豪烈甲者カンタロス




第十四話 壊れた絶望



 闇。闇。闇。
 星すらもなく、街明かりも見えない、暗く冷たい、平たく孤独な宇宙。子供の頃に見上げた夜中の天井のようだ。
夜中にふと目が覚めて見上げた天井が寂しくて、怖くて、ベッドを出て両親の部屋に向かったが誰もいなかった。
母親を求めても、父親を求めても、返事はない。リビングに入っても、キッチンを覗いても、ガレージにもいない。
空っぽの家に自分だけが取り残されたのだと知ると、とてつもない恐怖に襲われたが、家から出られなかった。
家の中しか知らない繭にとっては、外の世界もまた恐ろしかったからだ。その思いは成長しても変わらなかった。
 誰に近付こうと思っても、拒絶されるのが怖い。特定の相手に好意を持とうとしても、はねつけられるのが怖い。
誰かに近付かれても、去られるのが怖い。だから、友達なんて出来るわけもなく、ますます孤独に沈んでいった。
けれど、それでもいいと思っていた。温度も感覚も失せた世界に浸っている方が、傷付くよりも楽だと思ったのだ。
 それなのに、恋をしてしまった。凍えた殻に身を押し込めていた繭を外界に引き摺り出し、痛みを与えた彼に。
戦うほどに自殺願望は薄らぎ、生きていることを実感出来た。好かれることはなくとも、構われるだけで良かった。
それだけで満足しているべきなのに、心は独りでに歩き出した。道具としてではなく、人間として好いて欲しい、と。

「カンタロス…」

 浅い夢に似た追憶を終えて皮膚感覚が戻った繭は、ぬるついた地面に倒れているのだと認識した。

「どこに、いるの…?」

 痛みと衝撃の余韻が残る体を起こした繭は目を動かすが、何も見えなかった。辺りには闇しかなかったからだ。
体中にまとわりついた彼の体液は乾いていないが、神経糸はどこにも刺さっておらず、全て抜けてしまっていた。
頸椎には刺し傷が残り、陰部には異物が押し込まれていた違和感があるが、肝心のカンタロスが傍にいなかった。
 とりあえず、探さなければ。繭が起き上がろうとすると、ぐい、と首に何かが食い込んだ。硬く、分厚い爪だった。
爪は繭の喉と動脈に据えられ、少しでも動けば肌が破られる。慎重に身を引くと、腰と肩に足が巻き付けられた。

「どこに行くつもりだ」

「カンタロス? カンタロスなんだね!?」

 繭は振り向き、手探りでカンタロスに触れた。

「お前、何も見えないのか?」

「カンタロスこそ、なんで私のことが見えるの? だって、こんなに真っ暗じゃない」

「だったら、俺の目を使え。その方が解りやすい」

「え、あっ」

 妙に親切なカンタロスに繭が戸惑うよりも早く、カンタロスが外骨格を開いて伸ばした神経糸が頸椎に刺さった。
頸椎から直接繭の神経に接続された神経糸を通じ、カンタロスの視覚と繭の視覚が重なって同じものが見えた。

「何、これ…?」

 最初に見えたのは、無数の楕円形の物体だった。半透明の膜に包まれた液体が、地中深くに埋められている。
女王が大量に孕んでいる人型昆虫の卵に酷似していたが、大きさが一回りほど小さく、厚い膜は透き通っていた。
卵の下部に差し込まれている太い神経糸が、卵の中に収められた物体、人間の女性の下腹部に刺さっていた。
全ての卵の中に成人女性かもしくは二次性徴途中の少女が収められ、皆が皆、下腹部を大きく膨らませていた。
妊婦のようにも見えるが、中身は胎児ではなく、繭と同じように次世代を担う女王の卵を孕まされているのだろう。
その数は十や二十ではなく、数百個はありそうだ。彼女達は、女王を育てるための苗床として攫われたのだろう。
そして、子宮に女王の卵を挿入されて東京の地中深くに埋められ、女王の苗床としての役割を果たしているのだ。

