ドラゴンは眠らない




白い悪夢 中



東竜都を滅ぼしてから、数週間後。キースは、滅びた竜王都にやってきていた。
人の世界に下りて買い求めてきた白い衣と、表情を取り繕うためのメガネを掛けて、姉が来るのを待っていた。
先日、キースはフィフィリアンヌに手紙を出した。久々に会いたい、というようなことを書き綴ったものだ。
朽ち果てた竜王都は、焼け野原になっている東竜都とは違い、瓦礫は草や苔に覆われて緑色になっていた。
人の道から外れたことを行う快感を一度でも覚えてしまうと、それは麻薬のように、心と体に染み込んできた。
真面目で正しくあろうとしたかつての自分が馬鹿みたいで、狭い世界で足掻いていた日々が空しく思えてくる。
あまり自分の思い通りにならなかった世界だったから、最後の最後で思うがままに出来たことが、清々しかった。
東竜都は、父が作った箱庭だった。そして自分は、その小さくも馬鹿馬鹿しい世界の中で、必死に生きていた。
それを壊してしまってからは、とても気分が良い。長い長い悪夢から目覚めたかのような、爽快感がある。
きっと、あれは予行練習だったのだ。人の世界に赴いて、人の世界を手にして、滅ぼすまでの練習なのだ。
未だに、東竜都を滅ぼした際の高揚感は残っている。物を破壊するのも楽しいが、生者を壊すのが一番楽しい。
キースは、手のひらを開いた。そこには、母の胸に刻まれている呪いの魔法陣と良く似た魔法陣があった。
東竜都を破壊し尽くしても、母だけは殺していなかった。僅かに残っていた理性で、押し止めていたようだ。
あれだけの事が起きても、アンジェリーナは眠り続けていた。もう、母が目覚めることはないのだろう。
手のひらに描いた魔法陣は、母に刻まれた呪いを強め、アンジェリーナの鼓動と魂を止めるためのものだ。
この手を握れば、母は楽になる。そう思って描いてきたのだが、使い道はそれだけではない、と考えていた。
キースは、朽ちた竜王都の上空を見上げた。フィフィリアンヌと思しき緑竜の影が、遠くから近付いてくる。
フィフィリアンヌには、自分と人の世界との橋渡しになってもらおうと思っているが、そう簡単には行くまい。
頭の冴えた姉のこと、真っ当な言葉とそれらしい動機を並べ立てたところで、素直に承諾するとは思えない。
だが、一見冷酷に見えるフィフィリアンヌも、自分と同じようにアンジェリーナには特別な思い入れがある。
いくらフィフィリアンヌと言えど、母の命を盾にされれば嫌とは言えないだろう。キースは、にやりと笑んだ。
人の世界にいる姉の旧知の友人、ギルディオス・ヴァトラス率いる異能部隊なる部隊を、足掛かりにしてやる。
軍隊から上り詰めていけば政府の上層に辿り着くのも楽だろうし、近代の人間など魔法を掛けるのは簡単だ。
今度こそ、何もかも、思い通りにしてやる。そして、何もかもを壊し、喰らい、滅し、思い切り楽しんでしまおう。
緑竜の姿は、竜王都の外れに下りた。巨大な影が縮んで少女の姿となると、こちらに向かってやってくる。
壊れた橋の傍に立っていたキースは、青空を映し込んでいる湖面を見下ろし、そこに映る自分を見てみた。
母と姉の面影が色濃く表れた、青緑色の翼を持った青年だった。その青年は、優雅な微笑みを浮かべている。
久々に姉に会えると思うと、嬉しくて仕方なかった。


