アステロイド家族




芳しき秋



 彼女が倒れた原因は、過労に伴う胃炎と栄養失調だった。
 私服から入院着に着替えさせられたアウトゥムヌスはベッドに寝かされ、栄養剤が入った点滴を投与されている。 ただでさえ小柄な彼女は、いつも以上に小さく、弱々しかった。防護服を脱いだヤブキは、念のために病院の設備 でサイボーグボディの隅々に徹底的に滅菌処理を施してもらってから、アウトゥムヌスが収容された病室を訪れた。 そのベッドサイドにある椅子に腰掛けていると、火星での一件を思い出す。
 あの時、生まれ直す前のアウトゥムヌスは、ヤブキの妹として作られたダイアナに襲われて頸動脈を掻き切られ、 大量出血した。常人では死ぬところだったが、あの頃のアウトゥムヌスは人智を越えた存在だったので、数日間の 入院で済んだ。その後は順調に回復し、ヤブキと結婚し、結婚指輪を買った。その時の結婚指輪は、今もヤブキと アウトゥムヌスの首筋に下がっている。細い鎖骨の間に、金色の細い輪が横たわっている。

「むーちゃん」

 ヤブキはアウトゥムヌスの赤茶色の長い髪を撫でると、アウトゥムヌスは瞼を震わせ、ぎこちなく開いた。

「ジョニー君」

「疲れていたのに気付いてやれなくて、ごめんなさいっす」

「これ、サナちゃんから返してもらった、むーちゃんの端末っす。ここに置いておくっすからね」

 アウトゥムヌスの枕元に彼女の情報端末を置いてやってから、ヤブキは膝の間で手を組んだ。

「勉強もそうっすけど、コロニー管理に必要な資格を取るのは大変っすからね。ちょっと根を詰めすぎて、ストレスが 胃に来ちゃったんすねー、胃に。そういう時は、ゆっくり休んでおくのが一番っすよ。マサ兄貴達には、オイラが連絡 しておいたっすから。学校の先生も、ちゃんと事情を解ってくれているっすから。オイラも、むーちゃんが元気になる までは一緒にいるっすから。だから、なんにも気にしなくていいっすよ、むーちゃん」

 ヤブキはマスクフェイスをアウトゥムヌスの頬に寄せると、彼女は顔を歪め、背けた。

「……ぅ」

「どっ、どうしたんすか」

 いつもなら、彼女の方から率先して近付いてキスしてくるはずなのに。ヤブキが戸惑うと、アウトゥムヌスは目尻 からぼろぼろと涙を落とし、体を横にしてヤブキに背を向けてしまった。ケンカしたっけ、デートで失敗したっけ、なんか 変なことしちゃったっけ、あのエロゲは隠してあるんだけど、と、ヤブキは気まずくなって慌てた。

「オイラ、なんか、いけないことしたっすか? 言ったっすか?」

「無能」

「そりゃまあ、オイラは出来が悪いっすけど」

「違う。……私が」

 アウトゥムヌスは枕を抱き締めると、背中を引きつらせて泣いた。その様にヤブキはますます慌てて、せめて気分 を落ち着かせてやろうと背中をさすってやろうとしたが、触るなと言わんばかりに振り払われた。これまでにも多少は ケンカすることもあれば機嫌を損ねてしまったこともあったが、ここまで明確に拒絶されたのは初めてだ。
 絶望と言うには生易しいダメージを精神に受け、ヤブキはよろめき、がっくりと膝を付いてくずおれた。それでも尚、 アウトゥムヌスは振り向きもしなかった。それが尚更、心を引き裂いてきた。その後、ヤブキはどうやって病院から 帰ったのか、まるで覚えていない。服に付いた汚れから察するに、病院に配備されているナースボットに力任せ に追い出されたのだろうが、気付いたら街中に突っ立っていた。日も暮れていた。情けない呻きを漏らしながら、 ヤブキは瀕死の動物のような弱り切った足取りで彷徨った。
 事実、心は死にかけていた。




