ドラゴンは眠らない




黒竜戦記 前



竜王都に、一報が入った。


帝国に竜族が殺された、と。百数十年前に潰えたはずのドラゴン・スレイヤーが、再びこの世に現れたのである。
報告を行うために竜王城に駆け込んできた竜族も、手傷を負ってきた。翼を撃ち抜かれ、尾には深い傷があった。
尾を斬り付けた剣には、竜族に対して極めて有効な毒が塗られていたらしく、その竜は三日と立たずに死んだ。
その日を境に、一変した。それまでの帝国は、王国と同様に、表面的には竜族と宥和する姿勢を取っていた。
だが、ドラゴン・スレイヤーの復活と同時にかつての残虐性も復活し、世界は人のものである、と宣言した。
人間こそがこの世の住人、世界を成すのは魔物ではない、だから竜族は滅ぼすべきだ、と皇帝は民衆に叫んだ。
その強い姿勢に、当初は帝国の民衆は戸惑っていたが、皇帝が煽るうち、竜は滅ぶべきだとの思想が広がった。
帝国に隣接する王国も次第に影響を受け、今まではあまり踏み入れていなかった、魔物の領域を侵し始めた。
帝国と王国は、民衆に命じた。魔物を殺せばそれ相応の対価を払い、竜を殺せば栄誉ある地位を授ける、と。
その言葉に、人々は狂喜した。特に喜んだのは帝国の貧困層の人々で、先を争って魔物や竜を殺し始めた。
最初の頃の犠牲者は、魔物ばかりだった。だがそのうちに竜に手を出すようになり、次々と竜が殺された。
帝国に認められた竜の殺戮者、ドラゴン・スレイヤーだけでなく、魔導師や聖職者までもが竜を殺していった。
その数は、恐ろしいほどだった。皇帝が竜族殺しを肯定してから一ヶ月程度で、二十五もの屈強な竜が屠られた。
帝国の悪魔のような所業と同族が次々に死ぬ惨状に、竜王は怒りを露わにし、竜王軍将軍に命令を下した。
帝国に報復を与えよ、と。




竜王との接見を終えたガルムは、黒いマントを翻し、足早に廊下を進んでいた。
黒く立派な翼が生えたガルムの背の後ろには、装甲に身を固めた竜王軍の兵士達が一糸乱れずに歩いていた。
褐色の肌で彫りが深い精悍な横顔は、普段以上に険しかった。常日頃から強面だが、威圧感が更に増していた。
きつく吊り上がった目の赤黒い瞳は、真正面を見据えていたが、横へ逸れた。そこには、白い者が在った。
ガルムとは正反対の、白いマントと礼装に身を包んだ白竜の男が並んで歩いており、規則正しく歩いていた。
普段のものよりも装飾の多い甲冑を鳴らしながら、白竜の青年、エドワードは傍らのガルムに視線を投げた。