そして、更に一年後。キースは、異能部隊の隊員となっていた。
その頃のキースは、調子に乗っていた。異能部隊の視察に訪れた政府高官と上位軍人に、魔法を掛けたのだ。
といっても、相手の心を全て操るようなものではない。そんなことをしてしまっては、不自然極まりないだけだ。
本人の思考がキースの思うように傾くように、何度も何度も弱い魔法を掛けて、呪いのような状態にしたのだ。
思っていた通り、魔法を掛けたことは異能部隊の隊員達にもばれず、政府高官と上位軍人にも悟られなかった。
後は程良く手柄を立てれば、大佐となれる。大佐となれば、将軍に近付ける。そして、全てが思う通りになる。
そう思っていた矢先、あの幼女、ジョセフィーヌがやってきた。彼女は開口一番、しんじゃうよ、と言い放ってきた。
キースは、それをすぐに否定した。今まで、どんな危険な任務を行っても死の気配など感じたことすらなかった。
だが、何度否定しても、ジョセフィーヌはいつも同じことを言った。少し震えた声で、しんじゃうよ、と繰り返す。
しかし、日が経つにつれてジョセフィーヌの予知は具体的になり、くろいひとにころされるよ、と言ってきた。
キースは、その黒い人には心当たりがあった。夜中に異能部隊基地を彷徨いている、吸血鬼だろうと推測した。
誰を襲うでもなく女の血を啜るでもない吸血鬼の目的と素性は、最初は解らなかったが、そのうち判明した。
首都近辺にいる吸血鬼などたかが知れているから、簡単に洗い出せた。中でも、一番怪しかったのがラミアンだ。
魔導師協会の役員であるというにも関わらず、表の記録にその名がないので、裏の仕事をしているのは明白だ。
裏に精通した者に金を渡して、ラミアン・ブラドールという名の吸血鬼の暗殺者がいるとの情報を聞き出していた。
しかもその標的は、決まってろくでもないことをしている魔導師で、彼は魔導師協会専門の暗殺者らしかった。
となれば、ラミアンに命令を下している上司は、必然的に魔導師協会の会長であるフィフィリアンヌとなる。
姉は、自分を気に掛けてくれているのだ。キースはそう感じて嬉しくなったが、気付いていないふりをした。
その方が、姉の関心が自分に向ける時間が長引くと思ったからだ。だがラミアンは、キースの監視を怠り始めた。
ラミアンは、夜な夜なジョセフィーヌの元に出向くようになり、キースの監視よりもそちらに力を入れていた。
朝には帰るところを見るとフィフィリアンヌへの報告はしているようだが、姉の関心が逸れたのでは、と思った。
このままでは、姉はこちらを見なくなる。そうなっては面白くない、とキースはジョセフィーヌを奪うことにした。
姉の手先であるラミアンの関心を、引いては姉の関心を向けさせるためと、己の未来を知り得るためだった。
そして、異能部隊隊長という立場を振り翳して事ある事に押さえ付けてくるギルディオスへの、反発でもあった。
だが、幼女の奪還は失敗した。ギルディオスの予想外の反撃と、ラミアンの魔法を避けきれず、命を落とした。
ジョセフィーヌの予知していた通り、キースは黒い人に、ラミアンに殺された。だが、意識を失う寸前、呟いた。
死にたくない、という思いを込めて、魂を他の体に転移させる魔法を唱えたのだ。一か八かの、賭けだった。
しかし。神の救いか、悪魔の悪戯か、その魔法は成功した。キースの魂は、ジョセフィーヌの肉体に移ったのだ。
キースの魂がジョセフィーヌの小さな体に滑り込んだ瞬間、キースはある情景を視ていた。白く、清浄な何かを。
どこまでも白く、どこまでも清らかな、そんな景色だった。だが、それが何であるか把握する前に、意識は落ちた。
その時は、死していくのだ、と思った。


