ドラゴンは滅びない




そして、竜は



 木陰は涼しいが、風は暑かった。
 けれど、日差しの真下にいるよりは心地良い。念力発火能力を魔法で押さえ込んでいても、熱は生じてしまう。
冬場は寒さ知らずで楽だが、夏場は逆に暑苦しくて敵わない。定期的に魔力を抜いても、収まるものでもない。
炎として力を吐き出すのが一番楽だが、連合軍と国際政府連盟からの通達で異能力は使えなくなってしまった。
おかげで、どうにも息苦しい。十年も経てばさすがに慣れるが、ゼレイブでの自由な日々とは雲泥の差だった。
けれど、そればかりは妥協するしかない。ゼレイブに住まう皆が決めたことであり、手にした未来なのだから。
 木陰に座ったリリは襟元を広げてスカートをばたばたと揺らし、汗ばんだ太股の中に風を送り込んでやった。
しかし、暑さはあまり収まらなかった。空気自体が熱が籠もっているので、ただでさえ熱い体は冷めそうにない。
これは、後で水浴びでもした方が良さそうだ。近場の川にでも出かけて、熱と一緒に魔力も水に流してしまおう。
そう思いながら、リリはざらついた木の幹にもたれた。強い日差しのおかげで濃くなっている、自分の影に触れた。

「フリューゲル、起きている?」

 リリの問い掛けに、影の輪郭が膨らんだ。にゅるりと歪んだ影の内側から、銀色の頭部が現れた。

「おうー!」

 よっこらせ、と影の端に手を掛けて上半身と翼の付いた両腕を出し、足を抜き、鋼鉄の鳥人は立ち上がった。

「オレ様はいつだって元気なんだぞこの野郎ー!」

 胸を張って威張るフリューゲルの足元の影と、リリの足元の影は溶け合って繋がっていた。

「で、なんか用か、リリ?」

 フリューゲルはリリの傍らに腰掛けると、胡座を掻いた。リリは、フリューゲルに寄りかかる。

「用ってほどのものじゃないんだけど、ちょっとね」

「ああ」

 フリューゲルは寄宿舎を見やり、そこにいる二人の気配を感じ取って事情を察した。

「そうだよな。あの二人がイチャイチャしてると、リリの居場所がなくなっちまうもんなこの野郎」

「うん。ちょっと寂しいけど、仕方ないもん。邪魔しちゃ悪いしね」

 リリはフリューゲルに身を預け、微笑んだ。

「そろそろ、うちに手紙が届いたかなぁ。今度のはちょっと特別だから、なるべく早く届いてほしいんだ」

「ちょっと前のオレ様だったら、全力で飛べば一晩もしないで届けられるんだぞこの野郎」

「私もフリューゲルと一緒に飛べればいいんだけど、そうもいかないんだよね」

「うん。でも、オレ様、リリといられればそれでいいんだ」

「私も。フリューゲルがいれば、それでいいもん」

 リリが腰を上げて顔を上げると、フリューゲルは腰の関節を軋ませながら上半身を曲げ、リリへと近寄せた。
冷え切ったマスクと血色の良い唇が接し、フリューゲルの翼の付いた腕が慣れた仕草で少女の背中に回された。
リリは腕を伸ばしてフリューゲルの首にしがみ付き、口付けを深めた。互いを確かめるように、長く接していた。
息が詰まってきたので、リリは名残惜しく思いながらも唇を離した。フリューゲルもまた、少々残念そうだった。
 リリが移住する際に、フリューゲルもまた移住を望んだ。だが、魔導兵器であるが故に受け入れられなかった。
フィフィリアンヌは連合軍と国際政府連盟と何度も会談を繰り返し、互いがある程度納得出来る妥協点を探った。
結果、フリューゲルから強大な戦闘能力を抜き去ることと絶対に人目に曝さないことが移住する条件となった。
そこでフィリオラから提案されたのが、フリューゲルをリリの影の中へ隠してしまう、という魔法だったのである。
フリューゲルはリリと魂で契約を結んでおり、契約獣と召喚術師の間柄なので、決して難しいことではなかった。
影の中に異空間を造り出し、その中にフリューゲルを住まわせてしまえば、二人は一定距離以上は離れられない。
リリの任意がなければ影から出られないようにすれば、リリさえ気を付けていれば人目に付く危険はなくなる。
リリの放つ過剰な魔力を吸収して稼働しているフリューゲルも、リリの影の中にいれば常時魔力を吸収出来る。
そして、互いが常に互いの存在を感じていられる。それこそが最大の利点であり、また二人の願望でもあった。