「平静になれ、ガルム」

「私は冷静だ。だが、ここまでされて、怒らずにいられるものか」

ガルムは沸き上がる怒りを拳に込め、握り締めた。

「ここにお前がいなければ、すぐにでも帝都を滅ぼしに行ってしまいそうだ」

「変わらないな、お前は」

エドワードは少々呆れ気味に、将軍の礼装を着たガルムを眺めた。

「だが、今回ばかりは自重してくれ。帝国に煽られるままに戦いを仕掛けたら、それこそ思う壺だ」

「竜王陛下の命に背く気か」

ガルムの鋭い視線が、エドワードを貫いた。エドワードはそれに戸惑うこともなく、返した。

「そうは言っていない。だが、帝国だけでなく王国まで関わってくるとなると、慎重に進むべきだと思うのだ」

エドワードの隣で、ふん、とガルムは不愉快げに口元を歪めた。その表情に、エドワードは不安を覚えていた。
竜王軍将軍であるガルムは、志願兵からのし上がった叩き上げだが、その実力と采配の大胆さには定評がある。
強面な上に愛想が悪いので民衆からの評判は芳しくないが、軍の中では英雄視され、崇拝されてすらいた。
エドワードはガルムとは違い、長年竜王家に仕えている騎士の家系の生まれで、完全な叩き上げではない。
ガルムと同じように騎士から昇り詰め、十数年前に、ガルムの後を追うように、竜王軍の副将軍に就任した。
常に強硬な姿勢を好むガルムとは違い、穏やかな作戦を好むエドワードは、軍ではなく民衆から慕われていた。
二人を先頭にした兵士の一団が進んでいくと、竜王城の者達が床に膝を付き、深々と頭を下げてかしずいた。
ガルムは彼らをちらりと一瞥しただけだったが、エドワードは彼らに微笑み返しながら、広い廊下を進んだ。
すると、ガルムが足を止めた。途端に背後の兵士達も足を止め、ざっ、と規則正しかった足音も止まった。
廊下の先に、人影があった。縦長の窓から差し込む柔らかな日差しの中、鮮やかな緑のマントが揺れている。
マントに負けないほど色鮮やかな緑髪を背に流し、惜しげもなく露わにされた長い足が、前に踏み出された。
竜女神の如く整った美しい顔が、真正面にある。彼女を見据えるガルムの眼差しが、ほんの少し和らいだ。

「アンジェリーナ様」

「ご機嫌麗しゅう、将軍閣下」

アンジェリーナは薄い唇を上向け、笑みを見せた。ガルムとエドワードの背後の兵士達は、一斉に膝を付く。
彼女は、かかとの高い靴を鳴らしながら歩み寄ってきた。二人の前にやってくると、笑みを消した。

「開戦するわけね」

「はい」

ガルムが返すと、アンジェリーナはしなやかな手付きで前髪を掻き上げた。

「まぁ、近いうちにそうなるんじゃないかって思ってたから、別に驚きもしないけど。でも、私は戦争には手を貸さないわよ。私の仕事はあくまでも竜王都を守ることであって、人間と戦うことじゃないのよ。後で命令なんてされたら面倒だから、先に言っておくわ」

じゃあね、と手をひらひらと振りながら、アンジェリーナは長いマントをなびかせながら廊下を歩いていった。
エドワードはその背を見ていたが、ガルムの横顔を見上げた。彼の力強い眼差しは、熱を帯びていた。
いつの頃からかは解らない。だがガルムは、間違いなく、守護魔導師であるアンジェリーナに惹かれていた。
口に出すことはないし、元から表情を固めているので表には現れないが、ずっと傍にいると解ってくる。
アンジェリーナが近付いてきた時だけ、僅かばかりだが表情が柔らかくなり、その眼差しも変わっている。
ガルムは、廊下の奥へ遠ざかっていくアンジェリーナの背を見つめていたが、無意識に眉根を歪めていた。
叶うはずがないのは、解っている。しかし、一度でも覚えてしまった恋情は、簡単には拭い去れなかった。
ガルムは、将軍に就任する以前から、誰よりも美しく誰よりも気高いアンジェリーナに、心を奪われていた。
切っ掛けは、些細なことだった。まだ騎士の一人に過ぎなかったガルムに、アンジェリーナはこう言い放った。
私の娘を戦いに引っ張り込もうとしたあんただけは、守りたくないわね。彼女はガルムを見下し、軽蔑した。
本当に、たったそれだけだった。アンジェリーナも、大事な娘を危険に晒そうとした男に、釘を刺しただけだ。
その言葉を言われた時、ガルムは腹立たしさや憤りを覚えるよりも先に、感じたことのない動揺を感じた。
その日から、ガルムは無意識にアンジェリーナの姿を探すようになり、見つけるとその度に動揺は強まった。
竜王都に赴いた彼女の娘、フィフィリアンヌと戯れている時の柔らかな笑顔を見た時に、動揺は痛みになった。
それが恋であると知るまで、時間は掛からなかった。だが、アンジェリーナの心を奪えるなど、思っていない。
アンジェリーナは、遠い昔に死した人間の夫を未だに愛している。そして、半竜半人の娘も、深く愛している。
そんな相手の心に、付け入る隙など無い。だから、何度となく払拭しようと思ったが、痛みは消えなかった。
それに、今はそれどころではない。今するべきことは、決して手の届かない女神を求めることではない。
同族のために、戦うことなのだ。