目を開くと、見慣れた灰色の天井があった。
全身を強張らせていたらしく、体が硬かった。何かを握り締めていた手を緩めて、かさついている目元を擦る。
涙の乾いたものが指に付き、頬にもその筋があった。そのまま手を上に滑らせていき、額へと触れてみた。
頭蓋骨と脳を貫かれた痛みが残っていたが、額には傷痕はない。滑らかで柔らかな肌が、あるだけだった。
だが、確かに頭を貫かれた。ラミアンの放った魔力弾の光線が、ツノの間を抜けて額を撃ち抜いたはずだ。
皮が焼き切れる感触と頭蓋骨が爆ぜる痛みも、ありありと覚えている。だが、傷がない。何か、おかしい。
額に触れていた手を外し、目の前に出してみた。それは、指が長く色白な男の手ではなく、かなり小さかった。
胸の上に軽い重みを感じていたので、目を下げてみた。そこには、少佐の階級章が付いた軍帽が乗せてあった。
軍帽の両脇は固く握り締められていたため、形が歪んでいる。これは、あの幼女が手にしていたものだ。
何が、どうなっている。恐る恐る体を起こしてみると、視界は低く、天井は遠く、背には翼は生えていない。
涙の筋がこびり付いた頬を拭いながら、ゆっくり、首を動かした。薄汚れた鏡に、己の姿が映り込んでいた。
そこには、痩せた幼女がいた。体の大きさに合わない軍服を着た、栗色の髪と黒い瞳を持つ、あの娘だった。
キースは、思い切り目を見開いた。すると幼女は同じ動きをして目を見開き、身動ぐと、やはり身動いだ。

「…な」

口から声を出すと、泣きすぎて潰れた幼い声が漏れた。混乱と動揺で乱れた思考を落ち着け、思い出した。
死の間際に、魔法を唱えた。魂を転移させる魔法を半ば無意識に唱えていたが、それが成功していたらしい。
キースはどくどくと暴れる小さな心臓の音を感じながら、鏡を見つめた。幼女は怯えていて、青い顔をしている。
乾き切った唇を舐め、ごくりと唾を飲み下した。キースはシーツを固く握り締めながら、内側に声を掛けた。

 そこに、いるのか。

「いるよ」

キースの意思とは無関係に、ジョセフィーヌの声が出た。キースは鏡に映る自分を凝視しながら、続ける。

 驚いたよ。お前の魂が残っているなんて。

「ジョーも、びっくりした」

 僕は、てっきり死んでしまったのだと思ったよ。だが、これで僕は生きられる。お前の中で生きられるんだ。

「うん。ジョーも、しんじゃうんだとおもってた。だけど、ちがったんだね」

 予知が外れた、ということか。僕の思った通りだ。お前の予知は、決して完璧ではないんだ。

「うん。みたいだね」

 ははははは、最高だ、最高だよ! この姿なら、事がやりやすくなる!

「…こと?」

 決まっている。僕を殺したラミアンへの復讐だ。姉さんに会いに行くんだ。人の世界を滅ぼすんだ!

すると、ジョセフィーヌは黙り込んでしまった。キースが訝しんでいると、鏡に映った幼女は表情を硬くしていた。
鉄格子の填った窓の外で、ちらちらと光が動いている。竜の死体を撤去しているのか、人のざわめきもする。
キースは、窓の外へ目をやった。薄汚れた窓の外は闇に包まれていて、地面では巨大なものが息絶えていた。
それが己の死体だと思うと、恐ろしく変な気分になった。自分はここにいるのに、自分が死んでいるのだから。
違和感は、かなりのものだ。自己という存在は、肉体と精神のどちらが本当の自己なのか、解らなくなりそうだ。
かなりの間を置いてから、ジョセフィーヌはまた言葉を発した。先程に比べて、少し、語気が強められていた。

「ドラゴンのお兄ちゃん」

キースが意思を返すよりも先に、ジョセフィーヌは言った。

「ジョーのからだ、つかっていいよ」

 …なんだと?

