、国を挙げて魔物を殺していった。 その結果、中世時代には跋扈していた魔物の大多数は絶滅し、現存している魔物族など数えるほどしかいない。 フィフィリアンヌは、よくそれを嘆いていたものだ。人を越えた存在は悪とせねば気が済まんのか、人間は、と。 ギルディオスが物思いに耽っていると、いつのまにかグレイスが隣に立っていた。同じく、魔物達を見ていた。 「今となっちゃ、珍しい光景だぜ」 「全くだ」 ギルディオスは覆面を被っていたせいで形の歪んだ頭飾りを撫で付け、元に戻した。 「何十年ぶりかねぇ。こんなにどっさり魔物を見るのは」 「オレも七十年ぶりぐらいかなぁ」 グレイスは、どこか遠い目をした。ギルディオスは彼を横目に見ていたが、レベッカと魔物達に視線を戻した。 赤紫の肌のサイクロップスや屈強な体付きのリザードマンなどを見ていると、セイラの記憶が蘇ってきた。 セイラ。ギルディオスの妹、ジュリアの手によって生み出され、竜王都で殺されそうになっていた人造魔物だ。 それをフィフィリアンヌが救い出して名を授け、己の城へと連れて帰り、幸せな一生を与えられた子だった。 普通の魔物の倍以上の体格をしていて、三本のツノと鋭い牙、赤い翼に逞しい尾、金色の単眼を持っていた。 いかつく恐ろしげな外見とは裏腹に、素直で優しい性格の持ち主で、その歌声は素晴らしく美しかった。 フィフィリアンヌがセイラを愛すれば愛するほど、セイラもフィフィリアンヌを深く愛し、とても幸せな時間だった。 ギルディオスは、先程思い出したスパイドの記憶と、この上なく幸せそうなレベッカの表情を思い起こした。 魔物を守るなど、どう考えてもグレイスの好きな仕事ではない。となれば、とギルディオスは傍らの男に向いた。 「グレイス。この仕事やりたがったの、てめぇじゃねぇな?」 「うん。レベッカちゃん」 グレイスは頷き、ギルディオスを見上げる。 「レベッカちゃんさー、あんたの妹が造った魔物と、泣き虫クモ男のスパイドと仲良かっただろう? だから、それが忘れられないらしくってさー。魔物の皆さんを守ってあげたいんですー、って泣きそうな顔で頼まれちゃってさ。まぁ、オレもその気持ちはなんとなく解るから、引き受けちまったんだけどね」 「依頼主はこの中の魔物か?」 「いんや。れっきとした人間だよ」 「それで、そいつはどこにいる」 「あっち」 グレイスは片手を挙げ、広場の奧にある小屋を指した。ギルディオスはそれに釣られる形で、小屋に顔を向けた。 数百年を長らえてきたであろう太く逞しい木の根元に、寄り添うように建っていて、玄関の扉は閉ざされていた。 魔法植物を植えた小さな鉢植えが玄関前に数個並んでいて、水を与えられたばかりらしく、葉が輝いている。 人がいるのは間違いなさそうだ。掃討作戦のことを話しておかなくてはならない、とギルディオスは歩き出した。 小屋の主からどんな反応が返ってくるか考えただけで、気が滅入ってしまいそうになったが、気を取り直した。 話しておかなければ、それこそ小屋の主や魔物達を死なせることになってしまうし、そうなってはいけない。 ギルディオスとグレイスは、レベッカと楽しげに遊んでいる魔物達の脇を通り過ぎて、小屋に近付いた。 あまり作りがしっかりしていない扉を軽く叩くと、壁が軋んだ。あまりの脆さに、ギルディオスは少し怖くなる。 うっかり潰れたりしねぇだろうな、と思いながら小屋を見回していると、小屋の中から割に高い声が返ってきた。 がたがたと揺れながら開いた扉の奧には、小柄な人影がいた。その者は、ギルディオスをまじまじと見上げた。 「あ…」 「あ」 ギルディオスはその者の様相に、相手と同じような反応を返してしまった。扉を開けているのは、子供だった。 艶やかな金髪を長く伸ばして背中に流し、古めかしい魔導師の衣装を着込んだ、十二三歳の少女だった。 「これが、依頼主か?」 ギルディオスが戸惑いながらグレイスに向くと、グレイスは満面の笑みで頷いた。 「そう。可愛いだろう?」 ギルディオスは不可解な気分になりながら、目の前の少女を見下ろした。