「リリ。ちょっと熱いぞ」

 フリューゲルは平べったい指の三本指の手を広げ、リリの額に触れた。

「じゃ、もらってよ。どうせ有り余っているんだし」

 リリは彼の首から腕を外して身を下げると、フリューゲルの胸に埋め込まれた紫色の魔導鉱石に口付けた。
魔導鉱石に収められた魂に、彼女の熱が直接流れ込む。同時に、魔力よりも熱を持った感情も伝わってくる。
それがとてつもなく嬉しいがたまらなく恥ずかしくなってきて、フリューゲルはリリを抱えて背を丸めてしまった。
 リリとフリューゲルは、愛し合っている。最初の頃こそ友情に過ぎなかったが、年を追うごとに変化してきた。
契約の際に魂を繋げたことで感覚も一部分だが繋がり合っている二人は、いつしか揺るぎない絆を育んでいた。
それが愛へと変わるのは、時間の問題だった。戸惑う部分もないわけではなかったが、躊躇うことはなかった。
一番大好きな者に愛を与え、一番大好きな者から愛を与えられる。この世に、それに勝る幸せがあろうものか。

「あのね、フリューゲル」

 リリは魔導鉱石から唇を離すと、フリューゲルを見上げた。

「私、進学しようと思うんだ。働きながら上の学校に通って、先生になるための勉強をしたいの」

「オレ様も手伝う。リリなら、絶対にいい先生になれるんだぞこの野郎」

 フリューゲルはリリの顎に手を添え、持ち上げた。リリは頷く。

「うん。頑張る」

 そして、二人は再度口付けを交わした。いつか見た素晴らしい夢を、夢のままで終わらせてしまわないために。
現実がいかに厳しくとも、目指すものがあれば頑張れる。自分は幸せなのだから、今度は他人を幸せにする番だ。
今まで育ててくれた両親やゼレイブに住まう皆にも、出来る限りの恩返しを行って感謝の思いを伝えてやるのだ。
十年前の過酷な体験で、嫌と言うほど思い知った。我が侭を無理に通そうとすると、どこかの誰かを傷付ける。
だから、現状を受け入れている。今は辛いが、この辛い日々を乗り越えた先には素晴らしい日々が待っている。
だが、待っていても未来は訪れない。望む未来を手に入れたいのなら、自分から動いて求めなければ始まらない。
 生きているのだから。




 街へ向かう馬車を見送ってから、家路を辿る。
 少し後ろを遅れて付いてくる妻との距離を離してしまわないように歩調を緩めながら、抱えた荷物を見下ろした。
もう一つの大陸から海を越えて渡ってきた木箱には、ヴィクトリアの几帳面な筆跡の宛先の札が貼られていた。
中には、いつも通りの手紙が入っているのだろう。三人の手紙が届くことは、ゼレイブの皆が楽しみにしている。
ピーターも早々に箱を開けて三人の手紙を読んでしまいたい気分だが、これを一番先に読むのは家族の役目だ。

「ひゃあっ」

 不意に驚愕の声が挙がり、鈍い音がした。振り返ると、妻が真正面から転んでいた。

「大丈夫か?」

 ピーターが駆け寄ると、妻は転んだ拍子に外れた瓶底のように厚いメガネを拾い、掛けた。

「なんとか…」

 体を打った痛みよりも転んでしまった恥ずかしさが勝っているらしく、妻は小さな耳までも真っ赤になっていた。
他の女達と同じようなエプロンドレスを着ているが、顔立ちが大人しいのでゼレイブ中の誰よりも似合っていた。
よく見れば目はぱっちりしているが鼻がやや低めで顎が丸く、撫で肩で手も小さいので未だに少女に見えてしまう。
引っ込み思案な上によく転ぶし、妙に失敗が多く、言動ものんびりしている。実に田舎娘らしい田舎娘なのである。