反抗せずに、受け入れるというのか。キースが呆気に取られていると、鏡の中の幼女は小さく頷いた。

「ジョーね、ラミアンだけじゃなくて、たいちょーさんだけじゃなくって、もっともっと、おともだちがほしかったの」

鏡の中の幼女は、涙に汚れた顔で笑んだ。

「だから、ドラゴンのお兄ちゃん。ジョーの、おともだちになって」

キースは、その言葉をすぐに信用する気にはなれなかった。鏡の中の幼女の笑顔は優しいが、真意が掴めない。
魂を同一の肉体に入れているとはいえ、精神を直結させているわけではない。だから、幼女の心は読めない。
それに、甘い言葉を囁いてきた相手は最後には裏切ってしまう可能性が高い。リンが、そうであったように。
キースはジョセフィーヌの笑顔を見据え、疑念を漲らせた。鏡の中の幼女の笑顔が、少しばかり曇った。

 信用出来ない。お前も、僕を騙すんだ。最後には、僕を裏切るんだろう。

「ちがうよ、ちがうの。そうじゃないよ」

 違わないな。誰も、僕を必要とはしないんだ。東竜都の連中も、リンも、姉さんも、ギルディオスも、誰も彼も。

「ジョーね、ジョーもね、すっごく、すっごく、さみしかったの」

口から出る幼女の声には、嬉しさとも悲しさとも付かない感情が混じっていた。

「さきのことがみえちゃうから、それをいっちゃうから、きもちわるいって、きみがわるいって、いわれて、おかーさんにも、おとーさんにも、いらないっていわれて。たいちょーさんがみつけてくれるまで、ずっと、ずっと、ひとりだったの。だから、うれしいの。ラミアンとおともだちになれて、おむこさんになるひととなかよくなれて」

嗚咽を飲み下してから、ジョセフィーヌは涙の滲んだ目元を拭った。

「だから、だからね、ドラゴンのお兄ちゃんとも、なかよくなりたいの」

 本当に、僕を裏切らないと約束するか。

「うん。やくそくする」

ジョセフィーヌは、こくんと頷いた。キースは幼女の内側で沈めていた意識を浮上させ、シーツを固く握った。
すぐには、信じられなかった。だが、ジョセフィーヌの言っていることは、キースには痛いほど理解出来た。
侮蔑されて遠巻きにされる寂しさも、愛されない空しさも、誰とも心を通わせられない悲しさも、全て知っている。

 ジョセフィーヌ。

「なあに?」

鏡の中の幼女は、首をかしげた。キースは、かしげた首を元に戻す。

 君は、ラミアンの妻になるのか。そういう未来が視えているのか。

「うん。みえたんだ。ジョーはね、ラミアンのおよめさんになってね、おとこのこをうむの。げんきなかわいいこ」

 そうか。

「うん。そうなんだよ。ほんとうなんだよ」

 君が僕を裏切らないと言うのなら、僕もそれ相応の対価を払おう。

「たいか?」

 そうだ。ジョセフィーヌ。僕は君に、子を産み出す幸せを与えてやる。だがその代わり、その後は僕に明け渡せ。

「そうしなかったら?」

 僕への裏切りであると判断して、それ相応の報復を行う。そうだな、その子供を殺してしまうかもしれないぞ。 

「…うん。ころされるのは、いや」

 そうだ、それでいい。それで、そこから先の未来は、どう視えている。

「まだ、あんまりよくみえない。ずっとずっと、さきだから」

 なら、その先の未来は僕のものだ。君が幸せになるならば、僕も幸せになるべきだろう。それが順当だ。

「お兄ちゃん、しあわせじゃなかったの?」

 幸せなものか。だから、これから、幸せになるんだ。何もかもを僕の思い通りにして、僕の望む世界を作るんだ。

「うん。なれるよ。ドラゴンのお兄ちゃん、しあわせになる」

 本当か?

「いまね、ちょっとだけだけど、みえたの。ドラゴンのお兄ちゃんはね、まっしろいばしょで、しあわせになるの」

 白い、場所?

