「ジョーも」 屈託のない、幼い口調の声がした。 「ラミアン、だいすき」 その声に、ラミアンは下げようとしていた指を止めた。銀色の骸骨に抱き締められている女は、抱き付いてくる。 ラミアンは困惑しながらも、女を見下ろした。女はラミアンの背のマントをぎゅっと握り締め、顔を上げてきた。 横長のメガネの奧にある黒い瞳は、幼い表情になっている。先程までの、狡猾な眼差しではなくなっている。 表情もあどけなくなっていて、幼女そのものだった。だが、これが、キースの演技でないとは言い切れない。 十年前は、それでやられてしまった。今度もそうかもしれない、とは思うが、彼女を信じたい気持ちもあった。 ラミアンが押し黙っていると、女はぐしゃりと顔を歪めた。ラミアンに縋り付くと、ぼろぼろと涙を零し始めた。 「ごめんね、ごめんね、ごめんねぇえ」 銀色の骸骨の胸に頬を押し当てながら、女は泣きじゃくる。 「ごめんね、ほんとに、ごめんね、らみあん、ごめんね、らみあん、らみあん!」 舌足らずで発音の怪しい、幼女の言葉だった。 「ごめんね、ごめんね、ごめんなさい!」 声を上擦らせながら、女は叫ぶ。 「ラミアンはわるくないの、ぜんぶ、ジョーがいけないの! いけないのは、ジョーなの! わるいこはジョーなの!」 ラミアンは、女の後頭部に手を添えた。すると女は、更に泣き声を激しくさせた。 「すっごく、すっごく、か、かわいそうだったの! だから、だからね、すっごくこわかったけど、ジョーがいけないことをするのがみえてたんだけど、おともだちになろうって、おもったの! ラミアンがおともだちになってくれたみたいに、たいちょーさんがやさしくしてくれたみたいに、ジョーもドラゴンのお兄ちゃんにしてやりたかったの! おんなじこと、してやりたかったの! それだけだったんだよぉ!」 女は手の甲で涙を拭ったが、すぐにまた溢れ出した。 「ほんとうに、ほんとうに、ほんとうに、それだけだったんだよぉ! ラミアンが、こんなことになるってわかってたら、みえてたら、しなかったよぉ! だけど、ジョー、なんにもみえなかったんだよぉ! だっ、だから、だいじょうぶなんだって、きっと、ドラゴンのお兄ちゃんも、ジョーとラミアンといっしょにしあわせになるんだっておもったから、いっしょにいようっていったの! だけど、だけどね、だけどねぇ!」 女は、絶叫する。 「ジョーがいけないんだぁ! ジョーがわるいんだぁ! みんなみんな、ジョーが、いけないんだぁあああ!」 女は脱力し、銀色の骸骨に縋り付いたまま、ずるりとずり落ちて座り込んだ。 「ごめんね…。ラミアン、たいちょーさん…」 銀色の骸骨の腹から顔を上げた女は、黒衣の少年に向いた。 「ぶらっどぉ…」 また、女は泣き出した。喉を裂かんばかりの激しい泣き声を聞きながら、ブラッドは、その背を見つめていた。 しゃくり上げるたびに震え、弱々しかった。サラの外見をしたキースの魂を持つ女は、また別のものになっていた。 綺麗に整えられていた髪は乱れ、品の良い化粧は流れ落ち、他人を見下した態度も言動も、消え失せていた。 かなり、異様な光景だった。軍服に身を固めた女が、骸骨のような機械人形にしがみ付き、泣きじゃくっている。 父は何も言わずに、泣き喚いている女を抱き締めていた。表情は見えないが、とても愛おしげなのは解った。 「ジョー、なのか?」 ギルディオスが慎重に呟くと、女は紺色の袖でぐいっと頬を拭う。 「うん。ジョーだよ。ごめんね、たいちょーさん。いきなり、きちからいなくなっちゃって」 「本当に、ジョーなんだな」 ギルディオスは声を落ち着け、なるべく優しげにした。女はずり落ちたメガネを外し、ギルディオスを見上げる。 「うん。ジョーだよ。なんで、でられたのかわからないけど、ジョーなんだよ」 「貴君の所属と部隊名、及び上官名を乞う! すみやかに返答せよ!」 ギルディオスは、唐突に威圧的な声を上げた。