「ん、あれ?」

 繭は視界の隅に人影を捉え、視線を向けた。カンタロスもそれに従い、首を動かした。

「なんだよ。あいつら、生きてやがったのかよ」

 舌打ちの代わりに、カンタロスは顎を叩き鳴らした。大して離れていない地点に、見慣れた面々が倒れていた。
セールヴォラン。ベスパとその主、ねね。ブラックシャイン。彼らは皆、先程までの繭と同じように気を失っている。
起こす義理もなければ助ける義理もなかったのだが、放っておけば後が面倒になるので二人は彼らに近付いた。
神経糸を接続したままカンタロスの肩に載せられた繭は、カンタロスと共に歩み寄って二匹と二人を見下ろした。

「おい、生きてんのか?」

 カンタロスは手近な位置に転がっていたベスパを、下右足で乱暴に蹴り上げた。

「ふぐおっ!?」

 顎を蹴られたベスパは横転し、途端に意識を戻して後退った。

「な、な、何をなさいますかぁーっ! ほんのちょっとだけど感じちゃった私がなんかもう嫌ですー!」

「…何が?」

 繭が怪訝な顔をすると、ベスパは咳払いに似た仕草で顎を鳴らし、仕切り直してからねねを抱き起こした。

「いえ、そんなことよりも、御無事ですかクイーン!」

「うー…」

 がくがくと揺さぶられたねねは、重たげに瞼を開き、ベスパを見上げた。

「つか、ここ、何? 何も見えねーし」

「何よもう、うるさいわね」

 セールヴォランは桐子の声を発し、頭を押さえながら身を起こした。

「生きていたか、君達」

 ブラックシャインも起き上がり、頭を振って触角に付いた土を払った。

「俺も君達と同じ場所に集められているとは思ってもみなかったぞ。これも正義の成せる業か」

「いえ、違いと思います」

 繭は冷ややかに言い返してから、目を細めて暗闇を睨み付けているねねに提案した。

「ねねちゃん、ベスパと神経糸を繋いでみたら? 見えるようになるよ」

「ご忠告ありがとうございます。ではクイーン、失礼します」

 ベスパはにゅるりと神経糸を伸ばし、ねねの頸椎に差し込んだ。ねねは何度か瞬きし、おお、と感嘆した。

「つかマジ見えるし! 虫、ヤバくね?」

 そして、ねねは土壁に埋め込まれた無数の卵とその中身を視認し、途端に声を潰した。

「うっげ」

「ああ、なるほどねぇ…」

 セールヴォランは頭上を仰ぎ、爪先で顎をついっとなぞった。

「きっと私達は、真の女王に女王の卵として分類されたのよ。だから、女王の卵の苗床を保管するための地下空洞に落とされたのね。ゴキブリ男も同じ扱いなのは腑に落ちないけど、まあ、それは事故でしょうね」

「言い返すだけ時間と気力の無駄だから、鍬形君の意見については特に何も言わないが」

 ブラックシャインはぐるりと首を回し、半球状の天井一面に埋められた哀れな犠牲者達を見渡した。

「しかし…これは凄いな。いや、そう言うべきではないのだろうが」

「目視して数えられただけでも百五十は越えています。よくもここまで集めたものです」

 ベスパはねねを抱き上げて上右足に座らせ、地下空洞の前方に空いている底の見えないトンネルを見やった。
見ると、そのトンネルの中にも大量の卵が詰め込まれていたが、大きさが桁違いだった。恐らく、女王の繭だろう。
この地下空洞内で育った女王は女性の腹を破って誕生し、ある程度大きくなったら、繭と化して羽化を待つのだ。
羽化した女王は真の女王の命令で地上に現れ、人型昆虫と交尾して個体数を増し、次世代の女王を生み出す。
その繰り返しで、人型昆虫は地上を征服するはずだった。だが、戦術外骨格や改造人間が現れて計画は乱れた。
 卵の多さからして、真の女王はすぐ傍にいる。皆が皆、その事実を悟っていたが、皆が皆、様子を窺っていた。
三組共、ブラックシャインと政府の策略で一時的に共同戦線を張ったが、それはあくまでも仮初めの関係だった。
だから、皆、手を組む理由などない。むしろ、協力などしてしまえば、真の女王になる道が遠ざかってしまうだろう。
 誰が先陣を切るのか。言葉には出さずとも、皆が皆、誰かが動くのを待っていたが、しばし膠着状態が続いた。
行き過ぎれば真の女王の集中攻撃を受け、死ぬ。だが、出遅れれば先を越されてしまい、真の女王になれない。
駆け引きとは言い難いが微妙な拮抗が続いていたが、痺れを切らしたのは年長者であるブラックシャインだった。

