ドラゴンは滅びない




籠の中の鳥



 フリューゲル。
 キースからその名を与えられてから、少し物事が変わった。まず、誰が何を喋っているのか解るようになった。
前はごちゃごちゃとした音にしか感じられなかった会話がちゃんと耳に届き、その内容も頭に染み込んできた。
そのおかげで、言葉を操れるようになった。反復する程度でしかなかったが、ちゃんと意味のある会話が出来た。
自分を取り囲んでいる者達が研究員であることや、ここが魔導技術研究所の分所であるというのも理解出来た。
研究員達の名前を覚えた。会話の端々に出てくる名前も覚えた。小難しい単語も、覚えられるだけは覚えた。
そのたびに、褒められた。お前は凄い、大尉のおかげだ、さすがはリュウゾク、やることが違う、とも言われた。
どうやら研究員達は、フリューゲルではなくキースを褒めていたようだった。それは、さすがに面白くなかった。
だが、彼らに文句を言うことは出来なかった。どうやって文句を言えばいいのかが、解らなかったからだった。
 ある日、キースが死んだという報告があった。それでも、研究員達はキースを褒めることを止めなかった。
あれが死んだと言われても信じられなかったし、死ぬのがどういうことなのかフリューゲルには解らなかった。
だから、やはり文句を言えなかった。そのうち、研究員達は、本棚の本を入れ換えるようにして変わっていった。
昨日までいた者がいなくなり、その穴を埋めるための者が現れ、それを繰り返す間に昔の面々はいなくなった。
窓の外で、何度も季節が巡った。そのたびにまた人間が入れ替わり、フリューゲルは眠り、目覚め続けていた。
 そんなある日。普段は同じ顔触ればかりしかいない研究所に、来客が訪れた。それは、上位軍人らしかった。
だが、フリューゲルには何が何だか解らなかったので、いつものように鉄格子の箱の中に押し込められていた。
勲章と星が多く付いた階級章を付けている上位軍人は、研究員達を並べて何事かを喋ると、帰ってしまった。
その途端に、研究員達はどよめき始めた。互いに口論を始めてしまい、終いには部屋を出ていく者すらあった。
結局、部屋には数人しか残らなかった。彼らは重たい表情で口々に意見を述べ合い、否定と肯定を繰り返した。
そのうち、視線がこちらに向いた。フリューゲルが首をかしげると、研究員の一人が鉄格子の前に歩み寄った。

「今更、何を躊躇う必要があるんだ」

 フリューゲルの入っている鉄格子を撫でながら、彼は同僚達に振り返った。

「研究の対象が、魔物から人に変わるだけじゃないか」

「しかし、倫理的に」

 誰かが反論すると、彼は鉄格子に背を預けた。

「我々は当の昔に神の御心に背いているじゃないか」

「本気で話を受けるつもりなのか、ウィリアム」

 もう一人の研究員が、彼に近寄った。ウィリアムという名の男は、頷いた。

「ああ。それに、ここを追い出されると稼ぎが減るんだよ」

「確かに、あの額の報酬には、惹かれるものはあるが」

「だが、それだけのために人を殺していいのか? それも、稀少な異能者を」

 作業台の傍に立っていた男が、顔を伏せる。ウィリアムは、一笑する。

「所詮、我々は軍と政府のイヌだ。従う他はない。それに、この話を知った以上、生きて帰れるとは思えないしな」

「それは、そうだが…」

 誰かが言葉を濁すと、皆が黙り込んだ。ウィリアムは、フリューゲルを見下ろしてくる。

「政府は異能者を恐れているようだ。さすがに理由は説明されなかったが、そんなものは簡単に想像出来る」

「恐れているからと言って、同じ人間を駆逐してしまうのか?」

 信じられない、と一人が吐き捨てると、他の者が顔を歪めた。

「正気の沙汰じゃないな」

「だが、今に始まったことじゃない」

 すると、別の者が呟いた。ウィリアムは、その者を見やる。

「後戻り出来るなら、とっくにしているさ」

 この会話があった翌日から、研究所にはどこからか運ばれていた人間が詰め込まれ、次々に殺されていった。
彼らは毒を飲まされて眠らされている間に、胸を開かれて心臓を取り出され、心臓の位置に石を押し込められた。
その石は水のようにでろりと溶けると、また固まった。固まった石は綺麗に磨き上げられて、木箱に詰められた。
様々な色彩の石が詰め込まれた木箱は、どこかに送られた。研究員達に聞くと、イノーブタイ、だと聞かされた。
たまに、人間達も送り返された。だが、来た時とは大分様子が変わってしまっていて、顔色も悪く無表情だった。
どちらもマドーヘイキだと説明されたが、意味が解らなかった。そして、たまにフリューゲルもどこかに送られた。
送られた先では、色々な目に遭った。だが、気が付くとまた鉄格子の中にいたので、それは夢だと思っていた。
 目が覚めると、元通りに戻っていたからだ。