それに気圧された女はびくっと身を縮め、慌てながら敬礼した。 「え、えっと、じぶんは、いのうぶたいのじょうとうへいで、ジョー、ジョセフィーヌ・ノーブル、じゃない、ジョセフィーヌ・ブラドールであります! じょうかんは、たいちょーさん、じゃなくって、ギルディオス・ヴァトラスしょーさであります!」 「貴君の任務は」 「んと、その、みらいよちで、さくせんのえんごをすることであります!」 「貴君の能力は」 「よ、よちのうりょくであります!」 「好きな食べ物は?」 「たいちょーさんがにんむあけにかってきてくれる、いろんなおかしであります!」 「嫌いな食べ物は?」 「ないであります! だけど、コーヒーはにがいからにがてであります!」 「ぬいぐるみの名前は?」 「ムーであります!」 「大きくなったら何になるんだっけ?」 「およめさんと、おかーさん!」 女は元気良く答え、最敬礼する。ギルディオスはその子供染みた答えに、笑った。 「ああ、そうだったな」 女は敬礼していた手を下ろして、怖々とギルディオスを見上げた。 「たいちょーさん。ジョーは、ジョーなんだよ? ほんとうに、ほんとうなんだよ?」 「それぐらい、解ってるさ」 ギルディオスは、女の表情に内心で目を細めた。その泣き顔は、幼い子供であった頃と変わっていなかった。 バスタードソードを下ろし、鞘に収める。がちっ、と鍔と鞘を噛み合わせると、女は安堵したように息を吐いた。 ラミアンは、縋り付いたままの女と武器を納めたギルディオスを交互に見ていたが、女を見下ろして呟いた。 「ギルディオスどのは、信じるのですか」 「信じてやりたいから、信じるんだよ。お前はどうなんだ、ラミアン」 ん、とギルディオスが首をかしげると、ラミアンはぎちりと片手を握り締める。 「私も、信じたいです。キースでなく、ジョーであることを」 「ジョーは、ジョーなんだよぉ」 不安になってきたのか、女は身を縮めた。ラミアンは床に膝を付いて女と目線を合わせ、その顔を覗き込んだ。 女は、うー、と唸りながらラミアンを見つめている。涙でべたべたになった頬が、ランプの明かりで光っている。 「らみあぁん…」 女はとても悲しげで、不安げで、迷子になった子供のような表情をしている。時折、鼻を啜り上げている。 ラミアンは、込み上げてくる愛しさで胸が締め付けられた。忘れもしない、忘れるはずもない、愛しい妻の表情だ。 歳を重ねても知性が成長せず、体ばかりが大きくなった彼女。出会った頃と変わらない、幼児の感性を持つ妻。 どんな些細なことでも、嬉しいと笑って、悲しいと泣く。表情がくるくると変わる様は、目まぐるしいほどだった。 その表情の全てを、覚えている。彼女がいなくなった十年間、何度なく思い起こして、記憶に刻み込んだのだから。 女は、怯えたように震えている。信じてもらえない不安と、重ねてきた罪の重さと、キースへの恐怖からだろう。 ラミアンは、女の瞳を覗き込んだ。ブラッドのそれと良く似た深い黒の虹彩に、銀色の骸骨が映り込んでいる。 「ジョー」 「ねぇ、ラミアン」 女は、廊下の手前で立ち尽くしている黒衣の少年を指差した。 「あのこ、ブラッドだよね? ラミアンとジョーのこだよね、おとこのこだよね! ラミアンにそっくりだもん!」 「ああ、そうだ。ブラッディは、ブラッドは、私とお前の大事な息子だ」 ラミアンが頷くと、女は嬉しそうに目元を緩ませた。 「ちゃんとおっきくなったんだね! ジョーがいなくなっちゃったから、ラミアンがおかーさんしてくれたんだね!」 「ブラッディは、本当に大きくなったよ。だが、私には母親の役割は出来ていないのだよ」 ラミアンが情けなさそうにすると、女はきょとんと目を丸める。 「どうして? ラミアンはいっぱいまほうもつかえるし、いろんなこともいっぱいしってるのに、できないの?」 「私は、父親になるだけで精一杯なのだよ。