ドラゴンは眠らない




異能の功罪



東の空が、白み始めていた。
結局、何も出来なかった。ローラに掛けるべき上手い言葉など出てこないし、戦いを避ける策も思い付かない。
この魔物の村に向かってくる部下達を追い返すのが一番の良策なのだろうが、事情を話して納得するだろうか。
敵はいなかった、とでも言えば良いのかもしれないが、それによって部下達が迷惑を被る可能性もあるのだ。
ギルディオスが命令に背いたと上官に思われてしまえば、必然的に、部下達も連帯責任で処分が下るはずだ。
そうなってしまってもいけないが、ローラを死なせるのも魔物達を傷付けるのもいけない、だが策が出てこない。
ギルディオスは、森の奧を睨んでいた。昨日の朝に歩いてきた道には、多少なりとも自分の足跡が残っていた。
部下達は、あれを辿ってここまでやってくるに違いない。消しておくべきだったが、今更後悔してももう遅い。
せめて戦闘が起こらないように出来ればいいんだがな、と思っていると、背後に気配が現れ、着地音がした。
振り返ると、空間転移魔法を使って移動してきたらしいグレイスが、よ、と手を挙げてから歩み寄ってきた。

「どうだった」

ギルディオスが尋ねると、グレイスは灰色の上着を脱いで襟元を緩めた。

「どうもこうも。間の悪いことに、反対側から小国の軍が攻めてきてやがる。連中は、遠回りをしてあんたら共和国軍の背後を襲うつもりみたいなんだが、ここは丁度その進行方向になっちまってるんだよ。面白いぐらい、悪いことが重なるもんだぜ」

と、グレイスはギルディオスの見ていた方向と正反対を指した。

「全く、どっちも馬鹿だぜ。全滅するのが目に見えているってのによ」

「全滅だと?」

ギルディオスは、疑わしげにする。両軍が接触すれば戦闘にはなるだろうが、全滅まではしないだろう。
小国の軍はそれほど手強くないし、采配もあまり冴えていない。ヴァトラス小隊が、勝利するのは明らかだ。
魔物達は、レベッカの手によって戦闘の届かない場所まで避難しているし、彼らは人と戦えるほどの数ではない。
本来、魔物は群れで戦う生き物だ。群れで襲い掛かれば強力だが、逆を言えば、個体ならば大したことはない。
この村にいた魔物達は十数匹ほどなので、魔物が戦うにしては数が少なく、これでは人間に負けてしまう。
ローラもレベッカもそのことを見越して彼らを逃がしたのだから、兵士達が魔物に全滅させられるはずはない。
となればグレイスか、と思ったが、グレイスがそのつもりであれば、ここに両軍が来る前に殺しているはずだ。
そうなれば、残るはただ一人。ギルディオスは木の根元にある小屋に視線を向けてから、グレイスを見下ろす。

「まさか、ローラが?」

「あの子にはそれぐらいの力があるってことさ。念動力が上手く使えない、っつうのは確かなんだが、それは制御が上手くいかないって意味なのさ。つまり、荒っぽい力をぶちまけちまう、ってことなんだよ」

グレイスは、ローラの小屋を見据える。

「だから、あの子に掛かれば、両軍の兵士なんざ一気に吹っ飛ばせるだろうぜ」

「どれだけ凄ぇんだ…」

ギルディオスは、ローラの小屋を見つめた。グレイスの口から言われると、現実味はなくとも説得力はあった。
それだけの力の強さを並べられると、ローラが自分自身を化け物だと称したのは、おかしくないように思えてくる。
そして、ぞくりとした悪寒も覚えた。見た目と中身の違いが激しすぎて、その違和感に畏怖に似たものを感じた。
そんな彼女が、どうして自分になど殺されるのだ。それどころか、逆にこちらを殺してしまいかねない相手だ。
ますます、あの予知を信じることが出来ない。いや、信じたくない。どんな形でも、子供は殺してしまいたくない。
ギルディオスが内心で顔を歪めていると、グレイスはふいっと背を向けた。軽く手を振りながら、歩いていく。