「ほら、クレア」

 ピーターが手を差し出したが、妻、クレアはその手を取らずに立ち上がった。

「あの、ごめんなさい」

「それより、どこもケガはしなかったか?」

 ピーターがクレアの顔を覗き込むと、クレアはますます頬を紅潮させた。

「どこも痛くないです!」

「ならいいんだ」

 ピーターは念動力で木箱を傍らに浮かばせて両手を自由にすると、かなり照れているクレアの肩を抱いた。
クレアは消え入りそうな声で何かを言っていたが、ピーターが内容を聞き出そうとすると慌てて遮ってしまった。
その仕草と態度がなんだか可笑しくてピーターが頬を緩めると、クレアは若干拗ねたように眉根を歪めていた。
 クレアは人ならざる者達が住むという噂を聞き付けて、五年前にゼレイブにやってきた戦災難民の異能者だ。
本名はクレア・ゴールドバーグだが、三年前にピーターと結婚したので現在はクレア・ウィルソンとなっている。
能力は念力発電能力という念力発火能力の変形のような力で、感情が高ぶると所構わず電力を放出してしまう。
戦中戦後に連合軍から追われて命からがら逃げ回っていた時に、白ネコからゼレイブの話を聞いたのだという。
藁にも縋る思いでゼレイブにやってきたが、後少しというところで行き倒れてしまったクレアをピーターが助けた。
それから二人は仲を徐々に深め、そして結婚した。まだ子供は出来ていなかったが、いずれ授かることだろう。
 二人が魔力の蜃気楼を通り抜けてゼレイブ内に入ると、エプロンドレスを翻しながら少女が駆け寄ってきた。
母親譲りの波打った赤毛を揺らしながらスカートを持ち上げて走っていた少女は、手を振って大きく声を上げた。

「おっかえりぃー!」

「ただいま、ウィータ」

 ほれ、とピーターがウィータの腕の中に木箱を下ろしてやると、ウィータは木箱を頭上に掲げて跳ね回る。

「姉ちゃん達からのお手紙、ずっと待ってたんだ! よおし、ギルより先に見てやる!」

「あっ、転ばないようにね!」

 クレアが注意を促すと、ウィータは振り返って弾んだ笑顔を見せた。

「クレアさんもね! あんまりピート小父さんに心配掛けちゃダメだよ!」

「好きでドジ踏んでるわけじゃありません」

 クレアは少しむっとしたが、長い赤毛をなびかせながら元気良く駆けていくウィータの後ろ姿を眺め、微笑んだ。
ウィータは母親のキャロルとは性格が大きく違い、少年のように快活で行動的な少女で、底なしに明るい性格だ。
今年で十歳になるのでゼレイブを取り巻く状況も理解しているとは思うのだが、明るさに陰りが出ることはない。
三人の子供達がゼレイブを出てから二年後に生まれたリリの弟、ギルバートとも仲が良く、実の兄弟のようだ。
ゼレイブを出ていった三人の子供達を慕っているが、ウィータは実の従姉妹のリリを特に好いているのである。

「ウィータのあの姿、リチャードさんに見せてやりたいよ」

 ピーターは、西の空から少し暮れ始めた空を仰ぎ見た。

「今頃、どうしているやら」

「きっと見ていらっしゃいますよ」

 クレアは夫に倣い、空を見上げる。

「ま、あの人のことだから、ヴァルハラどころか天上にだって行かずにいるかもしれないしな」

 ピーターは懐かしみ、目を細めた。魔導師リチャード・ヴァトラスが処刑されたのは、十年前の春のことだった。
ゼレイブに住まう皆に申告した通りに連合軍に出頭したリチャードは、ブリガドーンの件の責任を全て背負った。
一連の首謀者は自分であると頑なに言い張り、証拠が不十分なのをいいことに無理な辻褄合わせを繰り返した。
一刻も早く事態を収めてしまいたかった連合軍は、リチャードの多少怪しい証言を丸々受け入れてしまったのだ。
その結果、リチャードが起こしたとされる戦中戦後の犯罪は、ブリガドーンに関わる件だけではなくなってしまった。
明らかにグレイス・ルーが起こしたものやフィフィリアンヌが絡んでいそうな事件すらも、リチャードのものになった。
おかげで、リチャードの罪状は恐ろしいまでに膨らみ、彼が処刑された今となっても裁判は続けられているらしい。
だが、まだまだ決着は付きそうにない。今や、世紀の大犯罪人リチャード・ヴァトラスの名は世界中に轟いている。
ピーターが考えていたよりも、物凄いことになってしまった。だが、これはリチャード自身が望んだ結末なのだ。
我が子と妻を守るために全ての罪を背負い、償うために死ぬ。ある意味では、家族への愛を貫いたと言えよう。
 ピーターは腕に軽く添えられた妻の手に触れたが、途端に鋭い痺れが駆け抜けて、思わず手を引っ込めた。
クレアはとても申し訳なさそうに眉を下げて後退し、僅かながら放電している両手を体の後ろに隠してしまった。

