アステロイド家族




リアル・ワールド




 長い夢を見ていた。
 ひどく生々しく、現実味のある、それでいて嘘臭い夢だった。記憶を再構成した映像とは思いがたい夢だった。
頭上に差し込む日差しは眩しく、赤かった。背中に触れる砂の感触がくすぐったく、熱を持った手足が重たかった。
目線を上げて、地表に埋まるものを見やる。赤い日差しを浴びた外装は紫に染まり、朽ち果てる時を待っていた。
 あれから、どれほどの時が過ぎただろうか。この星は数十回の朝と夜を迎え、失ったはずの季節が訪れていた。
全ての機械生命体の母であると同時に捕食者であった金色の天使、アウルム・マーテルを撃破した影響だろう。
アウルム・マーテルはエネルギー生命体であり、その肉体は、エネルギーを凝固させた分子で構成されていた。
金色の分子は、かつてこの星を焼き尽くした放射線を用いた大量破壊兵器の残滓を相殺し、互いに滅していた。
競り合う相手がいると、双方消耗が激しくなる。相殺現象のおかげで、この数ヶ月で放射能濃度は激減していた。
だが、それはこの体には何の意味も成さない。金属細胞で構成された肉体にとって、放射線など毒にもならない。
しかし、悪い気分ではない。この惑星の土壌が浄化されれば、惑星全体の機械化改造も進めやすくなるはずだ。
 勝利を収めたイグニスは、新たな力を手にした。自軍の司令官に似せた、右肩のリボルバーもその一つだった。
身体能力は飛躍的に向上し、出力も跳ね上がり、腕力も数十倍になり、外装の強度も恐ろしいほど強靱になった。
そのどれもが、アウルム・マーテルの恩恵だ。対消滅するかと思われたが、生き残ったおかげで力を奪えたのだ。
だから、勝利は素晴らしいのだ。赤い空を仰ぎながら、イグニスは腹の底から込み上がってくる笑いを零していた。
 ふと、足音がした。その主は解っている。イグニスは警戒心を抱くこともなく、砂の大地に寝そべったままだった。
頭上に影が訪れ、足音が止まった。目も眩むほどの赤い逆光の中に立っているのは、一人の機械生命体だった。

「体の具合はどうだ、イグニス」

「至って好調さ」

 イグニスは起き上がることもせず、真下からその者を見上げた。

「それもこれも、我らが母の命を浴びたおかげだぜ」

「だが、過信はするな。お前の体に掛かった負荷は凄まじいのだから」

「解ってるさ」

 イグニスが手を差し伸べると、その者は僅かに後退った。

「なんだ、その手は」

「来いよ。どうせこの星には、俺とお前の二人しかいねぇんだから」

「だ、だからといって!」

 彼女が抵抗する前に腕を引き、倒れさせた。イグニスよりも少し背が低く、線の細い体が砂の上に転がった。
素早く起き上がったイグニスは右腕の銃身を砂に突き立て、彼女の上に覆い被さって腕を押さえ、抵抗を妨げた。