「んじゃ、オレはレベッカちゃんに手ぇ貸してくるわー。オレの仕事は魔物共を守ることであって、兵隊さんと戦うことじゃねぇからな」

「変なところだけ律義だな」

黒髪の三つ編みを垂らした背にギルディオスが向くと、グレイスはむくれる。

「だって、割に合わねぇんだもん。たった五万ネルゴで命まで張れるかってんだ」

じゃな、とグレイスは悠長な足取りで、また森の奧に消えていった。ギルディオスは、その背を見送っていた。
先程の言葉は、グレイスにしては珍しい、と感じた。考えてみれば、幼女趣味のグレイスにしてはやけに冷静だ。
恐らく、ローラが己の未来を諦め切っているからだろう。そんな相手は、グレイスには遊び甲斐がないのだ。
グレイスが遊ぶ相手は、欲望にぎらついていたり恨み辛みを募らせているような、激情に駆られている人間だ。
そういった相手はグレイスの甘言に弱い上に付け入りやすく、遊び甲斐があるが、ローラはそうではない。
死することだけを望んで、死が訪れることを喜んでいる。それにグレイスは、殺せと言われて殺す男ではない。
むしろ、殺さないでくれ、助けてくれ、生かしてくれ、と泣き叫ぶ人間を地獄に叩き落として殺す方が好きだ。
なんとも歪み切った快楽だが、それはそれで一つの信念の形であり、グレイスの確固たる価値観と言える。
方向性は逆だが、グレイスが殺せと言われて萎えるのは、ギルディオスが子供を殺せないのと同じようなものだ。
東の空は、明るさを増していた。藍色の中に星が散らばっていた空に、白み掛かった薄い青が広がりつつあった。
森の木々の上を走ってきた風が、ざあっ、と無数の枝を一斉に揺さぶって、朝露を浴びて濡れた葉を光らせた。
ニワトリのトサカに似た赤い頭飾りと同じく赤いマントが、湿った風になびき、足元の自分の影が揺れていた。
いつのまにか、小屋の前に少女が立っていた。扉を開ける音も足音もしなかったのに、急に姿が現れていた。
ギルディオスが足を踏み出そうとする前に、ローラの影が薄らいだ。一瞬の後、彼女の姿は完全に消失していた。
風に遊ばれていた金髪も真っ黒な魔導師の衣装も消えたが、直後、彼女は着地音もさせずに目の前に移動した。
つい先程からギルディオスの前に立っていたかのように、ローラは風に乱れた髪を整え、甲冑を見上げる。

「そろそろ、来ますね」

「瞬間移動、ってやつか」

「はい。なかなか便利な力ですよ」

「なぁ、ローラ」

ギルディオスは、空と同じように澄んだ青の瞳を持つ少女を見下ろした。

「本当に、お前は死にてぇのか」

「はい」

ローラは笑みを作ったが、寂しげなものとなった。死にたいのは変わらないが、死してしまうのは惜しいと思った。
屋敷を飛び出した後は政府などから逃げ回ってばかりで、年相応の少女らしいことなど、何一つ出来なかった。
店先に並ぶ化粧品や可愛らしい服が欲しくなっても、目立ってしまうから、と自制して目を逸らしてばかりだった。
逃げ回っている最中に観た大衆劇で演じられていた、身を焦がすような恋や温かな家庭に、憧れは抱いている。
だが、そのどれも叶うことなどない。求めたところで得られるはずがないし、得たとしても保つことは出来ない。
追っ手が来たら逃げなくてはならないこともそうだが、余計な力ばかり持っている存在を愛する人などいないのだ。
だから、死すべきだ。これ以上生きていても絶望ばかりがやってくるのだから、苦しみが増す前に命を絶つのだ。
それに、予知した未来を成すには、自分が死ななければならない。そういった映像が、何度となく視えていた。
その未来は、異能者達の世界に希望と可能性が溢れているものだが、その世界を作るには犠牲が必要なのだ。
己の願望は、未来への布石になる。だからこそ、命を絶つ決断をして、ギルディオスをここへ誘き寄せたのだ。
ローラが目を伏せていると、頭の上に手が置かれた。見上げると、ギルディオスが身を屈めて目線を合わせた。