確かに、顔立ちはなかなか愛らしい。 鼻は低めで顔も丸いが、大きな目と血色の良い唇には魅力がある。成長すれば、それなりに美人になりそうだ。 少女は、ギルディオスをじっと見つめていた。それこそ食い入るように見ていたが、少女は嬉しそうにした。 「予知は間違いではなかったのね」 お茶を入れて参ります、と少女は真っ黒なマントを翻して二人に背を向け、足早に小屋の中へと戻っていった。 うきうきした様子で紅茶の缶を取り出している少女を見ていたが、ギルディオスは少し引っ掛かりを感じた。 先程、彼女は予知と言った。その口振りからして、ギルディオスがここに来ることを予知していたのだろうか。 世の中にはそういった能力を持った人間がいる、と聞いたことはあったが、すぐに信じることなど出来なかった。 予知と言いながらも、ただの占いに過ぎないこともある。ギルディオスが内心で訝っていると、グレイスが言った。 「あの子は本物さ。オレも最初は疑って掛かったんだが、記憶やら思念やら探ってみたら、出るわ出るわ」 グレイスは、肩を竦める。 「先の事なんて知らない方が楽しみが増えるから敢えて言わないが、気色悪いほど未来が視えたぜ」 「予知能力者ってやつか」 ギルディオスは、がりがりとヘルムを掻いた。上が掃討作戦を命じてきた真意が、見えたような気がした。 「んで、ここにあの子がいることは共和国にも小国にもだだ漏れなんだろ」 「うん。だだ漏れだよ。あの子は色んな魔法やら力やら使って逃げたつもりらしいんだが、所詮は子供だからな」 穴があるんだよなぁ、とグレイスは苦笑いした。 「今度のことだって、あの子が原因なのさ。魔物連中を守るために共和国軍を追い返そうって思って、小国の軍に思念を送って勝たせたのはいいが、その思念が共和国軍の魔導師に掴まれたせいで結局は自分が追い込まれちまってるんだから、世話がないぜ」 「予知能力があっても、失敗しちまうものはしちまうのか?」 ギルディオスが内心で変な顔をすると、グレイスは返した。 「予知ってのは、無限にある未来の一つの姿を捉えているに過ぎないからな。外れることもあるんだよ」 にしたってな、とグレイスは言い掛けて飲み込んだ。思念を飛ばしたこともそうだが、行動がどこかおかしい。 子供だから行動に穴があるのは仕方ないとはいえ、戦場に魔導師の兵士がいることぐらい、予想が付くだろうに。 なのに、わざわざ思念を送って共和国軍を誘き寄せるような真似をする辺り、腹積もりがあるように思える。 自分自身を追い詰めて、何をするつもりなのだろう。グレイスは考えを巡らせながら、少女をじっと見ていた。 ギルディオスはグレイスの表情から明るさが失せたのが気になったが、お茶の準備をしている少女に向いた。 魔導師の兵士が掴んだ思念の主は、あの子で間違いないだろう。近くにいると、それだけで強い魔力を感じる。 上は、彼女が子供だと解って命令を下したのだろうか。解っている、いないにせよ、好ましいことではない。 あの少女が敵兵であったならまだ話は解るのだが、どう見ても彼女が兵役に就いているようには見えない。 むやみやたらに突っ込んで攻撃するのは、戦闘の目的から外れている。それでは、単なる殺戮ではないか。 そもそも、第十五分隊の戦闘目的は、小国の軍の進行を国境付近で食い止めて共和国への侵略を防ぐためだ。 そのための戦力で、明らかに戦闘とは無関係な少女や魔物達を掃討せよというのは、越権どころの話ではない。 ブライト少佐の正気を疑ったが、この掃討作戦を下してきたのは、彼よりも上なのかもしれないと感じた。 そうでなければ、こんなに無茶苦茶な作戦など命じない。ギルディオスの知るブライト少佐は、堅実な男だ。 第十五分隊にも特殊部隊はいるはずだが、なぜヴァトラス小隊を使うのだろう。それもまた、不可解だ。 考えれば考えるほど、ギルディオスは混乱してきてしまったが、今回の事が理不尽であるのは確かだ。 「あんな子供を、掃討しろってのかよ」 ギルディオスは、手のひらに拳を打ち付けた。