豪烈甲者カンタロス




第十四話 壊れた絶望



 真の女王が、地上に現れた。
 カンタロスを始め、セールヴォラン、ベスパ、ブラックシャインは、己の羽を使って地下空洞から脱出していた。
六本木周辺から流れてくる火災の煙が入り混じった真夏の夜風は、熱く、重たく、冷たい体液すらも温めてきた。
地中から生えた神経糸によってあらゆる建物が破壊され、首都高では大量の車両が衝突して燃え盛っていた。
火の海、と称するに相応しい光景が眼下に広がり、人間の悲鳴や絶叫が折り重なり、至るところから響いてきた。
 真の女王は炎に彩られた玉座に君臨していた。ブラックシャインに裂かれた腹部は更に裂け、卵が零れている。
当初は腹部の右側に一筋だった傷が、かなり強引に巨体を動かしたため、自重で傷が広がってしまったようだ。
東京タワー直下に無理矢理作った穴から這い出した際にも引っ掛けてしまったらしく、傷口は歪み、破れている。
白い泡のようにたっぷりと地上を埋め尽くしている卵は、燃え盛る炎の熱を浴びて煮え、煙に混じって湯気が昇る。
真の女王に押し上げられた東京タワーは横倒しになっていて、ビル群を粉々に潰し、粉塵が巻き上げられていた。
 熱気と埃の入り混じった上昇気流が強く、気を抜けば煽られてしまいそうになる。戦争、とでも称すべき光景だ。
事実、この戦いは人類と人型昆虫の生存競争であり新たな女王と旧い女王との抗争なのだから間違いではない。

「つか、マジどうすんの?」

 ベスパは東京タワー跡地で咆哮を放つ真の女王を見下ろし、やや気弱に呟いた。

「えっと…どうしよう…」

 カンタロスが答えに詰まると、セールヴォランはしれっと言った。

「あれを倒せばいいのよ。簡単な話だわ」

「ならば、作戦を立てよう」

 ブラックシャインが進言すると、ベスパがいきり立った。

「てか、なんでお前まで来てんだよ! つか、ゴキブリが空飛ぶな、マジウザいし! マジ死ね!」

「ゴキブリは空を飛ぶものさ。ついでに言えば、ゴキブリはしぶといものだと相場は決まっている」

 ブラックシャインは煙混じりの熱風にマフラーを靡かせながら、顎を開いた。

「私達があなたの指示に従ったのは、休息と情報を得るためよ。上官面、しないでくれる?」

 不愉快げに顎を軋ませたセールヴォランに、カンタロスも少し頷いた。

「うん。私が戦ってきたのは、カンタロスに喜んでもらうためだから、そういうのはもう…」

「だったら、君達に何が出来ると言うんだ?」

 ブラックシャインは声色を低め、少女の意志が宿った人型昆虫達を睨み付けた。

「策もなしに突っ込めば、神経糸に叩き落とされる。懐に飛び込めば、真の女王の足に潰される。かといって、真の女王から離れたところで、遠隔攻撃を行う手段は持ち合わせていない。しかし、持久戦を行うには、皆、疲れすぎている。効率よく動いて、的確に叩くしか勝ち目はない」

「けどよ!」

 ベスパが突っかかると、ブラックシャインは茶褐色の爪先でベスパの複眼を示した。

「生き延びたければ、俺に従え。君達が死ねば、君達を守り通してくれた連中も死ぬ。それでもいいのか」

「それは…」

 その言葉にはさすがに心を動かされたのか、セールヴォランが言い淀んだ。

「あたしは、別に、そういうんじゃねーけどさ」

 やけに気恥ずかしげな口調で漏らし、ベスパは触角をしきりに動かしていた。

「私が死ぬわけにはいかないし、カンタロスを死なせるわけにもいかないもんね」

 少々躊躇ってから、カンタロスは言い切った。

「素直で結構だ」

 ブラックシャインは満足げに頷いてから、口調を改めた。

「では、作戦を説明しよう。君達も知っての通り、真の女王の最大の武器は無数の神経糸だ。あれを拡散させなければ、まず勝ち目はないだろう。俺とベスパが神経糸の攪乱を行う、その間に、セールヴォランとカンタロスは真の女王を集中攻撃してくれ」

