ドラゴンは滅びない




大決戦 後



 激戦の、末に。


 ダニエルが死んだ。
 ロイズの絶叫で、彼の魂が弱まる気配で、ギルディオスは直感した。まさか、やられるとは思っていなかった。
ギルディオスはどうしようもないやるせなさに苛まれ、魂が過熱した。これからという時に、どうしてそうなるのだ。
全身は、既に熱い。グレイスと斬り結んでいる間に暖気した体は、熱し過ぎて足元からは煙が立ち上っていた。
両手で握り締めているバスタードソードも同様だった。体と同じように扱える鋼の相棒も、主の熱を吸収している。

「ダニー…」

 ギルディオスは振り返り、ダニエルの亡骸を見た。己の血溜まりに突っ伏しており、傍らに息子が座っている。
ロイズはダニエルに縋り、泣き叫んでいた。その言葉は言葉とは言えないほどに不明瞭で、かなり取り乱していた。
聞き取れる言葉は数えるほどしかなかったが、だからこそ余計に悲痛さが増しており、誰もが動きを止めていた。
グレイスですらも、軍用サーベルを下げている。先程までの快楽に酔った表情を消して、父親の顔になっている。
ロイズが空間ごと歪めて吹き飛ばした複葉機の破片が、風に乗って舞い上がる。その中に、血臭も混じっていた。

「計算外、かな」

 ふと、グレイスが呟いた。ギルディオスは即座に、グレイスに剣先を突き付けた。

「てめぇの算段がどんなにご立派なものかは知らねぇが、ダニーはてめぇなんざにやられるタマじゃねぇんだよ!」

「まあ、いいか」

 すると、グレイスは先程までの楽しげな表情に戻り、にたりと口元を歪めた。

「今は、こっちが優先だ!」

 グレイスは軍用サーベルを翻し、ギルディオスの剣先を跳ねた。ギルディオスが構え直すよりも先に、飛び込む。
懐に伸ばされたグレイスの軍用サーベルを左腕で受け止めたギルディオスは、腕を捻ってグレイスの腕を突いた。
だが、拳が当たるよりも先にグレイスは後退して、強い打撃を回避した。そして、空いている左手の指を立てた。

「これ以上長引かせるわけにはいかねぇな、とっとと蹴りを付けようじゃねぇか!」

「ついでに、オレ達の下らねぇ腐れ縁もぶった切っちまおうぜ!」

 ギルディオスはバスタードソードを下げると、腰に下げたホルスターから魔導拳銃を引き抜いた。

「そんなおもちゃでこのオレ様と張り合おうって根性からして、まず惚れるぜ、ギルディオス・ヴァトラス!」

 グレイスは左手をくるりと回してから、頭上へ突き上げた。

「天は我に屈し、地は我に従い、理はこの手の中に在らん! 重力解放!」

「うえっ!?」

 途端に、足元が浮かんだ。ギルディオスが戸惑っていると、瓦礫の山も何かに持ち上げられるように浮いていた。
グレイスを中心に、濃密な魔力が広がっていく。その範囲に接した物の重みは軽減され、次々に地上から離れた。
ダニエルやピーターの念動力で浮かび上がらせられた時と同じように、いや、それ以上に全身が妙に軽くなった。
魔力の範囲はどこまでも広がり続け、ついには海上に浮かんでいるブリガドーンの球体にまで到達し、揺らした。
同時に、その下の海中に沈んでいる巨大な岩石の固まりや、ひいては燃え盛る軍艦までもを浮かび上がらせた。
範囲の直径は、ゼレイブはおろか旧王都の領地程度はある。人間一人が放てる魔力量を、遥かに超えている。
 そして、魔力の乱れすらも解放されていた。凪いだ海のように穏やかな魔力が、ゆるりと空気に流れている。
ブリガドーン崩壊の影響すらも、押さえ付けてしまったようだ。試しにリチャードは杖を上げ、魔力を注ぎ込んだ。
すると、杖の先端に填められた大振りな魔導鉱石はリチャードの魔力を即座に光に変換し、白い明かりを放った。
あれほど激しかった魔力の乱れを、グレイスは魔法陣も使わずに、呪文も短い単純な魔法で打ち消してしまった。
とても、人間業とは思えない。リチャードはグレイスの子供のような笑みを見、恐怖に似た寒気を感じてしまった。