小屋の中では、少女は忙しそうに動き回り、準備をしている。 白いポットからは紅茶の匂いのする湯気が立ち上り、三つの皿には少々いびつなケーキが載せられている。 少女は、本当に楽しそうだった。魔導師の衣装の裾が長いせいか、時折足を引っ掛けて転びそうになっていた。 ギルディオスは、その姿が微笑ましくて内心で表情を緩めた。久しく、こんな温かな光景を見ていなかった。 この数週間、昼夜を問わず戦い続けてきた。弾丸の飛び交う戦場を駆け抜けて、人を殺してばかりいた。 自分では戦うことに慣れ切っていると思っていたのだが、いつのまにか、心が摩耗してしまっていたようだ。 これで、彼女の出す紅茶とケーキを食べられればもっと心は潤うのだろうが、体が甲冑ではそうはいかない。 ギルディオスはそれをかなり残念に思いながらも、少女に手招かれたので、身を屈めて小屋の中に体を入れた。 小屋の中は、紅茶の香りに満たされていた。 三人入っただけで、小屋の中はもう限界だった。 天井が低いのでギルディオスはずっと前傾姿勢で居なくてはならないし、椅子も小さいので座っている気がしない。 隣に座っているグレイスは、慣れているのか平気そうな顔をしていたが、彼もやはり体を縮めて座っていた。 二人に向かいに座る少女は、にこにこしていた。煮出されて色の濃くなった紅茶を二人に勧めつつ、名乗った。 「お初にお目に掛かります、ギルディオスさん。私はローラ・ハドソンと申します」 「オレの名前を知ったのは?」 首を前に曲げたままギルディオスが言うと、少女、ローラは少し躊躇っていたが返した。 「予知です。昨日の昼間、視たんです。あなたとグレイスさんが森の中で会って、罵り合う姿を」 「それが今朝のことか」 「はい」 ローラは紅茶に砂糖を二杯落とし、スプーンでくるくると掻き回した。 「ですが、この場所が共和国軍に見つかってしまうなんて、思ってもみませんでしたけど…」 「やっぱり、うちの軍の魔導師が掴んだ思念はお嬢ちゃんのだったのか」 ギルディオスの言葉に、はい、とローラは頷いた。 「片方が勝ってくれればいい、と思ってやったんですけど、上手く行かないものなんですね」 己の行動を悔やんでいるのか、ローラは薄い唇を歪めている。グレイスは、俯いている少女を見下ろした。 彼女は思念を押さえ込んでいるようで、至近距離にいてもその思念が漏れては来ず、その真意が解らなかった。 本当だとも思えるし、嘘だとも思える。グレイスは、どちらかって言えば嘘臭ぇよなぁ、と内心で思っていた。 その途端に、ローラの小さな肩がひくりと小さく動いた。グレイスの思念を感じ取って、反応してしまったらしい。 ほら見てみろ、とグレイスは呆れてしまった。最後まで貫き通せない嘘なら、最初から吐かなければいいものを。 これで、ローラが共和国軍を誘き寄せたのは間違いないと解ったが、その理由だけは未だに見えてこなかった。 どうせ大したことじゃないだろうけどな、と思いながら、グレイスは紅茶を少し飲んでその渋さに顔をしかめた。 ギルディオスはやけに冷ややかな眼差しのグレイスと怯えたようなローラを見比べていたが、ふと、思った。 ここに軍が来ると知っているのに、ローラはあまり不安げではない。それが不思議で、引っ掛かってしまった。 グレイスなどに頼むほど魔物達を大事に思っているのなら、不安げな姿を見せないのは、異様なことではないか。 ギルディオスが内心で訝っていると、ローラはギルディオスの疑念を察したのか、柔らかな微笑みを浮かべた。 「魔物の子達は生き延びるって知っていますから、心配じゃないんです。グレイスさんとレベッカちゃんにお頼みしたのは、念のためなんです。もしも予知が外れてしまったら困りますし、私だけでは皆を守り切れないでしょうから」 そう言ってから、あ、とローラは口元を押さえ、苦笑した。 「ごめんなさい。つい、思念を読んじゃって」 「心まで読めるのか」 ギルディオスが素直に驚くと、ローラは指折り数えた。 「あと、念動力と瞬間移動も一応は使えます。