 ふと気付くと、統一政府軍官舎に辿り着いていた。
 無意識のうちに、マサヨシに救いを求めていたからだろうか。ヤブキがエウロパステーション滞在中に宿を取って いるのは、格安で宿泊出来るがサービスは必要最低限以下の国民宿舎で、官舎とは正反対の方向のブロックに ある。呆然としながらも、ちゃんとトラムに乗ってきたらしく、現金を電子マネー化してチャージ出来る市民IDカードの 残高はちょっと減っていた。同じ形の小振りな家がずらりと連なっている官舎街は、夜中だということもあり、静まり 返っている。ヤブキは茫然自失から少しばかり回復した状態で歩き回り、マサヨシの住む官舎を見つけた。だが、 家主はまだ帰宅していないらしく、窓明かりは灯っていなかった。

「奴ならば、訓練中に発生した事故の事後処理を行っているため、まだ基地にいるが」

 と、ヤブキに声を掛けてきたのは、敷地内のガレージから出てきたトニルトスだった。

「……はぁ、そうっすか」

 ヤブキが上の空で応じると、トニルトスはオレンジ色の街灯を浴びたマスクフェイスを傾げる。

「だが、それについては別段心配するほどのことでもないのだ。事故といっても、新参者の機械生命体が力加減を 誤って、機動歩兵の腕を引き千切っただけのこと。我らにしてみれば、訓練中に腕をねじ切ることなど日常の一端 であり、手足の二三本が吹き飛ばなければ、まともな軍人にはなれはせん。だが、ここは貴様ら新人類の支配する 世界であり、星系だ。それ故に、こちらの道理に従わねばならぬ。奴は長らく宇宙を放浪していた身であるが故に、 軍人としての心構えを失いかけていたとはいえ、軍人として再び前線に立とうと思う者が軍紀に対して意固地になる とは言語道断だ。マサヨシに非はない。あるとすれば、太陽系に流れ着いて日が浅いネモに対し、まともな礼儀を 教え込めなかった私とイグニスにある」

「トニー兄貴が反省するだなんて、この宇宙が消滅しちゃう前兆っすか!?」

「貴様、この私を愚弄するのか、屈辱だ」

「トニー兄貴のそれもルーティンワークになってきたっすね」

「やかましい」

 トニルトスは若干面倒そうにリアクションしてから、ヤブキの前に腰を下ろし、片膝を立てて座る。 

「というわけだ、ヤブキ。今夜はマサヨシには会えんが、ハイスクールと病院から連絡は受けている。マサヨシからも 連絡を受けたとの報告があった。アウトゥムヌスの病状は軽いようだが、楽観すべきではない。軽微な破損が原因 で重大な損傷が引き起こされてしまう事例は、それほど珍しくはないからだ。しかし、問題は損傷箇所でもなければ ダメージの大小ではない。心身の回復に欠かせぬ療養と、療養を支える存在だ」

「うぇあっ」

 トニルトスの遠回しな励まし方が嬉しいやら情けないやらで、ヤブキは膝を折った。

「どうした?」

 トニルトスが片膝を付いて覗き込んできたので、狭い庭の芝生に崩れ落ちたヤブキは泣き喚いた。

「オイラはもう回線切って首吊るべきなんすよ!」

「貴様は回線を切って首を括ろうとも、機能停止はおろか窒息すらしない肉体だが」

「ものの喩えっすよぉー! うあー! むーちゃんに嫌われたー! なんかよく解らないけどウザがられたー!」

「貴様が鬱陶しいのは最初からだ」

「オイラが何をしたんすかー! いや、まだ何もしてないっすけどー! 成人して結婚するまでは最後までしないって ことになっているから我慢しまくりっすけどー! あー!」

「ええい静まらぬか! 近所迷惑だ!」

 全力で泣き叫ぶヤブキに苛立ったトニルトスは、ヤブキを鷲掴みにしてガレージに放り込み、シャッターを閉じた。 乱暴に投げ込まれたヤブキは、イグニスが集めたガラクタの山に突っ込んでからガレージのコンクリート壁に背中 から激突してしまったが、服が更に汚れたこと以外は問題はなかった。フルサイボーグは頑丈だからだ。
 家電から機動歩兵の部品まであるガラクタの山が半分ほど崩れ、ヤブキの頭上に降り注いできた。機械油と埃に まみれたヤブキは、自分が情けなさすぎて変な笑いが浮かんできた。アウトゥムヌスに嫌われた原因を思い出そうと 必死に頭を働かせ、補助AIに保存してある彼女とのやり取りを総浚いし、メールや通話記録の音声も確かめ、原因 を突き止めようとしたが、何も思い当たらない。それがたまらなく悔しかったが、アウトゥムヌスを問い質せばもっと 嫌われてしまいかねない。だが、理由も解らずにいい加減に謝ったところで、余計に事態がこじれてしまうだけだ。 しかし、何もしないでいいはずがない。ヤブキの心中は、そんな堂々巡りに陥っていた。