「アエスタス」

 イグニスは自分の影の下で顔を背ける女性型機械生命体の名を囁き、徐々に間を詰めた。

「相変わらず、可愛いぜ」

「柄でもないことをほざくな!」

 イグニスを押し戻そうとアエスタスは空いている手を伸ばしたが、逆にその手の甲に顔を寄せられた。

「嘘は言ってねぇだろ?」

「ぐ…」

 アエスタスは抵抗することを諦め、手を下ろした。

「好きにしろ。どうせ、今となっては私の力ではお前には勝てんのだ」

 その弱り切った様に、イグニスは内心で笑った。アエスタスとは、惑星フラーテル時代からの付き合いだった。
赤き軍団、ルブルミオンの司令官であるルベウスの手で、イグニスは下層地区から上層地区に引き上げられた。
すぐさまイグニスは戦場に放り込まれ、尖兵として戦っていたが、その最中に出会った女性がアエスタスだった。
 アエスタスは、イグニスの所属する部隊を統括する上位軍人だった。女性と言うこともあり、特に目立っていた。
機械生命体という種族は異性同士での繁殖を行わないため、女性型機械生命体の数は数えるほどしかいない。
生まれたとしても、男性型に比べて遙かに力も弱ければ武装も弱いので、呆気なく死んでしまうことが多かった。
それが長生きしているだけでも珍しいのに、アエスタスは最も過激なルブルミオンの上位軍人に上り詰めていた。
当然、完全な男社会であるルブルミオンの中では浮いていて、兵士時代からアエスタスの扱いはかなり悪かった。
だが、アエスタスは下手な男より度胸が据わっており、確実に強かった。それが功を奏し、彼女は昇進を重ねた。
ルブルミオンは男社会であるが、それ以前に実力主義だ。弱い者ほど下に追いやられ、強い者は上り詰めていく。
 アエスタスも、そんな中の一人だった。彼女が上官だと知った時、イグニスも他の者と同様に嫌悪感を抱いた。
女如きに従っていては勝てる戦いも勝てない、と。だが、指揮を受けるうちに嫌悪感は消え、敬意へと変化した。
だが、特別な存在ではなかった。ルブルミオンの戦士の中の一人であり、それ以上でもそれ以下でもなかった。
 彼女への感情が大きく変化したのは、惑星フラーテルが滅亡する要因となった最終決戦の前日のことだった。
アウルム・マーテルを巡る最終決戦を前に、生き残った者達は全て掻き集められ、決戦部隊に編成されたのだ。
辛うじて生き残っていたイグニスとアエスタスはその中に含められており、顔を合わせた二人は言葉を交わした。
アエスタスの率いていた部隊は、ほとんどが戦死していた。だから、彼女はイグニスが生きていたことを喜んだ。
しかし、同時に悲しんでもいた。お前が死んだら部下は全て死んだことになる、と、珍しく気弱な言葉を呟いていた。
彼女の強い部分しか知らなかったイグニスは、その様に違和感を覚えたが、同時に不思議な感情も感じていた。
だったら何が何でも生き残ってやろう、と意地に似た気持ちを抱き、そのおかげか星が滅んでも生き延びていた。
 生き延びたのは、アエスタスも同じだった。だが、惑星が爆砕した際に放り出された軌道が大きく違っていた。
そのせいで生き延びたのに会うことすら出来ず、方向こそ違ったが、揃って空虚な宇宙を彷徨うことになった。
 二人の時間が交錯したのは、突如発生したワームホールに吸い込まれたイグニスが太陽系に至った時だった。
太陽系の重力に引き寄せられて漂っていたイグニスは、太陽系内のアステロイドベルトで、同族の気配を感じた。
余力を振り絞ってその気配に向かうと、無数に連なる小惑星の一つに、死んだとばかり思っていた彼女がいた。
アエスタスは宇宙海賊相手の戦闘を終えた後で、武器と真紅の肌に付いたオイルの汚れを丁寧に落としていた。
イグニスが接近すると、最初は警戒したが、すぐさま武器を放り捨てて接近し、イグニスの名を何度となく呼んだ。
恐る恐る触れてきて、ホログラフィーではないことを入念に確かめた後、アエスタスはイグニスに縋り付いてきた。
だが、アエスタスが甘えてきてくれたのはそれが最初で最後であり、それから先はろくに触れられもしなくなった。
不思議な感情が彼女に対する恋心だと解っている今、それはとても厄介なことだったが、同時に愛嬌だと知った。

「アエスタス」

 イグニスはアエスタスのマスクをそっと撫で、イグニスのそれよりも華奢な首筋に触れた。

「さっき、俺は変な夢を見ていたんだ」

「夢、だと?」

「そうだ。すっげぇ、変な夢だった」

 イグニスは彼女の首筋から下げた手を丸みを帯びた胸部装甲に至らせ、装甲が薄い繋ぎ目をなぞった。

「うあっ」

 攻撃とは全く違う柔らかな感触に、アエスタスは変な声を上げた。

「その夢ん中じゃ、お前はいないんだ。代わりに、ちっちゃい炭素生物の幼生体がいて、俺と他の連中と一緒に暮らしているんだ。その連中も大半が炭素生物で、中には改造体もいたな。けど、そんなのはもういねぇのにな」