あまり上手くないんですが」 「うへぇ」 聞き慣れない能力の数々に、ギルディオスは内心で目を丸くした。そんなに持っていては、目を付けられるはずだ。 ローラは穏やかに笑っているが、その笑顔の裏には相当な苦労と困難があったのは、間違いないだろう。 ただ魔力が高いだけでも厄介事は寄ってくるのに、その上様々な力を持ち合わせていれば、厄介の数は増える。 だが、ローラのような存在がいることをギルディオスが今の今まで知らなかったのは、不可解だと思った。 グレイスもそうなのだが、仕事柄そういったことに通じているはずのフィフィリアンヌから聞かないのは変だ。 政府によって隠されていたのか、それとも別の方面が隠していたのか。どちらにせよ、妙なことに変わりはない。 ギルディオスが思い悩んでいると、ローラは何かを言おうとしたが、はっとして口に手を当てて閉じてしまった。 「別にいいぜ。言いたいことがあるなら言ってくれや。オレもその方が楽だ」 ギルディオスが手をひらひらさせると、ローラは申し訳なさそうに眉を下げた。 「すいません、つい。あなたがなぜ、私を知らなかったのか、その理由は私にも解りません。私はただ、逃げ回っていただけですから」 「大方、共和国政府だろうぜ。ここ数十年で、大分力付けてきたからな」 グレイスはいびつなケーキを頬張り、飲み下した。ローラはギルディオスに向けて、嬉しそうに笑んだ。 「でも、嬉しいです。ギルディオスさんが本当にやってきてくれて」 「だが、オレは」 ここに来た理由は、嬉しがられるようなことではない。ギルディオスが戸惑っていると、ローラは胸の前で手を組む。 「これで、やっと私は楽になれます。だって、私」 ローラは、声を弾ませた。 「あなたに殺されるんですから」 ざあざあと、木々のざわめきが聞こえてきた。開け放ってある窓から滑り込んできた風は、ひやりと冷たかった。 ギルディオスは、目の前の少女を凝視していた。殺すはずがない。兵士ならまだしも、こんな子供は手に掛けない。 何かの間違いではないか、と思ったが、ローラは上機嫌だった。殺されることが、嬉しくて仕方ないかのようだ。 ティーカップに注がれた紅茶の湯気は、消えていた。 日が陰り、深い森は西日に染められた。 ギルディオスは、ローラの小さな小屋の傍にいた。胡座を掻いて地べたに座り込んで、ただ、ぼんやりしていた。 殺されることを喜んだ少女は、その後、延々と話をした。どれだけ今までが苦しかったか、辛かったか、吐露した。 商家の娘として生まれたが、異能力を持っていることが解ると、屋敷にずっと押し込められて暮らしていた。 最初は、とても喜ばれた。未来が解れば商売に失敗しない、と家の者達に持て囃されたが、じきに恐れられた。 ローラが予知して視た未来は、良いことも悪いことも気色が悪いほど細かい部分まで当たっていたからだ。 そのうち、親族や客などに予知の道具とされ、彼らが望まないことを言わなければ虐げられる日々が続いていた。 閉じ込められている間に魔法を始めとした学問を勉強し、自分なりに研究を重ねたが、力を消す方法はなかった。 そして、屋敷から逃げ出した。このまま屋敷の中にいても良いことはない、だったら外へ出てしまおう、と。 その後は、生きるために魔法を使って真っ当でない仕事をしたり、予知で知った追っ手から逃げたりしていた。 グレイスの存在を知ったのはその最中だ。真っ当でない仕事の客が、灰色の呪術師がいると教えてくれたそうだ。 金さえ積めばどんなことでもしてくれる、人を超越した人、気紛れだが味方に付ければ力になる相手だ、と。 そして、逃げ惑ううちに両軍が小競り合いしている地区に入ってしまい、魔物達の住み処に辿り着いたのだそうだ。 最初は魔物達も警戒していたが、精神感応の力で敵ではないと教えると、意外にすんなりと受け入れてくれた。 魔物の中の一人は、仲間が増えて嬉しい、と思念で返してきてくれ、ローラもそれがまた嬉しくてたまらなかった。 