「…信じられない」

「おおう、オレ様の凄さを解ってくれる奴がいて嬉しいぜぇ!」

 浮かんでいるためにゆらゆらと三つ編みを漂わせながら、グレイスは満足げに笑った。

「ということは、ブリガドーンを落としたのもあなたですね。というか、あなた以外の誰も出来ませんよ、あんなこと」

 リチャードは、海中に沈んでいるブリガドーンの残骸に目線を投げた。

「まぁな。つっても、あれはさすがにきつかったから、デイブの兄貴の魔力充填板を犠牲にしたけどね」

 得意げなグレイスに、リチャードはこめかみを押さえた。

「それでも充分過ぎますよ。グレイスさん、あなたは本当に人間なんですか?」

「人間だけど人間じゃないっぽいぜ。言っちまえば、オレって突然変異みたいなもんらしいんだよね」

 なんでもないことのように、グレイスは飄々と話した。

「自分なりに色々と調べてみたんだけど、どうもそうらしい。魔力中枢の大きさと魂の強度が、並大抵じゃないんだ。普通だったら数十年でダメになっちまう体組織とか免疫とかも、その影響でえらく丈夫でさぁ。だから、竜族並みの回復力があったりするわけ。あ、でも、この体質はオレだけにしか出なかったみたいで、他のルーの血族は至って普通だったよ。ついでに言えば、ヴィクトリアちゃんもそうなの。だから、うちのお姫様は繊細なんだよ。大事に大事に守ってやらなきゃならねぇ」

 グレイスは優しい眼差しになると、ダニエルが死した場所の近くで浮かび上がっているヴィクトリアに向けた。
それに気付いたヴィクトリアは、嬉しそうに微笑んだ。グレイスは娘に笑い返してから、軍用サーベルを構える。

「じゃ、とっとと始めようじゃねぇか、空中戦ってのをよ!」

「なんでこんなことをしやがったんだ、やりづらいじゃねぇかよ」

 バスタードソードを構えながらギルディオスが毒突くと、グレイスは、ちっちっち、と舌打ちして指を横に振った。

「状況を己の優位に引き摺り込むのは、魔導師の常套手段だ。ついでに、呪術師もな」

「そんなもん、下らねぇ小細工だ」

「でも、あんたも魔導拳銃を使おうとしたじゃん。それは小細工って言わねぇの?」

 グレイスは、ギルディオスの左手を指した。ギルディオスは、むきになって言い返す。

「うるせぇ、いちいち突っ込むな!」

「まあ、いいか。そっちがそのつもりなら、こっちにも考えがある」

 次の瞬間、グレイスの姿は消え失せた。背後に影が迫り、ギルディオスはすぐに振り返ったが一瞬遅かった。
首筋に、軍用サーベルの平たい刃がめり込む。足元が不確かなギルディオスの体は、実に呆気なく飛ばされた。
地面があれば踏ん張れていたかもしれないが、ここは空中だ。頭から瓦礫に突っ込んでしまい、視界が失せた。
粉塵が全身にまとわりつき節々が痛んだがバスタードソードは手放さずに、ギルディオスは瓦礫の中から立った。
 すぐ上には、グレイスが浮いていた。条件は同じはずだが、グレイスの足元はしっかりしているように見える。
先程の打撃にも、相当な力が込められていた。ギルディオスは軋む首を一度曲げてから、グレイスを見据えた。
同じような光景を、前に何度か見たことがある。魔導兵器三人衆だ。彼らも、空中を蹴るようにして移動していた。
ギルディオスもゼレイブを襲撃された際に空中で戦闘を行ったが、その時はピーターの念動力で補助されていた。
蹴っていたのも、ピーターの念動力で作られた念動力による足場だ。だが、ダニエルは、命を散らしてしまった。
ロイズも念動力を使えると言えば使えるが、悲しみに暮れている子供を戦闘に酷使出来るほど冷酷ではない。
それにロイズの念動力は、物を軽く浮かばせる程度でしかなく、ギルディオスの足場を作れるほど強力ではない。
グレイスの魔法によって重力が失われているこの場では、浮かび上がるのは簡単だが、体が流されてしまう。
ならば、あれだ。ギルディオスは腰のホルスターから魔導拳銃を引き抜くと、弾倉を回転させて撃鉄で止めた。