「とっても、しあわせになるの」

それきり、ジョセフィーヌは黙った。鏡に映っている幼女は上機嫌ににこにこしていて、とても楽しげだった。
キースはその笑顔を見ていたが、笑った。すると、鏡の中の幼女は、年相応でない狡猾な笑みを浮かべた。
一度は失ったと思っていた己の命が、長らえている。神はまだ、キースの味方をしてくれているようだった。
ジョセフィーヌが視た白い場所というのは、キースが彼女に移った瞬間に視た情景と、同じものなのだろう。
あの、白く清浄な世界で幸せになれる。どんな形での幸せかは解らないが、幸せであればなんでも良かった。
キースは沸き起こってくる笑みを押し殺しながら、ベッドに倒れ込んだ。枕には、子供の匂いが染み付いている。
感覚を研ぎ澄まさせてみると、幼女にしては鋭敏で力強い。異能者だけあって、常人よりも魔力が強いようだ。
これなら、以前のように事が行える。いや、人であり女であるとなれば、以前よりもやりやすいかもしれない。
ラミアンを殺すことだって、彼が愛する幼女の姿であれば容易い。軍での地位を上げることも、更に簡単だ。
軍の中枢を成している者達は、ほとんどが男だ。竜でなく女ならば畏怖も抱かれないだろうし、たらし込める。
その上で適当に手柄を立てていけば、佐官になれるだろうし、今はまだ手を出していない将軍にも近付ける。
将軍や上位軍人の妾になる、という手もないわけではなかったが、その手はどうしても使う気になれなかった。
幼い頃に、散々妾の子だと言われ続けてきたせいで、妾という言葉も立場も生理的に受け付けなくなったのだ。
それに、男に囲われて生きる女になるというのは、リンのようになってしまうように思えてかなり嫌だった。
どうせなら、人を使って人の上に立つ存在がいい。それも、ギルディオスよりも高い地位の軍人が好ましい。
常々、ギルディオスの存在は鼻に突いていた。異能部隊に入った時から、あの男は鬱陶しくて仕方なかった。
少佐であり隊長であるから上下関係に厳しいのは解るが、日常の細々としたところまで、口を出してくる。
自分は飲むことが出来ないのに酒に誘ったり、意味もなく部屋に来たり、下らない会話に付き合わせたり。
なぜそんなことをするのか解らなかったし、されたところで鬱陶しいだけだったので、苛立ちが溜まっていた。
だから、ギルディオスを名実共に見下せる位置がいい。そしていつか、少佐という地位も奪い取ってやる。
キースは、ギルディオスの軍帽を枕元に置き、くつくつと喉の奥で笑った。様々な計略を、頭に巡らせる。
だが、フィフィリアンヌには手を出す気は起きなかった。魔導師協会の会長が相手では、さすがに分が悪い。
それに、二人だけの肉親のうちの一人だ。殺してしまいたくないし、もう一度、言葉を交わしたくもあった。
生かしておけば、いつか、愛してくれる日が来るかもしれない。いや、きっと、姉は愛してくれるはずだ。
同じ母から生まれた、姉と弟なのだから。