両軍の小競り合いがここまで到達しなければずっと魔物達と生きるつもりだったが、そうも行かなくなってしまった。 せめて魔物達だけでも生き延びさせてやらなければ、と思っている最中に、ローラは己の未来を視てしまった。 共和国軍の戦闘服を着た甲冑に胸を貫かれて絶命する、苦しげながらも穏やかな顔をした自分の死に様を。 ローラは、それがとても嬉しいと言った。散々苦しい目に遭ってきた、だからもう死んでしまいたいのだ、と。 ギルディオスは、項垂れた。どうにかして彼女の気持ちや未来を変えてしまいたいが、時間が足りなさ過ぎる。 野営地を出る際に、ヴァトラス小隊の部下達に命じてしまったのだ。一日経っても戻らなければ来い、と。 当初の予定では、ギルディオスは偵察の後に敵勢を蹴散らしておいて、それから部下と合流するつもりだった。 その方が部下達の消耗も少なくなるだろうし、ある程度損害を与えておいた方がやりやすい、と思っていた。 だが、ここには小銃を向けるべき敵などいない。いるのは生き残りの魔物達と、異能の少女が一人だけだ。 「…くそぉ」 力なく呻いたギルディオスは、ぎちぎちと拳を握り締めた。いくら考えてみても、良策は一つも出てこない。 フィフィリアンヌでもいれば解決策でも導き出すのだろうが、彼女のような冴えた考えは出来るわけがない。 どうにかして、ローラを助けてやりたい。死以外の方法で彼女を解放する方法が、絶対にないわけはないだろう。 顔を上げて広場を望むと、ローラがレベッカと共に歌を歌っていた。幼い二人の声が重なり、広がっていく。 魔物達は、二人の歌を静聴していた。時折、二人の歌に合わせて低い声が漏らされ、不協和音となっていた。 「なぁ、本当にどうにも出来ねぇのか?」 ギルディオスは、木の根に腰掛けているグレイスを見やった。 「本人が死にたいって言っているんだ、死なせてやるのが筋だろ」 平然と言い放ったグレイスに、ギルディオスは顔を背ける。 「てめぇに聞いたオレが馬鹿だったよ」 グレイスは、見るからに気落ちしているギルディオスの姿を見ていたが、苛立ちが起きて仕方なかった。 ローラの真意は見えた。全て予知しているのなら、予知した通りに物事を運べば、結果はその通りになる。 恐らく、自分を雇ったのもその一部なのだろう。ギルディオスとの接点とするべく、ここへ招き寄せたのだ。 だが、たかが自殺をするためにギルディオスを巻き込むこともないだろう。そう思うと、むかむかしてきてしまう。 あまりにも独り善がりで身勝手で、子供そのものの思考だ。力が有り余っているのなら、その力で死ねば良い。 しかし、ギルディオスに殺させないためにローラを先に殺してしまうというのも、あまり面白くないと思っていた。 打ちのめされて苦しんでいるギルディオスを見るのは、悪くない。好きな相手だからこそ、傷付いた姿が愛おしい。 グレイスは苛立ちは残っていたが、次第に楽しくなってきた。どうせ巻き込まれたなら、楽しんでしまうべきだ。 すると、魔物達の輪の中から飛び上がる影があった。両腕に生えた翼を羽ばたかせ、空を切って近付いてくる。 その影は一直線にやってくると、ギルディオスの前に舞い降りた。それは、藍色の翼を持った鳥人の女だった。 鳥人の女はギルディオスの手を掴むと、ぐいぐいと引っ張った。ギルディオスは、引っ張られるまま立ち上がる。 「ん、なんだ?」 「イショ、ウタ、ウ」 鳥人の女は口元を上向けて牙を剥き、笑顔というには凶悪な表情になった。 「ハヤ、イコ」 「なぁ、お前」 ギルディオスが声を掛けると、鳥人の女はぐりっと首を捻った。鳥そのものの仕草だった。 「ケ?」 「お前はローラが、あの子が死にたがってることを知っているのか」 「カ!」 牙の並んだ口を大きく開き、鳥人の女は甲高い声を上げた。 「ロラ、ズト、シニタカテタ」 「お前らは、それをどう思っているんだ」 「ドモ、シナイ。ロラ、シヌ、サヒシイ、ケド、シ、シ、シ」 言葉が上手く出てこないのか、鳥人の女は何度も同じ音を繰り返した。ギルディオスは、その続きを言ってみた。 