「風撃一種」

 水色の鉱石弾を込めた魔導拳銃を肩越しに背後へ向け、引き金を押し込んだ。

「鎌鼬!」

 背後で、鋭利に尖った風が巻き起こった。その風で赤いマントの端が千切れたが、この際気にしていられない。
瓦礫に跳ね返された風の勢いを背中で受け止めたギルディオスは、その風を蹴るような気持ちで足を伸ばした。
真っ直ぐに、宙に浮かぶグレイスに向かう。加速した状態でバスタードソードを振り翳し、グレイスの頭上に下ろす。
だが、剣は剣に遮られた。澄んだ硬い金属音が響き、銀色の刃が噛み合う。刃の下で、グレイスはにやけている。

「そう来たか」

「炎撃一種!」

 ギルディオスは魔導拳銃の弾倉を回転させてバスタードソードに押し付けると、引き金を引いた。

「熱波!」

 だが、その熱は外へは吹き出さなかった。魔法の熱の全てを注ぎ込まれたバスタードソードは、薄い煙を発した。

「…ちぃとこいつが可哀想だが、四の五の言ってられねぇからな」

 ギルディオスは表面が赤く火照るほど熱したバスタードソードを、軍用サーベルへと押し込む。

「これが本当の付け焼き刃ってか?」

 グレイスは楽しげに笑いながら空中を蹴り、バスタードソードごとギルディオスを押した。

「なるほど、あんたらしいぜ!」

 グレイスに押されたギルディオスは、既に風の浮力を失っていた。水中で蹴られた石の如く、容易く動かされた。
しかし、二度目はない。ギルディオスは魔導拳銃の弾倉を回して濃い青色の鉱石弾を装填させたが、銃を下げた。
魔導拳銃の弾倉に込められている鉱石弾、すなわち魔法と魔力を圧縮した魔導鉱石の数は合計で六つしかない。
それを、既に二つも使ってしまった。グレイスの魔法とは違い、ギルディオスの魔導拳銃の魔法には限りがある。
魂に過負荷が掛かるが、仕方ない。自分自身の力でどうにかしなくては。ギルディオスは、瓦礫の上に着地した。

「ふっ!」

 息を吐くと同時に瓦礫を強く蹴り、空中に飛び出した。トサカに似た赤い頭飾りと短いマントが、激しくなびいた。
いつもに比べて、手応えが軽かった。グレイスの魔法で重力が軽減されているから、なのだろうが、軽すぎる。
これでは方向を定められない。ギルディオスは歯痒さを感じながらも、加速のために再度瓦礫を蹴り飛ばした。
その勢いでグレイスに飛び掛かったが、ギルディオスの突撃は身軽に避けられてしまい、剣は掠りもしなかった。

「これじゃ勝負にならねぇなあ」

 グレイスは瓦礫の間を跳んでいたギルディオスの目の前に降下すると、軍用サーベルを振り下ろした。

「だが、始めたからには最後までしねぇとな!」

 二人の剣が、衝突する。ギルディオスは体重を掛けて剣を押し込もうとするが、体重が上手く移動出来ない。
ちゃんとした足場さえあれば。恨みがましく思うが、足の下にはふわふわとした感覚しかなく、腰を据えられない。
グレイスの剣は噛み合わせた刃が軋んでおり、その腕の力は強い。恐らく、体も魔法である程度強化している。
そうでなければ、グレイスがここまで耐えられるとは思えない。昔にも戦ったことはあったが、今はまるで別物だ。
剣の腕も、大分上がっているようだ。ギルディオスは軽い不愉快さを覚えたが払拭し、両手首を力任せに曲げた。
 噛み合っていた刃がずれ、ギルディオスの幅広の刃が軍用サーベルを薙ぎ払う。下に捻り入れた剣を、上げる。
軍用サーベルの鍔が弾かれて、グレイスの手が大きく逸れた。ギルディオスはすかさず、彼の懐に突っ込んだ。