「は!? つか、お前と一緒なんてマジ有り得ねーし!」

 作戦内容を聞いた途端に激昂したベスパに、ブラックシャインは涼しげに返した。

「君が最も飛行能力に長けているのだ、他の二人ではすぐにばてて使い物にならない」

「私、嫌よ。私の首を切った奴と組むなんて」

 セールヴォランが嫌悪感を剥き出しにしたので、カンタロスは肩を縮めた。

「あれは桐子さんが悪いんじゃない。私の首を絞めたりするから…」

「とにかく! 短時間で片を付けなければ、俺達は全滅する! 各自、行動開始!」

 ブラックシャインは少女達の文句を遮ると、茶褐色の羽を畳んで降下した。ベスパは少々迷ったが、降下した。

「あーもうっ! つか、マジ今回だけだからな!」

 茶褐色の影と黒と黄の影が炎の海に没すると、ビルの間に横たわっていた神経糸が僅かに跳ね、起き上がる。
西側に駆けていくブラックシャインに対し、ベスパは東側に向けて飛んだ。あっという間に、二つの影は小さくなる。
それを追って、幾本もの神経糸が伸びていく。瓦礫の山を容易く散らしながら、金色の糸が都市を縫っていった。

「え、っと」

 カンタロスが恐る恐るセールヴォランを窺うと、セールヴォランは肩を竦めた。

「ゴキブリ男の言うことを利くのは癪だけど、事実には違いないわ。今回だけ特別に手を組んであげてもいいわよ」

「ありがとう、桐子さん」 

「でも、勘違いするな。僕も桐子もお前達を許してはいない。真の女王を殺したら、真っ先に殺す」

 口調が切り替わり、セールヴォランは本来の平坦な声を発すると、身を翻して降下した。

「頑張ろうね、カンタロス」

 繭が決意を固めると、脳内にカンタロスの力強い声が響いた。

『俺は王の中の王、カンタロスだ。お前だけは、何があっても守り通してやる』

 言葉に込められた思いが、繭の心中に直接染み渡る。外骨格を舐める熱風よりも熱く、鋼よりも確かな愛情だ。
今の今まで、そんなものを注がれたこともなければ感じたこともなかったので、繭は歓喜で舞い上がりそうだった。
体が火照り、心が跳ねる。この人のためなら何でも出来る、という根拠のない自信が、マグマのように滾ってくる。
琥珀色の羽を少し畳み、重力に身を任せて降下しつつ、繭はカンタロスを抱き締めるつもりで上中両足を曲げた。
 恐れるものなど何もない。




 無数の矢のように、神経糸が放たれる。
 風が見える。空気が読める。体が軽い。ベスパと化したねねは、ビルの上空すれすれを最高速で飛んでいた。
非常事態故に、いつになく集中力が高まっていた。疲労が蓄積しているはずなのに、体は一向に重くならない。
それどころか、風のように軽やかだ。神経糸や炎が巻き起こす突風に乗り、ベスパは更に速度を上げて進む。
 真正面に迫ってきたビルを越えると、越えきれなかった神経糸がビルを貫通し、瓦礫とガラス片が飛び散った。
その破片を全て避けて急降下すると、アスファルトを砕いて新たな神経糸が現れ、ベスパの上下から襲ってきた。
二本の太い神経糸が体に触れる寸前で加速すると、神経糸同士が衝突し、ほんの僅かだが反射速度が鈍った。
すかさず神経糸の一本を捉え、鋭利な爪で切る、切る、切る、切る。細切れになった肉片を巻き上げ、更に飛ぶ。
それを繰り返し行っていると、神経糸の数が次第に減ってきた。だが、それは百が五十になった程度でしかない。

『クイーン!』

 ベスパが脳内で叫ぶと、ねねは正面に突っ込んできた神経糸を切り裂いた。

「解ってるって!」

 真っ二つに裂いた神経糸を飛び越え、踏み付けたベスパは、地上との距離を一定に保ちながら再度加速した。
指示を出されなくても解っている。ねねはベスパだからだ。ベスパはねねだからだ。二人は今、一つになっている。
こんなことは初めてで、戸惑う気持ちもあったが、それよりも嬉しかった。他人と心を通わすのが気持ち良かった。
一人で戦っているような錯覚を覚えるほどの一体感で、溶けてしまいそうだ。体を探られるよりも余程素晴らしい。