竜王城にて、竜王軍将軍に開戦の命令が下された翌日。
王都近くの古びた城は、普段通りの日常を繰り返していた。竜の少女とスライムと甲冑の、穏やかな朝だった。
森から切り倒してきた木を城の前に運んできたギルディオスは、斧を振り下ろし、木を割って薪を作っていた。
足で立てた丸太の上に斧を当て、位置を確かめてから、力強く振り下ろす。すると、見事に真っ二つに割れた。
その半分を更に割り、四等分にすると、背後に放り投げる。甲冑の背後には、既に薪の山が出来上がっていた。
ギルディオスは、細かな木屑が付いてしまった赤い頭飾りを振って払い落とすと、がつん、と斧を肩に担いだ。
城の玄関先では、城の主である彼女が読書に耽っている。膝の上に分厚い本を広げ、黙々と活字を追っている。
ギルディオスは唸りながら首を曲げ、関節を軋ませた。斧を担いだまま振り返り、竜の少女に声を掛けた。

「なぁ、フィル。やること、色々あんじゃねぇのか?」

「具体的に説明してみろ。出来るものならな」

フィフィリアンヌは目も上げずに、平坦に言い返した。ギルディオスは腰に手を当て、晴れた空を仰ぐ。

「まぁ、うん。オレも、何をするべきかってのは思い付きゃしねぇけどよ」

空には、鳥が一羽飛んでいた。澄み切った蒼穹とは裏腹に、地上では血生臭いことばかりが起きていた。
帝国が唐突に推し進め始めた対竜政策は、強引などという言葉では生易しく、虐殺も同然の行為だった。
買い物のために王都へ下りれば、どこの誰が竜を殺した魔物を屠った、などという話がすぐに聞こえてくる。
帝国からやってきた者達の中には、遠い昔に見た覚えのある、ドラゴン・スレイヤーの紋章を付けた者もいた。
しかも、その数は半端ではない。王国にやってくる帝国人の大半は、ドラゴン・スレイヤーか軍人だった。
その中には、己が殺したという竜の牙を鎧に付けている人間もいたりして、ギルディオスは嘔吐感を覚えた。
魂を魔導鉱石に繋ぎ止める際に注がれた、竜の魔力のせいで、竜族のような感覚を得てしまったからである。
竜に近しい感覚は、生前よりも大分鋭敏なので便利と言えば便利なのだが、こういう時だけは不便だった。
帝国王国の両者が竜族を手当たり次第に殺しているせいで、竜の皮や骨が、街中で取引されるようになった。
そんな場面に出くわすと、竜の死体に残留する血の臭気や死に際の恐怖が伝わってきて、困ったことになる。
感覚を得ただけのギルディオスでもそうなのだから、半竜半人のフィフィリアンヌにとってはかなり辛い。
一滴だけだが彼女の血を吸い取って魂を成している伯爵も同様で、ここ最近、二人は城に引き籠もっている。
なので、買い出しはもっぱらギルディオスの役割になっている。すっかり、下働きが板に付いてしまった。
王国は当初は帝国の方針に逆らおうとしていたのだが、国王は皇帝に押し切られ、対竜政策を受け入れた。
王国議会や貴族の中にも、竜族や魔物に反感を持っていた者は少なくなく、帝国の思想は広がっていった。
フィフィリアンヌの座っている石組みの階段には、フラスコが置かれてあり、その中でスライムが蠢いた。

「はっはっはっはっはっはっは。所詮貴君はニワトリ頭である、考えることすら出来ぬのであるぞ」

「うるせぇ」

ギルディオスはやる気なく伯爵に言い返し、斧を放った。ざっ、と斧の先が土に埋まり、草が千切れた。

「稼ぎ時だな、ギルディオス。行きたければ行ってくるが良い。が、負傷しても修繕費は肩代わりせんぞ」

ちらりと目線を上げたフィフィリアンヌは、甲冑を捉えた。ギルディオスは、両手を上向けてみせる。

「いつも通りの帝国と王国の小競り合いだったら、考えないでもねぇけどな。だが、今度ばっかりは、いくらなんでも分が悪過ぎる。相手はガルムだぜ? あいつが相手となれば話は違う」

ギルディオスは上向けていた手を下ろすと、竜王都のある方向を見上げた。

「あいつの采配は、大胆っつーより無謀なんだよ。だから、なるべく敵にも味方にもしたくねぇんだよ、ああいう奴は。ていうか、帝国は、なんで今更ドラゴン・スレイヤーなんて復活させたんだよ?」