「オイラ、頑張っていたんすけどねぇ」

 トニルトスがぞんざいにガラクタを取り除いてくれたので、ヤブキは怠慢な動作で起き上がった。

「むーちゃんと一緒にあのコロニーを守るって決めてから、そりゃーもう一杯勉強したんすよ。知っての通り、勉強は 今でもそんなに得意じゃないっすし、解らないことの方が多いっすけど、解ることから手を付けていったんす。んで、 なんとかコロニー管理に必要な資格のいくつかを取ったんすよ。全部で五十二個もあるっすから、むーちゃんと協力 して取っていくことにしたっすけど、でも、やっぱり難しいんすよ」

 がちゃん、とヤブキの頭に乗っていた金属の筒が落下し、足元で円を描くように転がった。

「オイラの出来が悪いのは今に始まったことじゃないっすけど、こんなんだから、前のむーちゃんを死なせちゃったんだ なぁ、とかちらっと思っちゃったりもするんす。この前、ミイムも言っていたんすけど、たまに夢を見るんす。オイラは 周りから担ぎ上げられただけの馬鹿な総司令官で、むーちゃんの命と第三人類の未来を背負っているつもりで 戦っていたのに、本当はそうじゃなかった。むーちゃんと、あの次元のマサ兄貴を死なせた後、オイラは新人類との 戦争に負けたんすよ。最後まで一生懸命頑張ったんすけど、むーちゃんが死んじゃったせいでどうしても踏ん張りが 利かなくなって、オイラを担ぎ上げていた人達もダメになったオイラを見限って、敵前に放り出して、んで、お終い」

 ヤブキは円を描きながら回っている金属の筒を掴み、止めた。

「だから、むーちゃんに二度と苦労は掛けない、辛い目には遭わせない、って誓っていたんすけど」

「貴様らの理論は理解しがたい」

 ヤブキの話を聞き終えたトニルトスは、首を横に振り、神経質な仕草で腕を組む。

「貴様とアウトゥムヌスの目指すものは明確であり、コロニーの管理と維持に要する知識と資格を得ることが現在の 指針であり、その行く末は貴様らにとっての幸福であるのは理解出来る。が、そこに至るまでに苦しまねばならぬと でもいうのか? 頑張る、というのは実に曖昧な語句だと私は常々感じている。精神論の一種なのだろうが、それは 自己満足でしかない。一体何を基準にして、頑張る、頑張らない、を決めているのだ? 資格を取得すれば数値化 された結果が現れるが、それ以外は個人の主観でしかないではないか。これだから炭素生物は劣悪なのだ」

「が」

「頑張って何が悪い、という反論も何度となく聞いている。主に訓練生からだ。奴らは、己の経験の浅さと未熟さを 誤魔化すために使うのだ。いかなる過程があろうとも、結果が出なければ無意味だ。その結果も、本人が満足する だけでは、やはり自己満足に過ぎんのだ」

「ここぞとばかりにボロクソっすね」

「苛々するのだ。貴様らという連中は」

 トニルトスは壁に寄り掛かり、自身に内蔵されている反重力装置で軽く浮きながら、長い足を組む。

「俯瞰していると、実によく解る。貴様らは些細な出来事と稚拙な感情で右往左往しているが、全体像を見下ろせば 取るに足らないものであることも多い。去年のミイムとヒエムスの一件にしてもそうだ。本人達にとっては深刻なこと かもしれんが、異星間婚姻など有り触れているし、ミイムの戸籍はフォルテ皇帝陛下が手を回してくれたおかげで、 レギーナとは全く別物の戸籍が出来上がっているから、ヒエムスと籍を入れることにも何の問題もない。マサヨシが 反対するはずもない。貴様らという前例があるからだ。何を悩む、何を戸惑う、何を躊躇う」