「な、ベスパ」

 神経糸を捌き、切り捨てながら、ねねは声を弾ませた。

『なんでしょうか、クイーン』

「…なんでもねー」

 言葉にするのは気恥ずかしかったので、ねねは嬉しさを胸中に沈め、真の女王の神経糸との戦いに専念した。
真の女王との戦いを終え、皆を殺し、生き残ったら言えばいい。その方が、ベスパもねねも喜びが深まるだろう。
 神経糸の一本が地中に没すると、進行方向に建っているビルの根本が突然切断されて灰色の箱が倒れてきた。
急停止したベスパに、影が掛かる。複眼の隅に掠めた神経糸にベスパが上昇すると、大量の異物が降ってきた。
地中から持ち上げられた一際太い神経糸は、粘液と神経糸の網ごと女王の苗床を引き摺り出し、撒き散らした。
土塊の挟まった網が解け、崩れ、ビルを包み込む。苗床を使ってきたとなると真の女王も切羽詰まったのだろう。

「あっち、どうかな」

 地上に降りたベスパは目を凝らし、真の女王を挟んで反対側、ブラックシャインの戦況を見やった。

『こちらと差して変わりませんね。カンタロスとセールヴォランの動きも、あまり冴えておりません』

「てか、あいつらに活躍されんのはマジ面白くねーし」

 ねねは苛立ち混じりに吐き捨ててから、ヴェールのようにビルを覆っている神経糸の網を仰ぎ見た。

「ベスパ。キチガイ女がしたみたいなこと、出来るよな?」

『そればかりは、クイーンの精神力次第ですが…』

「あいつに出来て、あたしに出来ねーことなんてねーよ!」

 ねねは乱暴に言い返し、浮上した。ベスパの小言が聞こえたような気がしたが、無視し、神経糸の網に向かう。
金色の細かな神経糸の上に飛び降り、下両足の爪先で何本かを切り裂いてから、上両足で無造作に掴み取る。
それをぶちぶちと引き千切り、切断面を作ってから胸部の外骨格を少しだけ開き、その隙間から体内に差し込む。
真の女王の神経糸は動きが鈍くなっていたが、体液の海に没するねねを見つけると、にゅるにゅると巻き付いた。
頸椎に差し込まれ、陰部に滑り込み、接続すると、途端にねねの心身に膨大な量の情報と痛みの圧が掛かった。

「うげぁぐぁおああああっ!?」

 これは、今、真の女王が受けている痛みだ。頭、胸、腹部、足、神経糸に、攻撃が訪れるたびに痛みが走る。

『クイーン! 今、お助けします!』

 ねねの苦しみを同時に感じたベスパは胸部の外骨格を開こうとするが、ねねの意志がそれを遮った。

「…あたしに、出来ないことなんてねーんだよ!」

 今まで、何も出来なかった。何もしてこなかった。何かしたいと思うようなこともなければ、相手もいなかった。

「あたしは、あたしはぁ、あたしはなぁあああっ!」

 ねねは脳が弾け飛びそうなほどの痛みと情報と戦いながら、心の底から叫んだ。

「ベスパの女王に、なってやるんだぁああああああっ!」

 ず、と視界の隅で、真の女王が止まった。途端に、ねねの脳内に真の女王の罵声と悲鳴と感情が流れ込んだ。
死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね。殺意と悲哀と恐怖と絶望が混ぜられた、津波だった。
だが、ねねは堪えた。奥歯が折れそうなほど全力で歯を食い縛り、痛みに耐え、恐怖を潰し、絶望を受け流した。
 自身の視界と真の女王の視界がザッピングし、ノイズが走った。途切れ途切れの視界に、あの二匹が見えた。
カンタロスとセールヴォランだった。邪魔だ、殺したい、とねねが思った瞬間、真の女王の上右足が持ち上がった。
半分しかない視界の中を彷徨う二匹に足を振り回し、追い縋る。だが、捉えることは出来ず、逃げられてしまった。
 気付けば、ねねはベスパを介して真の女王を操っていた。神経糸まで操れなかったが、感覚だけは共有出来た。
幸いなことに、ねねが真の女王を支配したことは感付かれていないらしく、二匹はベスパ側には目もくれなかった。
だが、真の女王は兵器として有効ではなかった。スピードに物を言わせて戦うねねとベスパには、重く、遅すぎた。
太く長い足を動かしても、カンタロスとセールヴォランは先読みして回避し、裏を掻こうとしても複眼に捉えられる。
一つ一つのモーションが大きすぎて、動作も鈍かった。これなら、ベスパ自身が突っ込んでいった方が余程楽だ。
 胃液を吐いても当たらず、舌を伸ばしても弾かれ、顎で噛み砕こうとしても擦り抜けられ、神経糸は役立たず。
だったら、有効な作戦は一つしかないだろう。ねねは少々躊躇ったが、意を決し、真の女王の動きを抑制させた。