それだけでも大変なのだから、到底、母親にはなれないさ」 「ラミアンにも、できないことがあるんだねぇ」 しらなかったぁ、と女は意外そうにしている。ラミアンは仮面の奧にある魔導鉱石の瞳に、目の前の女を映す。 ラミアンは、女の頬に触れた。女は、銀色の骸骨の手の冷たさに驚いたようだったが、はね除けることはなかった。 鋭い指先になるべく力を入れないようにして、引き寄せる。女は抵抗することなく、ラミアンの仮面に顔を寄せる。 「悪い子だ」 言葉に反して、ラミアンの声は喜びに満ちていた。 「十年も、迷子になって」 「ごめんなさい…」 女が目を伏せると、ラミアンは首を横に振る。 「いいんだ、生きていてくれたから。また、お前に会うことが出来たのだから、そんなことはどうでもいいんだ」 ラミアンは女の顔を上げさせると、込められるだけの愛情を込めて、言った。 「お帰り、ジョー」 「ただいま、ラミアン!」 女、ジョセフィーヌはふにゃりと表情を緩ませ、銀色の骸骨に勢い良く抱き付いた。ラミアンは、少しよろける。 後方に倒れそうになりながらも姿勢を整え、力一杯抱き締めてくる妻を抱き寄せた。その髪を、優しく撫でる。 外気温で冷え切っていた鋼鉄の体に、優しい体温が染み渡ってくる。胸の魔導鉱石の奥底が、じわりと熱い。 生身であれば、泣き出していたことだろう。それほどまでに嬉しくて、愛しくて、息が詰まってしまいそうだった。 ラミアンはジョセフィーヌを撫でてやりながら、息子に向いた。ブラッドは、とても複雑そうな顔をしていた。 事態が把握しきれていないようで、唇を結んでいるが眉を曲げている。困った時のジョセフィーヌと、同じ表情だ。 「ブラッディ」 ラミアンが声を掛けると、ブラッドはやりにくそうに目を逸らす。 「この人が、お前の母、ジョセフィーヌだ。こうして顔を合わせるのは、初めてになるな」 ブラッドは、かなり困惑していた。動揺で乱れた思考の中、逸らした目線の先にある壁を意味もなく見つめていた。 父親に抱き付いている女は、つい先日までサラであり、つい先程までキースであったはずの、見知らぬ女だった。 いきなり母だと言われても、実感どころか不信感しかなかった。増して、外見の年齢にそぐわない幼い言動だ。 父と子の戦いの後に聞かされた、父と母の昔の話で、母親のジョセフィーヌがそういうものであるとは知っている。 先天的に知性が発達しないことも、予知能力者であることも、異能部隊の隊員であったことも、大佐であることも。 だが、すぐには受け入れられない。この十年間、自分に母親はいないものだという認識の元、生きてきたのだ。 正直、困ってしまう。母だと言われたからといって、途端に愛情が起きるわけでもないし、愛せるわけもない。 ブラッドは逸らしていた目線を、恐る恐る、母であろう女に向けた。ジョセフィーヌは、ブラッドを見つめていた。 「ジョーははじめてじゃないけど、はじめまして、ブラッド」 ジョセフィーヌは、にこにこしている。ブラッドはどんな顔をすればいいのか解らなかったので、曖昧な表情になる。 「なんか、初めてじゃない気がするけど、まぁ、うん、初めまして?」 「おかーさんとむすこのかいわじゃないねぇ」 ジョセフィーヌが変な顔をすると、ブラッドは顔をしかめた。 「仕方ねぇだろ。オレと母ちゃん、面識なんてないじゃんか。でもって、見た目がサラさんじゃん。だから、その、なんつーか、何をどうしたらいいのかさっぱりで…」 「ジョーも」 ジョセフィーヌはラミアンから体を離すと、ブラッドに向き直った。 「ジョーも、おっきくなったブラッドと、ちゃんとおはなしするのははじめてだからわかんない。だけどね、がんばるの。せっかく、ブラッドにあえたんだもん」 ブラッドが黙っていると、ジョセフィーヌは愛おしげに目を細める。 「すっごく、あいたかったんだぁ。ドラゴンのお兄ちゃんにからだをつかわれちゃってると、そのあいだはジョーはそとにでられないから、ブラッドのちかくにいても、わからなかったんだ。