訝しげなギルディオスに、フィフィリアンヌはページをめくる手を止めた。

「何、簡単なことだ。帝国の馬鹿が極まったのだ。今回の皇帝であるオルステッド十五世は、今までの皇帝を遥かに凌ぐ馬鹿だ。皇族同士での近親婚を重ねたせいで、相当に血が濃くなったせいだろう。奴の頭は最初からイカれている。皇帝に就任したかと思えば友好関係にあった小国を脅かして王女を拐かすし、報復を行われそうになったら小国の貴族共を買収して帝国軍に引き入れてしまうし、自国どころか他国からも女を掻き集めては、後宮で遊んでばかりおる。そのせいで、正室であった皇妃が自殺してしまったが、その葬儀にも出席せずに女をいたぶっていたそうではないか。皇帝も馬鹿だが、民衆も馬鹿だな。さっさと謀反でも起こして、首を刎ねてしまえばいいものを。ドラゴン・スレイヤーなどと言う、過去にしくじった政策を掘り起こす辺りもまず馬鹿だ。掘り起こした理由も、かなり下らないものだそうだ。竜は人智を越えた存在だ、と家臣の一人がオルステッド十五世に漏らしたところ、馬鹿皇帝は、我こそは地上で最も優れた存在である、などと喚いて翌日にはドラゴン・スレイヤーを制定してしまったのだからな。馬鹿もここまで来ると、害毒だな」

「そして、もう一つ。竜王都周辺の山脈に、良質な魔導鉱石の鉱脈があることが発覚したからである」

フラスコの中を迫り上がってきた伯爵は、ぽん、とコルク栓を押し抜いた。先端に栓を持ち、触手を振る。

「竜王都を囲む山脈は、かつてガルムが破壊したウェルロギア山と繋がっていた山だったのである。大昔にあったであろう地震で山同士を繋いでいた山脈が崩壊し、地質が変化していたために解りにくかったのであるが、調べに調べてみるとウェルロギア山と竜王山脈から採掘される魔導鉱石の魔力出力はほぼ同等であり、流れ方も同じなのである。帝国は、それに目を付けたのである。恐らく、王国が急に躍起になったのもその辺りに原因があるのであろう。王国は帝国に比べて財源が少ない分、近隣諸国から見下されてしまっているのである。北西部にある魔導鉱石の鉱山も一時期に比べれば奮っておらんし、その魔導鉱石鉱山から流れ出る土砂での災害も絶えず、農地が荒れてしまう始末なのである。そんな状態では、帝国に縋りたくもなるのである」

「愚かなことだ」

フィフィリアンヌは、さも馬鹿馬鹿しげにする。

「それとこれとは、全く関係がないではないか。いつの世であろうとも、竜族は八つ当たりの対象に過ぎんようだな。皇帝に向けられない怒りと憤りの矛先と、帝国に頼ってしまう不甲斐なさを、何も竜にぶつけることはなかろうに」

「全くなぁ…」

ギルディオスは、深く息を吐いた。帝国が竜を殺した理由に腹は立つが、それ以前に呆れ果ててしまった。
帝国は、昔からそうだった。ギルディオスが生きていた頃から、皇帝は変わってもその実情に変化はない。
皇族が全てを司り、上級貴族であろうとも手は出せない。下手に関われば、その場で首を刎ねられてしまう。
時折、皇族を殺してのし上がろうとする者もいるが、皇族を一人二人殺しても、帝国に変化は起きなかった。
それどころか、謀反を起こした貴族や軍人の一族を皆殺しにして、見せしめとして帝都の広場に死体を並べる。
そして皇帝は、無数の死体を見下ろしながら、民衆に宣言する。余に逆らうことは、すなわち死である、と。
独裁国家とは、そういうものだ。民を民として扱わず、人を人と見ず、貧富の差ばかりを大きくしてしまう。
そんな状況だから、竜を殺せば栄誉が手に入るのだと知れば、虐げられていた帝国国民達は奮起して当然だ。
そして、死に物狂いの帝国国民によって、罪もない竜族が次々に殺され、竜の死体の山が築かれてしまった。
この上で竜族と帝国が戦争を始めたら、人間ばかりではなく竜族も大量に死んでしまうのは目に見えている。
だが、フィフィリアンヌの気持ちも解らないこともない。理由のない殺戮ほど、馬鹿馬鹿しく悔しいものはない。
ギルディオスが思考に耽っていると、不意に空が陰った。見上げると、城と湖をすっぽり覆う巨体の影があった。
ばさり、と巨大な翼に空気が叩かれ、突風が吹き抜けた。その風が抜けた後、巨体はするすると身を縮めた。
太い尾や翼が消え失せ、再び空が見えるようになると、城と空の間に、長い髪をなびかせる女が浮いていた。
遠目に見ても解るほど、派手で露出の多い魔導師の衣装を着ていて、至るところに付けた装飾品が輝いている。
女はマントの下から生えた翼を縮めると、降りてきた。音もなくつま先を地面に付け、ふわりと髪が落ちる。
姿勢を正して顔を上げた女は、城の玄関へ振り返った。美しく整った顔に、柔らかで愛しげな笑みが浮かぶ。