「ローラ。やっぱり、本当は」

「いいえ、死にたいんです」

ローラはギルディオスの手を振り解き、身を下げた。揺れ動いた己の心を悟られないように、気を張り詰めた。
ぎゅっと唇を結んで身を固くしているローラに、ギルディオスは切なくなった。やはり彼女は、死にたくないのだ。
なまじ頭が良かったために、他の道や希望を見出すよりも先に、死した方が良いという結論に達してしまった。
つくづく、哀れな娘だ。もっと早くに知り合っていたかった。こんなことになる前に、どうにかしてやりたかった。
ギルディオスは表情を硬くしているローラと向き合っていたが、ふと、森の中をやってくる気配を感じて顔を上げた。
ローラはそれよりも一瞬先に顔を上げ、身構えた。ざ、ざ、ざ、ざ、と統率の取れた足音が徐々に近付いてくる。
その音は、ギルディオスのやってきた方向からだけではなかった。木々に囲まれた広場を、ぐるりと囲んでいる。
ギルディオスは反射的に背中に手を伸ばして柄を握ろうとしたが、そこにバスタードソードはなく、舌打ちした。
小銃もレベッカに切り刻まれてしまったし、武器らしい武器はない。だがせめて、ローラは守らなくてはならない。
ギルディオスが腰を落として両の拳を固め、背後のローラを窺った。ローラは表情を消し、どこかを見つめていた。
森の木々の後ろから、兵士達が姿を見せた。北東側には共和国軍が、南西側には小国の軍の兵士達がいた。
いずれもその手には小銃を持ち、銃口は二人を睨んでいる。ギルディオスは、共和国軍の兵士達に顔を向けた。
そこにはヴァトラス小隊の兵士達がおり、彼らは戸惑った様子で、ギルディオスの背後の少女を見据えていた。
無理もない。掃討作戦を命じられてやってきた場所に、敵と同時に少女がいれば、誰だって混乱してしまう。
息を詰めた兵士達から発せられる緊張感と荒い呼吸が、葉音に混じっていた。不意に、きち、と金属音がした。
途端にローラは宙に浮き上がると、小さな手を振り翳した。今正に発砲しようとした兵士に向けて、力を放つ。

「たぁっ!」

少女らしい高い掛け声と共に放たれた念動力が、太い木々を薙ぎ払う。べきべきと幹が砕け、土が抉られる。
木の陰に隠れて小銃を撃とうとしていた小国の軍の兵士は後方へ吹き飛ばされ、地面にめりこんでいく。
胸を押し潰されて骨を砕かれた兵士の絶叫が辺り一帯に響き渡っていたが、血飛沫が飛ぶと絶叫は止んだ。
地面に半身を埋めた兵士の胸は、巨大な岩にでも潰されたかのように窪み、肉の間から骨が露出していた。
砕けた木の破片や薙ぎ払われた雑草の間に、じわじわと赤黒い水が広がり、体温の残った鉄錆の匂いがした。
あまりのことに両軍は呆気に取られていたが、小国の軍の隊長と思しき兵士が、放てぇ、と声を張り上げた。
森の中から出てきた兵士達は、宙に浮く少女に向けて一斉に引き金を引いた。不揃いの銃声が、何度も轟く。
ギルディオスは銃撃を阻もうと身を乗り出したが、すぐに足を止めた。宙に浮くローラの周囲に、何かがある。
硝煙の煙をうっすらと昇らせる無数の弾丸が、両手を広げて浮かんでいるローラの前で、ぴたりと止まっていた。
自身の念動力で、長い金髪と黒いマントをゆらゆらと揺らめかせていたローラは、細めていた目を見開いた。
空中に止まっていた弾丸が突然動きを取り戻し、それを放った者へ向かって一斉に飛んでいき、貫いた。
額や胸、腕や首。己の放った弾丸に撃ち抜かれた小国の軍の兵士達は、力なく崩れ落ち、小銃を落とした。
一人だけ発砲していなかった隊長だけが、立っていた。浅黒い肌をした中年の隊長は、数歩、後退った。
命乞いをしようと少女に手を伸ばしてきたが、ローラはくるりと手のひらを返し、念動力の圧力を高めた。
隊長が伸ばしていた腕が簡単に折れ曲がり、皮が破けて太い骨が飛び出し、生温い飛沫が噴き上がった。
言葉にならない言葉を喚いている隊長を、ローラの視線が捉えると、その頭が炸裂して破裂音が轟いた。
破裂の勢いで吹き飛んだ肉塊が、ぼたりと降ってきた。ぐちゃぐちゃに潰れた目玉から、水が出ていた。
ほんの、一時の出来事だった。ギルディオスはローラの力の凄まじさとその所業に、すっかり飲まれていた。