『いけません、クイーン! それでは、彼らから集中攻撃を喰らうだけです! 操縦の続行を!』

「マジウザいし! あたしに口出しすんじゃねー!」

 ねねはベスパに言い返してから、ねねの意志に逆らおうとする真の女王の意識をねじ伏せた。

「こうでもしねぇと、後でマジ面倒だろうが!」

『ですが、クイーン! それでは、クイーンが持ちません!』

「いいんだよ! あたしは、あんたを守れれば、それで!」

『クイーン…?』

 戸惑ったベスパの声に、ねねは過負荷によって全身にじっとりと滲む脂汗を感じながらも、苦笑いした。

「つか、マジらしくねーけどな」

『やはり、あなたはクイーンに相応しい器をお持ちです』

 ベスパの褒め言葉が続くかと思われたが、途切れた。真の女王に与えられたダメージが、駆け抜けたからだ。
ねねは全神経を貫いた衝撃に負け、ベスパの体内で両手足を突っ張って仰け反り、神経糸を吐き出してしまった。
体液の海にごぼっと気泡が弾け、胃と肺に体液が侵入してきた。すぐさまベスパが塞いでくれたが、苦しかった。
頭が割れるように痛み、手足が痺れ、胸が潰れそうだった。その全てが、真の女王の本体に与えられた痛みだ。
耐えきれるところまで耐えるつもりだったが、既に限界を迎えていたねねは、堪えきれずに神経糸を引き抜いた。
ベスパの胸部の外骨格を開けさせ、真の女王の神経糸を体外に投げ捨てたねねは、外気を吸って激しく喘いだ。

「うぇ、あぐぁ…」

「大丈夫ですか、クイーン!」

 ベスパの中両足に抱えられ、ねねは胃に満ちた彼の体液をそっくり吐き出してから、荒く呼吸した。

「大丈夫なわけ、ねーし」

 ねねは息苦しさで溢れる涙を拭ってから、倒れた東京タワーを見上げた。

「でも、これで、ちったぁ有利になるよな?」

「私の感じた限りですと、真の女王は複眼を損傷したばかりか、胸部の外骨格を破られて内臓を潰されております。黒田二佐によって腹部も引き裂かれておりますし、死んでいないことが不思議なくらいですよ。素晴らしい御活躍でした、クイーン。それでこそ、私が選んだクイーンです」

「…ん」

 ねねは少しだけ口元を緩めたが、すぐに笑みを消し、再びベスパの体内へと戻るべく上半身を起こそうとした。
だが、脳内に痛みが走り、ずるりと両手が中両足から滑り落ちた。視界が回り、手足から感覚が失せそうだった。
恐らく、真の女王を制するために脳を酷使しすぎたのだろう。けれど、こんなところで倒れるわけにはいかない。

「戦うんだ」

 痺れを帯びた両腕を突っ張って体を起こし、ベスパの体内に戻ったねねは、己を鼓舞した。

「あたしは、強いんだ!」

 びいいいいいん、と四枚の羽が震え出す。再びベスパと化したねねは、神経糸の網を切り裂いて、浮上した。
疲労のためか、いつもよりも視界が暗く、体が重い。傷付いた羽の動きも思わしくなく、速度が上がらなかった。
だが、引き返す気は起きなかった。やっと出会えた心を許せる相手のために戦うしか、生きる道がないからだ。
やりたいことが見つかっただけで、気分は清々しかった。頭も体も全てが痛んでいたが、心中は晴れやかだった。
 横倒しになっている東京タワーを越え、東京タワー跡地に向かうと、真の女王はほとんど身動きしていなかった。
カンタロスとセールヴォランによって放たれた建築物や車両が外骨格に突き刺さり、どくどくと体液が溢れていた。
ドームのような金色の複眼にも鉄骨が突き立てられ、深く抉られている。その頭上に、二匹の影が浮かんでいた。
ベスパは二匹に近付こうとしたが、制動を掛けた。二匹は揃って鉄骨を担ぎ、鋭利な先端をベスパに向けていた。