 物音で、目を覚ました。
 赤っぽい明かりが目の端に入り、眩しかった。動きの鈍い瞼をゆっくりと持ち上げると、光源がランプだと解った。
ランプを傍らに置き、鉄格子から離れた窓際の手前で椅子に腰掛けているのは、ウィリアムという名の男だった。
ウィリアムは、いつになく真剣な顔をして手元の紙を見つめていた。寂しげな、それでいて苦しげな眼差しだった。
彼が読んでいるのは、いつもの分厚い医学書や魔導書や研究資料ではなく、小さくて薄っぺらな一枚の紙だった。
その紙の下に指で挟んでいる封筒には、ウィリアム・サンダース、と彼の名が書かれていた。テガミ、というものだ。
ウィリアムは幾度も目線を動かし、文章を読んでいた。フリューゲルが身動きすると、彼ははっとして顔を上げた。

「なんだ、起きていたのか」

「ん」

 フリューゲルが拙い言葉で返事をすると、ウィリアムは手紙に目を落とした。

「近々、オレはここを出ていくつもりだ」

「なんでだ」

「妹が死んだ」

「しんだ?」

「そうだ」

 ウィリアムは全身の力を抜くように息を吐くと、壁にもたれかかった。

「昔から体が弱くて、病気ばっかりしていて、家からほとんど出られなかったんだ。でも、オレの家は裕福じゃなくて、治療らしい治療はしてやれなかったんだ。だから、オレは医者になろうとしたんだが」

「だが?」

「どうも、道を間違えたらしい」

 ウィリアムは自嘲気味に、唇の端を歪めた。

「気付いたら、こんな辺鄙な場所で実験と解剖の繰り返しだ。稼ぎはいいが、やっていることはただの人殺しだ」

「だ?」

「妹に金は送ってやっていたんだが、親戚に取られていたらしくて、医者にもあまり通えなかったみたいだ」

「みたいなのか?」

「そうじゃなかったら、こんなに早く死ぬはずがないんだ。死ぬわけがないんだ」

 声を震わせて、ウィリアムは項垂れた。

「すまない、キャロル。兄ちゃんが馬鹿だった…」

「きゃろ、る?」

「妹の名前だ。まあ、そんなことをお前に言ってもどうしようもないが」

 力の抜けた声で答えたウィリアムは、手紙を持った手をだらりと下げた。フリューゲルは、ぐりっと首を捻る。

「ない?」

「ああ…くそ…。医術も、魔法も、何の役にも立たないじゃないか!」

 ウィリアムは拳を固め、力一杯壁を殴り付けた。その音に驚いてしまい、フリューゲルはびくりとして後退った。
ウィリアムは、畜生、と口の中で繰り返している。なぜそんなにも悔しげなのか、いつものように解らなかった。
それから数日後に、ウィリアム・サンダースは姿を消した。彼がいなくなると、研究成果はあまり上がらなくなった。
どうやら、ウィリアムはかなり優秀な研究員だったらしい。もっとも、ユウシュウが何なのかはやはり解らないが。
 それからまた、フリューゲルは何度も眠った。何度も目を覚ました。そのたびに、また色々なことが変わった。
ウィリアムがいなくなってから、研究員達の数は減った。昨日までいた者が今日はいないことも、しばしばだった。
 こればかりは、目を覚ましても元通りにはならなかった。


 また、ある日。女が訪れた。
 この研究所に女が訪れること自体がかなり珍しかったので、フリューゲルも少しばかりは興味を惹かれていた。
女は、前に見たことのあるメガネを掛けていた。横長でレンズは平べったく、度の入っていない伊達メガネだった。
記憶を掘り起こすと、それはキースのメガネなのだと思い出した。だが、キースという名の男は死んだはずでは。
フリューゲルが疑問を感じながらも女をじっと見つめていると、女は迷いのない足取りでこちらに向かってきた。

「進歩していないんだね、君達は」

 女の口調はキースのそれと酷似していたが、声は全く別物だった。

「二十五年前に見た時と、外見もほとんど変わっていないじゃないか。つまり、改良していないんだね」

「近頃では、政府から支給される研究資金も減額されていますので」

 研究員の一人が、怯えながらも女に答えた。女は、華奢な腕を組む。

「ふうん。随分と落ちぶれたな、魔技研も。これじゃ、生体兵器としての価値はないと言っていいね」

「ですが、ジョーンズ大佐」

「もっとも、僕はこの鳥に用事があるわけじゃなくて、君達に用事があるんだ」

 ジョーンズ大佐と呼ばれた女は、穏やかな印象の目を上げた。

「君達の先輩達は、異能者を処分する仕事をしていただろう? ここには、その頃の資料があるはずなんだ」

「あるには、ありますが」

「それに、僕が手心を加えて新しい技術を生み出そうと思うんだ。死ぬ以外には何の役にも立たないクズも同然の共和国軍兵士を、最高の兵器へと昇格させるための素晴らしい技術をね」