「さあ」

ローラはするりと体を回し、ギルディオスに向き直った。

「これで、私とあなたの邪魔をするものはいなくなりました」

「ローラ…」

ギルディオスがローラの前に踏み出すと、ローラは人差し指を立てた。死体の兵士の腰から、剣が外れた。
少女の細い人差し指がギルディオスに向けられると、剣は一直線にギルディオスに向かって飛んできた。
手元に飛んできた剣を反射的に受け取ったギルディオスは、念動力を弱めて降りてきた彼女に、叫んだ。

「オレはお前と戦わねぇ! 殺すはずなんてねぇんだ!」

「部下を殺されたくなければ、私を殺しなさい!」

ローラは両腕を伸ばし、ギルディオスに向けて突き出した。ギルディオスは身構えたが、圧力は訪れなかった。
だが、背後の木々が薙ぎ倒された。ギルディオスの立っていた場所以外の場所は、嵐の後のようになった。
振り返ると、部下達は浮き上がっていた。抵抗しようとしているが、小銃の引き金を引くことすら出来ない。
それは、異様な光景だった。武装を固めた兵士が、誰一人として戦えず、少女の意のままになっている。
空中に固定されている兵士は、いずれも青ざめていて、縋るような目でギルディオスを見下ろしている。
驚きと怯えで掠れた声で、小隊長、と呼ばれた。ギルディオスは手の中の剣を握り締め、ローラに向き直った。
ローラもまた、顔色があまり良くなかった。己の所業とはいえ、人が吹き飛ぶ様を間近で見たからだろう。
だが、表情は硬かった。戦意を漲らせた青い瞳がギルディオスを射抜き、血色の悪くなった唇を締めている。
ギルディオスは、やりきれない様々な感情が魂に渦巻いて、向ける先の解らない憤りで鋼の体が熱していた。
握り締めすぎて柄が歪んだ剣を、構えた。銀色の切っ先の先にいるローラは、ほんの少しだけ、笑っていた。

「いい加減にぃっ」

だん、と地面を踏み切って駆け出したギルディオスは、少女の胸目掛けて切っ先を突き出した。

「しやがれぇえええええっ!」

だが、その切っ先は少女の胸の寸前で止まっていた。力を込めすぎて肘の関節を軋ませながら、呼吸を荒げた。
ギルディオスは、目の前のローラを見つめていた。出来ない。出来るわけがない。彼女を、殺せるはずがない。
思い切り、ローラを殴ってやりたい。そして、抱き締めてやりたい。彼女が哀れで、苦しげで、たまらない。
なんとかして、彼女を救おう。ギルディオスはそう思い、剣を下げようとしたが、ローラの手が僅かに動いた。
突如、背中に重みが掛かった。ギルディオスは足を踏ん張って姿勢を保とうとしたが、体は勝手に傾いでいく。
輝いていた刃が汚れ、赤が散る。剣はずぶずぶと呆気なく埋まっていき、赤黒い切っ先が背から突き出した。
それを、ローラの肩越しに見ていた。ギルディオスは、手に伝ってくる生暖かい血液の感触に、戦慄した。