「久しいわね、フィフィーナリリアンヌ」

「母上」

フィフィリアンヌは本を閉じると、立ち上がった。女、アンジェリーナは真紅の紅を塗った唇をにいっと広げる。

「まぁ、心配なんてしてなかったけど、さすがにそろそろやばいから知らせに来てやったわよ」

「ガルムが進軍でも始めたのか?」

フィフィリアンヌが言うと、アンジェリーナは長い髪を掻き上げた。

「まぁね。でも、竜王陛下のご命令だから、奴の独断じゃないわよ。明後日にも、帝国北部に到着するんだってさ」

「いつか始まるとは思ってたが、随分と急だなぁ、おい」

ギルディオスが驚いてみせると、アンジェリーナは背後のギルディオスに目をやる。

「あー、そうそう。竜王軍騎士団長からの伝言っていうか、なんで私がこんなことしなきゃならないのよ。連中、この私がどういう立場にいるのかすっかり忘れてるみたいね。竜王都に帰ったら、張り倒して踏み潰してやろうかしら」

「で、何なんだよ?」

アンジェリーナの文句に辟易しつつ、ギルディオスは尋ね返した。アンジェリーナは、面倒そうに言い捨てた。

「ニワトリ頭で馬鹿な人間の傭兵に、竜王軍騎士団からの光栄で誉れ高いお誘いよ。最前線で切り込み隊長をしてくれたら、金貨五千枚だってさ。割と安いわね」

「悪ぃが、その話は断らせてもらうぜ。オレはどっちの味方にも付かないつもりなんでね」

ギルディオスが肩を竦めると、アンジェリーナはちょっと意外そうにした。

「あらそう。てっきり、あんたって、金次第でどうにでもなる便利でいい加減な男だと思ってたけど」

「帝国の馬鹿共をぶった切るのは慣れてるが、竜の味方になるってのも、どうもなぁ…」

ギルディオスが内心で渋い顔をすると、アンジェリーナはにたりと目を細めた。

「あら。それじゃあんたは、私ら竜が嫌いなくせに傍にいるわけ? 酔狂なことね」

「違ぇよ。そんなんじゃねぇよ」

彼女の嫌味がやりづらかったが、ギルディオスはアンジェリーナに向き直る。

「オレは、竜は嫌いじゃねぇ。人間も嫌いじゃねぇ。だが、だからこそどっちにも付く気が起きねぇんだよ」

「いやはや、いやはや。ニワトリ頭よ、貴君は面倒な立ち位置にいるのであるな」

伯爵はふらりと触手を伸ばし、ギルディオスを指した。ギルディオスは薪を片付けるべく、何本か抱えた。

「ああ、オレもそう思うよ。だがな、そうなんだから仕方ねぇじゃねぇか。竜の味方をしてぇ気もするが、その気にならねぇんだ。信用出来ない雇い主から金をもらって戦うのは、別に気にはならねぇんだが、気が進まない仕事はやりたくねぇんだよ。迷ったまま戦っちまうと、簡単にやられちまうからな」