「そりゃあ、トニー兄貴は当事者じゃないから言いたい放題言えるんすよ!」

「そうだ。私は貴様らの家族ではあるが、貴様らの色恋沙汰には関係はない」

 ヤブキを見下ろしたトニルトスは、心なしか語気を強めた。青い上腕を握る銀色の指に、力が籠もる。

「故に、私は貴様らとはいずれ決別するだろう」

「へっ?」

 ヤブキがぎょっとすると、トニルトスは淡く発光するゴーグルを僅かに翳らせる。

「イグニスはまんざらでもないようだが、私は貴様らと違って家庭を築くことにはなんら興味はない。麗しいアイドル は愛して止まないが、それは彼女達が偶像だからだ。偶像とは理想であり、非現実の存在だ。だが、家族となれば、 抗えぬ現実の固まりだからな。この私が、そんなものを築けるものか。……プロケラにも義理が通せん」

 ヤブキを一瞥してから、トニルトスは虚空を見つめる。かつて、惑星フラーテルが存在していた方向だった。

「私は観測者となろうではないか。貴様らが果てる日まで、貴様らという存在をこの宇宙に据えるための目となるのだ。 貴様らが紡ぐ時間が途切れる時こそ、私と貴様らの決別の日となるのだ。故に、私は貴様らの人生に過度な接触 を行うつもりもなければ、進言をするつもりもない。私の言葉など、所詮は愛玩動物の鳴き声だからな」

「トニー兄貴の気遣いは優しいんだかきついんだか解りづらいっすけど、どうもっす」

「……ふん」

 ヤブキが曖昧に感謝すると、トニルトスは鋭角なマスクに覆われた顎に手を添えた。

「では、愛玩動物の鳴き声をもう少し続けてやろう。貴様とアウトゥムヌスは、十年以内に死ぬ予定でも立てている のか? 貴様らの寿命は、私の感覚からすれば恐ろしく短いが、新人類では平均だ。貴様らが取得しようとしている 資格が数年以内に消滅するわけでもなければ、明日にでも我らのコロニーが何者かに奪われるわけでもないという のに。躍起になるのは構わんが、焦るあまりにギアが噛み合っていない。貴様らは、なぜそれに気付かん」

 そう言われてみればそうだ。ヤブキは徐々に精神状態が落ち着き、頭の働きも戻ってきたので、とりあえずその場 に正座した。アステロイドベルトに浮かぶコロニーを守り、保つために欠かせないことは多々あれども、急いだところ で難しい国家資格が簡単に取れるようになるわけでもないし、ヤブキの頭が良くなるわけでもない。アウトゥムヌスが 無理をして倒れてしまったのも、ヤブキの焦りを感じ取っていたからなのでは。
 だが、なぜ、今までそれを失念していたのだろう。いや、何を恐れていたのだろう。ヤブキが考えあぐねていると、 記憶と意識の片隅にこびり付いている、透明な卵に収まっている彼女の姿が甦った。緑色の培養液に上半身だけの 肉体を浸し、生命維持のための大量のケーブルとチューブが頸椎と脊髄に刺さり、外気に触れれば溶けて しまうほど弱った命を削って戦い、愚かな男に尽くし抜いて果てた彼女。
 かつての宇宙で、彼女が死んだ年齢が近付いているからだ。だから、ヤブキは怯えている。今のアウトゥムヌスも 果ててしまうのだと、心のどこかで錯覚している。その事実を悟った瞬間、ヤブキは駆け出していた。が、勢い余って ガレージのシャッターに激突しそうになったが、トニルトスがすかさずシャッターを上げて外に出してくれた。彼に礼を 述べてから走っていったが、作業着はどこもかしこも汚れていた。だが、着替えを取りに戻れるほどの時間も余裕も なかったので、ヤブキは上着を脱いで腰に結んでから、アウトゥムヌスの元を目指して走り続けた。彼女にメールを 送ってから行こうかとも思ったが、生憎、情報端末のバッテリーが切れていた。だから、直に会うべきだ。
 一秒たりとも、立ち止まれなかった。





 


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