「ごめんなさい。さっき、転んだせいかもしれません」

「ごめんな。まだ、手が下がっちまうんだ」

 ピーターはクレアの手を強引に取ると、ぐいっと引いた。

「男と女ってのは、痺れるぐらいが丁度いいんだよ。だから、気にするな」

「なんて恥ずかしいことを…」

 クレアは首筋まで赤らめ、俯いた。

「さて、オレ達も屋敷に行くとするか。今日はフィオさんもキャロルさんも屋敷にいるからな」

 ピーターは念動力を解放し、クレアと共に体を浮かばせた。クレアは慌てて、広がったスカートを押さえる。

「やだ、急に飛ばないで!」

「大丈夫、そんなに速度は出さないから」

 ピーターはクレアの手を引き、滑るように前進した。クレアはスカートを押さえながら、夫と共に低空で飛んだ。
ラミアンの成した魔力の蜃気楼に守られているゼレイブの内部ならば、魔法と異能力を使うことは許可されている。
それでも範囲や出力の制限はあるのだが、現時点では戦う相手がいないので、それほどの力を使うことはない。
 敵さえいなければ、憎むべき存在さえなければ、持って生まれた力は武器にはならず、むしろ利点になっている。
要するに、程度の問題だ。そのことを連合軍や国際政府連盟が知り、納得してくれるまでは時間が掛かるだろう。
竜もまた、攻撃しなければ恐るべき存在にはならない。長い年月を生きている彼女は、近代の賢者となるはずだ。
 どんな者にも、必ず生きる道はある。ピーターはクレアの手から感じる体温と思念を感じながら、笑っていた。
異能部隊から放逐された時は、絶望した。そして、仲間達が次々に死ぬ中で一人生き残ったことが罪だと思った。
ファイドの言葉の通り、全ての人外は死に絶えた方が苦しむ人外がいなくなって幸福なのでは、とも少し考えた。
だが、クレアと出会ってから考えは一変した。同族に対する同情ではない愛情を感じ、掛け替えのない女になった。
若い頃はダニエルの戦いが無駄だったのではないか、と感じたこともあったが、今となっては彼を尊敬している。
 素晴らしい未来へと、導いてくれたのだから。


 吸血鬼の屋敷に到着したウィータは、真っ先に居間に飛び込んだ。
 扉を開けた瞬間に母親が眉をひそめたのが見えたが一向に気にすることなく、フィリオラの元へと駆け寄った。
担いでいた木箱をテーブルに置くと、その上に並べられていたティーカップや菓子の載った皿が飛び跳ねた。
その音にキャロルは首を竦め、フィリオラは目を丸くしている。ウィータは木箱を叩きながら、叔母に詰め寄った。

「フィオ叔母さん、これ、姉ちゃん達からの手紙だよ!」

「ウィータ」

 キャロルが諫めると、ウィータは不満げに頬を張った。

「だって、嬉しいんだもん。喜んじゃいけない?」

「どうしてこう、この子は落ち着きがないのかしら」

 ティーカップを置いたキャロルがため息を零すと、フィリオラは眉を下げる。

「礼儀作法はちゃんと教えたはずなんですけどねぇ、私とキャロルさんで」

「だって、あれって面倒なんだもん」

 口答えするウィータに、キャロルは語気を強めた。

「せめて常識は守りなさい。まず、テーブルの上に乱暴にものを置かないこと。お皿やカップが割れるじゃないの」

「割れたことないじゃん」

「割れたら困るから言うんです」

 全くもう、と悩ましげに呟いたキャロルに、二人の対面のソファーに座っていたラミアンは笑った。

「ウィータにも、いずれ落ち着く日が来ますとも。その時に、きちんと言い聞かせてやれば良いでしょう」

「さすがラミアン小父さん、解ってるう」

 怒られずに済むと思ったのか、ウィータははしゃいだ。ラミアンはその現金さに苦笑しつつ、木箱を示した。

「それで、この箱は我らが娘達からの贈り物なのだね?」

「うん、そうだよ」

 ウィータが木箱の宛名書きを指していると、廊下に荒っぽい足音が駆けてきて、またもや居間に飛び込んだ。
次に現れたのは、息を切らしている少年だった。薄茶の髪に青い瞳の幼い少年は、ウィータを指して強く叫ぶ。