「…ああ」

 不慣れな感覚に負けたのか、アエスタスの声色は高ぶっていた。

「私とお前で、滅ぼしたんだ」

 アエスタスはイグニスの手を掴み、自身のマスクへと導いた。

「そして、私達はアウルム・マーテルに勝利した。私達を阻むものなど、この宇宙には存在しない」

 手に伝わってくる彼女の温度は、熱かった。大気が薄いために中和が甘く、降り注ぐ太陽光線が強いからだ。
だが、それ以外にも理由があるのだろう。そう思うだけで、イグニスは勝利の快感が増し、また笑いそうになった。
 アステロイドベルトに至り、アエスタスの手で傷を癒したイグニスは、彼女と共に太陽系の惑星を巡っていった。
どの星々にも新人類の住むコロニーが浮かび、生温く水っぽい炭素生物がひしめき合い、ぬるぬると生きていた。
機械生命体のように硬い肌を持たず、動力機関を持たず、軽く触れただけで殺せてしまうほど軟弱な生物だった。
そんなものと同じ宙域を生きると思っただけで、吐き気がした。宇宙を生きるに値しない生物だと心底嫌悪した。
だから、新人類のコロニーを破壊した。新人類は滅ぼされまいと抵抗したが、機械生命体の前には無力だった。
そして、戦いを続けるうちに太陽系全てのコロニーを撃墜し、今、残っている新人類は宇宙に脱した者達程度だ。
それもいずれ、見つけ出して殺すことになる。宇宙に適してない生命体が、宇宙に存在していいはずがないのだ。

「イグニス」

 アエスタスはイグニスの首にやや細めの腕を回し、引き寄せてきた。

「私を、もう一人にしないでくれ」

 イグニスは頷き、アエスタスへと顔を近寄せた。が、唐突にセンサーに反応が掠めたので、回路を切り替えた。
アエスタスから離れて顔を上げ、各センサーの感受範囲を広げる。地球の大気圏内に、何者かが突入してきた。

「誰が来たんだ?」

 アエスタスは少々名残惜しげだったが、体を起こした。イグニスは視線を巡らせながら、吐き捨てた。

「あの野郎だ」

「そうか。私があれを殺したから、私達が生きていることに気付いたのか」

 アエスタスは、赤茶けた砂に散乱している焼け焦げた青い装甲を見やった。その装甲の主は、首を失っていた。
俯せに翼の生えた背を曲げ、錆びた鉄骨に串刺しにされ、頭を失った首からは黒い筋がぼたぼたと落ちている。
力なく垂れ下がっている二本の腕は、虚空を掴むかのように開いていた。もう一人の生き残り、トニルトスだった。
ルブルミオンと敵対していた軍の一つ、カエルレウミオンの戦士であり、そして、新人類に味方する反逆者だった。
 アエスタスは立ち上がり、砂に転がるトニルトスの首を拾った。マスクフェイスが砕け、その素顔が覗いていた。
自尊心と忠誠心の固まりで、カエルレウミオンに命を捧げている男だったが、その性格故に誇りもまた高かった。
新人類は機械生命体に敵対心を抱いていないと言い張り、人間の男の援護を受けながら何度も二人と衝突した。
どちらの力も拮抗し、どちらも勝てず終いだった。特に、トニルトスと共に戦う傭兵、マサヨシ・ムラタが厄介だった。
彼は人間でありながら機械生命体に匹敵するほどの才覚を持ち、幾度となくイグニスとアエスタスを追い詰めた。
決着はアウルム・マーテル戦までもつれ込み、僅かながらトニルトスとも共闘してアウルム・マーテルを撃破した。
トニルトスは二人と解り合うことを期待していたようで、戦いを終えたら武器を下げた。その隙に、彼の首を刎ねた。
悪いのは、機械生命体の誇りを捨てて、人間に媚びを売ったトニルトスの方だ。そんな者は、処刑されて当然だ。
むしろ、機械生命体として栄誉ある戦死を与えられ、戦士の最低限の尊厳を保てたことを感謝してほしいくらいだ。
 二人の頭上に、銀色の機影が舞った。滑らかな翼は赤い陽光を跳ねながら、躊躇いなく二人に機銃掃射した。
だが、その途中で不意に連射を止めた。無惨に首を刎ねられ、鉄骨で胸を貫かれたトニルトスに気付いたからだ。

「どうする、イグニス」

 トニルトスの首を弄びながらアエスタスが言うと、イグニスは一笑した。

「決まってんだろ、そんなもん」

 イグニスはアエスタスの手からトニルトスの首を取り、握り潰した。

「殺すだけだ」

 青い首の残骸を投げ捨てたイグニスは、砂を蹴り、発進した。アエスタスもその後に続き、スラスターを開いた。
重たい風を切り裂きながら飛び回る銀色のスペースファイターの尾翼には、HAL とのマーキングがされていた。
マサヨシ・ムラタ機だった。イグニスは空中を蹴るように加速してHAL号に接近して、レーザーブレードを抜いた。