「いつか死ぬんだからいつ死んでも仕方ない、ってか?」 「ソ、ソ」 鳥人の女は、かくかくと頷いた。 「ソレ、イツ、モ。マモノ、イツモ、ソタカラ」 「けど、ローラは魔物じゃないぜ。そりゃあおかしな力は持っているかも知れねぇが、あの子は人間だ」 「チガ。ロラ、イツモ、イテイル」 鳥人の女は、歌い続けているローラに向いた。感情を窺えない獣の瞳が、一度瞬きした。 「ロラ、バケモノ。ヒト、チガ、ウテ」 くけけけけけけっ、と鳥人の女は獣らしい声で鳴いた。ハヤイコ、と言ってギルディオスの腕を引いていった。 待てよ、とギルディオスが言う暇も与えずに鳥人の女は駆けていく。手の力も強く、振り解けそうになかった。 鳥人の女は豊満な体形をしていて顔立ちも整ってはいるのだが、その言動はまるきり獣で、妙な感じがした。 強引に引き摺られて広場にやってきたギルディオスは、魔物達の輪の傍に放られ、転びそうになってしまった。 魔物達の視線が一斉にギルディオスに集まったので、ギルディオスは少しばかり戸惑いながらも、片手を挙げた。 「…よぉ」 魔物達に囲まれていたローラを、ギルディオスは見下ろした。夕日で輝いている金髪が美しく、眩しいほどだった。 澄んだ青い瞳には愛嬌があり、体格もまだ幼い子供だ。これのどこが、人ではない化け物だというのだろうか。 彼女に、殺意など起こせるはずがない。一体どんな状況で、自分は彼女を屠ってしまうのか、考えたくもなかった。 ローラは立ち上がるとスカートを払い、ギルディオスの前にやってきた。真下から、大柄な甲冑を見上げてくる。 「間違いなく、あなたは私を殺してくれます。だって、そう視えているんですもの」 「オレは、殺せるとは思えねぇよ」 ギルディオスはローラの視線から視線を逸らすことなく、返した。ローラは、淡々と返す。 「いいえ。あなたは、確実に私を殺してくれます」 「どうしても死ななきゃならねぇ理由なんて、あるもんか」 ギルディオスが苦しげに漏らすと、ローラは呟いた。 「私は、死ななくてはならないんです。そうしなくては、いけないんです」 「そんなこと」 「そんなことない、なんて気休めは止して下さい。私はもう、嫌なんです。この世の全てが」 ローラは、俯いた。 「ギルディオスさん、あなたに想像が出来ますか? 知りたくないことまで次々に視えて解ってしまうことが、どれだけ恐ろしいか。親切にしてくれた人が次の日には手のひらを返すことも、次に殴られる場所も、逃げた先にも追っ手がやってくることも、その追っ手をどうやって殺してしまえばいいかも、全部全部視えちゃうんです。何度、気が狂いそうになったことか…」 ローラの横顔は、長い金髪で隠れた。 「それに、私が死ねばそちらに注意が向いて、魔物の子達がここから逃げたことを感付かれるまである程度時間が出来ます。その間に、誰にも見つからない場所まで逃げて欲しいんです。いくら予知で生き延びるって知っていても、心配なものは心配ですから。この子達は、初めて出来た私のお友達ですから、絶対に死なせたくないんです」 落ち着いた、だが、様々な感情が入り交じった声だった。ギルディオスは何も言えず、その場に立ち尽くしていた。 影が深まって暗さの増した森の奧に、太陽が没していく。木々の隙間から差していた光も、弱々しくなっていた。 光が失せると、ローラの横顔も陰った。押し黙っている彼女を囲んでいる魔物達は、唸り声も漏らさなかった。 苦しみに、違いなどない。例え死したとしても、楽になるとは限らない。死んでも死にきれない苦しみもある。 どうせ苦しいのなら、生きて、もがき足掻いた方が良い。ギルディオスはそう思うが、彼女はそう思わないのだ。 根本的な、価値観の違いだ。やはり、時間が足りない。部下達は、夜明け前にこの場所を襲撃しに来るはずだ。 それまでの間に、出来るだけのことをしたい。だが、何も思い付かない。ギルディオスは、悔しくなってきた。 ローラは、平坦に言い切った。 「どうせ苦しいのなら、一瞬で終わる苦しみの方が余程いいと思いませんか?」 06 4/23 |