「ずるいぞウィータ、先に姉ちゃん達の手紙を読もうとするなんて!」

「ギルがとろいのが悪い。私は悪くないしずるくもないもん」

 意地悪く笑んだウィータに、少年、ギルバートはむくれた。

「オレよりちょっと足が速いだけじゃんか。なんでそんなにいちいち偉そうなんだよ」

「ね、ね、私が開けてもいいよね?」

 ウィータが箱の蓋に手を掛けたので、ラミアンは銀色の爪を差し伸べた。

「ウィータ。君の柔らかな指に棘や釘が刺さっては、その美しさも陰ってしまう。ここは私の爪の出番ではないかね」

「じゃ、お願いします」

 ウィータはラミアンの言葉に従い、木箱を差し出した。

「レオさんもヴェイパーさんも畑仕事に行っていますから、後で呼びに行きませんとね」

 教えないとレオさんは怒るでしょうから、とフィリオラは笑み、ぶすくれているギルバートを撫でた。

「ギルバートもあんまり怒っちゃダメですよ。リリ達からの手紙は、皆で一緒に見ればいいんですから」

「でもさ、なんかずるいじゃん」

 ギルバートは納得していないのか、唇を曲げている。その顔立ちは、少年時代のレオナルドによく似ていた。
ギルバートは、八年前にレオナルドとフィリオラの間に出来た子供で、リリとは違って竜のツノは生えていない。
姉のリリとは十歳離れており、今年で八歳になる。毎日のように、やたらと元気なウィータに振り回されている。
異能力もなく、魔力は高いが楽に制御出来る。ゼレイブでは、キャロルとウィータに続いて普通の人間に近い。
だが、周囲の人間があまりにも人間離れしているので劣等感を感じているのか、妙に怒りっぽい性格になった。
そのたびにフィリオラやレオナルドは、力がない方が生きやすい、と説き伏せるのだが未だに納得してくれない。
 ラミアンは銀色の爪先を板を留める釘に引っ掛けて、器用に全部引き抜いてから、薄板の蓋に手を掛けた。
箱が開くと、全員が覗き込んだ。箱の中には、緩衝用の紙屑が詰め込まれており、三通の手紙が上にあった。
ラミアンが三通の手紙をフィリオラに手渡すと、フィリオラは一番最初に長女からの手紙を取って封を開けた。

「あら」

 フィリオラは五枚の便箋を一通り目を通し、その中の一枚をギルバートに差し出した。

「これ、ギルバートにですって」

「マジで!?」

 ギルバートは母親の手から姉の手紙を取ると、浮かれながら読んだ。読みやすいように、文字が大きかった。
その内容は会ったことのない弟に対しての愛情に満ち溢れ、両親や従姉妹と仲良くするように、と書かれていた。

「後で御礼の手紙を書きませんとね。せっかく読み書きを練習してきたんですから、使う時に使いませんと」

 フィリオラが微笑むと、ギルバートは頷いた。

「うん! オレ、リリ姉ちゃんに手紙書く!」

「ヴィクトリアさんのは、ラミアンさんが最初に読んで下さいな」

 はい、とフィリオラがラミアンにヴィクトリアの手紙を渡すと、ラミアンは一礼する。

「では、拝見しましょう」

 ラミアンはヴィクトリアの手紙の封蝋を開け、便箋を広げた。枚数は多く、細かい文字がびっしりと並んでいた。
内容は、やたらに遠回しな言い回しでラミアンの心身を案じていたり、ギルディオスの墓参りについてのことだった。
それ以外のことは、占術師としての商売の現状報告や、合衆国側での政治や軍事の情勢を事細かに伝えていた。
ヴィクトリアの定期報告は、意外に重要な情報源だ。共和国内の新聞だけでは、把握出来ない情報も多いからだ。

「ロイ兄ちゃんのは?」

 ギルバートはリリの手紙を読み終えたので、母親の膝に縋った。

「はいはい、今開けますよ」

 フィリオラはロイズの手紙の封を開け、便箋を広げたが、その中身を見て戸惑った。

「あらま」

「なんですか?」

 不思議に思ったキャロルがロイズの手紙を覗き込むと、キャロルは頬を緩めた。

「あらぁ…」

「なになになーに?」

 興味を持ったウィータがロイズの手紙を見ようとしたので、フィリオラはロイズの手紙を手早く折り畳んだ。

「もうちょっと大人になってからじゃないと、見せられませんねぇ」

 はいラミアンさん、とフィリオラが手渡してきたので、ラミアンは子供達から遠ざけながら手紙を開いた。

「ほう、これは…」

 ロイズは封筒に入れる便箋を間違えたらしく、その内容は、切々と苦しい胸の内を打ち明けている恋文だった。
宛名は、驚いたことにヴィクトリアだった。他の便箋は至って普通の内容なので、誤って混ざってしまったのだろう。
ロイズの文章は気取った言い回しを一切使っていないので、少々荒っぽいながらも実直で好感が持てる文章だ。
だが、最後の部分で文字が急に乱れて乱暴に塗りつぶされているので、出さず終いで捨てるはずだったらしい。
いつまでも子供だと思っていたが、すっかり成長している。ラミアンは微笑ましくなり、喉の奥から笑い声を零した。