「ローラ…」

唇の端から血を零しつつ、ローラは口を動かした。ほら、言った通り、と痛みに歪んだ笑みを見せてきた。
血で手を滑らせ、ギルディオスは剣を落とした。剣によって支えられていた少女の体は、くたりと崩れた。
彼女が倒れると、空中に固定されていた兵士達も落ちてきた。何度か落下音が続き、呻き声も聞こえてきた。
ギルディオスは地面に膝を付き、虚ろな眼差しとなって横たわっているローラの髪に、恐る恐る触れた。
手触りの良い滑らかな金髪が、血の付いた手に貼り付いた。指先に触れた頬からは、温度が抜けていく。

「小隊長」

ギルディオスの背に、ビリーの声が掛けられた。ギルディオスは振り返ることなく、返した。

「撤退しろ。作戦終了だ」

「では、小隊長もご帰還を」

「お前らだけで先に帰れ。オレは、死体の始末をしてから帰る」

ギルディオスはローラの髪から手を外して、背後のビリーを見上げた。

「では、我々も」

ビリーの傍らにやってきたエリックが言うと、ギルディオスは語気を強めた。

「いいから帰れ、命令だ!」

「りょっ、了解であります」

ギルディオスの激しい口調に気圧され、エリックは敬礼した。ビリーはまだ何か言いたげだったが、背を向けた。

「総員、撤退!」

ギルディオスは、兵士達の足音を聞いていたが、血の気が失せて顔色が白くなったローラから目を離せずにいた。
兵士達の足音は次第に遠のき、いつしか聞こえなくなった。辺りには死臭が漂い始め、鉄臭さが鼻を突いていた。
ただ、呆然としていた。少女を貫いた感触は容易くて、今まで殺してきた人間の中でも特に手応えが軽かった。
だから、子供だけは殺せないんだ。殺すために力なんてほとんど必要ないし、一番後味の悪い相手なのだ。
だが、その子供を殺してしまった。彼女の手によるものとはいえ、結果として、ギルディオスの剣が命を奪った。
殺したことには、変わりない。ギルディオスはわなわなと肩を震わせていると、背後に足音が近付いてきた。

「なぁ、グレイス」

ギルディオスは項垂れたまま、漏らした。振り返らずとも、彼の気配はすぐに解る。

「なんで、オレなんだ。なんで、オレが殺さなきゃならなかったんだ」

「簡単なことさ」

グレイスは、少女の死体の前で肩を落としている甲冑の背を見下ろした。

「念動力っていうか、異能力は、魔力の固まりをそのまま操っているものなんだ。その力をぶつける相手の魔力が高ければ、その相手の魔力に妨害されちまって上手いこと作用されない可能性があるんだ。無論、意識してやることも出来るが、大抵は無意識にやっちまうんだ。まぁ、条件反射みたいなもんだな。だからこの子はあんたを選んだのさ。ほとんど魔力を持たないあんたを使えば、確実に殺してもらえるって踏んでな」

「もう一つ、聞いて良いか」

「まぁ、いいけど」

グレイスが返すと、ギルディオスはぎちりと首を軋ませて顔を上げた。

「なんで、自分で死ななかったんだ?」

「それもまた簡単なことさ。自分に自分の力を向けたり、自分で自分に刃を向けたりすると、これもまた条件反射で力を放っちまう。堪えて堪えれば大丈夫なんだろうけど、何せ、子供だからな。死にたい死にたい言ってても結局は死にたくねぇんだから、自分に向けた力も刃も無意識に弾いちまうのさ。だから、あんたの手を借りたってわけさ」