「おっと」

 グレイスの左手が伸び、ヘルムを押さえられた。懐に叩き込むはずだった剣は、その寸前で止まってしまった。

「緊縛は好きか?」

「好きなわけがねぇだろ!」

 ギルディオスは叫び散らしたが、関節が固まっていた。斬り掛かろうとした格好のまま、空中で制止している。
グレイスの呪術のことを忘れていたわけではないが、ダニエルのこともあったので思った以上に焦ってしまった。
だが、もう遅かった。全身が石と化したかのように重たく、首すらも動かず、ギルディオスは焦燥感を燻らせた。

「呪いなんか使わねぇで、まともに戦いやがれ!」

 ギルディオスが恨みがましく吐き捨てると、グレイスはギルディオスの顎に手を添えた。

「騙し討ちと卑怯な戦略が呪術師の基本なの。今更、文句を言われてもなぁ」

「生憎、オレはそういうのが大嫌いなんでな!」

 ギルディオスは強引に体を動かそうとするが、氷で固められたかのように動かない関節が鈍く軋むだけだった。

「連合軍をオレ達に差し向けていたのもてめぇなんだろうが、空爆なんざするとはな! 見下げたぜ、グレイス!」

「途中までは本当だな。でも、そりゃちょっと違うぜ」

 度の入っていない丸メガネの下で、グレイスの灰色の瞳が陰った。

「となると、シメる相手が増えちまったみてぇんだな」

「あん?」

 ギルディオスが訝ると、グレイスは軍用サーベルを鞘に戻してから、ギルディオスのヘルムに顔を寄せた。

「悪いが、愛し合うのはまた今度だ」

 何を、と問おうとしたが言い返せなかった。ギルディオスのマスクに、柔らかいが忌まわしい感触が広がった。 
これと同じことを昨夜行ったが、あの時とは訳が違う。あの時は、魔力の限界を引き上げるために必要だった。
だが、これは違う。ギルディオスは内心で嫌な汗を垂らして青ざめながら、グレイスの口付けを味わっていた。
今までにも、危機に瀕した。グレイスに押し倒されたり、迫られたり、しがみつかれたのは一度や二度ではない。
しかし、それだけだった。これまでは寸での所で逃げ出したが、今度ばかりは体が固まっていて逃げられない。
されるがままだった。舌まで使った濃厚な口付けをされ、ギルディオスは嫌悪感のあまりに意識が飛びかけた。
グレイスの手が顎から離れても、ギルディオスは呆然としていた。だから、呪いが解けたことにも気付かなかった。

「ちゃーんと待っててくれよな、最後までやってやるから」

 浮かれた口調で言い残したグレイスが海上へ遠ざかると、ギルディオスは浮力を失ってしまい、地面に落下した。
だが、重力が軽減されているので柔らかく落ちた。ギルディオスは剣を握ったまま突っ伏し、大きな背を丸めた。

「…吐く」

 四つん這いになったギルディオスが震えていると、リチャードが歩み寄ってきた。

「ご愁傷様です」

「お前が言うな…」

 ギルディオスは辛うじて言い返したが、迫り上がってくる嘔吐感に堪えきれず、潰れた呻き声を漏らした。

「うぐおうぇええええ」

「で、あの世界最強の超呪術師は…」

 リチャードは海上を見上げたが、その姿は既に失せていた。

「大方、行き先はブリガドーンだろうけど、一体何をしに行くつもりなんだ?」

 とっ、と体重の軽い足音が聞こえた。空間を飛び越えて現れた小柄な影が降り、瓦礫の山につま先を付けた。
広げられていた薄い翼が折り畳まれ、一括りにされた長い髪が踊る。瞳孔が縦長の赤い瞳が、皆を見渡した。
その気配に、反応しない者はいなかった。泣き伏せていたロイズや項垂れていたブラッドさえも、目を上げた。
人ならざる者達の戦場を見渡している赤い瞳の主、竜の少女は白い手を腰に当て、宙に浮かぶ球体を仰いだ。