「よう、マサヨシ!」

『イグニス! アエスタス! 貴様ら、トニルトスに何をした!』

 HAL号の通信回線が開き、血を吐くような絶叫が轟いた。アエスタスも長剣を抜き、笑った。

「処分した! 貴様ら人間と馴れ合うような機械生命体は、貴様らと同様、生きるに値しない命だ!」

『その言葉、そっくりお前らに返させてもらう!』

 HAL号はぐるりと船体を反転させ、接近しつつあるイグニスの刃を回避すると同時に、ビームガンを連射した。
その射線にいたアエスタスは少し被弾したが、傷は軽かった。即座に身を反転させ、HAL号を追尾していった。
だが、HAL号はアエスタスに捕まることはなく、急上昇した。大気圏内であろうとも、宇宙のように飛んでいる。
予想外の身軽さにイグニスは舌打ちしてから、更に追った。強化改造した肉体では、重たすぎて追いつけない。

「言うじゃねぇか、正義野郎! だったら、その正義のチカラってのを俺に見せてくれよ、マサヨシ!」

 追いつけなければ、落とせばいい。イグニスは右肩のリボルバーを回転させ、シリンダーを銃身に装填した。

「援護する」

 アエスタスは背部装甲に装備していたビームライフルを抜くと、HAL号の進行方向に目掛け、速連射した。
急旋回して回避したHAL号を見据えたイグニスは照準を合わせ、全身に滾る力を右腕の銃身に凝結させた。

「フレイムボンバァアアアアーッ!」

 イグニスの猛りと共に、膨大な炎が放たれた。朱色の舌が銀色の翼を炙った瞬間、HAL号は飲み込まれた。
銀色の機影が消失して数秒も経たないうちに、HAL号は爆砕し、無惨に焼け焦げた装甲が辺りに飛び散った。

「ははははははははは、はははははははははははは!」

 あまりの呆気なさに、笑いが止まらない。砂の海に降り注ぐHAL号の残骸の雨が、また可笑しくてたまらない。

「素晴らしいぞイグニス! 今のお前の力は、ルベウス司令官にも匹敵するぞ!」

 アエスタスも肩を揺すり、笑っている。焦げた部品に混じり、一握りの灰と化した蛋白質の固まりも落ちていった。

「あれが、マサヨシって野郎なのか」

 それを視覚した時、イグニスの回路に先程の夢が掠った。あの男は、あの夢の中では、何をしていただろうか。
だが、夢なのに、夢だと思えない部分も多かった。その中では、イグニスは笑っていた。あの男を、肩に乗せて。

「どうした、イグニス?」

 笑い混じりの声のアエスタスに呼ばれ、イグニスは我に返った。

「いや…なんでもねぇ…」

 そう。なんでもないことだ。あれはただの夢だ。マサヨシの笑顔も、その娘の笑顔も、家族の笑顔も、全て夢だ。
トニルトスと笑い合い、拳を交え、同じ空間で暮らしたのも夢だ。これこそが現実であり、紛い物はあちらなのだ。
だが、なぜか振り払えなかった。ないはずの記憶なのに、有り得ない世界の光景なのに、無性に恋しく思えた。
きっと、それは錯覚だ。戦い抜いて勝利を収め、少しだけ気が緩んでしまったから、何かに甘えてしまいたいのだ。
その相手なら、傍にいる。イグニスはアエスタスを引き寄せると、その顔を挟み、荒っぽくマスクを重ね合わせた。
 そうだ。これでいい。アエスタスとの生こそが、血と硝煙に汚れた戦いこそが、イグニスの揺るぎない現実なのだ。
手に伝わる彼女の肌は固く、確かだ。抱き締めた体の軋みも、腕に返る手応えも、その重みも、全てが愛おしい。

「これでまた、やり直せるんだ」

 アエスタスはイグニスの腰に腕を回し、恍惚と目を細めた。

「私達、機械生命体は」

 機械生命体は、惑星フラーテルと共に滅ぶ運命にあった。天使の如き母の正体は、おぞましい捕食者だった。
だが、機械生命体という種を再生させるための力はイグニスの体に宿り、守るべき同族は腕の中に息づいている。
金色の力さえあれば、愛すべき女さえいれば、全てはまた再生する。アウルム・マーテルの力に、不可能はない。
そして、イグニスを滅ぼせる者はいない。イグニスを受け入れなかった人間も、逆らった同族も、殺したのだから。
 戦いこそが、宇宙を回す。





 


08 11/5