「これはどちらの親の墓前に捧げるべきだと思われますかな、御婦人方?」

「グレイスさんには見せない方がいいんじゃないですか。見せた方まで祟られそうですから」

 にやけながら、フィリオラは自分のティーカップに紅茶を注いだ。キャロルも笑う。

「でも、だからといってダニーさんに見せるのも気が引けますよね。きっと、凄く困っちゃうでしょうから」

 大人達の含みのある会話に付いていけず、つまらなくなったウィータは紙屑の詰まっている木箱の中を探った。
すると、硬いものが指先に触れた。取り出してみると、丁重に紙に包まれている平べったい四角い物が出てきた。
ウィータは躊躇いもなく包装を破り捨てると、その中から現れたのは大きめの白黒写真が入っている額縁だった。
きちんとした写真館で撮影したものらしく、現像も綺麗だった。写っているのは、当然ながら三人の子供達だった。
貴婦人の如く着飾ったヴィクトリアとリリが前に座り、あまり似合わない礼服を着込んだロイズが後ろに立っている。

「これがリリ姉ちゃん?」

 ギルバートは迷わずに、母親に似た少女を指した。フィリオラは息子の指した少女を見、頷いた。

「ええ。それがギルバートのお姉さんですよ。大きくなりましたね、リリ」

「フィリオラさんの若い頃にそっくりですね。ツノがないだけで」

 キャロルは、リリとフィリオラを見比べる。ウィータは、礼服を着た少年を指す。

「じゃ、これがロイ兄ちゃんだよね? でも、ギルの兄ちゃんなのに、ギルにあんまり似てないよ?」

「ロイズさんとリリ達は兄弟ですけど、血は繋がっていないんですよ。今度、そのことについてお話ししますね」

 フィリオラが説明したが、ウィータは今一つ関心を持っていないようだった。

「ふーん、そうなんだ」

「で、これが、ロイ兄ちゃんが好きなヴィクトリア姉ちゃん? 綺麗な人だね」

 ギルバートは、長い髪の女性を指した。ラミアンは頷く。

「ああ、そうだとも。ヴィクトリアは我らの娘であると同時に、大切な友人なのだ。月並みな表現ではあるが、ヴィクトリアも随分と立派になったものだよ。これはまるで、ロザリアの生き写しではないか」

「本当ですね」

 フィリオラは、懐かしさで目を細める。ヴィクトリアの面差しには、ロザリアだけでなくグレイスの面影もあった。
キャロルも感慨深いようで、じっと三人の写真に見入っている。ラミアンも思い出すことがあるらしく、黙していた。
ヴィクトリアとロイズには、死した両親の血が流れている。彼らは死んだが、彼らの子はこの世に生き続けている。

「お母さん?」

 ギルバートに声を掛けられ、フィリオラは意識を戻し、いつのまにか目元に滲んでいた涙を拭った。

「いえ、大丈夫です。なんでもありません」

 フィリオラの言葉にギルバートは怪訝そうな顔をしたが、すぐに興味を戻し、姉の姿を食い入るように見つめた。
フィリオラは滲んでくる涙を拭い、声を堪えた。ラミアンはそれを察してか、フィリオラの背に大きな手を添えた。
キャロルは写真から身を引くと、フィリオラに微笑みかけた。その笑顔もまた、嬉しげではあったが切なかった。
成長した子供達の面影は死した者達との記憶を蘇らせるが、過ぎ去った時間の長さが痛いほど身に染みてきた。
それはどうしようもないほど残酷で、やるせないほど空しかったが、それ以上に素晴らしいものが息づいている。
 フィリオラは目元から零れ落ちてしまいそうだった涙を全て拭き取ると、キャロルとラミアンに笑顔を見せた。
三人の子達の写真は、フィフィリアンヌに見せてやってから、ギルディオスや皆の墓参りに行く時に持っていこう。
 きっと、喜んでくれるだろう。





 


07 11/17