「俺が先陣を切る。これ以上、無駄な時間を浪費したくないんでな」

 三匹と二人を一瞥したブラックシャインは女王の繭が詰まったトンネルに駆け出したが、異変が起きた。

「うおっ!?」

 ブラックシャインの足元を砕き、神経糸が飛び出した。それは伸びるに連れて細く裂け、数十本にも分裂した。
地上で破壊の限りを尽くした神経糸とは比べ物にならないほど細いが、力は充分にあり、外骨格を締め付けた。
ブラックシャインは神経糸から逃れようと身を捩るが、鉄線のように硬く張り詰めた神経糸が食い込むばかりだ。
 カンタロスとベスパは己の女王を体内に押し込もうとしたが、神経糸は思い掛けない方向から飛び出してきた。
足元、頭上、側面、と三方向から伸びた神経糸に繭とねねが奪われ、カンタロスとベスパも拘束されてしまった。
凄まじい力で一気に引き上げられた二匹は、大量の苗床が埋まった天井に貼り付けられて六本足を縛られた。
二匹とは反対に、繭とねねは地面に貼り付けられた。一瞬で、女王と戦士の間に数十メートルの間隔が空いた。
体内に桐子の生首と卵を収めているセールヴォランはやはり女王という扱いらしく、地面に貼り付けられていた。

「くそおっ、何しやがる!」

 カンタロスは神経糸を振り解こうと上両足を動かすが、緩むどころか締め付ける力は増す一方だった。

「クイーン! 御無事ですか!」

 ベスパは自由の利く中右足を伸ばすが、届くはずもなく、すぐさまその中右足にも神経糸が絡み付いてきた。

「カンタロス、どこ、どこにいるの!?」

 カンタロスの神経糸を抜かれて視覚を共有出来なくなった繭は彼の姿を探すが、網膜に映るのは闇だけだった。

「ベスパぁああっ! あたしから離れんじゃねぇ、離れたらマジ殺すからなぁっ!」

 繭と同じく視力を失ったねねは動揺して暴れるが、勢い余って首に神経糸が食い込んでしまい、咳き込んだ。

「状況が掴めないわ。なぜ、こんなことを」

 一人、視力を失っていないセールヴォランは、標本のように神経糸で縫い付けられた少女達を見やり、訝った。
すると、外骨格を縛り付けている神経糸が更に細かく裂けて、関節を繋ぐ膜を切り裂いて体内に滑り込んできた。

「あはあっ!」

 途端に、状況にそぐわない感覚が神経糸から流し込まれ、セールヴォランは上体を反らした。

「どうしたんだ、桐子。僕は桐子に何もしていない。桐子、桐子、桐子?」

「いやあっ、あふぁはぁっ、こんなの、いやぁあああっ!」

 冷静な声と快楽に悶える声が重なり、広がった。セールヴォランの突然の異変に、三人と二匹は注意を向けた。
すると、今度は繭とねねを縛り付けていた神経糸が僅かに緩み、その中の一本が裂けて体内に押し入ってきた。