「ふむ」

フィフィリアンヌは細い顎に手を添え、声と共に息を漏らした。

「それでは貴様は、ガルムと竜王の決断が正しくないと言うのだな?」

「いや、正しくないっつーか…。間違ってないとは思うんだが、正しいとは思えねぇんだよ、なんか」

ギルディオスはもう一方の腕にも、何本か薪を抱えた。フィフィリアンヌは、甲冑に目をやる。

「私もそうは思うが、こうなってしまっては、戦いの他に有効な手段などあるものか。力で竜を制しようとする相手を制するには、やはり力を用いらねばならんのだ」

普段通りの冷淡な表情の娘を眺めていたアンジェリーナは、目を細めていた。何年経とうとも、娘は愛おしい。
ふと、娘の目線がこちらに向いた。フィフィリアンヌの冷ややかな目に、照れが少し入り混じったのが解った。
面と向かってお互いに好意を示すことに、未だに慣れていなかった。母と娘は、どちらも意地っ張りだからだ。
アンジェリーナは、気恥ずかしげに目を伏せてしまったフィフィリアンヌを見つめながら、内心で安堵していた。
竜が死んだという報告がされるたびに、気が気ではなかった。娘が殺されたのでは、と思わない時はなかった。
本当なら、すぐにこの城にやってきたかったが、アンジェリーナには竜王都の守護魔導師としての立場がある。
竜王都だけでなく、竜族全体が緊張感を高めている中、民衆が守護魔導師に寄せる期待と不安も高まっていた。
守護魔導師は普通の魔導師とは違い、竜王の力の象徴のような位置にいるため、神聖視されている節がある。
なので、そんな状況の中、守護魔導師の一人でも竜王都を離れてしまえば、竜王都全体が不安に満ちてしまう。
そうなれば、士気を高めつつある竜王軍に影響が出てしまうだろうし、竜族全体にも不安が広がってしまう。
その結果、隙が出来てしまって竜王都に攻め入られる可能性もあったので、離れることが出来なかったのだ。
だが、この城にやってきたのは、娘の生存を確かめることだけではない。竜王からの、伝令の命を受けていた。
何も私を使うことないじゃないのよ、とは思うが、母から言われでもしなければ、この娘は動かないだろう。
それに、竜王の命は結果としてフィフィリアンヌのためにもなる。アンジェリーナは、娘に顔を向けた。

「それと、フィフィーナリリアンヌ。あんたにもご命令よ」

「ろくなものではない気がするがな」

フィフィリアンヌは、片方の眉を吊り上げる。アンジェリーナは、澄ましている。

「まあ、そうかもしれないわね。でも、がめついあんたには丁度いい話よ。竜王陛下と将軍閣下は、竜王軍医療部隊への薬剤の補給をお求めになっているわ。ここまで言えば、意味が解るわよね?」

「報酬は」

フィフィリアンヌが問い返すと、アンジェリーナは手を広げてみせる。

「金貨五万枚。成果に応じて報酬は増えるんだってさ」

「悪くない。が、従軍しろと言われたら断るぞ。私は軍属になどなるつもりはないからな」

フィフィリアンヌの険悪な態度に、アンジェリーナはにやりとした。

「あんたの変な性格ぐらい、ガルムもちゃんと解ってるわよ。あいつもそこまで馬鹿じゃないわ。従軍の必要はないけど、その代わり、竜王都に止まることが条件だってさ。それと、あんたの連れてる馬鹿共も一緒に連れてきていいってさ。伯爵はともかくとしても、ニワトリ頭は竜神祭の英雄だしね」