グレイスは言い終えてから、ギルディオスの肩越しにローラを見下ろした。少女は、苦しげだが安らかな顔だった。
ギルディオスは、彼女を救えなかったことをしきりに嘆いている。涙を流しているような、上擦り気味の声だった。
なかなか悪くない。グレイスは、ローラの身勝手さにはまだ苛立っていたが、彼の苦しむ姿で大分和らいでいた。
しかし、近頃の共和国政府と軍の、異能者に対する執心ぶりは凄まじい。何か、考えているとしか思えない。
もしかしたら、本当に最初からギルディオスにローラを殺させるつもりだったのかもしれない、と思った。
その可能性は、全くないわけではない。だが、理由が見えなかった。ローラの力は強大だが、殺す意味はない。
彼女を制御することは並大抵のことではないが、制御することさえ出来れば、何物にも勝る戦力になるはずだ。
ますます、理由が掴めない。お偉いさんの考えていることはさっぱり解らねぇな、とグレイスは内心で呟いた。
グレイスは感覚を研ぎ澄ませ、先程から感じているレベッカの思念を掴むと、その思念は喜びに満ちていた。
レベッカは、スパイド以来の魔物の友人を得て、心の底からの喜びで笑みを浮かべているのが目に見えるようだ。
彼女も彼女で、寂しかったのだろう。石人形とはいえ、人造魂だとはいえ、れっきとした自我を持っている。
普段は傀儡としての役割を果たすために、グレイスに付き合ってにこにこしているが、他の感情もちゃんとある。
森の奥深くに逃げ延びた魔物達と触れ合っているレベッカが発している思念は、とても楽しげだが寂しげだった。
もうすぐ、彼女は彼らと別れなければならない。グレイスとレベッカの仕事は、彼らを守り抜くことだけなのだ。
もう少し、レベッカに魔物達との別れを惜しませてやろう。そう思いながら、グレイスはローラの死に顔を眺めた。
異能の少女は、穏やかに眠っていた。




それから、五年の時が過ぎた。
ギルディオスは、共和国軍を退役していた。兵役を退く寸前に少佐に昇進していたが、もう軍にいたくはなかった。
あのまま軍にいたら、またローラのような子を殺せと言われかねない。もう二度と、子供だけは殺したくはない。
いくら作戦とはいえ、限度がある。増して、彼女は敵軍の工作員でもなんでもなく、ただ力を持っていただけだ。
それだけの理由で付け狙われて、挙げ句に死ななければならないほど追い詰められるのは、あまりにも悲惨だ。
出来れば、そういった者達を助けてやりたくなっていた。銃口を向けて戦い合うよりも、抱き締めてやりたい。
だが、その方法を見つけられないまま、旧王都のフィフィリアンヌの城で日常を繰り返す日々が続いていた。
そんなある日。共和国軍からギルディオスへ手紙が届き、また軍務に戻って欲しい、とのことが書かれていた。
フィフィリアンヌは、戻るも戻らないも貴様の自由だ、と言い放ち、伯爵は、暇潰しにはなりそうである、と言った。
ギルディオスが決めかねているうちに、共和国軍の者がフィフィリアンヌの城に訪れる、との手紙が届いた。
竜の城の玄関先で使者を待っていたギルディオスは、森の間を抜けてやってきた軍服姿の男の顔を見、驚いた。
それは、ヴァトラス小隊の部下の一人、エリックだった。顔付きが精悍になり、体付きも逞しくなっていた。
暗い赤の軍服の階級章の胸元に付いている階級章は少尉のもので、五年の間に、彼は大分昇進したようだ。
ギルディオスが片手を挙げると、エリックは立ち止まって最敬礼した。顔を綻ばせ、親しげな笑みをみせた。

「お久し振りであります、少佐」

「偉くなったもんだなぁ、お前も」

ギルディオスは石組みの階段を下り、エリックの元に寄った。エリックは、敬礼していた手を下げた。

「色々と、あったのです」

ギルディオスは、最前線の兵士であった頃よりも幾分表情が柔らかなエリックを見下ろしていたが、首を傾げた。

「なぁ、その軍服、色違わねぇか?」

「はい。一般の軍人との区別を付けるために、色を違えてあるんです」

「てぇことは、何か。お前は特殊部隊か何かにいるのか?」

「まぁ、そんなところです」

エリックは笑んでから、大柄な甲冑を見上げた。

「それで、少佐。お返事はお決まりでしょうか」

「だがな、エリック。今更オレなんかが軍に戻ったところで、どうにもなりゃしねぇよ。第一、オレみてぇな傭兵上がりよりも、よっぽど腕の良い佐官がごろごろしてるじゃねぇか」