けっこうまえに、たいちょーさんといっしょにくらしてるおねーさんに、とりつかされたことがあって、そのときにはじめてブラッドをちかくでみたんだけど、ジョー、ばかだから、すぐにわからなかったんだぁ」 ジョセフィーヌの声は、次第に涙で詰まってくる。 「めのいろはジョーみたいだなーとか、かおがラミアンににてるなーとか、おもったんだけどねぇ…。ほんと、ばかだよねぇ。でも、よかったぁ。また、あえて。ジョーがブラッドのおかーさんだよって、いうことができて」 ジョセフィーヌは、笑みの形にしていた口元を歪ませた。 「いえて、よかった」 「ジョー…」 ラミアンは、妻を見下ろした。ジョセフィーヌは銀色の骸骨の姿をした吸血鬼を、見上げる。 「ラミアン、おねがい。ジョーを、ころして。また、たいさになっちゃったらいけないから」 ラミアンは、怯え切っているジョセフィーヌを見つめた。ジョセフィーヌは、がちがちと歯を鳴らして震えている。 やだよぉやだよぉ、と小さくも苦しげな言葉が何度も繰り返され、軍服に包まれた両腕をきつく握り締めている。 ラミアンは手を挙げようとしたが、一度、ブラッドに向いた。ブラッドは動揺して目を見開き、父に叫んだ。 「父ちゃん!」 「案ずるな、ブラッディ。苦しませは、しない」 ラミアンは、感情を殺し、言葉を絞り出した。骨のような腕の先に付いた銀色の大きな手を掲げ、指を伸ばす。 項垂れているジョセフィーヌの首筋に銀色の指が当てられようとした時、不意に、覇気のある少女の声が響いた。 「その必要はない」 「会長…」 ラミアンは妻の首から手を外し、声の主に向いた。フィフィリアンヌは、銀色の骸骨を見据える。 「貴様が妻を屠る必要は失せた、と言ったのだ。気付かぬか、ラミアン?」 「と、仰いますと」 ラミアンはジョセフィーヌを見下ろしたが、すぐに顔を上げた。ラミアンの反応に、フィフィリアンヌは頷いた。 「ようやく気付いたか。鈍ったな、ラミアン」 「あ、本当だ」 フローレンスはジョセフィーヌを見、呟いた。フローレンスの反応を受け、ヴェイパーも同じように言った。 「ほんとうだ」 「何が、どうなっているんです?」 キャロルは戸惑いつつ、フィリオラを見上げた。フィリオラはキャロルを見下ろし、ジョセフィーヌを指す。 「ジョーさんからは、竜の気配がしなくなっているんです。つまり、キースさんの魂が抜けているんです」 「でも、一体どこに」 ブラッドが訝しげにすると、事の成り行きを傍観していたリチャードがにんまりとした。 「さて、ここで思い出してみよう。魂とは、基本的に何と何で出来上がっているものなのかな?」 「え、っと。魂を構成しているものは、意識体と、魔力と、でしたっけ?」 キャロルが思い出しながら返すと、リチャードは満足げに笑う。 「正解。そして、その魔力の固まりである魂を吸収出来そうなものと言えば、何があったかな?」 「さっさと魔力充填板だと言え!」 レオナルドは苛立ちながら、兄に声を張った。リチャードは、やけに残念そうに眉を下げる。 「正解だけど、そんなに嫌そうにしなくてもいいじゃないか、レオ」 「時と場合を考えろ!」 全く、とレオナルドは腹立たしげに吐き捨てる。その隣で、もっともだと言わんばかりにダニエルが頷いた。 「中尉ともあろう人間が、戦闘中であることを忘れるとはなんたることだ」 「忘れてはいないよ。ここのところ戦ってばかりいて、本職を忘れそうだったから、ちょっと思い出してみたんだ」 悪気の欠片もないリチャードに、レオナルドはたまらなくなって額を押さえた。 「だからってなぁ…」 「ま、なんでもいいじゃねぇか。事が終わりそうなんだからよ」 グレイスはジョセフィーヌに歩み寄ると、手を差し出す。 「んじゃ、オレの魔力充填板、返してくれ」 「んと、えと、ちょっと、まって」 ジョセフィーヌは軍服の袖を捲り上げ、手首に絡み付いている金のペンダントを外し、それをグレイスに渡した。 