「なぁんだ。ねねちゃん、生きてたんだ」

 カンタロスが不満を零すと、セールヴォランはカンタロスのものよりも細身の鉄骨を振り下ろした。

「つまらない子ね」

「…てか、マジ死んでほしいんだけど」

 ベスパは二匹との距離を測りながら、徐々に後退した。斜め下なので、二人の投げる鉄骨が間違いなく当たる。
当たらなくても、避けた隙に距離を詰められる。どう避ける、とねねが考え込んでいると、真の女王が急に動いた。

「あ、あ、ああ、あぉうぁ、ああああっ!」

 声とは言い難い嬌声を上げ、真の女王は割れかけた顎を開き、ぼちゃぼちゃと体液と唾液を落とした。

「死ね、死ね、死ねぇえっ!」

 ぐるんと巨大な頭を回した真の女王は、胸部の外骨格を内側から砕き、三本の神経糸を放った。

「何、まだ動け…」

 神経糸を受け流そうとしたセールヴォランの言葉が途切れ、漆黒の体が消え失せ、地面に叩き付けられた。
続いて、カンタロスも叩き落とされてビルの崩れた壁に埋められ、最後にベスパは東京タワーに押し付けられた。
 外骨格が軋む。体液が零れる。ツノが痛い。熱した瓦礫に埋められたカンタロス、繭は、力任せに身を捩った。
だが、真の女王の神経糸は地下空洞の時とは比べ物にならない力で拘束してきて、脱することも出来なかった。
死する直前だからこそ発揮された、最後の力だ。長くは持たないだろうが、早く凌がなければこちらも持たない。
関節を砕かんばかりに押してくる神経糸が、カンタロスの外骨格の隙間に入り、真の女王の意識が流れてきた。
そして、同じく押し潰されそうになっている桐子とねねの意識も流れ込んで、図らずも意識を共有する形となった。
 桐子の殺意。桐子の愛情。ねねの衝動。ねねの恋心。真の女王の本能。真の女王の欲望。真の女王の羨望。
そして、繭の戦意。繭の願望。様々な思いが複雑に絡み合うが、その中心に据えられているものは共通していた。
皆、孤独に負けたのだ。誰からも愛されず、誰からも求められず、誰からも認められず、生きていくのは辛すぎる。

「でも、ね」

 カンタロスは真の女王の神経糸に噛み付き、ぶぢゅり、と喰い千切った。

「私は、もう一人じゃないから」

 今は、カンタロスがいる。だから、繭は孤独ではない。

「だから、私は負けられないの!」

 みぢみぢみぢぃっ、と拘束していた真の女王の神経糸を引き裂き、カンタロスは猛る。

「だって、私はカンタロスが好きだから! カンタロスのためなら、どんなことだって出来るんだから!」

 カンタロスの上両足によって神経糸が真っ二つに裂かれ、青い体液の飛沫が舞い、炎の海に没して蒸発する。
瓦礫の中から鉄骨を引き摺り出したカンタロスは、それを横たえ、半壊したビルを崩しかねない勢いで蹴り付けた。
内臓を絡み付けながら伸びてきた神経糸を鉄骨で叩き、砲弾のような胃液を弾くと、鉄骨の表面が溶けて泡立つ。
神経糸が持ち上げたビルの屋上が唸りながら迫り、ツノを掠める。炎を纏った車両も浮かび、襲い掛かってくる。
だが、どんな攻撃も怖くなかった。彼が傍にいるからだ。カンタロスと一つになれば、繭は勇敢な戦士に変われる。
 漆黒の砲弾と化した雄々しき甲虫が、土と体液に汚れた白い女王に接近し、焼け焦げた鉄骨を高く振り上げた。
真の女王は顎を開いて舌を伸ばすが、カンタロスの振り回した鉄骨に絡め取られ、鉄骨ごと口中に投げ返された。
顎の根本と口中を砕かれた真の女王は仰け反り、上両足をでたらめに動かしたが、カンタロスには届かなかった。