「それで、どうするのであるか、フィフィリアンヌよ」

伯爵の触手が、フィフィリアンヌを指した。フィフィリアンヌは本を抱えて立ち上がり、首を動かして鳴らす。

「別にどうもこうもせん。金貨五万枚がもらえるとなれば、行くしかなかろう」

「相変わらず現金ね、あんた」

アンジェリーナが少し呆れると、フィフィリアンヌは母に目を向ける。

「いくつになろうとも、年相応でない派手な恰好をする母上にだけは言われたくはないな」

二人の口調は辛辣だったが、その表情は柔らかだった。二人の様子に、ギルディオスは内心でにやにやした。
傍目からは仲が悪いようにしか見えないが、二人ともすっかり仲良くなっていて、皮肉にも温かみがある。
どちらもどちらを好いているのに、どちらも素直になれないので、その様子が微笑ましくてならなかった。
たまに呆れてしまうこともあるが、見ていて楽しい光景だ。ギルディオスは内心で笑いつつ、二人に背を向けた。
城の裏手にある倉庫に薪を運ぶべく、草を踏み分けて歩きながら、間近に迫った戦いにぶるりと身を震わせた。
竜と人との戦いがどんなものか、今まで見たことはなかった。だからこそ、感じたことのない畏怖を感じた。
かつてこの城にやってきた黒竜の騎士、現在は将軍になっている、ガルム・ドラグリクの采配なら尚更だった。
ギルディオスは、以前竜王都に赴いた際に、竜王軍と北竜都の模擬戦を見たことがある。夜間の空中戦だった。
北竜都の軍勢は、竜王軍を散らして攻める作戦に出た。竜王軍も、北竜都軍の各部隊を撃破するべく動いた。
最初は竜王軍が優勢だったが、北竜都軍の作戦が功を奏し、散り散りになった竜王軍は次々にやられていった。
このまま竜王軍が敗退するものかと思えたが、突如、将軍ガルムの率いる主力部隊が高度を上げていった。
深い闇の夜空を昇り詰めた巨体の竜達は、ガルムの命令と同時に一斉に降下を始め、敵の部隊に突っ込んだ。
唐突な攻撃と落下してきた竜の重みによって、北竜都軍の部隊は撃墜されていき、簡単に一掃されてしまった。
最後は、竜王軍の本陣を攻め落とそうとした北竜都軍の主力部隊を、ガルムが自身の尾で薙ぎ払ってしまった。
優勢だった戦況を一気に覆されてしまい、北竜都軍の司令官は呆然としてた。ギルディオスも、そうだった。
大胆と言えば大胆な作戦だが、無謀には違いなかった。あんなに荒っぽい攻撃をしては、味方も負傷する。
事実、竜王軍に翼を痛めた兵士が数名いたが、ガルムは負傷した兵士に対し、訓練が足りないのだと一蹴した。
その態度に、副将軍であるエドワード・ドラゴニアが激昂していたことも印象に残っていて、良く覚えている。
ガルム、お前はそれでも指揮官か、味方に負傷者を出すような作戦をなぜ実行するんだ、私には信じられない。
普段は穏やかなエドワードが怒りを放つ姿に、ギルディオスならずとも、両軍の兵士達も呆気に取られていた。
だが、ガルムは態度を変えなかった。声を荒げるエドワードを睨み付けると、強い口調で、こう言い放った。
犠牲は必要なものだ、犠牲がなければ勝利は掴めない、と。そしてガルムは、それ以上何も言わずに立ち去った。
彼の態度に、エドワードは終始怒っていた。ギルディオスにはどちらの考えも解るので、複雑な心境だった。
ガルムの言うことは正しい。だが、間違っている。エドワードの意見も正しい。だが、それだけではいけない。
戦いを行う際には、こういった諍いは付きものだ。だが、ガルムの場合、無茶の規模が桁外れに大きいのだ。
騎士であった頃に独断でウェルロギア山を破壊してしまったこともあるし、島一つを潰してしまったこともあった。
それは、八十年ほど前に起きた、大陸南部の諸島での赤竜族の戦いで、竜王軍は援軍として加勢をしに行った。
慣れない海上戦である上に、異国の海賊船の装備に押され、赤竜族の男達と竜王軍は追い込まれてしまった。
このままでは、海賊は諸島を荒らし、赤竜族の住み処となっている島が襲われてしまう可能性が高くなった。
体勢を立て直して攻めるべきだ、としたエドワードの意見を振り払ったガルムは、部下達にある命令を下した。
陽動作戦で海賊船を一つの島の周囲に集め、集まった時に上から下から焼き払い、殺し尽くしてしまえ、と。
そして、ガルムはその作戦を実行した。結果、赤竜族と竜王軍は勝利を収めたが、その代償も大きかった。
海の中から強烈な魔法を放ったために、周辺一帯の魚が死に絶え、砲撃を受けた島は跡形もなく消え失せた。
ギルディオスは、その戦いを直接見ていたわけではないが、フィフィリアンヌが見ており、話してくれたのだ。
聞けば聞くほど、ガルムが末恐ろしくなる。手段を選ばない、と言うより、力で全てを押し切ってしまっている。
これでよく部下が付いてくるものだ、と思うが、血の気の多い竜の若者には、彼の強烈さが魅力なのだろう。
ギルディオスは城の裏口にやってくると、抱えていた薪を薪置き場に放り込み、肩に付いた木屑を払った。
辺りを見回し、思った。遠い昔、ここでガルムと刃を交えた日が懐かしい。あの頃は、彼もまだ穏やかだった。
だが、地位を手にして力を得るようになると、以前にも増して強引さが目に付き、恐ろしさすらあった。
今度の戦いの行く末は、見えない。ギルディオスの赤いマントを、森を抜けてきた湿った風が揺さぶった。
無意識に、背中に乗せた剣の柄を握っていた。







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