「はい、どうぞ」 「おう、ありがとな」 グレイスは金のペンダントを掲げ、目線の高さまで持ち上げた。縦長の長方形の、小さな金の板が揺れている。 「あー、うん、間違いねぇ。キースの野郎はこの中にいやがるぜ。ジョセフィーヌが殺されそうになったから、ビビってこの中に逃げ込みやがったんだ。んで、どうする?」 グレイスは、魔力充填板をギルディオスに向けて軽く放り投げた。弧を描きながら、金色の鎖が甲冑に向かう。 ギルディオスは手を伸ばし、それを受け取った。ガントレットの手の中に収まった、魔力充填板を見下ろす。 古びた金の鎖に付けられたごく小さな金の板には、うっすらと魔法陣が刻まれていて、魔力の気配があった。 それと同時に、弱々しい魂の気配も流れ出していた。心臓の鼓動に似た波が発せられていたが、頼りなかった。 キースが、この中にいるのは確かだ。だが、その魂の気配は、追い詰められて怯えている小動物のようだった。 今にも泣き出してしまいそうであり、寂しげでもあった。ギルディオスは魔力充填板を見据え、小さく呟いた。 「キース…」 「手を、貸すべきか?」 フィフィリアンヌは、ギルディオスの背後に歩み寄った。ギルディオスは顔を伏せ、ゆっくりと首を横に振る。 「いや、いい。兄弟に兄弟を殺させるのは、どうもな…」 「だろうな」 フィフィリアンヌの口調は平坦だったが、表情は物悲しげだった。彼らの背を見上げ、伯爵は身を捩る。 「なんだかんだで、我が輩達とキースは、長い付き合いであったな」 「ああ、そうだな。まともに顔を合わせたのは、ほんの少しでしかなかったがな」 フィフィリアンヌは、ギルディオスの手の上にある魔力充填板を見つめた。金色の板の中から、気配がしている。 竜族特有の強い気配ではあったが、魂から発せられる魔力は弱っていた。息も絶え絶え、といった様子だった。 ジョセフィーヌの体の中にいた時は、彼女の持つ魔力を安定して受けていたから、状態はまだ落ち着いていた。 だが、外へ出てしまえば、そうはいかない。魂の残った魔力が使い果たされてしまえば、その命は消え失せる。 フィフィリアンヌは手を伸ばし、魔力充填板に触れた。指先で金色の板を撫でると、微かだが温もりがした。 ジョセフィーヌの体温なのか、キースの魔力の温度なのかは解らなかったが、それはとても儚い温度だった。 このまま何もしないでおけば、キースの命は尽きる。そうしてやることが、一番であるのだと、判断はしていた。 これ以上長らえていたところで、見苦しく、痛々しいだけだ。フィフィリアンヌは、魔力充填板から指を外す。 「…愚か者めが」 フィフィリアンヌは一歩身を引いて、ギルディオスを見上げた。ギルディオスも、竜の少女を見下ろしていた。 「いいんだな、本当に」 「今更躊躇ったところで、どうにもなるまい」 フィフィリアンヌは声を沈め、ギルディオスに背を向けた。ギルディオスは、手の中の魔力充填板を握り締めた。 握り潰そうと手に力を込めようとしたが、魔力充填板から温もりが消え失せていることに気付き、手を緩めた。 振り返ると、フィフィリアンヌも顔を上げている。今し方までなかった竜の気配が、広間全体に満ちていた。 薄暗い広間の天井を仰ぎ見るも、その姿は見えない。風が出てきたのか、窓に雪が叩き付けられて鳴っている。 その気配が、集束し、強まった。ギルディオスがその集束した先に向くとほぼ同時に、彼の、凄絶な叫びがした。 「僕は、死なない!」 深緑のマントを翻し、短いツノの生えた少女は、笑っている。 「死なないんだ!」 青い瞳が赤に変化し、目が吊り上がり、ツノが長さを増す。魔導師の衣装の背が破られ、翼が飛び出した。 黒に近い緑髪が鮮やかな濃緑へと変貌すると、髪を二つに結んでいた紐が両方とも解かれ、髪が広がった。 髪を結んでいた紐を床に投げ捨ててから、キースの表情で笑うフィリオラは、高らかに叫んだ。 「死ぬわけがないんだ!」 06 3/28 |