「あぐうっ!?」

 前触れもなく侵入してきた異物に、ねねは目を剥いて呻いた。

「やあっ!」

 繭もまた、抵抗する間もなくカンタロスの体液が残る陰部に神経糸をねじ込まれた。

「おい、どうしたんだよ、繭!」

「どうなさったのですか、クイーン! どうか、どうか御返事を!」

 カンタロスとベスパが声を上げるが、繭とねねは、強引に接続された神経糸から注がれる情報に悶えていた。
戦闘時に感じる痛みや様々な感覚とは懸け離れた、人間でなければ持ち得ない感覚を呼び覚ますものだった。
 繭は冷たい地面に顔を押し当て、唇を噛んで声を殺していた。ぐじゅぐじゅと音を立て、神経糸が蠢いている。
カンタロスのものを二本入れられた時よりも太いはずなのに、痛みは感じず、痺れに似た感覚が這い上がった。
それはねねも同じようだったが、こちらは声を堪えられないらしく、暗闇の中で仔ネコのような声を漏らしていた。
桐子に至っては、下手に感じ慣れていたせいで堪えることが出来ないのか、弛緩した嬌声を何度も上げていた。
真の女王が作り出す偽物の感覚なのに、体が勝手に感じてしまう。陰部だけではなく、局部も探られてしまった。
締め上げたかと思えば緩め、触れたかと思えば遠のき、入れたかと思えば抜き、的確に強弱を付けて攻めてくる。
逃れたいのに、逃れたら終わってしまう、と頭の隅で思ってしまう。繭は、悔しさと恥ずかしさで泣きたくなっていた。
だが、泣くために口を開けたら声が出る。太股から伝い落ちた自分自身の体液の量を感じて、恥辱に襲われた。
探られていると無意識に腰が浮いてしまい、腰を下げた時に尻に触れる体液の面積は、その度に広がっている。

「やだ、やだよぉ…」

 ぼたぼたと涙を落としながら繭は顔を背けるが、両足が神経糸によって開かれ、腰を上げさせられた。

「やだ…こんなの…やだぁ…」

「何だよこれぇ、マジ困る、つかホント、どうすりゃいいんだよぉっ!」

 ねねは必死に足を閉ざそうとするが、神経糸の力には勝てず、陰部を曝す格好になってしまった。

「もう、もうダメぇっ、凄いの、素敵なの、素敵すぎるのよぉおっ!」

 上両足の爪でがりがりと土を引っ掻きながら、セールヴォランは首を大きく左右に振った。

「…凄いな」

 体を戒める神経糸と戦いながらも複眼の隅で様子を窺っていたブラックシャインは、真顔と思しき声で零した。
繭とねねは体を開かされ、頭上に貼り付けられている二匹に、卵が収まる陰部を見せつけるような姿勢だった。
少女の肉の薄い体に巻き付いた神経糸は、青い体液と自身の体液でぬめぬめと光った太股を締め付けている。
自分自身の状態は目視出来なくても、相手には目視出来てしまうため、二人は羞恥のあまりに泣き濡れていた。
桐子の人格が勝っているセールヴォランもまた少女らしからぬ甲高い喘ぎを上げながら、快感に苦しんでいた。

「俺の女王を見てんじゃねぇよゴキブリ野郎! 汚れちまうだろうが!」

「そうですとも! クイーンは私だけのクイーンなのです!」

 途端に頭上から二匹の罵声が飛んできたので、ブラックシャインは平謝りした。

「すまん。男の性だ」

「カンタロスぅ、お願い、見ないでぇっ!」

 上擦った声で絶叫した繭は、きつく目を閉じた。彼に体を開かされるのと、他人に開かされるのは訳が違った。
見えないとは解っていても、何も見たくなかった。自分の意志とは無関係に高ぶらせられる体が本当に嫌だった。
カンタロスのものではない神経糸に抉られるのも、繋がられるのも、何もかもが苦痛で涙が溢れ出してしまった。
だが、体に満ちた熱は抜けない。どうしたら解放されるのか、ではなく、満たされるのか、との考えが頭を掠めた。
カンタロスの外骨格に包まれた生殖器は、さぞや力強いのだろう。それを入れてもらえば、間違いなく満たされる。
それを言葉にしそうになった繭は、辛うじて飲み込んだ。欲しい。でも、ダメだ。だけど、やっぱり、と心が揺れる。