それから、キースはジョセフィーヌと共に生きた。
普段はジョセフィーヌの内に意識を沈めていたが、彼女との取り決めで、メガネを付けたら切り替わるようにした。
その方が解りやすいしジョセフィーヌもやりやすいから、とのことで、意味のなかったメガネに意味が出来た。
ラミアンと接する時はジョセフィーヌが表に出ていたし、キースは魂の気配を押し殺していたので、ばれなかった。
そのうち、ジョセフィーヌはキースの存在を忘れるようになった。彼女は、ラミアンにばかり心を奪われていた。
キースはそれに気付いていたが、敢えて指摘しなかった。報復のために、怒りを溜め込んでおくことにしたのだ。
何年か過ぎ、ラミアンとジョセフィーヌは彼女の予知した通り夫婦となり、ジョセフィーヌは子供を腹に宿した。
子が生まれた半年後に、キースは魂を強めた。約束した通りに彼女の体を手に入れ、思いのままに動かした。
古びた屋敷を出て首都に向かい、従軍した。出来るだけ平凡な名を、と思い、サラ・ジョーンズと名乗った。
異能部隊時代に培った軍人の動かし方や取り入り方を最大限に使い、手柄を立て、十年で大佐に上り詰めた。
サラ・ジョーンズは冷徹な女軍人としていたが、上位軍人をたらし込む時は、幼女の如く甘えた態度を取った。
思った通り、男達はその落差に溺れてくれた。そして、将軍にも取り入り、特務部隊を作らせることが出来た。
上位軍人達に、弱い魔法を繰り返し繰り返し掛け、キースの言葉であれば無条件で信用するようにしたのだ。
その過程で、グレイス・ルーと接触する機会があった。彼は、上位軍人達のお気に入りの呪術師だった。
グレイスは、一目見ただけでキースの魂とジョセフィーヌの体が違っていることを見抜き、それを指摘してきた。
そして、キースがフィフィリアンヌの弟であることも知っていた。だが、グレイスは、何をするでもなかった。
必要があるんだったら手ぇ貸すぜ、とへらへら笑って、近付いてきた。キースはその態度に戸惑ったが、頷いた。
フィフィリアンヌとギルディオスのどちらとも接点を持っているグレイスを、使わない手はないと思ったからだ。
グレイスの手を借りたのは、正解だった。ラミアンの魂をねじ込む機械人形は、彼がいなくては出来なかった。
グレイスの持っている魔導兵器の技術とウィリアム・サンダースの技巧がなければ、アルゼンタムはなかった。
それらの準備が整ってから、キースはラミアンを殺した。魂を魔導鉱石に押し込め、アルゼンタムとしたのである。
作戦に必要だと言って軍に共同住宅を造らせ、管理人にもなった。それは、姉の末裔を招き入れるためだった。
竜の血の発現者であるフィリオラを入居させ、その傍に付いているギルディオスと共に、目の届く場所に置いた。
ラミアンの息子のブラッドは、当初は計略から外れていたが、どうせなら父親と殺し合わせようと思い、入れた。
ゼレイブから旧王都までの旅で疲れ果てて、コウモリに変化した少年を、ギルディオスの通り道に置いたのだ。
その結果、案の定ギルディオスはブラッドを拾ってきた。フィリオラも、想像した通りに少年を居候させた。
サンダース親子も、レオナルド・ヴァトラスも、異能部隊の面々も、彼らを入居させた理由はいずれも同じだ。
だがやはり、姉には手を出さなかった。黒幕として暗躍するうちに、以前にも増して手強さを思い知ったからだ。
そして、会いたくてたまらないほど愛しくて、叩き潰したいほど憎々しかったから、敢えて手を出さずにいた。
共同住宅の管理人の日々と平行して、特務部隊隊長としての暗躍も続け、政府高官や上位軍人をそそのかした。
燻っていた隣国との関係を一気に悪化させ、戦争を起こさせた。人を殺しに殺した。それだけでも、爽快だった。
だが、それは目的ではない。人を滅することはただの娯楽でしかなく、真に求めているものは、ただ一つだ。
白き清浄な世界を手に入れ、幸せを得ることだけだ。