ギルディオスは両手を上向けて肩を竦めたが、エリックは首を横に振った。

「いいえ、少佐でなくてはならないんです。少佐以外の方が、異能部隊の隊長に相応しいとは思えません」

「異能部隊?」

ギルディオスが聞き返すと、はい、とエリックは頷く。

「その名の通りの部隊です。共和国内から集められた異能者達が、その力を生かすための部隊です」

「て、ことは」

「はい。自分にも、精神感応の力があるんです」

エリックは、側頭部を指先で小突いた。だが、彼にそのような力が備わっているなど、全く知らなかった。
部隊の中でも目立った成果を上げていたわけではないし、どちらかと言えばビリーの方が成果を上げていた。
ギルディオスが不思議がっていると、エリックは眼差しを強めた。音ではない彼の声が、内側から聞こえてきた。

 あの頃は、ビリー上等兵を利用させて頂いていたのです。彼の内に、様々な思念を送っていたのです。

「要するに?」

ギルディオスは、内から聞こえてきたエリックの声に少々戸惑いながらも返した。彼は続ける。

 自分は、意識せずとも人の心が読めるのです。それは敵味方関係なく、勝手に飛び込んできてしまうのです。
 その中に敵兵の思念がありまして、次にどこを狙うか考えているために、多少なりとも隙が出来ていたのです。
 その隙を、不自然でない程度に弱めた思念でビリー上等兵に送っていたのです。射撃の腕は彼が上ですから。
 自分が狙って撃つよりも余程確実に撃てるでしょうし、その方が結果として効率が良いですからね。

エリックの声が弱まり、消えた。ギルディオスは魂の内を探られたような慣れない感覚に困りながらも、呟いた。

「なるほどな…」

エリックの力もそうなのだが、彼がビリーを操っていたとは知らなかった。ビリー自身も、知らなかったのだろう。
だが、なぜ自分が異能部隊の隊長に指名されるのか、ギルディオスは見当が付かず、訳が解らずにいた。
元々白兵戦が得意なのだから、人を統率することにあまり長けていないし、作戦も冴えたものは立てられない。
普通に考えれば、魔導師の類を上に据えるべきだ。魔導師ならば、異能力についての知識も持っているだろう。
しかし、ギルディオスは魔法の知識も深くないどころか、異能者の存在に触れたのはローラの件が初めてだ。
そんな者を上に据えては、大丈夫なのだろうか。ギルディオスが内心で渋い顔をすると、エリックは言った。

「少佐はあの異能の少女の、ローラ・ハドソンの件を覚えておられますか」

「忘れもしねぇよ。忘れられるはずがあるか」

ギルディオスが声を沈ませると、エリックは沈痛な口調になる。

「自分はこの力がありますから、少佐ご自身がローラ・ハドソンを殺したのではないとは知っています。ですが、傍目から見れば、少佐があの少女に手を掛けたようにしか見えませんし、我々もそういった内容の報告書を書きました。軍の上層は、それを認めてきたんです。少佐は、異能者に真っ当に渡り合える実力がある、つまり、我々異能者が暴走してしまった際の抑えになれると踏んできたんです」

「なんてこった…」

ギルディオスは、あまりのことに動揺した。ローラを殺してしまったことが、実績として捉えられていたとは。
ローラは、自分で自分に手を下したのだ。ギルディオスは、彼女の胸を貫いた刃を持っていただけに過ぎない。
通りで、地位がそのままになっていたわけだ。暴れる異能者を殺し部下を守った英雄、という扱いなのだろう。