「どうすりゃいいんだよぉ、マジどうすりゃいいんだよぉ…」

 普段の威勢の良さからは考えられないほどの弱々しさで、ねねは泣きじゃくっていた。

「戦わなきゃなんねーのに、したくてしたくてどうしようもねぇ…。でも、そんなんじゃダメなのにぃ…」

「きっと、それが、真の女王の狙い」

 快感に悶える桐子の人格を力任せに押し込めたセールヴォランは、ぎこちない動きで土に汚れた顔を上げた。

「今、この状態で交尾してしまえば、真の女王の配下の女王しか生まれないからだ」

「なるほどな。効率が良い上に確実な作戦だ」

 ブラックシャインは納得したが、何か違和感を感じた。真の女王は、DNA鑑定の結果、単体繁殖を行う生物だ。
今までの女王は、全て同じ遺伝子を持っていた。つまり、交尾せずに自身のクローンを生んで繁殖しているのだ。
そんな生物が、交尾を促すような真似をするだろうか。だが、今は、そんなことで頭を悩ませている場合ではない。
一刻も早く勝利を収め、紫織の元に戻るのだ。ブラックシャインはぐぐっと爪を地面に埋め、下両足を踏ん張った。
渾身の力で地面を蹴り上げると、神経糸は驚異的な脚力による跳躍を妨げきれずにぶちぶちと千切れていった。

「とおっ!」

 神経糸の切れ端を振り払い、ブラックシャインは鮮やかに着地した。

「君達は君達でなんとかしてくれ、俺は先へ進ませてもらおう! これも正義のためなのだ!」

 たあっ、と軽やかで威勢の良い掛け声と共に駆け出したブラックシャインは、女王の繭のトンネルへと突入した。
トンネルの壁をみっちりと埋め尽くしている巨大な女王の繭を駆け抜けていくが、いくつかの女王の繭が孵化した。
体液に濡れた柔らかな外骨格の女王に追われ、攻撃されながらも、ブラックシャインは確実に奥へ進んでいった。
それを放っておくわけにはいかないが、今は彼女が優先だ。カンタロスは咆哮を上げながら、全身に力を込めた。

「ぐおああああっ!」

 繭を攻めて良いのは、泣かせて良いのは、この世で自分だけだ。

「まぁ、ゆぅうううっ!」

 びちびちびちびちびちぃっ、と一息で外骨格を締め付けていた神経糸を引きちぎったカンタロスは飛び降りた。
柔らかく湿った地面に下両足を埋め、すぐさま引き抜いて駆け出すが、近付くに連れて繭の匂いは甘く濃くなった。
至近距離まで接近して、動揺した。遠目に見ているだけではよく解らなかったのだが、繭の呼吸は艶っぽかった。
その度に薄い乳房が上下し、充血した先端が跳ねている。乱れた髪が頬に貼り付き、虚ろな眼差しが扇情的だ。
しかも、両足を開いて腰を浮かせ、陰部からは体液を滴らせている。カンタロスは立ち止まり、見入ってしまった。

「お、おお…」

「ふぇ」

 カンタロスの気配に気付いた繭は、上気した頬をますます赤く染め、泣き出した。

「だから、見ないでって言ったのにぃ! 恥ずかしくて死んじゃいそうなんだから!」

「あ、ああ、うん、すまん!」

 カンタロスは慌てて顔を逸らしたが、なぜ怒られたのか理解出来なかった。だが、とりあえず繭を助けなければ。
繭の体を締め付けている神経糸を引き千切り、陰部から引き抜き、起こしてやったが、膝が震えて立てなかった。
立とうとしても腰に力が入らないらしく、カンタロスに縋り付いて冷たい土に座り込み、何度も深呼吸を繰り返した。