冷えた床に接していた頬を離し、フィリオラは目を開いた。
広間の窓際には、窓の映っている女に体を寄せているキースがいたが、その姿がいやにぼやけて見えていた。
目尻が熱く、触れてみると水が付いた。いつのまにか涙が滲んでいたが、それを拭うことなく、体を起こした。
底冷えのする広間には、皆が倒れていた。他人の意識を強引に流し込まれると、大変な負荷が掛かるからだ。
魂と肉体のずれから生まれてしまった霊媒体質によって、フィリオラの体には、ある程度の耐性が出来ていた。
なので、比較的早く意識を戻したが、頭の芯はずきずきと痛んだ。強引に他人の意識を受けると、やはり苦しい。
キースの記憶と共に流し込まれた彼の感情が、魂をきつく締め付けている。フィリオラは涙を拭い、唇を噛んだ。
思っていた、通りだった。ジョセフィーヌがキースの魂を受け入れなければ、その体が無事でいるはずがないのだ。
完全な異物である他人の魂を体に入れることからしてまず無理があるのに、一つの体に二つの魂は無茶苦茶だ。
魔力の流れも大きさも違っているキースの魂を、魔力は高くとも人間であるジョセフィーヌの中に止めることも。
だが、それは、ジョセフィーヌが抗っている場合だ。抗わずに受け入れたならば、止まることも、有り得る。
フィリオラは体に過負荷を掛けないために幽体離脱を行うが、それをしていないなら、行き着く先はそれだけだ。
フィリオラには、ジョセフィーヌの気持ちが良く解った。だから、ジョセフィーヌの行動を否定出来なかった。
正しいと言えば、正しいのだから。フィリオラは胸の奥底に鈍い痛みを感じながら、じっとキースを見つめていた。

「…有り得ない」

金属の軋みと、絶望に満ちた声がした。フィリオラが振り向くと、ラミアンが体を起こし、キースを凝視していた。

「ジョーが、お前を、受け入れただと…? そんなことが、有り得るはずが…」

「いいえ。間違いなく、そうなんです」

フィリオラはよろけながら立ち上がり、首を横に振った。ラミアンは鋭く大きな指先で、ぎち、と床に爪を立てた。

「だが!」

ラミアンは更に声を張り上げようとしたが、背を丸め、項垂れた。銀色のマントが、骨の肩から滑り落ちた。

「なぜだ、なぜだ、ジョー…」

フィリオラは、涙の残る目元を擦った。床に倒れている皆は、僅かに身動きしていて、意識を取り戻しつつある。
目を動かして、居間の方へ向けた。崩れ落ちるように倒れているレオナルドは、苦しげに顔を歪ませている。
ごめんなさい、レオさん。そう内心で呟いてから、フィリオラはキースに向くと、キースもこちらに向いていた。
窓から体を離したキースは、フィリオラをじっと見ていた。横長のメガネの奧の黒い瞳は、表情が窺えなかった。
窓の外では、音もなく雪が降り続いている。開いたままの玄関の扉の先に見える前庭には、かなり積もっている。
フィリオラが口を開こうとすると、不意にキースは目を逸らした。フィリオラは、釣られる形でそちらに向いた。
すると、玄関の扉が、勢い良く開け放たれた。白の世界から黒い影がいくつも走り出て、広間に入ってきた。
その気配と足音で、皆は意識を取り戻したようだった。玄関から転げ落ちていたヴェイパーが、起き上がった。
ヴェイパーは複数の黒い影を見、戦闘態勢を取ったが、すぐに解除した。拳も緩め、腕も下ろしてしまう。

「みんな…」

がたっ、と激しい物音がした。その音の方を見ると、立ち上がったダニエルが、拳銃を手から落としていた。
ダニエルの傍に倒れていたフローレンスも起き上がっていたが、立ち上がることもせず、目を見開いていた。
黒い影、闇色の戦闘服を着た兵士達は、無言で銃を構えていた。その銃口は、広間にいる面々を見据えていた。
銃口に睨まれていたダニエルは、表情を険しくした。震える拳を思い切り壁に叩き付け、ぎっとキースを睨む。