「…はい」

エリックは俯いたが、すぐに顔を上げた。

「ですが、それだけではありません! 少佐のような方でなければ、務まらないからです!」

「だがよ…」

ギルディオスが言葉を濁すと、エリックは目線を落とした。

「ローラ・ハドソンの存在は、自分も知っていました。彼女と直接関わりがあったわけではありませんし、知っていると言ってもほんの少しのことですが。彼女は、異能者の中でも、特に悲惨な人間でした。力を一つ持っているだけでも相当厄介だというのに、複数の力を持っていたとなれば、彼女の苦労は想像など遥かに超えるものでしょう。事実、あの日の戦闘の際に感じた彼女の思念は、とても苦しげでした。死んでしまえる喜びも含まれていましたが、死にたくない、って思念もかなりありました。やはり、死にたくなかったんです。だって、たったの十三歳だったんですよ? それなのに、何年も逃げ回って、一人でずっと苦しんで、やっと出来た魔物の友人達にも自分のせいで危険が及びそうになって…。戦闘態勢で待機している間、ずっと彼女の感情を感じていました。痛くて辛くて悲しくて、こっちまで苦しくなりました。でも、一度だけ、彼女は幸せだって思ったんです」

エリックは目元に滲んだ涙を強引に拭うと、ギルディオスを見上げた。

「少佐が、彼女の頭を撫でてやった時です。ほんの一瞬だけでしたが、本当に嬉しそうでした。子供扱いされたことなんて、本当に少なかったんでしょうね」

エリックは、語気を強める。

「お願いします、少佐。我々異能者に、生きる場所を与えて下さい!」

「ローラは、喜んでいたのか?」

ギルディオスの問いに、エリックは深く頷いた。

「はい。心の底から」

ギルディオスは、いつになく表情を強張らせているエリックを眺めていた。彼にも、様々な過去があるのだろう。
精神感応で読み取ったローラの心だけでなく、己の経験もあるからこそ、彼女の苦しみも喜びも理解している。
ローラやエリックのような者は、一人ではないのだろう。戦闘部隊が編成出来るほどなのだから、相当な数だ。
その中の誰も彼も、それぞれに苦しんでいる。望まない力を持って生まれたために、もがきながら生きているのだ。
生きるための居場所とするには、戦闘部隊とはあまり穏やかではないが、疎まれながら生きるよりも余程良い。
持って生まれた力を嫌わずに、それを誇りに持てたなら、そして受け入れられたなら、どれほど素晴らしいか。
それは、ギルディオスも良く知っている。彼らとは真逆だが、力を持たないことを受け入れられて嬉しかった。
かつて、ルーの呪いによって価値観を逆転させられたヴァトラス家では、魔力が高いことが最大の価値だった。
そんな中で、魔力を持たないギルディオスは邪険にされて生きていたが、家の外へ出て己の生きる道を見定めた。
魔力を持たない自分を受け入れ、愛してくれた妻や親友の存在が、どれほどありがたく素晴らしかったことか。
ならば、彼らにも居場所と誇りを与えるべきだ。ギルディオスは決めかねていた答えを定め、ぐっと拳を握った。

「やってやろうじゃねぇか。隊長とやらを」

「本当ですか、少佐!」

エリックは、嬉しそうに声を上げた。ギルディオスは頷く。

「そこまで言われちゃ、やらないわけにいかねぇだろうが」

あの日に出来なかったことが、出来るかもしれない。いや、しなくてはならない。ギルディオスはそう強く思った。
ローラを殺してしまった罪は、決して消えない。だが、その罪によって、異能者達を生かせる道が生まれていた。
その道である異能部隊を率いて、異能者達に人間らしい日々を与えてやることこそ、ローラへの償いになる。
それで全てが帳消しになるわけではないが、ローラの命によって出来た未来を、潰すわけにはいかないのだ。
ギルディオスはしきりに喜んでいるエリックに内心で目を細めていたが、両の拳に力を込め、強く握り締めた。
最初から何もかもが上手く行くとは思っていないが、やれる限りのことをして、異能者達を生かしてやろう。
ただの上官ではなく、人として異能者達に接し、彼らに人らしく生きる喜びと満ち足りた日々を与えるのだ。
それが、異能部隊の隊長の使命だ。




罪が成した、一つの未来。
それは、死を求めた異能の少女の命によって、造られたものだった。
力を持て余し、力に戸惑い、力に苦しむ彼らのために。

異能部隊が、生まれたのである。







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