「クイーンーッ!」

 カンタロスよりも数秒遅れて、ベスパは自身を拘束していた神経糸を切り捨てて飛び降りた。

「助けに参りましたぁあああああっ!」

「つかマジ遅いし! 死ね! マジ死ね!」

 泣きながらも罵倒してきたねねに、ベスパは頭を地面に擦り付けるほど深く礼をした。

「申し訳ありません、クイーン」

「あ、ああぁ、あん、もう、セールヴォラン、私ぃっ、あはぁっ…!」

 すると、二組の傍らで悶え続けていたセールヴォランが、一際大きく痙攣し、五本の足をだらりと投げ出した。
桐子の身が起きたのか二人と二匹は察したが、なんとなく正視出来なかったので、揃って目を逸らしてしまった。
腹部を膨らませながら息を荒げるセールヴォランを横目に、ベスパは変にぎくしゃくしながらねねを解放させた。
ベスパなりに精一杯理性を行使しているらしく、ねねの体を支えていても腰を引いていて、近付こうとしなかった。
それがねねにとっては不満らしく、ねねは力が入らないなりに足を振り上げてベスパを蹴り、汚い言葉で罵倒した。
 セールヴォランは快楽の余韻に浸り、ねねはベスパとじゃれ合っており、真の女王の元に進むのは今しかない。
だが、繭もまだ動けなかった。頭もぼんやりしているので、合体したところで戦うどころか飛ぶことすら怪しかった。
ブラックシャインの動向も気になるが彼だけは女王の卵を有していないので、出し抜かれることはまずないだろう。
体力が回復したら、すぐにでも出撃しよう。繭はカンタロスの屈強な上右足に腕を絡めて、体の火照りを冷ました。

「ふふふふふふ…」

 半開きの顎から涎を幾筋も落としながら、セールヴォランは身を起こした。

「凄く、良かったわぁ。でも、やっぱり、セールヴォランには負けるわね。彼はもっともっと素敵だもの」

 じゅるりと唾液を啜り上げたセールヴォランは、よろけながら立ち上がり、真の女王の神経糸を噛み千切った。

「桐子が気持ちいいなら、僕も気持ちいい。でも、桐子を感じさせるのが僕でなければ何の意味もない」

「んふふふふふ」

 セールヴォランは唾液に濡れた顎を爪先で擦り、艶を含んだ笑みを零した。

「だから、私の感じたもの、全部返してやったわ。真の女王がどうなっちゃうか、考えただけでぞくぞくしちゃう」

 カンタロスと再び視覚を共有した繭は、悪戯っぽく微笑んでいるセールヴォランを見つめ、唖然としてしまった。
確かに、神経糸を接続するということは感覚を共有することだが、注がれる情報を送り返すのは簡単ではない。
情報を注いでくる相手側の意識が存在しているので、大抵の場合はそれに阻まれ、送り返すどころか弾かれる。
戦術外骨格と合体する際はどちらも心を開かざるを得ないので感覚と情報の共有は容易だが、今回は訳が違う。
桐子の精神力が物凄いのか、セールヴォランの情報操作技術が巧みなのか。どちらにせよ、並外れたことだ。
カンタロスも驚いたのか、神経を通じて感情が流れ込んできた。ベスパも感服したが、ねねだけは驚かなかった。
というより、ねねには、何が凄いのか解らなかったらしい。桐子の意図は不明だが、決して無駄ではないはずだ。
 不意に、セールヴォランの微笑みが途切れた。ベスパも触角を上げ、カンタロスも複眼を上げ、頭上を仰いだ。
半球状の土壁に埋まる無数の卵が、蠢いていた。臨月の妊婦のように大きく膨らんだ腹部が爆ぜ、体液が散る。
雨のようにぱらぱらと降り注いできた体液を数滴浴びたカンタロスは、繭の体に神経糸を絡めて体内に収めた。
カンタロスと化した繭は、やはりベスパと化したねねとセールヴォランと共に、次々に女性の腹が爆ぜるのを見た。
 ぶじゅり、ぐじゅり、びちゅり。透き通った卵に包まれていた腹部が割れ、胎盤がずるりと剥げ、内臓が落ちた。
羊水にも似た体液にまみれた純白の幼虫は、でっぷりと膨らんだ体をぐねぐねと曲げながら外界へと這い出した。
そして、重量に従って落下し、べちゃべちゃと汚らしい水溜まりを作った。その数は、一見しただけで百を超えた。
きちきちきちきちきち、とまだ柔らかな顎を鳴らしながら這い寄ってくる無数の幼虫に、三匹は取り囲まれていた。
だが、恐れることもなければ気圧されることもなかった。幼虫如き、女王に比べたら柔らかすぎて歯応えもない。
 セールヴォランが飛び出し、ベスパが身を躍らせ、カンタロスが駆け出すと、穢らわしく泥臭い殺戮が始まった。
皆が皆、狂っていた。皆が皆、高ぶっていた。皆が皆、酔っていた。真の女王の匂いと、魂を焦がす甘美な毒で。
 それは恋だった。





 


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