「行くよ、カンタロス!」

 繭が叫ぶと、カンタロスも声を揃えた。

「行くぞ、繭!」

 上昇気流と自身の羽で高度を上げたカンタロスは上下を反転させると、羽を収めて空中を蹴り付けて加速した。
雄々しく屹立するツノの先端が真の女王の割れた複眼に据えられ、吸い込まれるように接近し、そして、貫いた。
 先の割れたツノが壊れた複眼の奥に至り、更に奥へと至ると、真の女王を辛うじて生かしていた脳に接触した。
外骨格とも内臓とも卵とも違う感触に、カンタロスは思い切り首を上げてツノを回し、真の女王の脳を掻き混ぜた。
真の女王の濁った絶叫が轟くが、次第に弱まり、途切れた。がちがちと動いていた顎も止まり、神経糸が落ちた。
巨体を支えていた六本足が次々に折れ、ぐらりと姿勢が傾いた。カンタロスは汚れたツノを引き抜き、浮上した。
 複眼に開けられた穴から脳漿を零しながら、真の女王は自身の体液と内臓と卵の散らばる地上に倒れ込んだ。
千切れた羽が濡れ、折れた触角が外れ、傷付いた足が砕け、原形を止めていない腹部が潰れ、飛沫が散った。

「勝った、んだよね?」

 横倒しになった東京タワーに降り立った繭が呟くと、カンタロスが感嘆した。

「ああ。繭のくせにやるじゃねぇか」

「全部、カンタロスのおかげだよ」

 不意に褒められたため、繭は少しくすぐったい気持ちになった。カンタロスもまた、褒めたことを照れたらしい。
神経糸越しにそんな感情が流れてきて、繭はますます照れ臭くなったが、今はその照れ臭さすらも嬉しかった。
だが、まだ気を抜けなかった。死した神経糸を払い捨てて、セールヴォランとベスパが立ち上がっていたからだ。
二人と二匹の眼差しが、カンタロスを射竦める。最大の障害であった真の女王が滅びても、戦いは続いている。
最後まで戦い抜くしかない。カンタロスが鉄骨を踏み切ろうとした瞬間、頭上から鋼鉄の鳥の羽音が降り注いだ。
 自衛軍の武装ヘリコプターだった。それは一機ではなく、二機、三機、四機、五機、と次々に現れて取り囲んだ。
視界が白むほど強烈な閃光が注ぎ、カンタロスらを縁取った。原形を止めているビルの屋上に、影が降り立った。
触角を揺らし、茶褐色の外骨格を輝かせ、マフラーを靡かせる異形の戦士は死した女王と戦士達を見下ろした。

「ありがとう、諸君。君達のおかげで、世界には平和が戻った」

 暴風に触角を弄ばれながら、ブラックシャインは感慨深げに頷いた。

「約束通り、君達には恒久的な安息を与えよう」

 鮮烈なサーチライトの下で、正義の戦士は言い放った。

「それは、死だ!」

 武装ヘリコプターに搭載されていたミサイルが、一斉に発射された。その着弾地点は、東京タワー跡地だった。
爆音に次ぐ爆音が轟き、死した真の女王の体液が沸騰し、蒸発し、卵が吹き飛び、瓦礫が焦げ、鉄骨が溶ける。
煙の幅が一気に太くなり、折れた東京タワーが赤らむほど熱している。六十四年前には及ばずとも凄絶だった。
 生臭い爆風を浴びながら、ブラックシャインは戦場に背を向けた。誰一人として、生かすわけにいかなかった。
人型昆虫と合体し戦い抜いた少女達は、新たな女王を生み出す可能性を持っている上に、皆、精神異常者だ。
彼女達自身の運命だけでなく、肉体までもを歪めた人型昆虫を憎むどころか、愛し合い、慈しんでいるのだから。
生かしておけば、次なる戦いの火種となる。百香、櫻子、紫織のような犠牲を増やさないために必要な死なのだ。
 人類は勝利した。





 


09 3/20