 女の眼差しが、不気味にぎらついた。

「僕のような優れた種族から比べると、人間は、脆弱で、下らなくて、退屈で、無能で、無力で、極めて無駄な生き物だ。だが、そんなどうしようもない生き物にもほんの少し役に立つ部分がある。それは、異能力に他ならない。他の動物や魔物が持ち得ていない、人間だけの特殊な能力。恐らく、人の無能さを嘆いた神が与えた僅かな慈悲なのだろうね。けれどその慈悲を受け取れたのは数えるほどしかおらず、その選ばれた者達も政府と軍によって大多数が駆逐されてしまった。異能部隊でギルディオス・ヴァトラス少佐が匿っていたようだけど、その人数は少なすぎる。だから、僕は異能者を造り出そうと思うんだ。その方が、確実で手っ取り早いだろう?」

 女は鉄格子の隙間からほっそりとした手を差し込むと、フリューゲルの下クチバシに添え、持ち上げた。

「フリューゲル。君も、そう思わないか?」

 女の眼差しは、誰かに似ていた。顔付きも声も雰囲気も何もかも違うが、メガネの下の眼差しが良く似ている。
そうだ。これはキースと同じ目付きだ。フリューゲルは顎の下を撫でる女の手の細さを感じながら、喉を動かした。

「おまえ、あの、めがねの、りゅうか?」

「へえ。なかなか勘は鋭いみたいだね」

 女は満足げに目を細めると、フリューゲルの青い羽根をすうっと撫でた。

「君の察した通り、僕はキース・ドラグーンだ。この体は別物だけど、僕は僕だ」

「でも、おまえ、しんだ」

「確かに、僕は一度は死んだ」

 女はフリューゲルに顔を近寄せ、狡猾な笑みを浮かべた。

「けれど、僕はこうして生き延びている。これはきっと、僕の成すべきことをせよという竜女神の思し召しに違いない。だから僕は、君に会いに来たんだ。これからは、素晴らしく楽しいことが始まるんだ」

「たのしい、こと?」

「そう。これは機密事項なんだけど、君にだけは特別に話してあげよう、フリューゲル」

 女は立ち上がると、口元を押さえて笑い声を殺した。

「前々から起きていた、共和国と隣国の貿易摩擦を悪化させてあげたんだ。共和国からの無茶な要求に応え続けていたために経済が傾き掛けている隣国が確実に乱れる要求を行い、その上で軍事力もちらつかせてあげたんだ。その結果、上辺だけは取り繕っていた友好関係に、修復出来ないヒビが入ってしまったから、両国とも戦闘準備は万端で睨み合っている。どちらから戦いをけしかけるか、様子を見ている。けれど、焦れているのは共和国だから、こちらから攻め入るのは確実だ。だけど、隣国の背後には大国が控えていて、更に同盟を組んでいる国家がいくつもある。それでなくても、共和国は敵を多く作ってきた国家だから、戦いを始めてしまったらここぞとばかりに攻め込まれるだろうね」

「それは、本当なのですか」

 研究員に問われ、女は微笑んだ。

「嘘だと思うならそれでいいよ。だけど、戦いが始まったら絶対に勝てない。大国に押し切られて大敗するはずだ」

 あ、と女は口に手を当てると、研究員に向き直った。

「ごめん、君にも聞こえちゃったね」

「え…」

 研究員が戸惑っている間に、女は右手を挙げた。

「今、僕がした話、忘れるって約束してくれる?」

「もちろんです、大佐。誰にも口外しないと約束します!」

 研究員が後退ると、女の手は研究員の額へ添えられた。

「本当に?」

「本当です!」

「そう」

 女の言葉に安堵したのか、すっかり青ざめた研究員は息を吐いた。すると、女は邪悪な笑みを浮かべた。

「だけど、信用出来ないね」

 女の指先が、とん、と軽く研究員の額を小突いた。直後、ぱぁん、と乾いた破裂音がし、後頭部が吹き飛んだ。
砕け散った頭蓋骨の破片が床一面に飛び散り、髄液と血の混ざった液体が窓や壁を汚し、鉄格子にも飛んだ。
その生臭い血の匂いに、フリューゲルは僅かに目元を歪めた。女はハンカチで手を拭いてから、楽しげに笑った。

「これを掃除するのは面倒だけど、それは僕の仕事じゃないから関係ないね」

 女はかかとの高い靴を鳴らしながら、フリューゲルに歩み寄った。

「時間があれば、君にも活躍の場を与えてやろう。光栄に思うがいい、この僕に目を掛けられたんだから」

 女は上体を反らすと、清々しげに哄笑した。彼女の笑い声には愉悦だけでなく、禍々しい悪意も含まれていた。
やはり、この女はキースだ。フリューゲルがそう思っていると、笑い声を聞きつけた研究員達が駆け込んできた。
彼らは頭を吹き飛ばされて死んでいる仲間と、その傍でげたげたと笑い転げている女を見た途端、顔色を失った。
とんでもない輩と関わってしまった、とでも言いたげに彼らは視線を交わした。それでも、女は笑い続けていた。
その笑い声を聞いていると、胸が悪くなりそうだった。フカイカン、というものだ、とフリューゲルは内心で考えた。
 女の笑い声には、狂気が漲っていた。





 


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