「貴様ぁっ!」

キースはダニエルを一瞥すると、悠長に歩いた。黒衣の兵士達の中心にやってくると、広間を見渡す。

「僕の記憶を視たのならば解るだろう、大尉。これもまた、僕の計略の一環なのさ」

「や…やだ、こんなの」

フローレンスは怯えたように身をずり下げ、息を荒げている。見開かれた目からは、涙が溢れ出している。

「もう、やめて、やめてあげて。皆、苦しいって、嫌だって、死なせてくれって、言ってんじゃないのよぉ…」

「全て、報いだ。僕の邪魔をしたことのね」

キースはフローレンスを見、笑った。ギルディオスが起き上がったのに気付くと、甲冑に目をやった。

「お目覚めですか、隊長」

ギルディオスはキースに向くと、怒りを滲ませた声を漏らした。

「…てめぇ」

「この、外道が」

起き上がったレオナルドは、黒衣の兵士達を見回して叫んだ。



「こいつら全部、異能部隊の連中じゃないか!」



その叫びを聞いても、黒衣の兵士達は微動だにしなかった。銃口はぶれることなく、それぞれを狙っている。
フィリオラは、兵士達を眺めてみた。彼らの顔には表情はなかったが、異能部隊基地で見た顔ばかりだった。
彼らの名は知らないが、ダニエルの様子からして長年の仲間に違いないだろう。それを、キースは改造したのだ。
その側頭部には、異様な輝きを放つ魔導金属が、深々と埋め込まれている。一人残らず、改造されている。
それは、キースの手によって手術を施された、キースのために働く人形、能力強化兵と化した証だった。
開け放たれた玄関の傍で立ち上がったリチャードは、あからさまに嫌そうに顔をしかめ、拳銃を握り直した。

「…なるほど。それが彼らの素性ですか。あなたのやりそうなことですね、大佐」

「じゃ、じゃあ、この人達って、皆、ダニーさん達の仲間ってこと…?」

座り込んだままブラッドが呟くと、キャロルは張り裂けそうな叫びを放った。

「そんな、ひどすぎます!」

「相変わらず、遠慮というものを知らぬのである」

床に置かれていたフラスコの中から、伯爵は苦しげに漏らした。その後ろで、フィフィリアンヌも立ち上がる。

「全くだ。やはり、早々に、この愚か者の首を刎ねておくべきだったな」

「んで、どうするよ。これでもまだ、あんたはキースを殺せねぇってのか、ギルディオス・ヴァトラス?」

グレイスは扉に手を付いて立ち上がり、ギルディオスに向いた。ギルディオスは、バスタードソードを拾い上げる。
ヘルムを上げ、黒衣の兵士達を眺めた。一般の戦闘服を黒にしたものを着ていて、揃った動きで銃を構えている。
以前にダニエルらが特務部隊の兵士達と交戦した時は、覆面を付けていたらしいが、今回は外させたのだろう。
開け放たれた扉の両脇に二人、広間の中に八人配置されている。十二人の兵士達の顔には、見覚えがある。
瞬間移動のポール、接触感応のアンソニー、透視のジェイソン、など。だが彼らは、いずれも表情を失っていた。
死体のような顔色をして、ギルディオスやダニエルを見ても、眉一つ動かさない。まるで、人形のようだった。
だが、フローレンスの様子からして、彼らに自我は残っているのだろう。フローレンスは、哀れなほど震えている。
ギルディオスは、胸の辺りに強い熱を感じた。剣の柄を握り締めているガントレットが、ぎりぎりと軋んでいる。
怒りが、全身を過熱させている。悠然と微笑んでいるキースを視界に捉えると、それは、一気に強烈になった。

「…ここまでやられちまうと、さすがに、トサカに来ちまったぜ」

ギルディオスは、キースに向き直った。銀色の刃先が、女へと突き出される。

「覚悟しろ、キース」

ギルディオスは、咆哮した。



「いい加減に、死にやがれぇえええええっ!」




白き世界を求め、幸せを欲し、愛に飢えた竜の青年。
彼の過去は裏切りと絶望に満ち、そして、歪んだ快楽への欲望を生んだ。
死を逃れて長らえた彼が求めてきたものが、その手に入る時は。

すぐ、傍まで迫っているのである。





 


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