「滅びの時間だ」



 幼いながらも冷ややかな声を聞いた途端、ギルディオスは気分の悪さも忘れて起き上がった。

「…フィル」

「久しいな、ニワトリ頭」

 ギルディオスに見上げられ、竜の少女、フィフィリアンヌは深い色合いの緑髪を掻き上げて尖った耳に掛けた。

「何、大したことではない。積み上げてきたものを突き崩すには、それ相応の事が必要なのだ」

「何が、滅びるんだよ」

 ギルディオスの言葉に、フィフィリアンヌは無表情に返した。

「まあ、見ていろ」

 フィフィリアンヌの眼差しは、ブリガドーンの球体に注がれていた。ギルディオスは、それに倣って見上げてみた。
球体の一部がダニエルの決死の攻撃で貫かれていること以外はまるで変わっておらず、異変は起きていない。

「あの人、早く帰ってくるといいんだけど」

 少しだけ心配そうな目でロザリアが球体を見上げたので、ヴィクトリアは尋ねた。

「お母様は、お父様が何をなさるのかを御存知なの?」

「まあね。でも、すぐに解るし、あの人も帰ってくるから待っていましょうね、ヴィクトリア」

 ロザリアに笑顔を向けられ、ヴィクトリアは素直に頷いた。

「解ったわ、お母様」

 ブリガドーンの球体を見上げていたフィフィリアンヌは、ふと思い出したように手を翻し、フラスコを転送させた。
それは、伯爵の入ったフラスコだった。伯爵は一瞬びくりと波打ったが、すぐに落ち着いて彼女の手に収まった。
相変わらず美しい、涼しげな横顔を見ていると、ギルディオスは彼女に言いたいことが山ほどあるのに気付いた。
だが、まとまりが悪かった。ダニエルの死の直後だからというのもあるが、まだ動揺が心中にこびり付いていた。

「三人衆はどうした」

 フィフィリアンヌが呟くと、座り込んでいたブラッドが顔を上げた。その銀色の瞳は、淀んでいた。

「…死んだよ」

「そうか」

 フィフィリアンヌは沈痛にため息を漏らしたが、それきりだった。

「そうか、あんたなんだな、あんたがあいつらを戦わせていたんだな! しなくてもいい戦いを、させてたんだな!」

 ブラッドは立ち上がると同時に、フィフィリアンヌに怒声を放った。

「なんでルージュをオレ達と戦わせたんだ! なんで禁書集めなんかさせたんだ! 教えろよ、その理由を!」

 フィフィリアンヌの冷ややかな目が向けられても、ブラッドは激昂し続けた。

「そんなことさえしなきゃ、ルージュを殺すこともなかったんだ! 死ななくても良かった人間だって一杯いたんだ! 三人衆が連合軍とさえやり合わなきゃ、ブリガドーンさえなきゃ、こんなひでぇことにはならなかったんだ!」

 だが、フィフィリアンヌが返した言葉は極めて冷淡だった。

「死なぬ者などおらん」

「…んだとこの野郎!」

 翼を広げてフィフィリアンヌに飛び掛かろうとしたブラッドを、ラミアンが背後から押さえ込んだ。

「静まれ、ブラッディ! 戦って勝てる相手ではない!」

「でも、でもよ、あんまりじゃねぇかよ! こんなのって、あっていいのかよ! なあ、おっちゃん、そう思うだろ!?」

 ブラッドの涙混じりの叫声に、ギルディオスはフィフィリアンヌに向き直った。

「そうだな。お前が遠慮を知らない女なのは百も承知だが、やっていいことと悪いことってぇのがあるだろうが」

 フィフィリアンヌは、答えなかった。彼女の片手に提げられているフラスコの中で、伯爵がごぶりと泡を吐いた。
ブラッドは父親の腕を振り解こうともがいたが、顎を震わせて崩れ落ちた。重い悲しみに、戦意が潰されたのだ。
戦場に、苦い沈黙が満ちた。フィフィリアンヌはそれすらも感じていないような顔をして、ブリガドーンを見ている。
 いつのまにか、昼になっていた。空から注がれる日差しは暖かくなり、吹き付ける潮風も朝ほど冷たくなかった。
しかし、まだ温度の残る硝煙の匂いと生々しい死臭がそれらを掻き乱しており、残酷な現実を知らしめていた。
 広大な海が、海底に沈んだ死者達を包み込んでいた。





 


07 7/4